巫女の章 4
空はもう、茜色に染まっていた。春先のこの時分は、少し肌寒い。
気持ち速足で進むマリアの後ろを、二人がぴたりと着いて来る。
「出立は、明日にしましょう。陛下より、宿の手配がされているはずです」
ラルバの言葉に、マリアは素直に従った。夜が更けてからの旅が危険であることぐらい、マリアにもわかる。
宿に立ち寄ると、ラルバが言った通り、部屋が用意されていた。夕餉時だからか、食事もすぐに出せる状態らしく、どこからかいい匂いが漂ってきていた。
食事もそこそこに、マリアはすぐに休んだ。明日から、大変な旅が始まる。そのために、せめて今日だけはゆっくり眠りたい、とマリアは思った。
正直、気が昂って眠れないかと思ったが、その思いに反して、意識はすぐに手から離れていった。
気が付いた時には、小鳥のさえずりが聞こえる時間になっていた。
身支度を整え、マリアは部屋の外へ出る。既に準備を終えたラルバとジャンが、直立してマリアを迎えた。
軽く食事を取ってから、マリアは宿を後にした。
そこから気持ち速足で歩き、城の外まで行くと、マリアは魔法で馬を生み出してその背に乗った。
「わあ」
ジャンが、珍しいものを見て興奮したような声を上げる。振り返ると、目をキラキラと輝かせたジャンが、マリアと馬を交互に見ていた。
人一倍興味を引いたのか、ジャンは冑を外してまじまじと眺めている。その表情は、年相応の少年らしい明るいものだ。
「珍しい?」
マリアが声をかけると、ちょっと驚いたように体を震わせたジャンが、おずおずと頷いた。
「そっか。でも、魔法が使えるなら、あなたにもできるはずだよ」
微笑みかけながらマリアが言うと、ジャンは大きく首を横に振った。
「ぼ、ぼくは、そこまでうまく魔力を扱えません。たくさん練習させられたけど、まだまだ使いこなせないんです。魔力を感知するのは、得意なのに」
練習させられた、という言葉に引っ掛かりを覚えたが、マリアは敢えて言及しなかった。
「ごめん、そうだよね。わたしも、あなたくらいの頃は、全然使えなかった。魔法を思い描いても、失敗ばっかりだった気がするし」
「み、巫女様でも、ですか?」
今日の朝からそう呼ぶようになったジャンに、マリアは困ったような笑みを浮かべながら頷いた。
「だからね、今できなくても諦めないで。これからも頑張っていれば、きっとできるようになるから」
「は、はい」
声は少し弱弱しいものだったが、それでもジャンの顔は気持ち明るかった。
「……巫女殿、ジャン、そろそろ参りましょうか」
二人の会話が終わったのを見計らったように、ラルバが冷たい声で言った。既に馬上の人で、いつでも出立できる体だ。ただ、表情が空恐ろしいほど冷え切っている。
声が裏返るほどに驚いたジャンが慌てて馬に飛び乗り、マリアは少し怯えながら小さく頷いた。
「……もしかして、ちょっと怒ってますか?」
馬を寄せてきたラルバに、マリアは恐る恐る聞いた。
ラルバが瞳を伏せて、一度息を吐く。
「いいえ、別に。ただ、陛下が一刻も早い和平を願っていることを、忘れないで頂きたい。時をいたずらに浪費し、あまり事が進んでいないという事態はもっての外。陛下の御心がこれ以上磨り減るのを、私は見たくないのです」
あまり抑揚のない声だったが、ラルバの瞳には少し辛そうなものが宿っているように見えた。
しかし、見据えられると、蛇に睨まれた蛙のように、マリアは委縮してしまう。何となく謝ろうという気持ちになったが、このまま謝っても怒らせるだけだ。歩み始めないと、また冷たいものを投げかけられてしまう。
馬に意思を伝え、ゆっくりと駆け始めた。ラルバもジャンも、後を続いてくる。
「あの、その……。ごめんなさい、グランツさん」
少し俯きがちに振り返り、マリアは気持ち小さい声で言った。
「別に気にしていません。あと、呼び捨てでいいですよ。私は、そんな些事は気にも留めない。あなたの好きなようにすればいい」
「えっ。じゃ、じゃあ」
言いかけて一瞬ためらったが、それでもマリアは言葉を何とか続けた。
「普通に、接してほしいな。わたしは、あなたとも仲良くなりたい」
「それは」
「好きなようにすればいいって、言ったよね?」
言い淀んだラルバに、マリアは間髪入れずに言った。
ラルバが眉間に皺を寄せながら、小さく溜息を吐く。
「……わかった。あまり、硬くならないようにしよう、巫女殿。僕とて、あなたを怯えさせるのは本意ではない」
相変わらず抑揚のない声で、言葉の端々は少し硬かったが、それでもマリアは満足して大きく頷いた。
しばらく馬を駆けさせながら、マリアは二人と話した。ジャンはおどおどしながら俯きがちに話し、ラルバは淡々と答えてくる。
話をしていて、二人のことが何となくわかってきた。
ラルバは代々王家に仕える騎士の出で、幼い頃からジードと共に過ごしてきた。王を守るための家柄ということもあって、ラルバは王家に連なる者への絶対の忠誠を幼い頃から叩き込まれ、自身もそうあるべきだと考えている。特に、王子の頃からのジードの側近だから、何としても守らなければならない、と少年の頃からラルバは硬く考えていたらしい。
しかし、昔からやんちゃで、無茶ばかりしようとするジードの手綱を引くのは、単なる側近では務まらなかった。振り回され、窘めても、ジードはまったく聞く耳を持たない。人の苦労をよそに、前へ前へと突っ走ってしまう。
そんなジードを御するために、ラルバは必死に考えたという。自分でも硬いとわかっている頭を悩ませ、納得できる答えを探した。
悩みに悩んで、そうして見つかったのが、側近という枠を超えることだった。
前へ進んでばかりのジードを御するには、その前に出るか、もしくは並んで歩くしかない。さすがにジードの前を歩く気にはなれなかったラルバは、彼を隣から守ることを選んだ。
隣、即ち友達である。最初は打算的にそうなることを望んだが、ジードが思いのほか喜んで接してくるようになると、ラルバはその打算を捨てた。抱くべきではないと考えた。
一歩踏み込んでみると、ラルバにはジードの孤独がよく見えたそうだ。胸に抱く理想は、およそ並の子どもが思い描く希望に満ちたものではない。この国の平和な未来という、遥かな理想を少年の時分から掲げ持っていた。当然、それを分かち合える同年代の者などいるわけもなく、大人の大多数は諦めることに慣れ過ぎていて、語るに足りなかった。
それでも、彼の胸に宿る理想の炎は、弱まることを知らない。
ジードの思いを知ると、ラルバは自分の浅ましさを恥じた。同時に、彼の理想を共有したいと思った。そのためには、孤独を理解し、振り払うしかない。本当の意味での友達になるべく、ラルバは自身をさらけ出し、なお一層ジードに尽くすようになった。
ラルバが話してくれたことを思い返すと、こんな感じだろうか。見た目通り、ラルバは堅苦しいほどに真面目だ。しかし聞いているだけで、何となくラルバという人がわかるのだから、マリアとしては少し面白かった。
ただ、ジャンの話は、聞いていてあまり気持ちのいいものではなかった。
単なる興味の対象。震える声で、ジャンはまず、それだけをぽつりと言った。
ジャンの母親は人間族で、父は魔族だ。その二つの血を持つ子は、この国に居場所はほとんどない。生まれ出でた時から、細々と生きていくことを宿命づけられる。それでも、両親が愛し合った上で生まれたのならば、まだ少しは救いがあっただろうか。
両親の間に、愛などというものは存在していなかった。あったのは、憎悪と悲哀、そして歪んだ欲望だけだ。
自身の血を受けた混血児の力がどれほどのものなのか。父親はそれを知るためだけに、母親に無理やりジャンを産ませた。
母親の心など、一切顧みられることはなかった。彼女は、単なる道具でしかない。道具であるがゆえに拒むことも逃げることも、自死さえも許されなかった。支配される側には、何も許されない。
その母親は、ジャンが無事に成長し、物心ついた頃にはこの世にはいなくなっていた。用済みになって殺されたと悟ったのは、つい最近のことだ。
父親がジャンの魔力の素養を見抜くと、己の知識を無理やりジャンに押し付けてきた。ジャンは直感にも長けていて、幼いながらも逆らうことの恐ろしさを悟っていた。おとなしくその押し付けに従い、魔力についての知識を深めていった。
当然、何もなく教えられていったわけではない。復習の際に間違えれば張り手が飛んできて、時には腹を蹴られることもあった。逃げられないように首輪をつけられ、そこから伸びる頑丈で太めの縄は、家の外の柱にしっかりと繋がれた。あまりにも理不尽な仕打ちだが、逆らえばもっと辛い仕打ちを受ける。酷い暴力に耐えながら、ジャンは学び続けた。
ある程度の知識を詰め込められると、今度は魔力の制御を強いられた。しかし、強い魔力を持ち、感じ取ることには長けていても、それを扱うのがどうしてかジャンは苦手だった。思うとおりに発現できず、そのたびにジャンは生傷を増やしていった。
お前の価値は、その魔力だけだ。その力がなかったら、とっくに殺しているところだ。混血児など、生きている価値はないのだから。
失敗の度にそう囁かれ、ジャンは身も心もボロボロになっていた。元々気弱だったということも相まって、その心はもはや崩壊寸前まで追い込まれていた。
そのジャンを救ったのが、ジードだった。
その出会いは、偶然だったという。父親が買い出しに出かけている間、ジャンが家の前で魔法の練習をしている時に、ふらりとジードが現れた。
ジードは、道に迷ってジャンの家に辿り着いたらしい。この場所は深い森の奥で、誤って迷い込まない限りは、人が訪れることはない。
そのジードはジャンを一目見ると、すぐに腰の剣を抜き払い、一閃させた。
ジャンの理解が進んだ時には、首から伸びていた分厚い縄は切り離されていた。
目をぱちくりして呆然としていると、父親が帰ってきて喚き出した。人間風情が何をしている。怒りに燃えた父親の顔は、これまでの何よりも醜悪だった。
その時、ジードはひそと聞いた。あれがもしも父親でも、俺は斬ってもいいか。父を失うことより、この現実から逃れたい思いのほうが強く、ジャンはためらわずに頷いた。
それからは、展開が早かった。
父親がジードの敵意に気づき、魔法を放とうとした時には、既に父親の喉の裏から剣の先が飛び出ていた。一息にジードが剣を引き抜き、それでもふらつきながら立つ父親へ、右の肩から斜めに斬り下ろす。生々しい音と共に父親の体が倒れる様を、ジャンは呆然と見ていた。
さあ、一緒に行こう。血を拭い、剣を収めたジードが、手を差し伸べてくる。ジャンは、まだ呆然としていた。
ぼくは、混血児だけど。そう言うと、ジードは一笑に付した。
――それがどうした。俺と同じく、生きているじゃないか。
にこりと笑みを浮かべるジードに、ジャンは思わず涙を流した。自分でも訳が分からない涙に戸惑ったが、それが安心からくるものだとわかった時、ジャンは直感的にジードを好きになっていることに気づいた。恩人だからというわけではなく、歳の離れた兄のような人という感じが、ジャンにはしっくりきていた。
そんな彼の傍にいたい、傍で何かしたい。ジャンの心には、その思いが急速に芽生えていた。
差し伸べられた手をおずおずと取り、ジャンはジードの後に着いていく。
その日から、ジャンはジードの側近の一人となり、騎士見習いとして働き始めた。




