7-15
魔女の頭上で、ぴたりと剣が止まる。父が、開いていた片方の手で、無理やり剣を止めていた。
驚きに満ちた二人の双眸が、アリーに向けられる。それらを、アリーは物怖じせずに受け止めた。
「待って、父様。そんなことしちゃ、ダメ」
「な、何を言っている、アリー? こいつがこれまで何をしたのか、お前自身が一番よくわかってるだろ?」
「うん。この子が、取り返しのつかない過ちを犯したのは、よくわかってるよ」
「だったら」
「だからこそ、だよ」
アリーはゆっくりと歩き、父と魔女の間に割って入った。
「この子は、本当は後悔してる。ううん。ずっとずっと、後悔してる。狂気に呑まれて隠れてるけど、今も苦しんでる。もう、終わりにしたいって」
「終わりに……?」
「うん。でもね、それは父様が選んだやり方で、ではないの。この子は、本当の意味で救われたいんだ」
怯えた目でアリーを見上げる魔女にそっと一瞥をくれてから、アリーは言った。
「どういうことだ、アリー。お前は、何を知ってるんだ?」
「私は、魔女の記憶を見た。魔女の心の声も、聞いた。彼女はね、本当の意味で救われたいんだ」
「本当の意味、だと?」
アリーは、大きく頷く。
「呪われた魔力がある限り、この子はずっと縛られ続ける。恨み疲れても、無理やり恨まされる。魔力がある限り、ずっと」
父は何も返さず、アリーの言葉を黙って聞いている。
「もう、魔女のせいじゃないんだ。今、この子を殺しても、いずれまた、悲劇の幕は上がる。それじゃ、誰も救われない」
だから、とアリーは自分の胸に手を当てる。自分に宿った新しい魔力が、不思議と胸の奥でかっと熱くなった。
「この子を、救うべきなんだよ。呪いを解いて、楽にしてあげなきゃいけないんだよ。そうしないと、もっとたくさんの人が死んじゃう。そんなのは、もういやだよ」
言い切ってから、アリーの胸に何かが去来する。ずっともやもやしていた、曖昧なもの。その靄が、晴れていく。
――ああ、そうか。
思いを口に出して、漸く自分の答えを、アリーは見つけた気がした。
魔女に向き直って屈みこみ、アリーはそっと手を差し伸べる。
「やっと、わかったよ。私が、生まれてきた意味が」
怯えて困惑する彼女に、アリーはにこりと微笑みかけた。
「私は、あなたを救うために、生まれてきたんだね」
「あっ……」
魔女が驚いたような顔をし、それから泣きそうなものを浮かべる。
さっきまでの、狂気に満ちた魔女の顔ではない。ちょっと前に話した、正気に戻った魔女のものだ。
ただ、魔女から発せられている気配は、不安と疑心でか、ちょっとだけ不安定に揺れ動いているように思えた。
「どうして、アリー? なんでわたしを、助けてくれるの? わたしは、あなたを殺そうとしたのに」
「あなたに、これ以上傷ついてほしくないからだよ。誰かを傷つけて、苦しんでほしくないの。あなたは、本当は優しいから」
もう一度アリーが微笑みかけると、魔女は勢いよく跳びついて来て、大声で泣きだした。差し出した手は、しっかりと握られている。
ふと視線を感じて振り返ると、寂しげな顔をしている父と目が合った。
「呪いを解く。それがどういうことか、わかっているのか?」
父の問いに答えるように、また魔力が熱を上げた。何となくだが、それだけでもアリーは察した。
「うん。ごめんね、父様。でもこれは、多分私にしかできないの」
はっきりと言うと、父が俯いて大きく溜息を吐いた。
「魔力が、戻ってるんだな。俺が死んで、どこかへ消えていたはずの、お前の魔力が」
「うん。一冊の本に宿ってて、私はその力を、自分の中に招き入れたよ。ずっとずっと私を探してて、気づいてくれるのを待ってた、私自身の魔力を」
「そしてその魔力が、お前に道を指し示した、か」
「ううん」
首を振って、アリーは父に笑いかける。
「多分、魔女のことに気づいた時から、ずっと思ってたんだと思う。あの子を、何とかしたいって。涙を、止めてあげたいって。魔力は、背中をちょっと押して、それに気づかせてくれただけだよ」
「……そうか」
ゆっくりと、父が顔を上げる。上げられた顔は、諦めたような笑みが浮かんでいた。
「やっぱ、マリーの娘だな。本当に、優しい子だよ、お前は」
父が剣を収め、魔女に近づいていく。魔女は気づいて、泣くことをやめて怯えていたが、アリーは大丈夫、と優しく囁いた。もう、父から殺気は消えている。
父が、ゆっくりと魔女に手を伸ばす。魔女は怯えて目をぎゅっとつむっている。
大きな父の手が、そっと魔女の頭に触れた。
瞬間、魔女の体を光が包む。揺らいでいた魔女の気配が、驚くほどに落ち着いた。
「父様、これは」
言いかけて、アリーは息を呑んだ。父の姿が、霞んで見える。体が半透明になっていて、父の体越しに反対側が見える。
「俺の残った魔力で、こいつの狂気を抑え込む」
うろたえるアリーに、父は優しく微笑みながら言った。
「少しの間は、こいつは正気のままでいられるはずだ。狂気に呑まれて、お前や誰かを必要以上に傷つけたりはしないだろう」
「な、なんで……?」
魔女が、恐る恐る顔を上げて言った。
「なんで、わたしにそんなことをしてくれるの? そんなことをしたら、あなたは」
「いいんだよ」
魔女の頭を撫でながら、父は言葉を続ける。
「どうせ、俺の魔力は長くはもたない。ここに出るだけで、結構魔力を消費したからな。無駄に尽きて消えちまうくらいなら、せめて娘の願いの役に立ちたい」
「父様」
立ち上がり、アリーは父に抱き着く。大きくて、硬い体。その体は、氷のように冷たくなってきている。
アリーは、顔を上げた。見上げる世界は、涙で歪んで見えた。父の微笑んだ顔も、ぼやけて見える。
「ごめんな、アリー。勝手ばっかりする父親で。もっとたくさん話したかったのに、どうやら謝ることしかできないみたいだ」
「本当だよ、父様。私だって、たくさんお話ししたかったのに。まだ、母様がどんなに大変だったかも、聞いて貰ってないのに。本当に、勝手すぎるよ」
「ああ、本当にな。本当に、ごめんな、アリー」
優しく抱きしめて頭を撫でてくる父に顔を押し付け、アリーは声もなく泣いた。
その父が、アリーの体をそっと離し、ゆっくりと距離を取っていく。
アリーは手を伸ばしたが、それも虚しく宙を掻いた。駆け寄ろうにも、足は縫い付けられたように動かない。
「お前が本当に、魔女を救いたいのなら」
少し離れたところで立ち止まり、父が口を開いた。
「森の奥にある村を目指せ。そこに、お前が求める答えの手がかりがあるはずだ」
父の言葉に、アリーは何度も頷いた。悲しくて寂しくて、声は出てこない。それでも、無理やり笑って見せた。
父が、口元に笑みを浮かべる。もう消えてしまうのか、父から色がどんどん失われていっている。
そんな中でも、父はアリーをじっと見つめたまま、視線を離さない。
「……ああ、そうだ。言い忘れるところだった」
今にも消えそうな父が、思い出したように口を開いた。
「魔女に人間と一緒になるよう仕向けられても、俺はマリーのことを愛していたよ。心の底から、本当に愛していた。マリーがいたから、俺は充実していたし、何よりもお前に会えた」
父が、にこりと優しく微笑んだ。
「ありがとな、アリー。俺の娘として、生まれてくれて。誰よりも優しい子で、いてくれて」
じゃあな、俺の大切な、愛娘。
その言葉が呟かれるのと同時に、父の姿は煙のように消えた。
「父様」
叫んだ声は虚しく響くだけで、その声もすぐに暗がりに呑まれて消えた。
それでも、アリーは少しの間、父がいた場所から目を離すことができなかった。
「ねえ、アリー」
魔女が、真後ろから弱弱しい声で話しかけてくる。
「本当に、いいのかな? わたしなんかが、救われても」
「いいんだよ」
振り向かずに、アリーは言った。
「あなただって、苦しんでたんだもの。優しいあなたが、あんなになってしまうほど、苦しんだんだもの。もう、終わりにしなきゃ」
「本当に、いいの?」
「うん。それに、私なんかなんて、言わないで。父様が、せっかく時間をくれたのに、そんな寂しいことを言わないで」
「……ごめん」
沈んだ声で、魔女が言った。
ほんの少しだけ、沈黙が流れた。
「あのさ、アリー」
緊張した声で、魔女が言った。しかし、言い淀んでいるのか続きはなかなか出てこない。
アリーは、ただ待った。魔女の心の整理がつくまで、じっと待ち続けた。
やがて意を決したのか、魔女の声がはっきりと聞こえた。
「わたし、救われたい。もう、いやなの。辛いことは、たくさんなの」
「大丈夫だよ」
振り返り、魔女の瞳をしっかりとアリーは見据える。
「あなたのことは、私が必ず救って見せるからね」
にこりと微笑みながら言うと、魔女はぎこちない笑みを浮かべて頷き返してくれた。




