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私を忘れて  作者: 千変万化
断章 「ある少女の物語」
81/125

魔女の章 1

 恨みの炎が、身を焦がす。湧き上がる憎しみが、心を逸らせる。あいつらを許すな、早く焼き殺しに行け、と急かしてくる。

 それに身を委ねたい気持ちもあるが、マリアはその誘惑には抗った。

 体に馴染んでいないとはいえ、今の状態で使える魔力だけでも、あの男を殺すには十分すぎるだろう。何人かの護衛がついていたって、おそらく何の問題もない。ただ、それではこの憎悪を慰めることはできない。ぽっかりと空いた心の穴は、決して埋められない。

 少しでも満たされるには、もっと別の方法を取る必要があった。

「やはり、仇を討ちに行くのか、マリア殿?」

 呆然と立ち尽くしていたラルバが、恐る恐るといった風で口を開いた。

「当然よ。いずれ、あいつらを殺しに行くわ。わたしには、その力が与えられたから」

「……意外だな。あなたならば、今すぐにでも飛び出していくと思ったのに。慣れていないのだろうが、その力があれば、すぐに敵討ちは果たせるだろうに」

 渋面を作ったラルバが、焦れた感じでまっすぐにマリアを見つめてくる。ただ、その割には言葉は落ち着いているような感じだ。

「あなたの言う通り、すぐにでも復讐したいし、今の状態でも楽にリチャードや裏切り者を殺せると思う。けど、それじゃあダメなのよ。死ぬのなんて、一瞬だもの。自分が死ぬっていう恐怖は、すぐに感じなくなるわ。それじゃあ、復讐にならない」

 リチャードの憎悪で歪んだ醜い顔が脳裏にちらつき、妙に腹立たしくなって、マリアは右手を思い切り握る。ぐちゃぐちゃになって未だに横たわっている熊の死骸が、もう一度潰れたような音を立てた。

「この国を、少しずつ壊してやる。あいつが心の底から絶望するように、じわじわと奪ってやる。人の命も、大地の命も、そこにある営みも、何もかも」

「一体どうやって? いや、あなたの力をもってすれば、それは可能かもしれない。けれど、たった一人で国を敵を回して、本懐が遂げられるとは思えないな」

「一人?」

 意外な言葉に、マリアは少し首を傾げた。

「あなたたちは、着いて来てくれないの?」

 一瞬、空気が張り詰め、静寂が辺りを覆った。

 マリアの声は、自分でも意外に思うほどの威圧感に満ちていた。大したことは言っていないし、声量もそこまで大きくない。それでも、有無を言わさぬ響きがいやが上にも目立つ。

 ラルバもジャンも、言葉を失ったように、少しの間は口を開かなかった。知らないうちに威嚇して、言葉を奪わせた自覚が何となくあったマリアは、その沈黙に憤りも蔑如も抱かず、ただ口が開かれるのを待った。

「……ぼ、ぼくは、一緒に行くつもりです」

 重苦しさに耐えかねたのか、少し上擦った声でジャンが言った。

 そっと、ジャンに視線を向ける。声とは裏腹に、その双眸は強い光に満ちていた。

「陛下は、ぼくにとってかけがえのないお方でした。陛下はぼくの憧れであり、同時にぼく自身の居場所でもあったんです。でも、なくなってしまった。永遠に、失われてしまった」

 ジャンの瞳が潤み、大粒の涙が零れていく。それでも、依然として光は強いままだ。

「ぼくは、陛下の無念を晴らしたい。陛下の理想を否定した人たちを、このまま好きにさせたくない。だから巫女様……いいや、魔女様に、着いて行きます。あなたの傍で、ぼくは可能な限りの力を尽くします。それに」

 何か言おうとしたジャンが首を横に振り、いえ何でもないです、と涙を拭いながら言葉を濁した。

 気弱なジャンがいやに真剣な顔をして言いかけたものだから、マリアは少し気になったが、追及することはしなかった。

「そう、わかった。グランツは?」

 ラルバに目を向けると、彼は腕を組んで瞳を伏せて、沈思していた。

「……答えは、最初から決まりきっている」

 その姿勢のまま、ラルバが口を開いた。

「陛下を襲った国の害悪を取り除く。そして、もう一度理想を取り戻す。陛下が愛したこの国は、イナゴのような連中に食い荒らされているのだから。僕にできるのは、そいつらを駆除することだけだ」

「最初からその気持ちだったなら、なんでさっきそう言わなかったの?」

 ほんの少し憤りを覚えて、微かに怒りが言葉の端に滲む。

 しかしラルバは、今度は何も動じていないようだった。徐に開かれた瞳は力強い光を放ち、どっしりとした大木のような強靭さを感じさせる。

「国を敵に回すというのは、簡単じゃないことだからだ。いかにあなたが常軌を逸した魔力を使えても、無尽蔵ではない。数多の人間や魔族を相手にすれば、本懐を遂げる前に力尽きてしまうだろう。それでは、本末転倒だ」

「馬鹿なこと言わないで。たかが人程度が、いくら束になっても怖くないわ」

 強い自信を胸に、マリアは強い口調で言い切る。

 それは強ち、誇張というわけでもない。魔力は湧水のように体の奥底からどんどん湧いて来ていて、さっきまでの脱力感はもう消えている。

 加えて、マリアは自分が特別であることを、体感的に悟っていた。

「それにね、わたしにはまじないが効いてないのよ。魔力を抑え込まれることもない。何もかも破壊できそうなほどの力を、いずれ使えると思うわ」

「何故?」

「それはわからない。けれど、そのことは間違いないわ。感じてる、本人が言うんだもの」

 自信たっぷりに言っても、ラルバの表情は変わらない。真剣なものを孕んだまま、ただこちらを見るのみだ。

「仮にそうだとして、あなたは少人数でどうやって国を相手取るつもりなのだ?」

「そうね、この国を少しずつ蹂躙していこうかしら。じわりじわりと焼け野原と瓦礫の山が増えていったら、さぞかし絶望するでしょうね」

「効果はあるだろうし、あなたならばやはり可能かもしれない。でもそのやり方は、あなたにとって致命傷になりかねないな。国を滅ぼすという目的だけでは、全ての人を敵に回すことになる。そうなっては、あまりにも時間がかかりすぎる」

 きっぱりと言い切られたが、マリアは不快ではなかった。

 確かに、ラルバの言う通りではある。じわじわと国を蹂躙し、焼け野原にしてしまえば、この国の人々は恐怖で打ちのめされるだろう。しかし、この国はなかなか広く、それこそどれくらいかかるのかは見当もつかない。その間に一番憎い敵に逃げられでもしたら、何もかもが無駄になってしまう。そうなることだけは、避けなければならない。

「じゃあ、どうすればいいの? もっと、別のやり方があるとでも言うの?」

「ああ。あなたは冷静に見えて、大きな見落としをしている。あなたや僕たちが抱いているものが、他の誰も抱いていないと思い込んでいる」

「どういうこと?」

「僕たちと同じように、陛下や魔王の仇を討ちたいと思う者は、少なからずいるということさ」

 ラルバが片手を上げ、頷いたジャンが来た道を戻って駆け出しては、大声で何事かを呼び掛ける。

 その間にも、ラルバは言葉を続ける。

「ここまで逃げる間、僕は一つの手を打った。僕が真に信用できる部下たちにジャンを遣わして、僕の意思を伝えた。この変事に納得がいかない者を集めろ、とな。皆、陛下の理想に共感し、身を粉にして働いていた。まず間違いなく信用できると、僕は信じている」

「でも」

 マリアは、もう人が信じられなかった。ラルバとジャンは特別だとしても、愛する人や父を奪った人間も魔族も、信じたくない。

 当然、胸に抱いていた理想さえも、もう思い描くことはない。あんなものは、最初からありもしなかった幻想に過ぎず、今まで信じていた自分がひどく愚かに思える。

「とりあえず、あなたに見てほしい」

 マリアの心を察したかのように言ったラルバが振り返ると、ジャンが駆け戻って来ていた。その後ろで、たくさんの人の姿がこちらに向かっているのが見えた。二十、三十、いやもっとか。続々と現れる人々の大多数は騎士の身形をした若い男ばかりだが、中には老人、女子供も混ざっている。皆、思い思いの気持ちを口にしあっているのか、ざわざわと少しうるさい。

 その人たちはジャンが足を止めると、ぴたりとそれに倣った。口も、一斉に閉ざしている。

「グランツ団長、お指図の通り、秘かに集めました。時間がなかったため、今は六十人が限界でした」

 壮年の騎士が一歩前に出て、直立してからそう言った。

 ラルバが頷く。マリアは驚きながら、ラルバの横顔を見つめた。

「この現実が答えだ。あれだけの人が、陛下の理想を信じていた。陛下の死を、受け入れられなかった」

 自信を漲らせたその顔に、微かな憤りがよぎる。ほんの一瞬だけ怒気が膨れ上がったが、ラルバはすぐに抑えたようだ。

 ふと、ラルバがこちらに顔を向ける。そこにはもう自信のようなものは浮かんでなく、代わりに痛いほどの悲壮感が顔面に張り付いていた。

「反乱を起こそう、マリア殿。同じ志を持つ者を集めて束ねれば、きっと奴らにも手が届く。今はまだ数が少ないけれど、僕たちの活動を知ったら、きっと同志が現れるはずだ。この国を揺るがせられるほどの人数が、きっと」

「そんなに、いるわけがない」

 言っていることはわかっても、やはり信じられなくて、マリアはラルバの言葉を途中で遮った。

「だって、王都の人たちは、ジードが死ぬのを望んだんでしょ? だったらこの国の人たちは、みんなジードに嫌気が差してるはず。敵対する人は現れても、味方になってくれる人なんか」

「そんなことはねえ!」

 少しみすぼらしい格好をした中年の男が、叫ぶように口を挟んできた。

「王様が殺されて、心を痛めた人はたくさんいる! 王様が望んでいた理想が本物だったと、信じていた人はたくさんいる! 少なくとも俺たちは、死んでしまった王様の理想を取り戻したいって思っている!」

「そうだそうだ!」

「王様が望んでいたことは、間違ってねえ!」

 便乗するように、男たちが喚き始める。口々にジードを囃し立て、辺りは束の間熱狂の渦に包まれた。

 その思いが本物であることぐらい、今のマリアにもわかった。人を信じたくはないが、その気持ちを否定させてしまうほどの思いが、彼らにはある。

「そうよ。それに、王様だけじゃないわ」

 騒ぎ始めた男たちの声に交じって、よく通る女性の声が響くように聞こえてきた。

 一旦、喧騒が止む。その女性に、一斉に視線が注がれた。

「魔王様だって、そう。私たちみたいな人が幸せになれる世の中を、作ろうとしてくれたのよ」

 耳の尖った女性がそう言って振り返り、俯いた男が一歩前に進み出てきた。

 よく見ると、男の目の周りが赤い。鼻の下も、擦り切れたようになっている。

「俺はさ、初めて好きになった人が、魔族だったんだ。彼女も、俺を気にかけてくれてさ。でも、叶わない恋だったはずなんだ。人間族と魔族が一緒になるのは、ちょっと前までは難しい世の中だったんだよ。でも、王様たちが世界を変えてくれた。皆が幸せになれる世界を切り開いてくれたんだ。そのおかげで、俺たちは今、幸せなんだ。幸せ、だったんだ」

 男が涙を流し、嗚咽で一度言葉を切る。鼻を思い切り啜り、止まらない涙を一度拭っては、男は今一度言葉を継いだ。

「あんなに頑張った王様たちが、心無い人たちに殺されてしまった。そんな事実を前に、ちょっと前みたいに笑って過ごせるはずがない。昨日も一昨日も、俺も女房も嘆いてばかりだよ。だって、あまりにも理不尽だろ。殺されなきゃいけない理由なんて、どこにもないんだから」

「本当に。まだちょっとしか経ってないけれど、私にはわかる。これから来る世の中は、きっと間違っている。そんなのを、私たちは許したくない。だから、この国とは今、戦わなきゃいけない。皆、そう思ってグランツ団長の呼びかけに応じたの」

 女性が振り返ると、集まった人たちは大きく頷いた。

 前を向いた女性の大きな黒い瞳が、マリアをじっと見つめる。ほんの少しあどけなさを残した顔が、真剣なものを精一杯出しているのが、どこか健気だ。

「巫女様、いいえ、魔女様。どうか、私たちを導いてください。この国を、王様たちの理想を、守って下さい」

 女性が、深々と頭を下げる。きらきらと輝く雫が、何度か地面に落ちていった。

 その姿に胸を衝かれながらも、マリアは別のことに思いを巡らしていた。

 理想。そんなものは、やはりどこにも存在しない。こればかりは、誰が何を言おうとも、もう変わりっこないものだ。理想を信じたが故に悲劇が生まれ、果ても知れない絶望の底に、マリアは叩き落されている。多分、二度と這い上がっては来れない。理想なんて、二度と信じない。信じたくない。

 ――でもこれは、わたしだけのことだ。

 他の人たちにまで、自分の理想論を押し付けるわけにはいかない。

「……あなたたちの意思はわかったわ」

 できるだけ思ったことを悟られないように努めながら、マリアは言葉を続ける。

「前もって言っておくわ。わたしが歩むのは、瓦礫と血に塗れた、穢れた道。目を背けたくなるような、悲惨さに満ちた道。それでも、あなたたちは着いて来る気があるの?」

 ごくりと生唾を呑み込む音が聞こえたが、それでもその場にいる誰もが大きく頷いていた。

 目を瞑り、マリアは自分の心に問いかける。もう一度だけ、信じてみてもいいだろうか。答えは、聞く必要もなかった。

 あとは、覚悟を決めるだけだ。命を奪い、血に塗れる覚悟。心の奥底に微かに残っている怯える自分を、マリアは無理やり押し込める。一瞬声を上げて泣いた気がしたが、その声はもう聞こえない。

 もう、ためらいもない。

「……後戻りは、もう許さないわよ。先王ジードと、魔王ルシフェルの理想を、わたしは受け継ぐ。必ず、この国の害悪を除き、真の平和を取り戻して見せる」

 目を開いて静かに、それでいて強く言い放つ。

 最初はその言葉に呑まれて声を失っていた人々も、一人、また一人と我に返って声を上げ、やがて全員が叫ぶように声を上げていた。

 それはしばらく止むことを知らず、寧ろ興奮した声は大きくなっていく。近くの樹上で羽を休めていた鳥たちが、驚いて一斉に飛び去ってしまうほどだ。

 あまりの熱狂ぶりに唖然としていたマリアの肩に、そっと手が置かれる。ハッとしてそちらに顔を向けると、優しく微笑んでいるラルバがそこにはいた。

「あなたの言葉で、僕も覚悟を決めた。どれほどの血を浴び、怨嗟の声を聴こうとも、あなたの道は僕が切り開いて見せる」

「……うん。頼りにしてるよ、グランツ」

 ほんの少し怯えていた自分を思い出しながら、ちょっと前までの自分の言い方で、マリアは返した。

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