巫女の章 6
小休止を終え、また魔王の城を目指した。
ラルバの言うとおり、道中で何度も襲われた。濁った眼をした魔族の男たちが、魔法を遠慮なく使ってマリアを狙ってくる。そのたびにマリアは、魔法の防壁で身を守り、ラルバとジャンは牽制するかのようにその男たちに馬で突っ込み、怯ませた。
そうやって何度かの襲撃を切り抜けた時、漸く魔王の城の近くまで辿り着くことができた。
日は、既に落ちている。代わりに顔を出した月が、辺りを眩く照らし出していた。
城に行く途中で、城下町を通った。魔王のお膝元ということなのか、街道を行った時のように襲われることはなかった。ただ、絶えず視線は感じる。マリアたちを見つめるそれは、敵意はないが、どこか警戒しているようでもあった。
とりあえず、何事もなく城下町を抜け、城の前まで辿り着いた。
城は、間近で見ると驚くほど大きかった。ただ、大分古めかしいものなのか、所々が傷んでいるように見える。それを補うためなのか、城を囲む城壁は聳え立つほどに巨大だった。
城壁があるから何人も通さないのかとマリアは思ったが、城へ通じる中央の道は、不思議と閉ざされていなかった。不審に思いつつも、マリアは後ろから着いて来る二人に促し、ゆっくりと城へと向かう。
城壁を抜け、城の入り口まで辿り着いた時、
「誰だ」
一人の男の声が、頭上から降ってきた。
ラルバとジャンが身構え、剣に手をかける。マリアはそれを、待ってと制した。
声のしたほうにマリアが目を向けると、前方の上空で浮いている男の姿が目に映った。浮いていると言うよりは、飛んでいると言った方が正しいだろうか。暗くてよく見えないが、男の背中にある何かの羽か翼のようなものが規則的に動いているような気がする。
ゆっくりと、男がある程度のところまで下りてきては、動きを止めた。やはり、翼がある。地上まではまだまだ距離はあるが、魔力の影響によってか常人より遥かに目がいいマリアは、こちらに向いている男の顔が何とか見えた。
男とマリアの視線が交錯した。射すくめるような、力強い目だ。少し怯えてしまいそうな自分を叱咤し、マリアは目を逸らさずに見据え続けた。
「わたしは、巫女のマリアと申します。あなた様は、魔族の王であられますか?」
「マリア……?」
男の眼に、一瞬の困惑が宿る。しかし、それはすぐに消えた。ただ、力強さも一緒に消えていた。
「いかにも、俺は魔王だ。巫女と言ったな。俺に、何の用だ」
魔王の声は、いやに冷え切っていた。
マリアは微かな寂しさを感じつつも、気持ちを奮い立たせて言葉を継いだ。
「人間族の王、ジード・アルベールより親書を預かっております。目を通しては頂けないでしょうか?」
「親書……」
魔王が少し考えるように顎に手を当て、顔を俯かせた。
少しの間、マリアは魔王の次の言葉を待った。
場の雰囲気は重く、息が詰まりそうなほどだ。胸は締めつけられたように苦しく、それでも身動ぎ一つさえも誰もしない。ラルバもジャンも、固唾を呑んで見守っているのが、振り返らなくてもマリアにはわかる。
時の流れが、いやにゆっくりと感じられた。揺らぐことのない漆黒の夜空が、余計にそう感じさせるのかもしれない。
「……わかった、受け取ることにしよう」
その言葉が出たのがどれくらい待った後だったのか、マリアにはよくわからなかった。
「ただし、一つ条件がある。それを聞き入れて貰おうか」
「わたしにできることでしたら、何なりと」
容易くいくと思っていなかっただけに、マリアは迷いなく答えた。
「そう構えなくてもいい。巫女よ、お前と二人で話がしたい。色々と、聞かねばならないことがある。条件は、それだけだ」
「わたしに、拒む意思はありません。ただ、この二人はどうすればいいでしょうか?」
「ここで待っていて貰おう。なに、取って食おうというつもりもなければ、巫女を罠に嵌める気もない。だから、その殺気を消せ、若い騎士」
振り返ると、剣に手をかけたままのラルバが、冷たい双眸を上空の魔王に投げかけていた。放たれる気配は異様なほどに刺々しく、張り詰めている。
「グランツ様」
か細い声で、ジャンが首を横に振りながら呼びかける。ラルバが忌々しそうに舌打ちをし、剣から手を離した。放たれていたものも、すぐに感じなくなった。
それを察知したしたのか、魔王が上空で一度右手を上げた。城の石扉が、擦れた音を立てながらゆっくりと開いていく。
魔王が翼を動かし、部屋の中に入っていくのが見えた。
「行って来るね」
マリアが声をかけると、ジャンが直立した。ラルバは未だ渋い顔をしているが、やがてジャンのように直立した。
「無事に、戻って来てくれ。あなたに何かあったら、僕らは陛下に顔向けできない」
「大丈夫だよ。あの人は、悪い人じゃない。だから、大丈夫」
まるで自分に言い聞かせるような言葉だったが、ラルバはそれでも納得したのか、小さく頷いた。
二人に一度笑みを投げかけ、それからマリアは城の中に入った。
城の中は、あまりにも薄暗くてよく見えなかった。所々にある燭台には一切の火が灯っておらず、窓から差し込む月光が淡く場内を照らすばかりだ。
「正面の螺旋階段を昇れ。その先の部屋で、俺は待つ」
魔王の低い声が、響くように聞こえてきた。
確かに目を凝らせば、正面には螺旋階段がある。城の構造などさっぱりわからないから、マリアは言われた通りに階段を昇って行った。
螺旋階段は、相当に長いものだった。一つ一つゆっくりと昇っていくが、なかなか終わりが見えない。あまり体力に自信がないマリアにとって、これは結構辛い。
息が切れ、何度目かの小休止を入れて、漸く一つの部屋の前に来た。マリアは荒い息を鎮めてから、ゆっくりと扉を開けた。
部屋の中には、一人の筋骨逞しい偉丈夫が待っていた。
窓からよく入る月明かりが、魔王の顔を鮮明に照らし出す。短めの黒い髪に、切れ長の目、整った目鼻立ち。初めて見る父親の顔に、マリアは少しの間、目が離せなかった。
不意に、懐かしい感じがしてくるのを覚えて、マリアは戸惑った。魔王には、一度たりとも会ったことがない。それが自分の魔力と魔王の力が共鳴しているためだということに、マリアは少ししてから気づいた。
やはり、この男は父親なのだ、とマリアは確信に似た思いを抱いた。
「よく来たな。とりあえず、こっちに来てくれ」
魔王は背を向けると、窓側の部屋の外に出た。マリアもそれに倣う。夜の冷たい空気が、一気に体を冷えさせた。
窓の外からは、先の城壁や城下町が一望できた。ただ、真夜中だからか、黒い影が立ち並んでいるのが見えるばかりだ。ひっそりと静まり返っているそれは、どことなく不気味さを醸し出している。
「魔王と巫女として、話させて貰おう。それでいいな?」
有無を言わせない響きに、マリアは無性に悲しくなった。自分を、娘として見ない。そう言われているのと同じような気がした。
隠しきれない悲しみを抱いたまま、マリアは小さく頷き、親書を差し出した。
「……国王ジードの親書です。目をお通しください」
魔王はその親書を受け取ると、ゆっくりと開いた。少しの間、魔王は食い入るようにその親書を見つめる。何度も何度も噛みしめるかのように、視線は同じところを移動していた。
「……よく、このことを探し当てたものだな。このまじないは、魔族だって知っている者は少ないのに」
魔王が、感心したように言った。
「巫女は、このまじないのことをどこまで知っている?」
「正直、知っていることはあまりないです。どういう仕組みなのかも、見当がつきません」
「そうだろうな。このまじないがいつ生まれたのか、どうして魔力を弱められるのかを、今では知る者はいない。ただ伝わっているのは、まじないによって本当に魔力が弱められたという事実だけだ」
近くの壁に寄り掛かった魔王が、言葉を続ける。
「この国の外には、魔族が統治しているのに緑が失われていない国がある。その国の魔族は、日常的に魔力を使っている。それなのに、この国や滅んでしまった国のような、大地の死は起きていない。何故だと思う?」
「……まじないが、かかってるから?」
魔王が頷く。
「いつからなのかはわからない。だが、その国にいる限り、魔族は少量の魔力しか使えなくなる。使えなくなるが、そこの魔族はそれで良しとしている。中には例外がいなくもないが、たった少数で自然が死に絶えるほど、大地は弱くはない」
「どうして、あなたがそのことを知ってるのですか?」
「俺が、その国で生まれたからだ」
思いもしなかった言葉に、マリアは驚きを隠せなかった。
魔族がこの国を支配してから、相当の年月が経っていると聞く。それはもう気が遠くなるほどで、人間族も魔族も、何度も世代が変わるほどだ。当然、今生きている魔族は、生まれがこの国の者ばかりであるし、国の外から来る魔族など聞いたこともない。
そもそも、魔族が他のところにいること自体、マリアには信じがたかった。
「魔族は、この国だけにいるわけではない。まあ、数はそれほど多くはないのだがな」
マリアの疑問に答えるかのように、魔王が言った。
「魔族だって、色々な奴らがいる。この国を支配しているような攻撃的な奴もいれば、俺の生まれた国のような平和的な奴もいる。ただ、大体は一所から動かないやつばかりでな、俺のように国を出る奴は滅多にいない」
「どうして、国を出たのですか?」
「この国の魔族が、許せなかったからだ」
低い声で言い放った魔王が、キッと虚空を鋭く睨む。
「俺の生まれた国は、この国に似ている。魔族と人間族、どちらも住まわっている。だがな、ここと違って、人間族がいても争いごとは殆どなかった」
「そう、なんですか?」
「ああ」
少しだけ明るい声で、魔王が言った。
「本当に平和な国でな、皆そこから出る気はかけらもなかった。俺自身もそうだ。あの国は、異端だった俺を受け入れてくれて、ずっといたいと思えるほどに居心地がよかった」
「異端?」
「ああ。そこに住まう魔族の魔力がまじないで弱まっている中、俺はそれが効かなかった。生まれた時から、強すぎる魔力を身に宿したままだったんだ。国一番、危険な奴でさ、俺はびくつきながら生きてたよ。自分の異常な魔力が、いつか誰かを傷つけてしまうんじゃないかって」
けどな、と魔王が続ける。
「俺の怯えは、杞憂だったよ。誰も、そんなことは気にも留めなかった。寧ろ、心配してくれたな。もしも暴発したら、皆で止めてやるって、勇んでた。人間も魔族も、一緒になってな。俺は、それが嬉しかった。異端な奴でもあの平和を謳歌していいんだって、心から喜んでいた」
「でも、国の外に出たんですよね?」
「そうだ。俺がいくらか年を取ってから、風の便りで、魔族がこの国を虐げていることを知った。人を、大地を己の玩具とし、弄んでは容易く捨て去る。消えていく命に対して、ここの奴らは何とも思っていない。俺は、それが許せなかった。そんな身勝手をする奴らを、野放しにしたくなかった」
魔王の、ぎりっと歯ぎしりする音が聞こえた。心なしか、月に照らされた横顔が、赤黒くなっているように見える。
「居ても立ってもいられなくて、俺はあの国を飛び出したんだ。力を持っている奴が、何もしなくていいのか。そんな思いに捉われたら、じっとなんかしてられなかった。国の皆は止めたが、俺は全部振り切って、この国まで来た」
一度言葉を切った魔王が、自嘲気味に笑った。
「それからは、血生臭い話さ。一つ前の王を斃し、自分が王として君臨した。王として認めさせるために、逆らう奴の血を、多く浴びてきた。全ては、この国を救うために」
「救う、ために……?」
半ば信じられない言葉を聞いて、マリアは呆然としながら聞き返していた。
少し寂しそうな顔をしながら、魔王が頷く。
「王としては、俺は確かに認められた。けれど、所詮はよそから来た簒奪者さ。俺自身もそんな自覚はあるから、これ以上の無茶はできない。だからか、魔族はある程度までは従っても、心底ではどこか反発している。魔王の力に怖がってはいるが、俺が本気を出さないのがわかっているから、どこか舐めてもいる。俺が仲裁しても争いが終わらないのは、そのためだ。俺は所詮、お飾りなんだよ」
「そんな。そんなこと、あるわけない」
あの日、村を救った時には、魔王の威光はちゃんと届いたのだから。
そう言いたかったが、何かが邪魔をして、マリアの口からは出てこなかった。
それでも何かを察したのか、魔王がいいんだ、と呟くように言う。
「俺の言葉が信じられないのはわかる。魔族同士の争いを止められず、この国を救えていない俺が信用ならないのも、わかる。だけど、これだけは信じてほしい。俺はいずれ、必ずこの国を救って見せる。誰もが平和に暮らせるように、必ず」
寂しさが占めるその声の端に、強い意志が見え隠れしている。
マリアの心は、大きく揺さぶられていた。魔王の言葉は、それだけ衝撃的だった。衝撃的だったが、嫌な気分は全くしていない。
気づけば、マリアは魔王に一歩歩み寄り、寂しそうな彼の双眸をじっと見つめながら、口を開いていた。
「……信じます。他の誰も信じなくても、わたしは信じてる」
だからお願いします、とマリアは言葉を続ける。
「いずれなんて言わないで。魔族と人間族が手を取り合うために、今、動いてほしいの。動く時は今しかないって、わたしは思うの。だから」
「今……」
呟いた魔王が、少し考える素振りを見せる。眉間には深く皺が寄り、鋭い双眸はどこか虚空を見つめている。
それも、長くは続かなかった。一度息を吐いた魔王が、何かを決めたように、マリアへしっかりと視線を向けてきた。
「……わかった。俺は、お前の願いに応えよう。アルベールの思いに、応えよう」
「ほ、本当に?」
思わず、マリアは問いかけた。
「本当だ。俺は今こそ、自分がやるべきことに、立ち向かわなきゃいけない。立ち向かって、お前たちと一緒に、希望を掴み取りたい」
魔王が、はっきりと口にする。それでも信じられなくて、マリアは思いっきり頬をつねった。すごく、痛い。しかしその痛みが、本当だという確信をマリアに持たせた。
思わず、笑みが零れる。ちゃんとしていなければいけないとわかっているのに、マリアは嬉しさを隠すことができなかった。それだけ、嬉しくて仕方がなかった。
そんなマリアに、魔王が小さく笑みを返してきた。もう、さっきまでのぎこちなさは消えている。
「ここからは、立場は関係ないな」
魔王の声には、さっきまではなかった優しさが混じっているような気がした。




