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私を忘れて  作者: 千変万化
七章 「魔女」
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7-17

 ラインハルトが険しい顔をして、窓の外に目をやる。息を呑んだような声が、短く発せられた。目は、驚愕で見開かれている。

 アリーも、その視線を追って、目に映ったものに短く声を上げた。一人の男が、この小屋に近づいてきている。まだいくらか距離があるとはいえ、男の顔ははっきりと見える。

 唐突に、頭の中で一つの光景が浮かび上がってきた。誰かが父に剣を突き立てている、あの日の夜の光景。靄がかかり、はっきりしていなかった誰かの顔のそれが、唐突に晴れる。今、近づいてきている、男の顔。間違いは、ない。

 アリーは、自分の体が震えていることに気づいた。記憶の奥底にしまい込んだ夜の恐怖が、不意に戻って来た気がした。

 アリーの様子に気づいたのか、ラインハルトが剣を手元に引き寄せ、一息に抜き払う。そして、扉を蹴破って一気に外へと出た。アリーも、恐る恐る入り口まで近づく。

 男が、小屋まで十歩程度のところで歩みを止めていた。

「話も聞かずに、随分と好戦的だな、ラインハルト」

「今の状況だったら、誰だってこうしますよ、レヴィア先生」

 レヴィア。その名前は、以前ラインハルトが教えてくれた。ラインハルトの剣の師匠であり、この国の有力な将軍でもある。そして、アリーを秘密裏に捕らえようとした人。

 レヴィアは、筋骨逞しい魔族の男性である。背が高く、引き締まった体からは何もしていなくても力を感じさせ、それだけでもアリーは委縮してしまう。

「まさか魔女が、お前と共にいるとはな。さすがの私も、そこは予想していなかった」

 レヴィアの表情が、微かに歪む。が、すぐに無表情に戻った。

「どうやらお前は、私が魔女を探し求めていることを知っているらしいな。どこで聞いたのかは知らんが、余計な手間を取らせてくれたものだ」

「そんなことはどうでもいいでしょう、先生。何故です。何故、アリーを求めるのです?」

「違うな」

 レヴィアが、冷え切った声で遮るようにして言った。

「私が欲しいのは、そこの小娘ではない。魔女だ、魔女の力だ。魔女の力さえあれば、私は、私が夢見た望みを達することができる」

 気持ちが高揚したのか、レヴィアの顔に微かな朱が差す。声も、徐々に大きくなっている。

「強大な力を欲してまで、一体何を求めるのです?」

「知れたこと。我らが同胞を、真に解放するのだ。人間共に虐げられたこの国を覆し、かつての栄光を取り戻す。それこそが、魔族の血に課せられた、永遠の望みだ」

「国を、覆す……?」

 一瞬、ラインハルトが言葉に詰まった。微かに心が揺らいだのか、放っていた気配が若干乱れた。

 レヴィアが、大きく頷いた。

「そうだ。人間は、あまりにも身勝手が過ぎる。他者を虐げ、それでも満足せずに、さらに奪っていく。その実害を受けるのは、いつも我らが同胞だ。私は、それが許せぬ。断じて、許しておけぬ」

「そのために、魔女の力を使って、先生は何をするつもりですか……?」

 ラインハルトの声が、微かに震えている。

「人間を、この国の頂から引きずり下ろす。二度と、這い上がれないくらいに、徹底的にな」

 レヴィアの顔に、暗い笑みが浮かぶ。声も、心なしか低く重い。

「まずは見せしめに、王族を皆殺しにする。それから、王に近い者たちも処分していく。そうやって少しずつ、この国をあるべき姿に戻していくのだ。やがて、人間共は我らに対して恐怖を抱くだろう。己が犯した罪の重さと共にな」

 ラインハルトが一瞬唖然とし、それから俯いた。しかし、握られた拳はわなわなと震え、噛みしめているだろう唇の端からは、一筋の赤が伝っていた。

 レヴィアは、構わずに続けている。

「そのために、魔女の力は必要なのだ。魔力の制限を唯一受けぬ、圧倒的な存在。それさえあれば、どれほどの騎士がいようと敵ではない。仮初の平穏にしがみつく者たちが数多立ち上がろうとも、全て消し炭にできよう」

 一度手を前に突き出し、レヴィアが勢い良く握る。真顔だった彼の口の端に、微かだが挑戦的な笑みが浮かんだ。

 正直、アリーは恐ろしくてならなかった。レヴィアから目を逸らしてしまいたかったが、吸い寄せられたかのように目が離せない。

 一歩、レヴィアが近づいてきた。顔は、アリーのほうへと向いている。

「来い、魔女よ。お前を有益に使えるのは、私しかいない。私と共に、この腐りきった国を無に帰すのだ」

 レヴィアが、にやりと嫌な笑みを浮かべる。じっと見つめる黒の瞳は妖しく光り、アリーを捉えて離さない。寧ろ、どこか引き寄せられているような感じさえする。

 アリーは、得体の知れない異様なものを感じていた。頭の中がぼんやりとし、まるで本当に自分が求められているかのような錯覚に陥っている。

「見ちゃダメ、アリー」

 マリアの声が、不意に聞こえた。怯えているのか、少し震えている。

「あいつは、危険だ。あいつの底知れない魔力は、何をしてくるかわからない。だから、目を逸らして」

 マリアの必死な声が聞こえるが、アリーはそれをぼんやりとしながら聞き流していた。いや、ちゃんと聞きたいのに、耳に入って来なかった。

 意識が、どこか遠い。思考も鈍くなっている。

 無意識のうちに、アリーは一歩踏み出していた。二歩、三歩と、ゆっくりとレヴィアに近づいていく。

 その足が、不意に止まった。頭の中も、急速にはっきりしてくる。

「どけ、ラインハルト。私の邪魔をするな」

 ラインハルトが、アリーの行く手を遮るように立ち塞がっていた。

「いいえ、どきません。あなたに、アリーを渡すわけにはいかない」

「所詮は、王の犬の倅か。お前ならばもしやと思って目をかけていたが、とんだ期待外れだな。まったく、つまらん奴を弟子にしていたものだ」

「つまらなくても、期待外れでも結構。僕の理想とあなたの野望では、流れる血の多さが違う。何よりも、血濡れた世界にアリーを連れて行くことを、許すわけにはいかない」

「小僧風情が、知った風な口を利くな」

 レヴィアが、ラインハルトを見つめる。アリーの時と同じだ。黒の双眸は妖しく光り、ラインハルトの何かを引き寄せているような感じがしてくる。

 ラインハルトが、一度膝を折りかける。が、すぐに態勢を整え、ラインハルトは一度声を張り上げた。

 裂帛の気合、とでも言うのだろうか。ラインハルトの体の中から、激しい闘志が湧き出しているのを、アリーは感じた。

「ほう」

 レヴィアが、感心したように声を上げる。もうその双眸に、さっきのような妖しさはない。

「口先だけではないようだな。やはり、お前を殺すのは惜しいかもしれん」

 一度言葉を切ったレヴィアが、手を差し伸べるように前へと出す。

「私と共に来い、ラインハルト。お前の力は、国を守るために使うべきではない」

「断る。僕は、僕のやり方で、国を覆す方法を探す」

「考え直せ。お前ごときに何ができる。魔女という力が傍にありながら、何もせぬお前では、この国は変えられん。私ならば、魔女の力を最大限に使うことができよう。国を変えることなど、容易いはずだ」

「言ったはずだ。あなたの野望は、流れる血が多すぎると。血の臭いが染みついた国の上で、僕は胡坐をかきたくなどない」

「……そうか」

 溜息交じりに呟いたレヴィアが、キッとラインハルトを睨む。瞬間、殺気が辺りに立ち込めた。

 冷たく、それでいて肌を刺すほどに、空気が痛い。だが何よりも、アリーはレヴィアが恐ろしかった。

「これが最後だ。魔女を渡せ、ラインハルト」

「渡さない。この命に賭けても」

「ならば、ここで死ね」

 レヴィアが、右手を軽く振り上げる。その手を中心に、不意に黒い炎が燃え上がり始めた。

 強い魔力が、具現化したものだろうか。何もないのに薪が弾けたような音を立てながら、黒の炎は徐々に徐々に大きくなっていく。

 人の頭くらいの大きさになった時、レヴィアは炎をラインハルトに向けて放とうと、手を動かした。

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