魔女の章 4
目が覚めたのは、日が昇ってからいくらか経った頃のことだった。
マリアが眠っている間に一部の反乱兵はこの場を離れ、都市に潜入を開始していた。まだ潜入部隊はちらほら残っているが、じきにそれもいなくなるだろう。ラルバ率いる戦闘部隊や魔族の集団は、武器の手入れや兵装の点検、地図の確認など、入念に準備を行っている。
そんな彼らを横目に、マリアは頭の中で翼を思い描いた。漆黒の翼が瞬く間に現れ、マリアは一息に宙へと飛ぶ。
空はどこまでも広い青が広がり、雲一つない。風は少し強めに吹いているが、陽光がいくらか強いからか、心地よい涼しさを感じる。
――本当なら、なかなかの行楽日和ね。
だけど、間もなくこの都市には黒煙が煙り、血の雨が降る。
それを思うと虚しい気持ちが湧いて来るが、マリアはすぐに打ち消した。この平穏は、不要な犠牲の上で成り立った、薄汚いものだ。卑しく思うことこそすれど、憐れみに思う謂れはない。
マリアは、空中から交易都市を見下ろした。ラルバの地図通り、城砦の様相をなしている。破壊すべき城門の位置と大きさを確認し、ついでに海に浮かぶ船の数を数えてから、マリアは地上に降り立った。
地上に戻ると、ジャンが不安そうな顔で迎えた。これからの戦いにそう感じているのかと最初は思ったが、どこか違う不安を抱いているように見える。ただ、何がそうさせているのか、皆目見当もつかない。
「あんまり、魔法を使わないほうがいいのでは?」
遠慮がちに、ジャンが聞いてくる。制御が難しい魔力のことを言っているのか、とマリアは思った。
「大丈夫よ。魔法をどれだけ使っても、今はあまり疲れないから。それにね、今やったことは重要なことなの。破壊するべき場所を実際にこの目で見ておかないと、ちゃんと結果を残せないんだから」
「……はい」
歯切れの悪いジャンの言葉が少し気になったが、問い質している時間はなかった。
「とにかく、見るべきものは見たわ。あとは、時が来るのを待つばかりよ」
ジャンは何か言いたそうにこちらを見ていたが、マリアはそれを無視するように視線を外し、来たるべき時を待つように瞑目した。
束の間、静寂が舞い降りる。外界の音は一切が遮断され、今聞こえるのは、自分の内側で激しく燃える憎悪の炎ばかりだ。
気持ちを空っぽにしようと思っても、湧き上がる憎悪は際限なく襲い掛かってくる。大切な人を失った痛みと悲しみが、奪われた怒りと憎しみが、マリアの中で禍々しく暴れている。体を突き破ってしまいそうなほどにそれらが暴れるたびに、不思議と魔力がどこからか湧いてくる。
「そろそろ良さそうだ、マリア殿……、いや魔女殿」
ラルバの不思議とくぐもった声が聞こえてきて、マリアはそっと目を開いた。
冑を被り、既に臨戦態勢のラルバが直立して待っている。
「潜入部隊は交易都市に潜入を終え、ここに残っているのは戦闘部隊とそうでない者だけだ。僕たちの隊は、すぐにでも攻め込める」
「わかった。あなたたちも、先に行ってて。六十を数える間には、必ず城門を崩すから」
ラルバが頷き、駈け出していく。少し離れたところで号令がかかり、足並みの揃った足音が徐々に遠ざかっていく。
一度周囲を見渡し、誰もいないことを確認する。先ほどまで傍にいたジャンは、残っている非戦闘部隊にマリアへ近づかないようにさせているのか、遠くで必死に声掛けをしているのが聞こえた。
地面に両手を置き、マリアはもう一度目を瞑って気を静める。瞬間、大地を伝って荒れ狂うほどの魔力が体に流れ込んできた。自分が持っている魔力とぶつかり合い、とてつもない衝撃が体を襲う。マリアは少し顔を歪めたが、それを歯を食いしばって抑え込み、無理やり自分のものにする。力は未だに荒れ狂ったままだが、言うことを利かないほどではない。
そのまま、マリアは頭の中に一つの光景を思い描いた。雄大に聳え立つ三つの城壁が、真ん中から爆裂して砕けて崩れる光景。爆裂して舞い上がった粉塵や、崩れ落ちる瓦礫の姿まで、鮮明に頭の中で描き切る。
両手が熱くなる。刹那、マリアはカッと目を開き、体の中の魔力を一気に解放した。
数瞬の間を置いて、やや遠くで爆裂音が三つ聞こえた。次いで、何か重いものが勢い良く叩きつけられていく音がし、やや遅れて大地が激しく揺れた。
「うまくいったの、かしら……?」
少しの不安を口にしながら、マリアは立ち上がる。使った魔力があまりにも強大だったからか、少し足元がふらついた。
遠目に、くすんだ煙に包まれた交易都市の姿が見えた。濛々と上がる土煙によって、その姿ははっきりとはわからない。
「あれ」
不審なことに気づき、マリアは首を少し傾げた。森の中にいるのに、都市の姿がちゃんと見える。目の前を覆っていた草木の影が、気づけばなくなっている気がする。
何かとんでもないことをした気がして、マリアは周囲を見渡し、そして息を呑んだ。
辺りには、もう緑と呼べるようなものは存在していなかった。青々としたものをつけていた木々からは全てのそれが枯れ落ち、茶色の細枝ばかりが残っている。その枝も見るからに頼りなく、風がそっと吹き抜けるだけで、ぽきりと音を立てて折れるものもある。足元に茂っていた草花は全てが死に絶え、焦げ茶色の大地を剥き出しにさせていた。
その大地の上に、たくさんの獣が横たわっている。どれもこれも体は痩せ細り、苦悶の表情を浮かべたまま息絶えていた。
「……そういうことか」
この光景を前にして、何故一部の魔族が魔力を抑制しようとしたかったのか、今ならば理解できた。
魔力は、大地の生命力を使う。些細な魔法ならばそれは大したことはないが、度が過ぎれば目の前の現実のようになってしまう。そうなれば、誰も生きられなくなる。
何となく、ジャンはそれに感づいたのかもしれない、とマリアは思った。昔から、魔力に関することは右に出る者がいない。マリアの魔法の危険性に、いち早く察知したのだろう。
――それに、あの子は優しすぎるから。
マリアの望みを知っているがゆえに、口を出すべきではないと判断した。判断したが、その危険性にも気付いてほしくて、あんな曖昧な言い方をした。大方そんなところだろう。
気遣いは嬉しかったが、老婆心だともマリアは思った。国を滅ぼすには、この力はまさに打ってつけだ。
南門の辺りに人だかりができ始めたのに気付き、マリアはそちらに目を向けた。戦闘部隊が襲い始めたのか、遠くからでも赤い霧が何度か舞っているのが見える。
魔法で馬を生み出し、マリアはすぐに跨った。どこからかジャンが現れ、駆け寄って来る。
「ジャン、みんなは大丈夫?」
「はい、何とか。でも、突然のことに腰を抜かしてしまった人は少なくないみたいです」
「でしょうね。あなたは、ここでみんなを落ち着かせて。わたしは、あの都市に止めを刺してくる」
頷いたジャンに一瞥をくれ、マリアは交易都市へと向かった。




