巫女の章 1
変わらない日々が、続いていく。
マリアが村の隅っこで慎ましやかに過ごすことと、村の子どもたちにいじめられる日々は、終わりがないように続いた。
母は時折辛そうな顔をしていたが、マリアは極力笑うようにしていた。辛い顔をすれば、母はもっと悲しむ。そう自分に言い聞かせて、できるだけ自然な笑みを浮かべるようにした。
体の痣に触れると、鈍い痛みが襲って来る。だが、そんな痛みより、心の嘆きのほうが辛い。それは、自分のものだけでなく、相手が抱いているものも例外ではなかった。母が辛く思っている、村の子どもたちが自分を忌み嫌っている。そんなさみしい心を感じるのが、マリアは何よりも辛かった。
さみしい心を失くすには、皆が仲良くするしかない。それは、この国全体にも言えることだ。仲良くさえすれば、さみしさはきっとなくなる。マリアはそう思っていたが、方法がわからなかった。支配してされてのこの国に、そもそもそんなことが可能なのか、と疑問に思っていた。しかし、疑問に思って考えても、答えの欠片さえ掴めない。
それが思いがけず舞い込んできたのは、マリア十二歳になった頃のことだった。
その出会いは、あまりにも奇妙だった。
マリアがいつものように薪を集めに外へ出た時、家の真ん前で一人の若い男が倒れていた。村では見たことがない顔で、着ているものは土埃に塗れているが、どこか品が良さそうな感じを醸し出している。
何故こんな所に倒れているのか、と思う前に、マリアはその男が生きているかどうかが気になった。じっと見てても、一切身動きをしない。
それでもずっと眺めていたら、男の口から小さな呻き声が聞こえた。生きている。マリアはほっと安堵したが、その気持ちを吹き飛ばすように、異様に大きな虫の声が響いた。
男が、うつぶせのまま、もがくように手を伸ばす。その間にも、彼のお腹は大きな声を立てていた。
「……何か、食べるものを」
呟いた男の声に頷き、マリアは急いで家の中に入って、小さなおにぎり二つと、水を入れたお椀を持ってきた。
本当は、自分のお昼ごはんである。少食とはいえ、お昼ご飯を抜いてしまうのはちょっとだけ辛かったが、そうも言ってられなかった。
「これ、食べて」
男の前で屈みこんでおにぎりを差し出すと、がばと顔を上げた男が、すぐに手を伸ばそうとしてきた。しかし、一瞬躊躇して伸ばしかけた手を引っ込め、おにぎりとマリアを交互に見つめてきた。
マリアが遠慮しないで、と言うと、男は申し訳なさそうに頭を下げて、ゆっくりと体を起こしてからおにぎりを受け取った。受け取ったかと思えば、あっという間に平らげてしまった。
「いやぁ、本当に助かったよ。うっかり道に迷ってしまってな、ここ何日か、何も食べていなかったんだ」
お椀の水をゆっくりと飲みながら、男が言った。
「どうして、わたしの家の前だったの?」
「それは偶然さ。たまたま、ここに出たんだ。家を見かけたから何とか訪ねようとしたんだが、もう辛抱できなかった」
「ふうん」
ばつが悪そうに言う男をまじまじと眺めながら、マリアは少し疑問に思った。
――村の人たちとは、何か違う。
一体何が違うのか少し考え、男の目にまったくの嫌悪がないことに気づいた。村の人たちが抱く、マリアへの負の感情。混血児への、冷たい差別。それが一切感じられなかった。
どうしてだろう、とマリアは思ったが、口にはできなかった。自分から口にするのは、少し怖かった。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったな。俺はジード、ジード・アルベールって言う。君は?」
「う、うん。わたしは、マリア」
少し戸惑いながら、マリアは言った。
魔族に支配されているこの国にも、一応の王はいる。魔族の力に屈しながらも、何とか国の民が少しでも生き永らえられるように、絶えず苦慮している王。それがアルベール王であることを、マリアは母から教えられていた。
――おんなじ家の名前、なのかな?
どう見ても、ジードは二十にも満たない青年にしか見えない。とてもじゃないが、王子という感じはしなかった。
「やっぱり、そんな反応になるよな。仕方ないか。俺は確かに、この国の王の息子だよ」
マリアの疑問に答えるように、ジードは少し寂しそうに言った。
ジードが王子様。そう言われても、やはりマリアはピンと来なかった。確かに着ているものは少し高価そうだが、全然偉そうに見えない。この村で威張っている村長のほうが、どことなく偉そうに思えるほどだ。
「どうしたんだ?」
首を傾げていたマリアに、ジードが怪訝そうに声をかけてきた。
「えーとね、あなたって、本当に王子様?」
「あまりその呼び名は好きじゃないけどな。一応は、王子だよ。それが、どうかしたか?」
「ふうん。全然、そう見えないや」
はっきり言われたジードが一瞬目を丸くしたかと思えば、いきなり大声で笑い始めた。マリアがきょとんとしながら見ていても、しばらく笑い声は止まなかった。
「……いや、悪い悪い」
漸く声が止み、零れた涙を拭いながら、ジードが言った。
「俺を王子以外の目で見てくれる人なんて、今までいなかったからさ。ちょっと新鮮だったんだ。それに、嬉しかった」
「そうなの?」
「そうさ。王子なんて肩書だけで、俺は人より偉いように扱われてしまう。人より特別だって、思われてしまう。俺だって、この国に生きている命の一つに変わりないのにな」
ジードが空を見上げ、遠くを見るような眼をする。それは、やっぱり寂しげだ。
その様に、マリアは胸がちょっとだけ痛くなって、違う話題を必死に探した。
「ねえ、ジードさん」
「ジードでいいよ、お嬢さん。俺も君を、マリアって呼ぶからさ」
にこりと笑うジードに頷き、マリアは言葉を続けた。
「どうしてここに来たの?」
「別に、ここを目指していた訳じゃないんだ。俺は、ちょっとした目的のために、旅をしているんだよ」
「一応、王子様なのに?」
「一応って、おい……。まあ、いいか。俺はな、王子だからこそ、旅を志願したんだ。必死になって頑張っている親父のために、できることがしたくてさ」
ジードが一度言葉を切って、小さく息を吐いた。
「親父はさ、この国を救いたがっているんだ。力で支配をしてくる魔族をどうにかできないか、ずっと考えている。できる限りの平和的な解決、理想を言うならば、魔族と人間族の和解って形をな」
俺もそうだ、とジードは付け加えた。
ジードの言葉に、マリアは胸が跳ね上がるくらいに驚いた。それはまさしく、マリアが夢見たことと同じだ。
そんなマリアに気づかず、ジードは言葉を続ける。
「難しいのは、俺も親父もよくわかっている。わかっているけれどな、何とかしたいんだ。今は魔族が、魔力のことで対立している。人間族へあまり目が向いていない今が、絶対の好機なんだ。親父はどうにかして、人間族に好意的な魔族に接触しようとしている。俺は俺で、親父の手が回らないことをやらなきゃいけない」
「その、やらなきゃいけないことって?」
「人探し、だよ」
ジードが、少し困ったような笑みを浮かべながら言った。
「ちょっと眉唾な話になるんだが、王家にはお抱えの予言士ってやつがいるんだ。親父よりずっと前の王から仕えている気まぐれなばあさんで、たまにしか予言してくれない。けれど、そいつが見た予言は、殆ど外れることはないそうなんだ」
「本当に?」
マリアが問うと、ジードはもう一度苦笑した。
「眉唾って言っただろ? 俺自身はその予言を聞いたことはないからわからないが、親父は信頼しててな。今回、久々に予言をしてくれたってことで、何とか手を回そうとしていた」
「それが、人探し?」
「そうだ。この国を新たな方向に導くには、ある人物の力が必要だって、予言士が鬼気迫る感じで言っていたそうなんだ。他の奴らは半信半疑だったが、親父はすぐに信じた。自らその人を探しに行こうとしたんだが、さっきも言った通り、手は回らない。そこで、俺の出番ってわけさ」
気持ち偉そうに胸を張って、ジードが続ける。
「親父は結構、精神的に追い詰められててな。いつもなら信頼できる家臣さえも、今は信じようとしない。ならば、安心して任せられるのは、息子の俺くらいしかいないだろ。一国の王子にそんな危険な真似はさせられない、と色んな奴が言ってたが、それを跳ね除け、俺は親父に懇願した。結果は、ご覧の通りさ」
「そうだったんだね。でも、大変じゃないの? さっきも、お腹が空いて倒れてたのに」
「言うなよ、それは……。確かに、ちょっと旅を舐めていたのはあるけどさ」
項垂れながら言うジードに、マリアは小さく笑った。
一頻り笑ってから、そういえば、とマリアは問いかけた。
「ねえ、ジード。どんな人を探してるの?」
「それはな、とある混血児なんだ」
「混血児……?」
胸の奥で心臓が一度高鳴り、マリアは少し、ほんの少しだけ動揺した。表情にも仕草にも出なかったからか、ジードが何かを感じ取った風はない。
「ああ。マリアも聞いたことがあるだろう? 人間族と魔族の間に生まれた、不思議な子どものことだ。それも、特異な環境で生まれた混血児を、俺は探している」
「特異って?」
首を傾げたマリアに、ジードがばつが悪そうに言う。
「簡単に言えば、他と変わっているということだよ。例えばそうだな、人間と強い魔力を持った魔族の子ども、とかかな」
「そうなんだ。何だか、わたしみたい」
「えっ」
思わず口が滑り、マリアは咄嗟に口を押えたが、少し遅かった。ジードは驚愕で口を大きく開けていた。瞳は、明らかに動揺で揺れている。
「そういえば、君の髪色と、その瞳は……」
何かに思い至ったのか、ジードはまじまじとマリアを見つめてきた。その目が、傷だらけの肌に向けられた時、ジードが険しい顔をした。その顔がちょっとだけ怖くて、マリアは思わず顔を俯かせた。
それに気づいたのか、ジードが慌てて顔を逸らし、一歩離れた。
「どうして、銀の髪なんだ? その瞳だったら、髪色は紅いはず」
ジードは努めて穏やかに問いかけてきていたが、その言葉は一歩二歩と、詰め寄って来るような勢いがあった。隠し事はできない。何となくそう思ってしまい、マリアはこれまで誰にも言ったことのない秘密を喋っていた。
「よくわからないよ。ただ母様は、父様が生きるための力をくれたから、銀の髪になったんだよって言ってたの。魔王の力を分けてくれたから、こうなったんだって」
「魔王!?」
ジードが、声を少し裏返らせながら、一度叫ぶように言った。
「マリア、その話は本当なのか……?」
「母様のお話だもの。多分本当だよ」
そうか、と呟き、ジードは黙ってしまった。
マリアは、ジードの言葉が気になっていた。この村に、自分以外の混血児はいない。混血児の見た目が人間とも魔族とも異なっているのは母に聞かされて知っているが、マリアがどうしてそうなのかまでは、具体的には聞かされていなかった。
ジードが屈みこみ、不意にマリアの肩をがしっと掴んだ。
「もしかしたら、君がその探し人なのかもしれない。いや、きっとそうだ」
「わたしが?」
きょとんとしながら言うと、ジードは力強く頷いた。
「予言士はこう言ったんだってさ。魔王と人間の間に生まれた混血児が、いずれ国を導く。その時が来るまで、巫女として崇め、守り続けよ、ってな」
「巫女……?」
「どうしてそう呼ぶのかまでは、俺にもわからない。だけど、これだけはわかる。マリア、君を何としても守らなきゃいけないって」
ジードのマリアを見つめる瞳は、爛々と輝いていた。
「俺、王都に戻らないと。探している人が見つかったって、親父に教えてやらなきゃ」
「えっ、でも」
いきなりのことに、マリアは戸惑いを隠しきれなかった。言葉も、思うように出てこない。
「本当に、わたしがそうなの……?」
理解が追い付かなくて、マリアは恐る恐る問いかけるのが精一杯だった。
それでも、ジードは言葉を続けた。マリアの、傷だらけの腕を見ながら。
「間違いない。マリア、君がきっと、この国の希望になってくれるはずだ。だから潰えちゃいけない。何があっても」
マリアの肩を掴む手が、少し強くなる。ちょっとだけ痛かったが、ジードの真剣な瞳に射抜かれ、マリアはそれをすぐに忘れた。
「本当なら、俺が傍でずっと守ってやりたい。けれど、俺は親父も支えなきゃいけないんだ。だから、君が傷つかないように、最低限の手は打っておく」
その意味はよくわからなかったが、ジードがマリアを案じていることだけは何となくわかった。
半ば興奮したようにしていたジードが、不意に萎んだようになり、自嘲気味に笑った。
「君みたいな女の子に、そんな重荷を乗せちゃいけないのは、わかっている。そんなのが、本当は間違っているってことも。だけど、俺たち王家は力がないから、あるかもわからない希望に縋るしかない。自分たちの力じゃ、多分、この国を変えられないから」
マリアはなんて言えばいいのかわからず、ただ不安に揺れる瞳をジードに向けることしかできなかった。
その視線に気づいたのか、ジードの顔に覇気が戻り、微かに笑って見せる。
「ごめんな、いきなり変なことばかり言って。難しかっただろう?」
「う、ううん。大丈夫。でも、本当にわたしが希望なのかは、まだ信じられない」
けどね、とマリアは一度大きく息を吸って、ゆっくりと吐いてから、言葉を続けた。
「もしそうなら、嬉しいんだ。わたし、この国のみんなが仲良くしてくれるのが、夢なの。さみしい心をなくすのが、夢なの。今まで手も伸ばせなかった夢に、わたしは触れられるかもしれない。そう思うと、本当に嬉しいんだ」
はっきりと言い切った言葉は、自分でも驚くくらいに明るいものを含んでいた。
初めて会った人の言葉をここまで信じるのは、本当は愚かしいのかもしれない。しかし、マリアには微塵も疑いの気持ちはなかった。ジードから感じる誠意が、差し伸べられた道標が、マリアからためらいを奪っていた。
言い切ると、マリアは精一杯の笑顔を、ジードに向けた。
「ありがとう、ジード。わたし、頑張るよ。頑張って生きて、夢を叶えてみせるよ」
「マリア……」
屈みこんだジードが、そっとマリアを抱きしめてくる。いきなりのことに、マリアは言葉も出ないくらい驚いたが、それもすぐに落ち着いた。ジードの温かさを感じていると、妙に気持ちが穏やかになってくる。
ジードが、マリアの耳元でそっと囁く。
「きっと、叶えよう。君の、素敵な夢を。俺も一緒に、頑張るから」
「うん……」
頷き、マリアが見上げると、ジードの優しい顔が見えた。目が合うと、互いに笑みを交わした。
ジードがそっと体を離す。優しいくらいの温もりが名残惜しくて、マリアは一瞬寂しくなったが、何とかそれは堪えた。
「俺も、たまには顔を見せに来るよ。じゃあ、元気でな」
「う、うん。さよなら」
ひらひらと手を振りながら去って行くジードを見送りながら、マリアは彼の言葉をゆっくりと噛みしめていた。




