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私を忘れて  作者: 千変万化
断章 「ある少女の物語」
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出自の章

 気が遠くなるほどの、昔の話である。この国の人間族が、魔族によって支配されていた頃の話。

 魔族は、生まれ持った不思議な力、魔力を持って人間族を支配していた。大地が育む生命力を利用し、およそ人がなしえない事象を、魔族は軽々と発現した。何もない所から炎を燃え上がらせたり、意図的に雷を落とせたりなど、人間族の理解が及ばない未知の力は、彼らを支配するには十分すぎる効果があった。

 元々、魔族はこの国にいたわけではない。もっと遠くにある国で暮らしていたのだが、あろうことか魔族は、その国を滅ぼしてしまった。魔力を考えなしに使いすぎて、大地から生きる力を奪い尽くしてしまったのだ。魔族も、拠って立つ地がなければさすがに生きて行けず、周辺の国を支配し、また滅ぼしを繰り返しては、今いる国までやってきた。

 この国の人間族は、最初から黙って支配されていた訳ではない。支配してくる魔族の数に対して、人間族は圧倒的に人数が多かった。魔族の未知の力に、大規模な徒党を組んで対抗した。

 しかし、それも虚しい抵抗だった。人間族がどれだけ集まろうと、魔族が繰り出してきた軍団には僅かな被害しか与えられず、多くの人間が骸を野に晒した。

 数えきれないほどの人の死を前に、人間族は諦めるしかなかった。諦め、魔族の支配を甘んじて受けるしかなかった。

 魔族が胡坐を掻き、人間族が血の涙を流す時代が、しばらく続いた。

 その間にも、この国の大地は命を失いつつあった。たくさんの緑が失われ、そこに住まう命も消え、やがて塵埃と化す。そのことに気づき、心を痛める魔族もいたが、何をすればいいのかわからず、結局何もしないで時の流れるままに任せた。

 そんな時代が続いたある時、一人の人間族の娘が、魔族の男に恋をした。多くの人間が恐怖と憎悪に揺れる中、その娘は平気で、本気でその男に歩み寄った。

 普通ならば、魔族は相手にしない。格下としか見ていない人間族など、大方の魔族からすればうまそうな羊の肉にしか見えていないのだ。逆に、人間族からしても、魔族は獰猛な飢えた狼としか思えなかった。

 しかし、例外がないわけではない。人知れず恋仲となり、契りを結んだ魔族と人間族は、数少ないが確かにいた。

 相手を想う気持ちに、種族は関係ない。恋をした者は皆、その想いを胸に抱いていた。

 そしてそれは、その娘も魔族の男も同じだった。

 男は、魔族を統べる王だった。無益な支配を続けることに倦み、胸の内にわだかまる陰鬱としたものを払うために、気まぐれで村を歩き回り、その娘に出会ったのだった。

 最初、魔王はその娘を突っぱねた。一瞬心が揺れたが、魔王はそれを押し殺した。自分と一緒にいても、幸せになることはない。そう言って、娘から逃げるように村から出た。

 しかし、娘は諦めなかった。身一つで魔王を追いかけ、再び自分の想いをぶつけた。

「一目見た時から、あなたを支えてあげたい、って思ったの。だってあなたは、とても辛そうなんだもの。みんなみんな、全部自分で抱え込んで、苦しそうなんだもの」

 そんなことを言われたのは初めてで、魔王は面食らった。

 確かに、魔王は苦しんでいた。この国で過ごしている間に先代魔王が死に、自身が次の魔王として祭り上げられた。多くの魔族が力による圧政を望んでいて、今いるこの国が滅んでも、次の国を探せばいいという者ばかりだった。

 だが、そんなことなど、魔王は全く望んでいなかった。寧ろ、反吐が出るほどに否定していた。命は、等しく存在している。種族など関係ない。人間も魔族も、動物もこの大地さえも、等しく生きているのだ。それを無碍にして、奪い尽くすような真似は、許されることではない。

 しかし、先代の魔王に託されたのは、魔族の未来である。魔族を優先させればこの国とそこに住まう生き物は死に、逆にすれば、今度は多くの同胞が飢えて苦しむ。どれだけ酷いことをしていても、やはり同じ血を持つ者なのだ。同情ぐらい、当然湧く。

 誰も彼も納得させられる答えが見つからなくて、魔王は悩んでいた。悩み悩んで、それでも答えの片鱗すら見えなくて、ずっと苦しかった。

 それを、ほんの僅かな時間で察してくれた。魔王の心の中で、娘の存在がすぐに大きくなっていった。

「さっきも言ったが、俺なんかと一緒にいても、幸せになれないかもしれない。俺は、お前たち人間に辛く当たる、魔族の王なのだから」

「大丈夫。あなたが王様なら、きっと正しい答えを見つけられるよ。あなたは、優しい人だから。あなたは、信じられる人だから」

 抱き着き、胸に顔を埋めてくる娘に、魔王は小さな愛しさを覚えた。

 それが大きな想いになるのに時間はかからず、やがて二人は、秘かに契りを交わした。

 最初、魔王は召使いという体で娘を自分の居城に連れ帰り、共に過ごした。立場上、命令を与えて受けての日々を送らざるを得なかったが、それでも二人は内心幸せだった。

 しかし、娘が子どもを授かると、そうも言ってられなくなった。他の魔族がそのことを知れば魔王に反逆し、自分は疎かその娘にまで危害が加えられかねない。そうならないように、娘の腹が目立たないうちに、城から放逐した。魔王の命であるがゆえに、理由は何とでもつけられる。

 娘は魔王の心中を察し、自身が生まれた村へ逃げるように帰った。

 無事に戻った娘は最初こそ祝福されたが、お腹が大きくなるにつれて、嫌悪と恐怖の目を向けられるようになった。子どもを身ごもったから、秘かに捨てられた。あのお腹には、化け物の子が宿っている。まことしやかにそう囁かれ、娘の居場所は徐々になくなっていった。

 それでも娘の両親だけは見捨てず、変わらない態度で接してくれた。周りが騒ぐせいで、いつもどおり、とはいかなくなっていたが、それでも娘は毎日を生きることができた。

 艱難辛苦の日々を越え、やがて来たる日を迎えた娘は、一人の赤子を産んだ。

 赤子の髪色をちらと見た時、娘は思わず絶句した。

 うっすらとわかる、銀の色。しかしそれは、その赤子が持っているはずのない髪色だった。

 娘が噂に聞いた話だと、魔族と人間族の間に生まれた子どもは、必ず赤い瞳と深紅の髪だという。そこには一切の例外はない。そう、ないはずなのだ。

 どうして、と娘は一瞬うろたえたが、不意に魔王のことを思い出し、落ち着きを取り戻した。

 ――俺たちの子が丈夫に育つように、少しまじないをかけよう。俺がいなくても、ちゃんと育ってくれるように。

 魔王の城を出る時、去り際に魔王が娘のお腹をそっと撫で、何か念じていたのを思い出した。娘はその時は寂しさで胸がいっぱいで、単なる慰めかと思ったが、今思えば温かいもので体が満たされていったような気がした。普段は感じない底知れぬ何かを、全身を廻った気がしていた。

 事実、魔王は自分の膨大な魔力を、娘の中に分け与えていた。

 本来ならば、魔力を他者に分け与えることはできない。しかし、魔王にはそれが可能だった。他者の魔力を奪い取り、自分のものにでき、または自分のそれを他者に与えることもできる。

 魔力が体に宿れば、少なくともその生命力は力を増す。魔族が長命であるのは、魔力が起因しているからと言っても過言ではない。特に、魔王ほどの力があれば、想像もできないほどに命は輝きを増す。

 知らないうちに、娘は魔王の力を身に宿す、特異な存在となっていたのだった。

 しかしそれは、赤子が生まれる前までのことだ。

 今、娘は自分の体に何の変化もないことを感じている。あの時の何かは、体の中にはない。

 ならば、どこにいったのか。娘は、決して頭が悪い方ではない。少しも考えずに、行き先を悟った。

 そっと赤子の頭を撫でると、底知れない力が反発したかのように、手に強い痺れが走った。

 間違いなく、赤子の中にあの力が注ぎ込まれている。

 どうしてかはさすがにわからなかったが、娘はそれを僥倖と捉えた。混血児は、その併せ持った血の影響で、生まれた直後に死んでしまう場合が多いと聞いたからだ。しかし、魔王の力によって命が丈夫になっていれば、その心配は皆無と言っていい。

 娘は、赤子にマリアと名づけ、精一杯愛しながら育てた。父である魔王に会わせてあげられないのはとても残念だったが、それでもいつか会わせてあげられる日を信じて、育て続けた。

 マリアが生まれて、七年の歳月が流れた。

 背伸びした感じだった娘も大人の女性になり、マリアもすっかり大きくなった。

 しかし七年という歳月は、二人の環境を変えるのには十分すぎた。

 まず、二人を守ってくれていた娘の両親が、マリアが生まれてから一年で他界した。不幸にも流行り病にかかり、回復する兆しを見せることなく永遠に去って行ってしまった。

 娘が途方に暮れる間もなく、同じ村の人たちに住んでいた家を追われた。化け物の子を村に置いておく家賃だと言って、無理やり奪われたのだ。ただ、さすがに村から追放するのは気が咎めたのか、村の奥にある古びた小屋を娘は宛がわれた。

 小屋の中は生活するのに最低限のものしかない。食糧だって、僅かだ。少し前までのいくらか余裕があった暮らしから極貧の日々へと、環境はあまりにも変わりすぎていたが、娘はめげずにマリアと共に生きた。倹約し、工夫し、耐え忍んで生き続けた。

 マリアのほうは、母のそんな苦労を知ってか、全くわがままを言わなかった。寧ろ、物心ついた時から自ら手伝いをするようになり、少しでも娘の負担を減らそうとしてきた。

 娘にとって、マリアは支えだった。いつからか、マリアが元気に成長してくれることだけが、娘の生きがいになった。

 願い通り、マリアは元気に成長した。だが、成長するにつれて、あるものが目立つようになった。

 痣、である。

 生まれて五年くらい経った頃だっただろうか。マリアが外から戻ってくると、体中が傷だらけだった。叩かれた痕、引っかかれた痕、何かをぶつけられた痕。酷いものは、傷口から血が流れるほどだった。

 驚いて娘が問い質しても、マリアは転んだだけ、としか答えない。心配かけまいとしているようだったが、逆に心配は募った。

 歳と共に苦労も重ねたからか、娘の察しの良さはさらに増している。マリアが他の子どもからいじめられているのは、すぐにわかった。

 何故、と考えるまでもない。マリアは、混血児なのだ。しかも、今まで誰も持ち合わせていなかった髪色を持つ、唯一無二の存在だ。薄気味悪いと思った村の大人たちが忌み嫌うのを見て、子どもたちが真似してマリアをいじめているのだろう。

 マリアは、とても優しい子だ。優しすぎるくらいだ。そのせいで、何に対しても自分の非を見つけて、最終的には自分のせいにしてしまうきらいがある。多分、いじめている相手に対しても、自分が悪いと思っているに違いない。

 娘はマリアを守りたかったが、自分たちが生きるために働かなくてはならない。せめてマリアに家の中にいてほしいが、彼女もまた、薪拾いなどを進んでやるため、外に出てしまう。そんなことは自分がやればいいのだが、女手一つで娘を育てている以上、少しでも負担を減らしたくなってしまうのは仕方がなかった。

 せめて、魔王がいてくれたら。そう思うのを、娘はマリアが生まれた年にやめていた。

 魔王は娘と別れた後、同族同士の争いに巻き込まれて、身動きが取れなくなっていた。権力争いなのか、それとも別の理由があってかなのかは、知らない。しかし、魔王の力をもってしてもその争いは止まず、今になってもまだ続いていることだけは、娘も知っていた。

 仕事がない日に娘が家にいると、外から子どもの甲高く、それでいて嫌な感じの声が聞こえてきた。マリアを揶揄するような言葉。娘はすぐに飛び出し、いじめられているマリアへ駆けつけようとした。子どもたちは逃げるように去り、そこには傷だらけのマリアだけが残された。

 髪を引っ張られたのか、朝整えたはずの首筋まである銀の髪が、ぼさぼさに乱れていた。

 じっと、子どもたちが去った方向へと、マリアは視線を向けている。その瞳は、どこか寂しさに揺れていた。

「ごめんね。こんなことになっちゃって、ごめんね」

 思わず涙ぐみ、娘はマリアを抱きしめる。自分がしたことが過ちだったのか、と一瞬だけ後悔がよぎった。

 だが、その後悔は、マリアが首を横に振ることで振り払われた。

「母様のせいじゃないよ。ううん。誰も、悪くないんだ。私が、みんなと仲良くできないのが悪いんだ」

 にこりと笑みを浮かべるマリアがあまりにも痛々しくて、娘は大粒の涙を流して、華奢な体を抱きしめた。

 少し戸惑ったマリアが、そっと背中に手を回してきて、精一杯の力で抱き返してきた。

「いつか、みんなが仲良くできるようにしたいな。……ううん。絶対に、してみせるよ」

 気丈に振舞って笑顔を浮かべるマリアは、やはりどこか痛々しかった。

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