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私を忘れて  作者: 千変万化
断章 「ある少女の物語」
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巫女の章 9

 それからの日々は、あっという間に過ぎていった。

 マリア自身は王都の宿でひっそりと暮らしていただけだが、それでも時の流れは異様に早く感じた。

 それはおそらく、ジードも同じだっただろう。時間があれば、王都や近隣の人々に自身の思いを語りに出かけていたが、それでも回れる場所は限られてしまう。たったふた月では遠出もできず、行く場所を断念したところも多くあるという。そのせいもあってか、ジードは同じ村に何度も足を運んでいた。仕方ないこともあっただろうが、たった一度の訪いで心に響かせることなどできない、とジードは感じたのかもしれない。

 ジードの苦労の甲斐もあってか、ほんの少しだけ、人間族の魔族に対する印象が少しだけ和らいだような気が、マリアはしていた。もちろん、それは気のせいかもしれない。そんなに簡単に事が運ぶことなど、マリアだって期待していない。それでも変わっているということを、信じたかった。

 あっという間に過ぎたふた月の間に、魔族のほうでは大きな動きがあった。

 魔族の対立が、終わりを告げたのである。

 対立を制したのは、魔力の抑制を望んだほうだった。魔王が、その背を大きく後押ししていた。

 どんな風にしたのかは、詳しくはわからない。ただ、人間族と手を結ぶことを肯じない者に対しては手荒なことをして、いくらかの血を流させたということは、風の便りで聞いた。

 そしてそれは、魔王が味方したほうも例外ではなかった。魔力の抑制を願っても、人間族を蔑ろにする気持ちのある者は、同じ道を辿らされた。

 そのため、対立していた派閥は、殆ど解体された。各地で小競り合いを続けていた部隊も姿を消した。そうなるためにも、やはり多くの命が失われたという。

 今、各地の魔族は、魔王の信任の厚い者が率いている。魔王の理想に感化された者ばかりで、積極的に人間族に歩み寄ろうとしている。

 たくさんの犠牲の上に成り立ったことは悲しかったが、マリアはどこかほっとしていた。自分がいつ狙われてもおかしくはない状況は、確実にマリアの精神を蝕んでいたのだ。

 精神的にいくらか楽になったことも、もしかしたら時の流れが速く感じた理由の一つかもしれない。

 そうして、約束のふた月が経ったある日の、草木が緑に覆われ、外の陽気もひと際温かくなった頃に、王城には一人の来客があった。

 顔立ちの整った、筋骨逞しい偉丈夫。顔に、雰囲気に纏った並々ならぬ威圧感は、まさしくただ者ではないことを感じさせる。

 魔王。初めて対峙するその男に、ジードはいくらか圧倒されているようだった。

 マリアは、緊張しているジードの横顔を見つめた。何とか平静を保とうとしているが、緊張は隠しきれていない。真一文字に引き結んだ口の中で、必死に歯を食いしばっているのが何となくわかった。

 ジードが、しっかりと魔王を見つめている。魔王も、その双眸をじっと見つめ返していた。

 どれくらい、そうしていたのだろうか。魔王が瞳を伏せ、口元で小さく笑みを浮かべた。

「そんなに、緊張しなくてもいいだろう。折角の場が、台無しだ」

 思いの外の優しげな声に、ジードは安心したようだ。同じように口元に笑みを浮かべ、ばつが悪そうに頭を掻く。

「それもそうだな。俺は、ジード・アルベール。求めに応じてくれたこと、感謝してもしきれない」

「ルシフェルだ。その言葉はまだ早いぞ、アルベール」

 魔王――ルシフェルがそう言うと、ジードはすぐに顔を引き締めた。また緊張しているのか、額に汗が滲み出している。

「本当に、いいんだな?」

 ジードが、確かめるように言った。

 ルシフェルが頷き、腰の剣を抜き払っては、自らの腕を少し斬った。

 一条の赤い筋が現れ、やがてそこから、溢れんばかりの血が流れた。肘から落ちる雫が、床を少しずつ汚していく。

 ジードも、ためらわずにそれに倣った。二つの赤が、交じり合う。小さな血だまりが、二人の間に出来ていった。

「さあ、後は頼む」

 呆然としていたマリアに、二人から声がかかる。

 父の名を初めて聞いたのと、目の前の光景がちょっと不気味で、半ば気が遠くなりかけていた。それを急いで引き戻し、マリアは小瓶を持って小走りで駆け寄る。

 自身の魔力を目いっぱい籠めて生み出した、魔法の雫である。小瓶一杯分を作るのが精一杯で、その雫を作った後は極度の疲労を感じ、異常なほどの渇きを覚えた。おそらくそれは、マリアの力と共に、生きる上で必要なものさえ持って行ってしまっている。もう一度同じことをするのは、多分厳しいだろう。

 ――でも、二度目なんていらない。

 この一回で、十分だ。

 強い祈りを込めながら、マリアはその血だまりに、小瓶に入った透明な水を垂らした。

 瞬間、眩い光が弾けるように広がり、しばらくの間は真っ白なものが辺りを覆った。間近の光があまりにも眩しくて、マリアは思わず目を瞑った。

 最中、空になりかけたはずの自分の魔力が、不意に湧き出したように感じた。しかしそれは、不思議に思う暇もなく一瞬で消え、マリアの意識からもすぐに外れた。

「成功だ。魔力が弱まったのを感じる」

 ルシフェルの声が聞こえて、マリアはうっすらと目を開けた。まだ光は焼き付いているが、何とか見えてきてはいる。

 ジードとルシフェルが、右の手で握手をしていた。

「ありがとう、アルベール。俺を、信じてくれて」

 ルシフェルが、照れたような笑みを浮かべながら言った。

 ジードが、首を横に振る。

「ありがとう、はこちらのセリフさ。お前が歩み寄ってくれたことで、俺たちは新しい一歩を踏み出せる」

 ジードが力強い笑みを浮かべ、それからマリアのほうへと顔を向ける。

「君のおかげでもあるな。本当に、感謝してもしきれない。君がいなかったら、この可能性はなかった」

「ううん」

 マリアは首を横に振り、目元に溜まった涙を拭いながら、言葉を続ける。

「これからだよ。これからみんなで頑張って、誰でも仲良くできる国にするんだ。だから、ありがとうはまだ早いね」

 マリアの言葉に、二人が力強く首を縦に振る。

 これが始まりだ。マリアはそう思っていたし、二人もきっとそう思っている。これからこの国を、理想の方向に導いていけると、信じてやまなかった。

 しかし、誰も気づいていなかった。

 何もかもが間違っていたことに。自分たちがしでかした、大きな過ちに。自分たちの理想を信じるがゆえに、誰もそれに気づくことはできなかった。

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