魔女の章 2
反乱軍を組織してから、二十日が経った。
その間は、森の中に拠点を作って過ごしていた。
王都から見て、ずっと南西の森である。鬱蒼と茂った森で、人が好んで足を踏み入れることはあまりない場所だという。そのため、この二十日の間に追跡の目を感じたことは一度もなかった。
ただ、どこで噂を聞き付けたのか、昼夜を問わずに反乱軍に志願しに来る者は多く現れた。多くは人間であったが、中には混血児も混じっていて、誰もが復讐に燃えていた。折角の平穏が奪われた。口々に言う彼らの言葉に、疑いの目を向ける余地は全くなかった。
訪れる人の対処は、ラルバとジャンに任せた。物資の調達なども、集まってきた人にやらせた。マリアはマリアで、やっておかなければならないことがあったからだ。
マリアはこの二十日の間、ずっと魔力の制御に明け暮れていた。最初の頃と比べたら大分体に馴染んできたものの、扱う魔力が強すぎるためか、まだ完全には使いこなせない。さすがに何度か使っただけで魔力が枯渇してしまうようなことにはならないが、一度に放出してしまう魔力の量は、依然として多いままだ。使いこなせそうな魔法も、まだ限られている。
鋭い風を起こしたり、身も凍るような水を降らせたりと実に様々なことができたが、一番使いやすいのは炎を操る魔法だった。身を焦がす炎に似た憎悪は、一番頭の中で描きやすい。
マリアが特訓している間、ジャンが付きっきりで世話をするようになった。ラルバに断り、マリアを支える従者になると宣言し、事細かに世話を焼くようになった。特に、魔力の制御に時間を費やしている時は、難しい顔をしながらひと時も離れずに見守っている。少し鬱陶しく感じることもなくはなかったが、ジャンが心の底から案じていることもわかっているから、マリアは何も言わずに好きなようにさせていた。
ジャンが傍から離れた今、ラルバは一人で反乱軍に指図を与えている。
反乱軍となった人々は、命じられたことをきちんとこなしていた。主に、物資を集めたり、訓練することである。特に、訓練は誰もが真剣に取り組んでいた。国と戦うということは、人と殺し合うことを意味する。訓練を積んだ騎士ならばともかく、ろくに武器を持ったこともない民に、いきなり戦えというのは無茶がある。最低限の動きができるように、元王国騎士たちが厳しく教え込んでいた。
彼らが物になるまで、まだもう少しかかる。ラルバはそう口にしていたが、物事はそう思い通りには進まないものだ。
拠点としている森に、武装した魔族の集団が押し寄せてきたのだ。
彼らは風の便りで反乱の話を耳にし、戦う気がある者を集めて合流するためにやって来ていた。目的は勿論、この国の打倒。魔王を殺された恨みは、彼らの心を激しく突き動かしているようで、現にここに来る前に、王都の騎士と干戈を交えたりしたらしい。尤もその時は、衆寡敵せず一敗地に塗れ、彼らは多くの同胞の骸を後に残してきていた。
そうなっても、魔族は引き下がる気はなく、これから戦いに向かうだろう魔女の反乱軍に合流しようと考えた訳だ。
当然、魔族はなりふり構わずここを目指しただろう。反乱軍に加わるために、人目を憚って秘かにここを訪れた人たちのような真似は、絶対にしていないはずだ。
ここが王国騎士に露見するのは、時間の問題である。王都のリチャードは巫女のマリアと、元王国騎士団長のラルバ、その従者のジャンを手配書を作って探しているらしく、ここが見つかってしまえば反乱を起こす前に、集めた人たちにも危害が及んでしまう。マリアは切り抜けられても、集まった人が死んでしまえば、また人を集めるところからやり直さなければならない。
こうなってしまっては、これを契機とするしかない、とマリアは判断した。ラルバがまだもう少し時間が欲しいと言ったが、マリアは聞き入れず、ここから北進して事を起こすことを命じた。
当面の目標は、リチャードの息がかかった生産拠点の村と交易都市だ。ここから北の方にはいくつか大きめの村があり、生産力が頗る高い。加えて、これが最も重要なことではあるが、全てがリチャードに近しい所である。加わった人々の中には情報通の者もいて、話の質からして信憑性はかなり高い。ここから先の村々を滅ぼし尽くすのに、マリアはともかく、反乱軍に一切の躊躇はなくなった。
そして、そのさらに先にある交易都市は、この国の心臓と言ってもいい。数多の物資が集まる交易都市が滅べば、この国は長らえるための血液を失ったと言っても過言ではない。
尤も、自分たちにもその反動は返って来る。それを避けるには、破壊と同時に物資を奪うしかない。
不幸中の幸いか、魔族の集団が加わったことで、人の数は大分膨れた。三百だか四百だか、マリアは細かくは把握していないが、とりあえず戦いを仕掛けられるくらいの人数はいる。
魔族の集団が合流したその日のうちに、マリアは反乱軍を率いて森を出た。既に陽は遠くの山に隠れ始めていて、辺りは夕闇に包まれ始めている。
本来ならば、夜に外を出歩くのは控えるべきである。獰猛な獣が、頼りなく夜道を歩く獲物を、今か今かと目を光らせているからだ。それに、野盗の類も手ぐすね引いて待っていることもある。だが、そうも言ってられない。王国騎士団に目をつけられて急襲されることが、今は一番避けなければならないのだ。
慌ただしく出立した一団は烏合の衆という感は否めなく、足並みは殆ど揃っていない。魔族は隊列など関係なく自分勝手に歩き、寧ろ自分たちとマリアが対等だという姿勢を見せている。反乱軍の人たちはそれに気圧されたのか、もしくは緊張によってか、それぞれの足の速さがまちまちになっている。とても、これから戦いに行くという集団ではない。
その様を見ているラルバとジャンが、何度か嘆息し、不安を口にする。このままでは、犬死させてしまうかもしれない。その懸念は、戦いの経験がないマリアでも、よくわかった。
――わたしが、一つに束ねないと。
こんなまどろっこしいやり方を選んだからには、その責任くらい取らなければ。
どうすればいいかは、マリアの頭の中にもう浮かんでいた。皆に後ろ盾があると安心させ、同時に魔族に自分の力を認めさせる方法は、たった一つだ。
――最初に襲う村は、わたしが一人で壊滅させる。
そうすれば、魔族は大人しく従うようになり、反乱に加わった人たちは敗北を恐れずに、戦えるようになるはずだ。
幸いなのかどうかはわからないが、王都から西寄りにある村や都市は、リチャードの息がかかった所が多い。反乱に加わってきた者たちからの報告だからほぼ間違いはなく、したがって、一切の躊躇もなく攻撃することができる。
マリアは、頭の中でこの辺の地図を思い浮かべた。穴が開くほどに見たということもあるが、魔法を使えば頭の中で地図を開くことぐらい、息をするようにできた。
出発した森の近くに、この国の生産拠点の一つとも言える村がある。人の数はそこそこだが、多くの作物や資源を生み出す、重要な場所だ。ここからなら、あと僅かで着ける。
ほんのちょっと歩くと、やや遠くに建物の影が目に映るようになった。陽はまだ沈み切っておらず、山から覗くようにしている橙色の光が、少し目を瞑ってしまいそうなほどに眩しい。
マリアは、人々に制止を命じた。そして、怪訝に立ち止まる人を前にして、今からあの村を滅ぼしてくる、と低い声音で言い放った。
人々の間に動揺が走り、次いで無謀だと非難する声が上がった。特に魔族からは、混血の巫女風情にできるわけがない、と口汚く罵ってきた。
その人たちを、マリアは殺気を込めて、一度冷たく睨みつけた。邪魔をするなら、同志だろうと容赦しない。そう付け加えた。
反乱軍の人々は息を呑んで縮こまり、魔族は何かを言いたそうにしていたが、やはり全員が口を噤んだ。
「ここは、魔女殿に任せよう。我々を導く者がどんな人物なのか、これでわかるはずだ」
ラルバがやや控えめな声で言うと、皆が頷いた。
前へと向き、ゆっくりと歩いていく。いつもは離れないジャンもこの時ばかりは察したのか、マリアの後を着いて来ることはない。
すぐに、村の入り口が見えてきた。
入口には、籠を背負った壮年の男二人が立ち話をしていた。近くの畑からの帰りなのか、いずれの籠の中も野菜でいっぱいである。
その内の一人がマリアに気づき、意外そうな声を上げた。
「おや、こんな時間に旅人、しかも女の子が来るなんて珍しい。とりあえず」
続きを待たずに、マリアは右腕を軽く上げ、手を開く。男の言葉を遮るように、その体を炎が包み込んだ。
瞬間、耳を劈くような叫び声が発せられる。いきなりのことで呆然としていたもう一人は、現状を理解しようとした時には、もう永久に物を考えられなくなっていた。
その男の顔を、黒い炎が包み込んでいる。いや、包み込んだかと思えば炎はすぐに消え、一緒に男の顔さえも消し炭にしていた。
未だに燃えている男の絶叫に気づいた村人たちが、怪訝な顔をして家々から飛び出して来る。燃えながら転げ回る男を目の当たりにし、悲鳴が上がり、困惑の声がそこかしこから聞こえ始めた。
その声目がけて、マリアは二度右腕を縦に振り、左腕で一度横に振った。研ぎ澄ました剣のような鋭利さを持つ空気の刃が村人数名を襲い、辺りに立ち並ぶ家々からは唐突に炎が燃え上がった。直撃した村人は胴から真っ二つになり、家々はすぐに屋根まで炎に包まれた。
悲鳴が、さらに上がる。家から飛び出した人々が、訳も分からず逃げ惑う。事態を咄嗟に把握し、武器を取ってマリアに向かって来る者たちもいたが、それらは放たれた炎に呑まれ、瞬く間に真っ黒になって果てた。
村から逃げようと、人々は反対の入り口に向かっている。しかし、それは許さない。
マリアが両腕を広げると、村を囲むように火柱が立った。隙間など一切なく、それでも無理やり通ろうとしたものは炎の餌食となった。
逃げ場をなくし、喚き、助けを請い、理不尽に対して恨み言を叫ぶ村人たちを、マリアは確実に殺していった。自分にとって一番扱いやすい炎で、纏めて焼き殺していく。大抵は声もなく消し炭となったが、加減がうまくいかなかった時は、生きながら燃えていく苦痛の叫びが、その命を絶つまで続くこともあった。
女だろうが子どもだろうが、老人だろうが容赦はしない。目に映った命は、ことごとく刈り取る。
殺戮を繰り返して、どれくらい経っただろうか。長かったようにも、短かったようにも感じる。
一番大きな家を燃やした時に、髭の長い男が鬼の形相でそこから飛び出してきた。手には剣を持ち、既に抜き払われていた白刃が赤い光を照らしている。
おそらく、この村の長か。身なりは、これまで殺した人の誰よりも小ぎれいだ。
男が吼え声を上げながら、剣を振り上げて駆け寄って来る。しかし、その剣がマリアに届く所へ来る前に、男の足は地面から離れた。
右手を前に出し、マリアはゆっくりと振り上げた。同時に、男が両手を首にやって苦しそうにもがきながら、宙に浮く。手から離れた剣が、地面に落ちて少し鈍い音を立てた。
「どうしてこうなったか、わかる?」
苦しそうにしながらも睨みつけてくる男に、マリアは冷たく言い放つ。
男が何か言いたそうにしているが、首が締まっているのか、荒い息と言葉にもならない声が微かに漏れ出るばかりだ。
「あなたたちが、リチャードの意思を受け入れたからよ。受け入れたから、あなたたちは死ぬ羽目になった」
「ば、馬鹿なことを……!」
何とか絞り出された男の声は、掠れながらも蔑みに満ちていた。
「お前には、わかるまい。我々人間族が、どれほど苦しんだのかが。どれほど、恨みを抱いたか。理想ばかり追い、現実を知らぬ小娘が、身の程を、知れ……!」
男が勢いよく唾を吐き出し、マリアを頬を汚す。べったりとした感触が束の間現れ、嫌な臭いが鼻をつんと突いた。
服の袖でそれをそっと拭い去り、一層冷たく、男を見つめる。無意識のうちに怒りが湧いたのか、マリアは少しずつ右手を閉じていた。
男が、尚も苦しそうに呻く。みしみしと、男の首が軋んだ音を立てる。
「そうね。わたしは愚かだったわ。理想になんて決して手は届かないのに、馬鹿みたいに追っていたわ」
けど、とマリアはキッと男を睨む。苦しみもがきながらも憤怒に燃えていた男の赤黒い顔が、瞬間、青褪めた。
「あなたたちに、あんな形で否定される筋合いはないのよ」
言葉の終わりと同時に、右手を思い切り握る。首の骨が砕ける音が鈍く鳴り、次いで体の潰れる生々しい音が響いた。しかしそれらは、夜の闇に吸い込まれ、すぐに聞こえなくなった。
一度息を吐き、マリアは目を瞑って神経を尖らせた。村の中から、生きている者の気配は感じられない。死にかけている者さえ、一人もいない。
マリアはそのまま意識を集中し、村を襲った炎を消した。元々魔法で熾した炎だ。マリアが望めば、炎は跡形もなく消える。
村の入り口まで戻ると、いつの間にか近づいてきたのか、ラルバとジャンが反乱軍と共に出迎えてきた。
二人は驚きながらもどこか納得している風であったが、他の人たちは違った。反乱軍の人々は唖然とし、魔族の集団もまた、驚愕を顔面に張り付けていた。
そんな彼らに、マリアは冷たく笑んで見せる。
「あなたたちを率いているのが何なのか、これでわかったかしら? それとも、まだ足りない?」
マリアの言葉に、誰も答えるものはなかった。反抗的だった魔族も、どこか萎れたようになっている。
「だったら、次はあなたたちが応える番ね。次の村は、あなたたちに任せるわ。わたしは、最悪の事態になるまで手を出さない。いいわね?」
有無を言わさぬ響きに、人々は頷くしかないようだった。
この日は、滅ぼした村で一夜を明かした。大分燃えはしたが、まだ使えそうな家屋はいくらかあり、食料などに至っては半分くらいは焼けずに済んだ。マリアが意図したわけではなかったが、それはそれで不幸中の幸いと、素直に喜んだ。




