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私を忘れて  作者: 千変万化
断章 「ある少女の物語」
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巫女の章 5

 話し終えたジャンは俯いていて、静かに涙を流していた。

 触れてはいけないものに触れてしまった気がして、マリアは少し後悔した。

「大丈夫。あなたにも知ってほしいから、ジャンは話したんだ」

 馬を寄せてきたラルバが、そっと耳元で囁く。

 ジードが信じているから、自分も信じる。そのつもりでジャンは話してくれたのだろう、とラルバは付け加えた。

 そうだといいな、と思いながら、マリアはそれ以上言及することをやめた。

 ――それにしても。

 二人とも、ジードのことを本当に大切に思っている。

 ラルバは無二の親友として、ジャンは血は繋がっていないが兄弟として、ジードを慕っている。一人耐え忍んでいるジードの役に立ちたい、と心の底から願っている。

 ラルバが過剰なほどにジードを立てようとするのはそのためであり、ジャンが少年なのに騎士見習いとして活動しているのも、その心根があってこそだ。

 ラルバもジャンも、ジードのためならば何だってする覚悟でいる。だからこそ、一歩間違えば死を手繰り寄せてしまいそうなマリアの護衛も、二人は一瞬のためらいもなく承諾したのだ。

 ――本当に、ジードを大切に思っているんだ。

 二人の気持ちの深さに感じ入ったが、マリアだって想いは負けない。

 抱いたものの形は、もしかしなくても違うかもしれない。だが、ジードのためにという気持ちは、二人と何ら変わりはないはずだ。

 どこか浮ついていた気持ちを引き締め、マリアはまっすぐ、魔王の城へと向かった。

 魔王の城までは、王都からは早くても四日はかかる。何度か休息と宿泊を挟み、それでいて早くつけるように、できる限り無駄な時間は排した。休む時間も食事の時間も、全てきっちり決め、無駄なく行動していく。

 無理やり自分を縛っていくことは辛かったが、マリアはそれに耐えた。これくらい乗り越えないと、待ち受ける苦難は突破できない。

 四日目の朝から昼くらいまで移動を続けると、景色が変わり始めた。

 辺りは緑が気持ち少なく、大地も少し砂色が目立つ。それでもこの地は、まだ生物が生きていられるくらいの生命力はあるように思える。ぽつりぽつりと点在する木々はあまり大きくないが、日影ができるくらいには緑の葉をつけていた。

 魔王の城のある地域に近づくにつれて、魔族の姿が目立つようになってきた。

 国を支配しているとはいえ、魔族の数は人間族と比べてやはり少ない。各都市や主要な村にいくらか常駐しているくらいで、大多数は魔族の根拠地に近い場所に住まわっている。現在で言うならば、北の粗暴な魔族の根拠地と、南の魔族の住まう村と魔王の城の周辺だ。

 南の魔族は、どちらかというと魔力の抑制に賛同的なのだろう。時折すれ違う魔族は驚いた顔こそすれど、敵意を向けて来る者は少ない。人間に対して殺気を放つ者もなくはないが、マリアの魔力に気づくと、それもすぐに萎んでいく。

 やがて、遠目にだが魔王の城が見えてきた。ここまでは、さしたる問題は起きていない。

 ちらと、マリアは後ろの二人に目をやった。目が合ったラルバが、首を横に振る。そこそこ長く駆けているが、まだ休息の必要はないということだろう。

 そう思ったが、マリアは違うような気がした。ラルバが、油断なく左右に目をやっている。心なしか、ジャンも落ち着かない様子だ。

「グランツ?」

 気持ち馬の足を緩めて、マリアは問いかける。

「……一気に駆け抜けよう。何か、嫌な予感がする」

「嫌な、予感?」

「いいから、飛ばすぞ!」

 ラルバが声を張り上げ、馬腹を蹴っては一気に駆け出す。ジャンも、すぐに倣って馬を駆けさせている。少し唖然としたせいで、マリアはちょっとだけ駆けさせるのが遅れた。二人との距離は、馬の体三つ分くらいは開いている。

 周りの景色が、一気に過ぎ去っていく。砂色が目立つ大地を馬脚が強く踏みしめ、そのたびに細かい粒と共に黄色っぽい煙みたいなものが舞った。

 不意に、視界の端から人影が現れ、マリア目がけて跳びかかって来るのが見えた。魔族の男だ。右手に持つものが、陽光を浴びて銀の光を怪しく放つ。

 馬をさらに駆けさせようにも、少し遅かった。男が、凄まじい速さで迫って来ている。跳びながら振り上げられた銀が、もう間近にまで見えていた。

 唖然とし、見つめることしかできないマリアが、その軌跡が自分に届くと思った刹那、丸い何かが唸りを上げて前方から飛来した。まっすぐ、男の鼻柱に直撃する。跳びかかってきた男が低い呻きを上げては、地に転げた。

 馬上で半身だけ振り返ったラルバが、石のようなものを投げていた。

「今だ、急げ!」

 ラルバの声にハッとし、マリアは馬に魔力を込めた。大地を踏み鳴らす音が力強くなり、聞こえてくる馬蹄の音の間隔が短くなる。一気に遅れを取り戻し、マリアは二人の前へ出た。

「このまま駆けさせよう!」

 ラルバの声に頷き、そのままの速さを保つ。

 ちらと振り返ると、何人かの男が武器を構えて追ってきているのが目に映った。魔法を使って、何か攻撃している者もいる。しかし、猛然と馬を駆けさせていることもあって、その姿はあっという間に見えなくなった。

「……そろそろ、止めよう」

 ラルバの声が聞こえたのは、男たちの姿が見えなくなって少ししてからだった。

 馬を止めて降りると、マリアは近場の石に腰を下ろした。あんなに走らせた馬に乗ったことがなくて、まだ体ががくがくしている。

 ラルバとジャンは、馬から降りるとすぐに手入れを始めた。二人の馬は駆けさせ過ぎたのか、酷く疲れているように見えた。

 手入れが終わると、二人も手近な石に座った。

「やはり、一筋縄ではいかないな。陛下が思っているほど、楽観視できる状況ではないのかもしれない」

 険しい顔をしたラルバが、重い口調で言った。

「どういうこと?」

「魔族同士が対立しているのは、あなたも知っているだろう? 二つの勢力に分かれて、もう何年も不毛な戦いを続けているが、どちらもそろそろ決着をつけたいはずだ。そのためには、あるものの力を得るのが手っ取り早い」

「あるもの? それは」

「魔王だ」

 間髪入れずに答えるラルバの言葉に、マリアはハッとした。

 魔王はこの対立を止めるために躍起にはなっているが、どちらかに与しているわけではないというのを聞いたことがある。中立の姿勢を崩さず、それでいてどちらの顔も立てようと苦慮している、と風の便りで誰かが言っていた。

 中立とはいえ、魔王の力はやはり強いものがある。これまで全面戦争を避けてきたのは、魔王の圧力があったからだと言われるほどだ。

 その魔王の力を引き入れれば、まず間違いなく優位に立てる。どんな手を使ってでも、魔王の心を傾けさせたいはずだ。

 そこに考えが行きつき、マリアは青褪めた。自分が狙われた理由も、それならば納得できる。

「わたしを、エサにする気なんだ」

「嫌な言い方をすれば、そうなる。あなたを手中に収め、魔王を味方に引き入れる魂胆なのだろう。さっきのは、武力で物を言わせようとする奴らが、多分痺れを切らしたのだと思う」

 淡々と言うラルバの言葉がより現実味を感じさせて、マリアは俯いた。ジャンが慌てて何かを取り繕うように言ってくれているが、まったく耳に入ってこなかった。

「これから先は、常に用心しなければならない。何度も襲われることだって、考えられる」

「……うん」

 マリアは、まだ俯いていた。不安と恐怖が、一遍に押し寄せてきている。

 グランツ様、とジャンの哀願するような声が聞こえてくる。それに呼応するかのように、マリアの肩に大きな手が触れた。

「……あなたには、信じてほしい」

 徐に顔を上げると、ラルバの澄んだ青色の瞳が、まっすぐ見つめてきていた。

「僕とジャンが、あなたを守る。あなたが悲しまないように、必ず生きて守りきる。だから、しっかり前を向いてほしい」

「……本当に?」

「僕は、嘘はつかない。ジャンもだ」

 ラルバがちらとジャンを見ると、両手の拳を力強く握ったジャンが、大きく頷いた。

「あなたが前を向いていてくれたら、きっと大丈夫だ。生きようとする意志は何よりも強いと、僕は思っているから」

「うん、そうだね。わたしもそう思うよ」

 一度言葉を切って、小さく息を吐いてから、マリアはにこりと笑みを浮かべた。

「ごめんね、グランツ。わたし、ちゃんと前を見るよ。怖いけど、わたしがやるべきことのために、頑張るよ」

「ああ。でも、無理はしないでほしい。頑張って無理をして、取り返しのつかないことになってしまったら、ジードはきっと悲しむ」

 それに、とラルバが小さな声で続ける。

「あなたがいなくなるのは、僕だって嫌だから」

 その声はあまりにも小さくて、よく聞こえなかった。

 少し気になって、マリアは小首を傾げながら問いかける。

「ねえ、なんて言ったの?」

「……一度しか言う気はないよ」

 そっぽを向いたラルバの顔は、心なしか少し赤くなっているように見えた。

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