巫女の章 8
二人の足音が遠ざかり、やがてその後姿が見えなくなってから、マリアは恐る恐る謁見の間に入った。
先の二人の足音と違うことに気づいたのか、ジードが物憂げに瞳を開ける。瞬間、ジードはハッとしたように目を見開き、口元に笑みを浮かべた。
「マリア!」
勢いよく玉座から立ち上がり、ジードが駆け寄って来ては、マリアを抱きしめた。
痛いくらいに強く抱きしめられたが、マリアは意に介さなかった。ジードの傍に戻って来た。その実感が、漸くマリアの心に湧いてきた。
「無事に、帰って来てくれたのだな。本当に、よかった……」
「うん。約束だもの」
「お前たち、本当によくやってくれたな。礼を言う」
マリアから体を離したジードが、ラルバとジャンに笑みを浮かべながら言った。
二人が、直立して頷く。それ以上、何も言おうとはしない。その様にジードは苦笑していたが、それでも悪い気はしていないようだった。
ジードが、少しそわそわしながらマリアを見つめる。その意図を察し、マリアは大切な返書を差し出した。
「ちゃんと貰えたよ。これが、魔族の王からの返書」
「あ、ああ」
逸る気持ちを抑えたジードが返書を受け取っては、ゆっくりと目を通していく。表情は険しくなったり嬉しそうにしたりと、大忙しだ。
魔王が何度も読み返したように、ジードもまた、何度も目を通しているようだ。返書を読む彼の目は、左右を行ったり来たりしている。
「……ふた月の後に、俺に会いに来るそうだ。その時に、まじないをかけようと言ってきている」
一度大きく息を吐いたジードが、口元に笑みを浮かべたまま言った。
「ふた月ですか。少し、間が空きますね。何故でしょうか」
「多分、魔族の問題を解決するためだと思うよ、グランツ」
首を傾げたラルバに、マリアが口を挟んだ。
「父様……、いえ魔王は、やるべきことに立ち向かわなきゃいけないって言ってた。きっと、魔族同士の対立を、ふた月で終わらせようと思っているんじゃないかな」
「あの対立をふた月で? 僕には、到底できると思えないのだが」
「だが、魔王はやるつもりなんだろう。無謀だと思えるようなことを、敢えてやろうとしている。まったく、大した男さ」
ジードが、声を上げて笑った。それはしばらく続いて、マリアもジャンも、ラルバでさえも驚いて唖然としていた。
「いいじゃないか。大言壮語をできるような奴でなきゃ、俺と理想は語れん。俺は、魔王の言葉を信じるぞ」
一頻り笑ってから、ジードが言った。笑いすぎたのか、目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「こちらも、場を整えておかないとな。人間族のほうにも、課題はいくらでもあるからな」
「もしかして、さっきの人みたいなこと?」
マリアは、気になっていたことを聞いた。
途端に、ジードの表情が曇る。
「聞いていたのか。まあ、そんなところだ」
「ねえ、ジード。さっきの人たちって、どんな人なの?」
「リチャードはこの王都を、ヨルダはこの国の要地である交易都市を差配している。二人とも、王の代わりの目と言ってもいい。俺の親父の頃から縁がある奴らでな、それなりに信頼はしている。が、ちょっと癖のある奴らでな」
ジードが困ったような笑みを浮かべ、溜息をついた。
「リチャードは大の魔族嫌いで、何かにつけて人間族を立てようとする。この国を支配されてきたのが不満なのか、魔族の話になるとこちらの言うことなど殆ど聞かない。対して、ヨルダはそういうところはないのだが、いかんせん何事にも俺を立てようとし過ぎるきらいがある。二言目にはあなた様のため、だ。そんな盲目的なところが、あいつの視野を狭めているものだから、もったいない」
呆れ気味に言うジードの傍らで、ラルバとジャンも苦笑している。さすがに面識があるようで、二人ともジードと同じ意見のようだ。
マリアは、さっきの二人を頭に思い浮かべた。背は低いが、どことなく威厳のある男、リチャード。すらりとした細身の長身で、知性を感じさせる風貌を持つきれいな女性の、ヨルダ・フランドル。
リチャードの刺々しい声が、頭に蘇る。あれが魔族を嫌うことからくるものだとしたら、何となく納得できた。何かを心の底から嫌う人の声は、往々にして敵意に満ちている。リチャードは、本当に魔族を忌み嫌い、ジードの理想に反発していたのだろう。
反面、ヨルダは魔族に対して、そこまで好悪の情を抱いているわけではなかった。常に落ち着き払って、言葉の端々からは平等さを感じさせた。
ただ、彼女を見ていた時、マリアはあまり面白くなかった。
ヨルダのジードを見つめる瞳には、どこか情念のようなものが宿っていた。それはおそらくマリアが抱いているものと同じで、他の人の、それもジードへ向いている想いを見るのは何だか嫌だった。
何よりも、ヨルダが美人であるということが、特にマリアの気持ちに引っかかった。ヨルダは美人である上に、身体のほうも魅力的に見えた。服の上からでも、その良さは一目でわかる。自分のことにあまり自信が持てないマリアは、初めて劣等感に似たものを抱いていた。
しかし、それをこじらせる気はない。自分の感情だけで相手を貶めようなどと、マリアは一切思っていない。
「……でも、二人とも大切なんだよね?」
「ああ。あいつらがいるからこそ、王都も交易都市も、うまく回っている。その点は、本当に感謝してもしきれないよ」
だからこそ、あの悪癖をどうにかしたいのだが。困ったように言うジードに、マリアは苦笑するしかなかった。
そのジードの顔が、不意に真剣なものになる。
「リチャードが言った通り、人間族の魔族への恨みは深い。これは、間違いないことだ。だが、これは氷解させることができるものだと、俺は信じている。時間はかかるだろうが、必ずなんとかできる。しかしその日が来る前に、すぐにでも民の心に語りかけねばならん」
「魔王がこちらに足を運ぶのは、ふた月後ですからね」
「そうだ。たったふた月しかない。俺たちが語れるのは、それだけしかないのだ」
胸の前で右の拳を強く握りしめたジードが、力強く言う。
「ラルバ、ジャン。お前たちにも、存分に働いてもらうぞ。俺は、一所に留まるつもりはないからな」
「はっ!」
二人が直立し、力強く声を上げる。
「わたしも手伝うよ、ジード」
「いや、君はあまり無理をしないでほしい。君には、もう一つ大役があるから」
魔力の雫のことを思い出し、マリアは反論する言葉を失った。確かにあれは、マリアしかできないだろう。
残念に思っているマリアの肩に、ジードが優しく手を乗せる。
「大丈夫だ、君の気持ちは伝わっている。君の思いも乗せながら、俺たちが頑張るから」
「……わかった。頑張ってね、ジード」
大きく頷いたジードが、ほんの一瞬だけ笑顔を見せた。
「さて、俺もやれることを決めねばな。明日からは、忙しくなるぞ」
真剣な表情のまま言うジードだったが、その言葉はどこか楽しそうでもあった。




