7-18
「むっ」
小さく声を漏らしたレヴィアが、何故か動きを止め、黒い炎を握り潰す。火の粉が飛び散り、束の間地面や草花を燃やしたが、すぐに消えた。
「これが、魔女の力か」
好奇に満ちたレヴィアの声と目が、アリーに向けられる。
一瞬訳が分からなかったが、隣に目をやって、アリーはその理由が何となく分かった。
いつの間にか出て来ていたマリアが、両手を前にかざしている。
「アリー?」
怪訝な顔をしたラインハルトが、ちらりと振り返る。何もしていないアリーを見て、ラインハルトはさらに混乱したように表情を曇らせている。
「ふっ」
レヴィアが小さく笑みを漏らし、それから高々と笑った。真顔だった彼の表情に、初めて嬉しそうなものが浮かんだ。
その笑い声が、ぴたりと止む。顔には嬉しさに交じって、悪辣なものが加わっている。
「どうやら、部下を先行させなくて、正しかったらしいな。部下どもでは魔力を奪われ、何もできずに死んでいただろう」
「えっ」
レヴィアの言葉に驚いて、アリーは咄嗟にマリアを見た。
マリアは、歯を食いしばりながら、両手を前にかざしたままだ。
「あなた、まさかあの人の魔力を?」
頭の中で、アリーは言葉を投げかけた。
「こうでもしないと、逃げられないよ。あいつの魔力は、わたしの想像を超えてる。わたしが魔女として魔力を奪わなければ、多分グランツは、死ぬ」
「で、でも、そんなことをしたら、呪いの魔力が」
「いいんだ」
マリアが、一度首を横に振った。
「あなたは、わたしのために頑張ってくれる。だったら、わたしが頑張らないのは卑怯じゃない」
ちらりと横目でアリーを見て、マリアは微かににこりと笑った。
「それに、あなたはまだ、自分の力を使いこなせてない。それじゃ、グランツを守れないでしょ?」
確かに、レヴィアの魔力が異常に強いのは、今のアリーにも感じ取れるようになっている。このまま立ち向かっても、ラインハルトがその力の前に、なす術もなく敗れるのは目に見えていた。方法としては、レヴィアの魔力を防ぐしかない。
しかし、アリーはまだ、自分の魔力をうまく扱うことができなかった。力の流れを感じても、うまく発現させられないのだ。魔女の力は、頭の中で思い描けば使うことができたのに、自分のそれはどうしても使えず、したがって魔力を防ぐために魔法を放つことができない。
となると、方法は限られてしまう。魔女の呪われた魔力で、相手のそれを奪い取るしかない。
だが、そんなことをすれば、せっかく与えられたマリアの時間は、どんどん削れてしまう。強い力を奪うのにどれほどの時間を犠牲にしなければいいのか、アリーにはまったく見当がつかなかった。
「魔力が使えないのでは仕方があるまい」
レヴィアが顔を引き締め、ゆっくりと腰の剣を引き抜く。
「ラインハルト。私の剣で、お前を葬るとしよう」
剣を構え、レヴィアが無言のうちに気合を放つ。空気が、痛いほどに引き締まった。
ラインハルトもまた、剣を低く構える。
二人は無言のまま、少しの間睨み合っていた。
「やるしかない」
動けずに呆然としていたアリーに、マリアが囁くように言った。
「アリー、覚悟を決めて。わたしは、あいつを殺す。一気に力を使って、レヴィアの生命力を奪い尽くす」
「だ、ダメだよ。そんなことしちゃ、ダメ」
ハッとして、アリーは半ば焦ったように言った。
マリアは依然として手をかざしたまま、表情に冷たいものを宿らせながら、言葉を継ぐ。
「わかって、アリー。あいつは、本当に危険なんだ。あなたのお父様は、レヴィアがわたしの魔力に踊らされたって言ってたけど、真実は違う。怨念にも似たレヴィアの願いに、わたしの力の一部が引き寄せられ、力を貸したんだ。この国を滅ぼしたい気持ちは、あの時は一緒だったから」
けど、とマリアが一度唇を強く噛む。
「あいつに力を貸したのは、間違いだった。レヴィアは、第二のわたしになる可能性を秘めてる。……いいや、わたし以上になると思う。わたしと違って、あいつは命を奪うことにためらいがないから」
だから今、殺さなきゃいけない。
冷たい声で、マリアが言い切る。しかしその声は、どこか震えていた。
「あなたの言いたいことは、わかったよ」
諦念とも期待ともつかない表情を浮かべたマリアが、じゃあ、と呟く。しかしアリーは首を横に振り、マリアの肩にそっと手を置いた。
「それでも、あなたはもう、そんなことしちゃダメなの。これ以上、自分の手を、汚そうとしないで」
「だったら、どうすれば」
言葉を遮るように、乾いた金属音が鳴り響いた。刃が空を切る唸り声が何度も聞こえ、その度に乾いた音と火花が散った。
ラインハルトとレヴィアが、剣を打ち合っている。互いに動きが速すぎて、まったく目が追い付かない。
それでも、素人目から見ても、二人の戦いは互角に見えた。尤も、今のところは、である。
ラインハルトが大分無理をして動いているように、アリーには思えてならなかった。
「やっぱり、危険だよ。グランツが、死んじゃうかもしれない。それでも、いいの?」
「よくないよ。でも、あなたを犠牲にして勝っても、多分ラインハルトは納得しないと思う。ラインハルトは、優しいからね。それに」
あなたが狂気に呑まれたら、私も多分いなくなってしまうから。
その言葉は、寸でのところで呑み込んだ。
「アリー?」
続きを待っていたマリアが、問いかけてくる。
「ごめん、何でもないや。とにかく、他の方法を考えよう。あなたが汚れなくても済む方法を」
「……もう、しょうがないな」
少し間を置いてから、マリアが険しい顔のまま、諦めたように呟いた。
「だったら、一つしかないよ。アリー、あなたが自分の力を使いこなすの」
「私の?」
意外な答えに、アリーは面食らってしまった。アリーが、まだ力を使いこなせないのは、マリアも知っているはずだ。
「殺しちゃダメなら、わたしはあいつの魔力を押し留めるので手一杯になる。だったら、あなたがやるしかない。今すぐにでも、自分の魔力を支配しなきゃ」
「で、でも、どうすればいいの? あなたの力みたいには、使えないんだよ?」
「いいや、使えるはずだよ。わたしとあなたの力に、差はないはずだもの」
「そんなこと言っても」
半ば焦りながら言う最中、ラインハルトの荒い息が、不意に耳に飛び込んできた。
アリーがそちらに目を向けると、一度互いに距離を取って、向き直っているところだった。レヴィアは息一つ乱していないのに対して、ラインハルトは何度か荒い息を吐いている。
やはり、ラインハルトは無理をしている。それでも多分、無茶を続けるだろう。
その様を見ていたマリアが、尚更険しい顔をした。
「……時間はあまりないみたいだね、アリー。もう、やるしかないよ。自分の魔力を体で感じて、自分がしたいことを頭の中で描くんだ」
「やってるよ。でも、できないんだ」
炎を生み出した時みたいに、傷を治した時みたいに、しっかりと頭の中でやりたいことを描いているのに、体の中のアリーの魔力は応えてくれない。ただ時折、体を内側からカッと熱くするだけだ。
アリーがちゃんと思い描いていることを知ってか、マリアの声も、少し焦りを帯びてきた。
「だったら、自分の力の根源を、探って。わたしの力が恨みや悲しみを依り代にしているように、あなたにも何かあるはず」
「力の、根源」
急に言われても、アリーには何も思いつかない。それでもあれこれ考えてみるが、どれも違うのか、魔力は沈黙したままだ。
視界の端では、未だに激闘が繰り広げられている。ただ、少しずつ、ラインハルトが押され出している。
――何とかしなきゃ。
逸る気持ちを抑えようとしながら、アリーは必死に自分の魔力と向き合っていく。しかし、何も見えない。たったひとひらの取っ掛かりさえ、見えない。それが、アリーを焦らせていく。
「何が、正解なの? お願い、応えて」
縋るように、胸に抱いた思いの一つに、アリーは語り掛ける。それでも、魔力は反応してくれない。




