喪失の章 1
この国にまじないがかかった日に、王都にて人間族と魔族の王による、共存の誓いがなされた。
最初は、やはり多くの人々が難渋を示した。これまでのことを忘れられない、とてもではないが手を取り合うことなどできない。そんな人は、王都だけでも数えきれないほどいた。
それでも、ジードもルシフェルも必死に理想を語った。いがみ合うことの虚しさを、共に生きていくことの喜びを、何度も何度も繰り返した。何日もかけて、語り続けた。
互いの王が同じ言葉を尽くしていると、人々の心も僅かに傾き始めた。王の言葉を、信じてみる。王都に住まわっていた人間族と魔族は、ほんの少し、歩み寄ってみようという気になった。
その話はやがて国全土に広がり、一種の騒然さを生み出した。しかし、新たな騒乱が生まれることはなかった。
それから、二年が過ぎた。
二年の間に、人間族と魔族は少しずつ和解していった。
最初はどちらの種族もぎこちなく接していたが、半年、一年と経つと徐々に関係は融和し、今では委縮しない程度には親睦が深まっていた。
それもこれも、ルシフェルとジード、そしてマリアの三人が率先して手を取り合わせようと行動し続けたおかげだった。
ルシフェルはこれまで支配していた場所に自ら赴き、謝罪と村や都市の再建を配下と共に行った。支配によって日々の暮らしが覚束ないところも、たくさんあったのだ。最初はやはり突っぱねられることも多かったようだが、ルシフェルは諦めることなく誠意を示し、何とか人間族に接してもらえるくらいには信用を取り戻している。それでも満足せず、今も各地を回っているはずだ。
ジードは身銭を切って、行き場を失っていた魔族たちに住まう所と働く場所を与えた。支配者という立場を失った魔族には、これからどうすればいいのかわからない者が多かったのである。そんな彼らが暴徒になったり野垂れ死にしないように、ジードは王都や交易都市で居場所を作れるように取り計らった。魔族のほうはそれがありがたかったのか、人間族のように反発せず、素直に受け入れていった。
そしてマリアは、ジードに付き添って各地に足を運んだ。
マリアには、二つの目的があった。
一つは、変わりつつあるはずの国の現状を肌で感じ、平和を守ることだ。この国が共存していく未来を選んだとはいえ、皆が皆、まだ納得したわけではないだろう。些細なことで不満が爆発し、いがみ合いが起きる前に、マリアはできるだけ多くの人たちに、生きていることの平等さを伝え歩いた。
もう一つは、混血児に居場所を作ることである。
実は、そちらの方がマリアとしては目的の度合いが大きかった。混血児は二つの種族が対立していた頃よりは、ちゃんとした人として扱われるようになっていた。しかし、少し派手な見た目は、どうしても周りの目を驚かせ、一歩後退らせてしまう。だから今でも、居場所を得られなくて孤独になりがちの混血児は少なくない。
自身が混血児で、しかも唯一の存在であるだけに、居場所がない辛さはマリアにはよくわかる。
マリアはこの国を、混血児もちゃんと生きられる場所にしたかった。混血児だけではない。誰もが平和を謳歌し、笑って生きてくれる国を作りたかった。
マリアが生まれた村は、その先駆けとなるかのように、混血児が住まう集落となった。元々は差別が多かった村だが、マリアが巫女になってからは、徐々に混血児への偏見は薄れていった。成長していったマリアの変わらない優しさと、人間族と何ら変わらない容姿が、村人から警戒心をなくさせたのが大きかったのかもしれない。
今では村は、魔族も混血児も、誰だって受け入れる場所となっていた。
村人が容易に誰でも受け入れてくれるのならば、ジードが支援するのも容易かった。マリアの理想の第一歩として、村は徐々に発展していく。噂を聞きつけて、その村にやってくる人も少しずつ増えていったため、村はより多くの人が住めるように拡充の道を選んだ。今はまだ多くは受け入れられないが、いずれたくさんの人を迎え入れることができるだろう。
ただ、そこだけで足りるはずもなかった。たくさんの人間族と魔族が共に過ごすには、それこそこの国全土がその村のようになるしかない。
しかし、今はまだまだ共存の道半ばであり、互いに大手を振って接するとはなっていない。悲しいが、まだあの村や王都だけで精一杯というのが現実だ。
それに、その混血児そのものが、積極的に表舞台には出て来ない。歳が若いとなれば尚更だ。子どもの混血児は、特に表へ出ることを極端に避けていた。
混血の子どもたちは、これまでのこともあってか怯えて村に近づくことさえしていなかった。そればかりか、人前に出て来ることもなく、人知れずひっそりと暮らしている。
以前までは混血児の子どもは、親に虐げられるか、共に住まう村人に虐げられるかのどちらかしかなかった。特に後者の割合は多く、そのせいで巻き添えを食った親が死んだり、一人で村から逃げ出したりする者が少なくない。
この国をよく見て回れば、孤児となった混血児が、怯えながら日々を過ごしているのがはっきりと目に映る。これまで出会ったのは年長で十五、六、最も幼くて七つくらいの子どもばかりなのだが、皆絶望しきっていた。
マリアはジードと各地を回っている時に、そんな独りぼっちの混血児を探し出しては、手を差し伸べた。彼らに生きる場所を与えるべく、保護していった。平たく言えば、ジードの王城に迎え入れたのである。
何の考えなしに、そんなことをしたわけではない。前もってジードとは話し合っていて、既に保護する先である王都にはより多くの物資を買い集めてある。もちろん、他の地域の民に影響を与えない程度に止めているから、誰も困窮する恐れはない。
加えて、今の王都は二つの種族が共存する都市となっている。ジードとルシフェルの理想を真っ先に感じたからか、彼らはどこよりも早く、共存の道を選んでいた。都市の中に険悪さは感じられず、日々活気に満ちている。混血児が加わっても、それは多分変わらないだろう。
ジードが各地の巡察に出ていない間は、マリアも王都にいた。
今は、王都に居を構えている。と言っても、栄えた都市にあるような豪奢な家で裕福に暮らしているわけではない。寧ろ、小ぢんまりとした小さな家で、質素な日々を過ごしている。
理由は簡単だ。自分が贅沢をしたくて、平和な道を切り開こうとしたわけではないからだ。
この国には、まだまだ苦労している人がたくさんいる。その人を差し置いて、自分だけがいい思いをするわけにはいかない、とマリアは考えていた。最低限の生活ができれば、それでいい。
ならば住まう場所は王都でなくてもいいのだが、保護した孤児たちの面倒を見るには、この場所は最も適していた。ここにいれば、すぐに会いに行ける。
と言うのは、もしかしたら建前かもしれない。私情を差し挟んではいけないことぐらいはマリアもわかっているが、それを抑えきることは未だできていない。
ジードの近くにいられる。たったそれだけの理由で、マリアは王都にいると言っても過言ではない。そして、ジードもまた、マリアがこの場所にいることを望んでくれていた。
お互いに、慕い合っている。わざわざ言葉にしなくても、理解していた。理解していたが、一歩踏み込むことはできるだけ避けた。マリアは巫女であるとはいえ、平民の子、しかも混血児に変わりはなく、ジードはこの国の王だ。結ばれるのは、あまりにも難しい。
せめて互いの気持ちだけは途切れることがないように。旅の間にジードとそう話し、マリアは王都に居を構えるようになったのだ。
王都にいると、ラルバやジャンを通じて、色々な話がジードからもたらされた。特に拾った孤児の話は、マリアの気持ちを捉えて離さない。
城に迎え入れた孤児には、ジードは望むことをさせているようだ。最初は無反応だったり抵抗を示したりしたらしいが、今ではそんなこともなくなっている。勉学に興味がある者は特に学ばせ、騎士を志す者には剣術を指南し、作物などが気になる者には民から手解きを受けさせるなど、それぞれが望むことをさせていた。
学び始めの頃は遠慮しがちだった孤児たちも、時が経つにつれて積極的に学ぼうとするようになった。居場所がなく、塞ぎ込んでいた時の暗さは徐々に消え、今では表情に自然な笑みを浮かべられるほどの明るさを、彼らは持つようになっていた。
そんな彼らと、マリアは暇さえあれば寄り添い、たくさん話をした。最初はやはり、マリアにも遠慮がちだった混血児も、今ではマリアお姉ちゃんと呼んでくれるほどに懐いてくれている。
彼らの語る言葉は、どれも希望に満ちている。子どもらしい、空想に近い大きな夢、将来なりたい目標、叶えたい願い。それらを口にする顔は、初めて出会った時には考えられないほどに明るいものだ。
拾ったばかりの頃のあの表情を、マリアは今でも鮮明に思い返せる。目は落ちくぼみ、双眸は怯えに揺れ、または怒りに燃え、底知れない憎悪を宿していた。それでもどうにもならないことへの諦めを表情の端に浮かべ、生気のない顔をマリアに向けてきたものだ。居場所なんて、どこにもない。自分より少し幼い子どもたちがそんな思いを抱いているのは、見ているだけでとても辛かった。
しかし、今はそんなことはない。少なくとも、この王都には彼らの場所はちゃんとある。
今、城内の雰囲気は頗る明るい。城に詰める騎士や小間使いはジードの意をよく汲んでいるのか、城に住まうようになった混血児に、何ら嫌悪を示さなかった。寧ろ、積極的に関わり、打ち解けようとしている。混血の男の子には自ら剣術を教えようとする騎士もいれば、女の子にはきれいなドレスを着せて可愛がる召使いもいる。誰も彼も、気持ちのいいほど笑顔を見せていた。
王都だってそうだ。人間族だろうが魔族だろうが、混血児だろうが関係はない。城下に住まう人々の顔には影が差さず、騒がしいほどの賑わいを見せている。
これが、マリアの望んだものである。誰だろうが関係なく平等に生きられる、平和の姿だ。遠すぎる夢が、到底叶いっこないと思っていた夢が、少しずつ実現している。
そう、信じていた。
だが、それはありもしない幻想に過ぎなかったと、すぐに気づくことになる。




