巫女の章 3
目的の場所は、国の中央にある王都と、南東付近にある魔王の城だ。村は王都から見て北東のほうにあるから、ここから近いのは王都である。そこへ、先に向かうことにした。
旅の間は、魔法で生み出した馬に乗って移動した。魔力を意識し始めた時と比べると、大分扱いには慣れてきた。五年という歳月と村に逼塞する日々は、魔力を制御するには十分すぎる環境だった。それに加えて、自身に膨大な魔力が宿っていることもあって、今では色々な魔法を使うことができる。
ただ、あまり強い力は出さないようにしていた。大地が元気をなくしていくのを、マリアは見たいと思わない。
馬を生み出すくらいならば、それほどの力はいらない。マリアの魔力だけで、十分に賄えるほどだ。加えて、馬は魔力の塊みたいなものだから、マリアの力が尽きない限りは動き続けられるし、駿馬よりも早く駆けさせられる。餌もいらないため、マリアはずっとずっと、馬を駆けさせることができた。
ほんの半日で、王都に着いた。
この国で一番人間がいる場所のはずだが、活気が全くなかった。人の往来はまばらにしかなく、開いているお店の数も少ない。そこかしこに立ち並ぶ建物だけがきれいで立派なのが、どことなく皮肉に感じられた。
馬を消し、フードを深く被ってから、マリアはまっすぐ王城へと向かった。ひと際大きく、聳え立つような城は、王都の入り口からでもよく見えた。
マリアが城の前に差し掛かった時、二人の男が立ち塞がった。いずれも、多分若い騎士だ。多分と言うのは、片方が冑で顔を覆っているからである。身丈は大分低く、腰に差している剣も気持ち短くて、もしかしたら青年にもなっていない子供なのかもしれない、とマリアは思った。
「待ってもらおうか。ここが、王の住まう城と知らぬわけではあるまい。もし知らなくとも、通すわけにはいかない」
金の長髪を持つ、顔立ちの整った青年騎士が、鋭い目つきをしながら言った。放ってくる威圧感は、見た目に反して痛いほどに強く、重いものだ。
「お願い、通して。わたしは、ジードに会いたいの」
「へ、陛下を呼び捨てとは、不遜な! グランツ様、早くつまみ出しましょう!」
顔を冑で覆ったほうが、慌てたように早口で言う。声がいくらか高く、少年のそれのように思える。
唐突に、突風が吹き荒んだ。手で押さえる暇もなく、マリアの頭を覆っていたフードがはだけた。ふわりと舞った眩い銀の髪が、顕になる。
グランツと呼ばれた騎士が小さく声を上げ、険しい顔のまま何か考えるような素振りを見せた。もう一人の騎士が困惑してまくし立てているが、意に介さず考え込んでいる。
その間、マリアは黙って待った。
「もしやあなたは、巫女のマリア殿では?」
その言葉が出たのは、いくらか時が経ってからだった。
「う、うん。そうだよ」
「そうか、あなたが……。私は、陛下にお仕えしている騎士の、ラルバ・グランツと申します」
ラルバが、横目でもう一人の騎士に何かを促す。慌てて、その騎士が冑を外した。
顕になった容姿を見て、マリアは思わずあっ、と言ってしまった。あどけない顔に際立つ赤い瞳と、首筋まである紅色の髪。この少年は、間違いなく混血児だ。
思った通りの童顔が、俯きがちにこちらをちらちらと見ている。
「ぼ、ぼくはジャンって言います。グランツ様の、従者をしています」
名乗り終えると、ジャンはすぐに冑を被り、ラルバの後ろに隠れてしまった。
きょとんとしていると、ラルバが少しだけ困惑したような顔をして、溜息をついた。
「申し訳ない。この子は混血児ということで、もっと幼い頃から心無い仕打ちを受けている。人前で素顔を晒すのは、抵抗があるようなのです。そこは、ご容赦願いたい」
「う、ううん、大丈夫。わたしも、その気持ちはわかるから」
「ありがとうございます」
一度頭を下げ、再び上げた時には、ラルバの表情は先程の険しいものに戻っていた。
「まさか、予言士殿の仰る通りになるとは、思いも寄らなかった。とにかく、あなたがここに来られたことは、陛下にとって何よりも得難い光明。早速、拝謁されますよう」
「で、でも、グランツ様。本当に、この方なのですか?」
少しおどおどしながら、ジャンが遠慮がちに聞く。
「間違いはないだろう。時が来た、銀の髪を持つ混血の娘が、国の運命を動かす。予言士殿がそう言って亡くなられたのを、お前も知らないわけではあるまい」
「そ、それは知ってますけど。でも」
「お前の懸念もわかる。先王の死のこともあって、油断できないのもわかる。それでも、陛下にはお会いになって頂くべきだ。陛下は、この国を救うための機会を、ずっと待ち望んでおられるのだから」
「し、しかし」
尚も執拗に食い下がるジャンを、ラルバがキッと睨みつける。ジャンが震えあがり、息を呑んだ。
「それほど心配ならば、我らも同行すればいい。もしもマリア殿が巫女を騙る者ならば、その場で斬り捨てればいいまでだ」
何でもないことのようにさらっと言われ、マリアは内心怯えた。しかし、おくびにも出さず、あくまで平然を装う。皮肉にも、表情を作ることには、マリアは慣れ過ぎていた。
ラルバが城のほうへと目をやり、手で何かを合図する。すぐに二人の騎士が駆け寄り、直立した。
その二人に、ラルバが門番を命じる。二人は声を揃えて返事をし、ラルバとジャンの代わりに城の前に立ち塞がった。
「では、参りましょう。こちらへ」
ラルバが少し速足で、城の中に入っていく。マリアは、ちょっと慌てながら、その後を追った。
城の中を見る余裕がないくらい、ラルバは速足だった。あまり運動が得意ではないマリアにとっては、少し苦しい。
「だ、大丈夫ですか?」
隣を歩いているジャンが、遠慮がちに小声で問いかけてきた。
大丈夫、と言いたかったが、マリアは息が切れてきていて、ただ頷くことしかできなかった。
しばらく歩いて、やがてある一室の前で、ラルバの足が止まった。
苦しくて、マリアは顔を俯かせながら息を整えた。額には、今までこんなに浮かんだほどがないくらいの汗が、球のように連なっている。
「失礼します、陛下。ラルバが参りました」
扉を叩き、ラルバが声をかけると、入れ、と聞き覚えのある懐かしい声が返事をした。その声が消え入るのを待ってから、ラルバが扉を開ける。
ラルバがどうぞ、と促すが、マリアは動けなかった。まだ、息が整わない。
部屋の中で、慌てて立ち上がったような音がした。
「まさか、マリアなのか。本当に、君なのか……?」
名を呼ばれて、前を向く。ジード。一番会いたかった人の顔を見て、マリアの心に色々なものが一遍に押し寄せてきた。息苦しさは、すっかり忘れた。けれど、名前を呼び返したくても、胸が詰まって言葉にできない。
マリアに向けた驚きと喜びに満ちているジードの顔が、不意に曇った。ちょっと怖い顔をして、ラルバを睨みつける。
「おい、ラルバ。随分と無理をさせたみたいじゃないか」
ラルバの近くまで足早に移動したジードが、尚も険しい顔で言った。
「はっ、申し訳ありません。しかし、一刻も早くと思い、気が急いてしまいました」
「それでも、女の子には気を遣えよ。この石頭」
ジードが拳を振り上げ、次いで少し鈍い音が響いた。ラルバが、微かに呻く。彼の胸元辺りを、ジードが少し強めに殴っていた。
それでも、ラルバは表情を崩さない。すぐに直立し、次の言葉を待っている。
その態度に辟易したように、ジードが一度溜息を吐く。もういい、とジードが言っても、ラルバは直立していた。
苦笑したジードがラルバを押しのけ、まっすぐマリアに迫って来る。互いの距離は、すぐに縮まった。
互いに触れあえる距離まで近づいたと思ったら、マリアの体は、気づいた時には優しく抱き寄せられていた。胸が高鳴り、マリアは一瞬息苦しくなる。それでも、不快な気持ちはない。
「会いたかった。俺は、君が元気で過ごしているか、いつも気がかりだったよ」
「わたしもだよ、ジード。あなたが来てくれなくなってから、ずっとずっと、会いたかった」
「寂しい思いを、させてしまったのだな。最後に会ってから、もう二年だものな」
そっと体を離し、ジードが笑みを向ける。その眩しい笑顔に、マリアもまた、精一杯の笑みを返した。
「そういえば、君の母さんはどうしている? あの時は、少し元気そうだったから、よくなったのかな」
「それは」
ジードの言葉に、マリアは俯いた。察したのか、ジードは小さな声ですまない、と謝ってきた。
母の話は、それっきり触れなかった。
「……それにしても、よく来てくれたな。ばあさんが言った通りになるなんて、半信半疑だった」
「わたしが来るって、予言してたんだよね?」
「ああ。俺としては嬉しかったが、少し理解できなかった。時が来たって、どういうことなんだろうな。君と初めて会った時の予言も、君がいずれ国を導く、というものだったし。未だに、意味が分からないんだ」
ジードが首を傾げて苦笑する。
だが、マリアは思い当たる節があって、少し考える素振りを見せていた。
「それって、もしかしたら」
言って、マリアは手のひらを上にして開く。頭の中で小さな炎を想像し、体の中でうごめく力に意識を向けると、炎が手のひらの上で小さな音を立てて燃え上がった。
ジードが驚いたように顔を向け、ジャンが怯えたように大きく声を上げた。ラルバは何も言わなかったが、その表情は驚きに満ちている。
「わたしが、魔力を使いこなせるようになったから、ってことかもしれない」
炎をかざしたまま、マリアは言った。
「ずっと、あなたの役に立ちたかった。あなたのために、何かしたかった。わたしはそのために、この力をちゃんと使えるようにしたんだ」
「魔力、ってやつか。だけど、それだけなのだろうか。ここにいるジャンだって、混血児だ。当然、魔力は少しくらい使える。そうだろう、ジャン?」
「は、はい」
でも、と弱弱しくジャンが付け加える。
「マリアさんの魔力は、ぼくと比べ物にならない。たったそれだけの炎でも、ぼくにはわかります。マリアさんの魔力は、多分、この国の誰よりも強い。……いいえ、誰のものとも、違うと思います」
「どういうことだ?」
「う、うまくは言えません。ただ、魔族が放つ力とも、混血児の秘めたる力とも、違う気がするんです」
自信なさげに言うジャンの声は、どんどん小さくなっていった。
――どうしてこんなに詳しいのかな。
まだ幼い子どもなのに、いやに魔力について知っている。それが不思議でならない。
「ジャンは、生まれつき強い魔力を持っていて、それを感知する能力に長けています。魔力についての知識は、あの子の父親が無理やり叩き込んでいるので、下手な大人よりも詳しいですよ」
いつの間にかマリアの背後にいたラルバが、マリアにだけ聞こえるくらいの小さな声で言った。
振り返ると、今度は普通の声で、ラルバが言葉を継いだ。
「いつのことだったか、ジャンは言っていました。魔族の力は、例えるならば燃え盛る炎のような勢いのある力で、混血児は器に溜められていく水のような力だと。魔族の力は最初から圧倒するものですが、混血児のそれは、溜めこんだものを一気に爆発させるようなもの。どちらも、我々人間からすれば凶悪なものです」
「しかし、マリアの力はどちらでもない、か。ジャン、どんなものを感じるんだ?」
「そ、それは」
自信がなさそうに言い淀んだジャンだったが、意を決したのか、拳を強く握りしめて口を開く。
「……底が知れない力、です。全てを呑み込んでしまいそうな、闇のような力。一筋の光さえも呑み込んで消してしまうような深い闇を、ぼくは感じます」
「なかなか、おっかない言い回しだな」
ジードが言うと、ジャンはびくりと体を震わせて、ごめんなさいと謝って俯いた。
苦笑しながら、ジードがマリアに視線を向ける。
「仮にジャンが言うような力でも、君はうまく扱える。そのつもりで、今見せてくれたんだろう?」
マリアは、大きく頷いた。
自分の力が日に日に強くなっていくのは、マリア自身がよくわかっていた。時々、体の中で暴れてしまいそうになることもあるが、それでもマリアは、その力を制御しきることができる。
「ねえ、ジード」
マリアは、自分が話したいことを切り出した。
「わたしね、この国のみんなが仲良くしてほしいの。人間族も魔族も、混血児も関係なく、仲良く平和に暮らしてほしいの」
「わかっているよ。俺だって、そうしたい。いや、そうする時が来たのだろう。君が、本当に導き手として、ここに来てくれたのだから」
ジードが部屋の奥に行き、机から二枚の紙を取り出しては、細く丸めた。
そのうちの一枚を、ジードはマリアに手渡した。
「こっちの紙には、俺がこれまで調べたまじないについて書かれている」
「まじない?」
「そうだ。死んだ親父と魔族の男が見つけ出した、魔力を弱める結界を張るためのまじないさ。魔王と人間の血が合わさったものに、未知の強い魔力を帯びた雫を混ぜる。これがなせれば、魔族が必要以上に魔力を使うことを、抑えることができるらしい」
ジードの言葉にマリアは驚き、少しの間言葉を忘れた。
「未知の強い魔力の雫。それは多分、君しか作り出せないだろう。君の魔力で生成した水か何かが、きっと魔力を封じるのだろうな」
「……そんなことが、できるの?」
「できる、って信じるしかない。平和を願いながら死んでいった親父たちの遺志を、信じるしかないんだ」
強い決意を双眸に漲らせたジードが、マリアの肩をあの日のように強く掴む。その力は、あの時よりちょっと強くて、痛い。
ジードが、残ったもう一枚を差し出してきた。
「あの日みたいに頼むのは気が引けるが、君にしかこれは頼めない。この親書を、魔王の許へ持って行ってくれないか?」
「わたしが……?」
魔王という名を聞いて、胸に鈍い痛みが走った。会ったことのない、父。母に聞いただけで、実際はどんな人なのかもわからない、実感のない人。
少し呆然としているマリアに、それでもジードは言葉を続けた。
「この親書には、俺の願いが書かれている。和平を願う、俺の本当の思いが。何としても、受け取って貰わなければならない」
だが、とジードが唇を一度強く噛んだ。
「魔王は、人を寄せ付けないようにしている。多分、いらざる犠牲を出したくないからだと思う。今も魔族は対立していて、多くの奴が殺気立っている。魔王の城に近づくだけで、命を失う奴も少なくないんだ」
だけど君ならば、とジードは興奮して顔を少し赤くしながら続ける。
「魔王の娘ならば、きっと無事に辿り着ける。魔王の血族ならば、魔族だってきっと手を出さない」
「本当に、そうなのかな……?」
「俺は、そう信じている。それに、君は魔族から村を守ったじゃないか。きっと、大丈夫だ」
ジードが力強く言い、マリアは思わず頷いた。ジードの顔に、微かな喜びがよぎる。
不安には思っていたが、マリアは断る気は毛頭なかった。ジードの役に立てるならば、この身は惜しまない。そのつもりでいた。
マリアをためらわせていたのは、父に会うということだけだ。今更会って、どんな顔をして話せばいいのか、全然わからない。
しかし、会いに行くしかなかった。会って、魔王の返事を貰わなければならない。
ジードが手を強く握ってきて、マリアはハッとした。
心配そうに顔を覗き込むジードが、そこにはいた。
「必ず、生きて帰って来てくれ。この国の未来のために、俺たちが望む未来のために、必ず生きてくれ」
「……うん。絶対に、無事に帰るよ。約束する」
頷き、ジードがラルバとジャンに視線をくれる。
「ラルバ、ジャン。お前らに、道中の護衛を命じる。大丈夫だと思うが、万が一があってはならん。何があっても、マリアを守り抜け」
「はっ!」
二人が声を揃えて直立する。
ジードに一瞥をくれてから、マリアは部屋を出た。できることならばもう少し長くいたかったが、いればいるだけ、離れがたくなってしまう。たくさんの未練ができる前に、マリアはすぐに城を出た。




