7-14
「そうだな、アリー」
不意に、どこからか声が聞こえた。とても懐かしい、男の人の声。
瞬間、首にかけたペンダントが明滅し、眩い光がアリーを中心に放たれて辺りを包み込む。
「な、何なの!?」
魔女が手を止め、咄嗟に離れる。
アリーにしがみついていた骸骨は、広がる光に呑まれ、薙ぎ払われるように弾き飛ばされていった。
一体が、それでもアリーから離れず、首に手をかけている。変わらない強さで締め上げてきて、息ができないほど苦しかったが、不意に呼吸が楽になった。
「いい加減離れな」
冷めた声が聞こえたのと、骸骨が投げられたのは、ほぼ同時だった。
ハッとしてアリーが声の方に顔を向けると、見知らぬ男がアリーの右隣に立っていた。
いや、違う。男の顔には、はっきりと見覚えがある。横顔しか今は見えていないが、アリーにはそれだけでも彼が誰だか、すぐにわかった。
「とう、さま?」
掠れながらも震える声で呼びかけると、男がアリーに顔を向け、口元だけで笑った。
やはり、父に間違いない。アリーの記憶の中に鮮明に残る精悍な男の顔は、間違えようもなかった。
「大きくなったな、アリー」
「父様」
アリーは父の胸に飛び込み、力いっぱい抱きしめた。とても大きくてごつごつしていて硬かったが、体を預けていると不思議なほどに落ち着いて来る。
しかし父は、何も返しては来なかった。ちょっとだけ寂しく思いながら視線を向けると、父の目はまっすぐ魔女に向けられていた。
「積もる話も言わなきゃいけないこともあるが、まずはあいつをどうにかしないとな」
「う、うん。そうだね」
父から離れ、アリーは魔女のほうへと顔を向ける。
魔女は、明らかに動揺していた。狂気の全てが、どこかへ行ってしまっている。
「まさか、そんなまさか……。なんで、アナタがここに現れるの……? アナタは、あの時殺したはず」
「そうだな。確かに俺は、あいつに裏切られて、命を落とした。お前の魔力に踊らされた、あいつの手でな。実際、この体は生身じゃねえし、どうやったって生きた世界に返ることはない」
だが、と父が挑戦的な笑みを浮かべて、言葉を継ぐ。
「魔力の中でなら、話は別だ。知ってるだろ、俺が魔力を奪い取るのが得意だってことは。当然、逆に与えることも容易にできる。俺は、万が一に備えて自分の魔力を、このペンダントに流し込んだ。自分の生命力の一部と一緒にな。その中でなら、魔力が尽きない限りは、俺は生きていられる」
「どうして、そんな真似を……?」
「お前を消して、アリーを守るためだよ」
ちらりと横目でアリーを見ながら、父が言った。
「魔女に取り殺される前に、お前を仕留める。そんなことが少しでも可能なら、手を打つのは当たり前さ。本当は、こんな方法を取りたくはなかったんだがな」
仕留める。その言葉に、アリーはチクリとした痛みを覚えた。
「……いつからなの。ワタシの思惑に気づかなければ、こんな手の込んだことはできない。いったい、いつから」
「お前の魔力を、この身に取り込んだ時からだよ」
遮るように言い、父が一歩前へと進む。魔女がびくりと体を震わせ、一歩後退った。
「得体の知れない魔力の存在を知り、その力を取り込んだ時から、お前の悪意を俺は感じ取っていた。怨念とも言えるような、暗いものをな。実際、怨念に近いものだったってのは容易に想像がついた。その魔力からは、血の臭いしかしなかったのだから」
父が、また一歩進む。魔女が、怯えたような顔をして後退る。
「この力は、何とかしなければならない。そう思って吸収し切ろうとしたが、無理だった。お前の力はほんの一部だってのに、俺を遥かに上回っていて、とてもじゃないが制御しきれるものではなかった。俺を、魔王として上書きしちまうくらいに、強かったのだからな。それでも、この魔力は消さなければならないって、俺は思い続けていた」
一度言葉を切り、父が二歩進む。魔女は震えながら、一歩だけしか下がっていない。
「考えに考え、気づいたんだ。消すためには、実体のないお前を直接捉えるしかない、ってな。魔力そのもののお前は、入れ物を壊しても消えない。ならば、お前のいる世界にこちらから出向いて、仕留めればいい。そのためには、道を開く必要があった」
父が、もう一度ちらりとアリーを見る。その瞳は、微かな後悔が顔を覗かせていた。
「魔女への道は、巫女の資質を持った者だけが開ける。今の状況で言うならば、魔王として選ばれた俺の子でなければ、それは叶わない。アリー、お前に道を開かせることで、俺は魔女を仕留めに行くつもりだった」
「父様が、魔王として選ばれた? 魔女を、仕留めに?」
少し混乱して、思わずアリーは聞き返していた。
しっかりと振り返った父が、ゆっくりと頷く。
「魔王に選ばれるってのはな、魔女に選ばれるってことなんだ。この国にある魔力は、今では全てが魔女の魔力だ。そして、魔女が自分の入れ物を生み出すために、より強力な魔力を持つ魔族を選ぶ。そうやって選ばれた魔族は、魔王として君臨して、やがて人間と交わる。そう言う風に、仕向けられるんだ。自然とな」
何か聞きたくないものを聞いた気分になり、アリーは少しだけ薄ら寒い思いに駆られた。
それを知ってか知らずか、父の瞳に罪悪感の色がありありと映る。その色は、アリーの嫌な思いを、ほんの少しだけ紛らわせた。
「そうして生まれた混血児は巫女となり、その記憶を受け継がなければならない。俺は、それを知っていた。知っていながら、お前の母さんと一緒になった。アリー、お前が辛い思いをするとわかっていたのにな」
一度言葉を切った父が、寂しそうに空を見上げた。
「……酷い男さ、俺は。拭いきれない罪悪感を感じながらも、お前を利用して自分の本懐を達そうとするんだから、なおタチが悪い」
「利用?」
「ああ。巫女であるお前は、いずれ魔女の記憶を求める。そして、いつか必ず魔女への道が開かれる。俺は、お前が生まれる前からそう信じていた。信じていたからこそ、お前が生まれた時に、俺はその体に宿っていた魔力を奪い取ったんだ。体に魔力がなければ、魔女はアリーの中に入ることはできないからな。中に入れなければ、他の巫女みたいにすぐに取り殺されることもない」
「ありえない」
冷たい魔女の声が、割って入ってきた。
「そんなバカなことが、あるわけない。アリーがもしも魔女の記憶を求めなかったら、どうするつもりだったの? もう、肉体もないくせに」
「いいや、絶対に求めるって、確信はあった。さっきも言ったが、アリーはお前の記憶を受け継いだ、巫女だ。もっと言ってしまえば、半分以上はお前そのものだ。お前もわかってるだろう? 巫女は、巫女だった頃のお前の記憶を、無意識に求める。人が足りないものを本能的に求めるように、巫女もまた、欠けてしまった自分を追い求める。そうでないと、自分を保てなくなるからな」
「……だからと言って、絶対にそうなる確証はないわ」
「そうかな。お前は魔力でできた存在だ。魔力を持つ者の意識に入ることくらい、訳ないだろう。仮に巫女が記憶を求めなくても、お前が入り込んで、無理やり記憶を見せることだって可能なはずだ」
魔女が、唇を噛んで父を睨みつける。しかし、それが虚勢を張っているのに過ぎないことは、アリーの目でもよく分かった。
「まあ、真実はどうでもいいさ。結果として、アリーは記憶を最後まで追い求め、お前の許へと辿り着いた。そして、俺もな」
父が、腰に佩いていた剣を一息に引き抜いた。
アリーは、ひどく動揺していた。自分が、望んでいないことが起きようとしている。
「そのペンダント、ちゃんと身に着けてくれてありがとな、アリー。おかげで俺は、ここまで来れた。生きていては届かなかった、この場所まで」
「えっ」
一瞬、アリーの理解が追い付かなかった。
聞き間違いかと思ったその言葉は、確かに現実のものだ。耳の奥で、何度も反響している。
「ま、待って。それって、どういうこと?」
問いかけてから、アリーの頭の中に閃くものがあった。
「父様は、まさか」
「アナタは、まさか」
アリーと魔女の、問いかける声が重なる。
「……そうだ。敢えて、死ぬことを選んだ。魔女、お前の意識から、俺が消えるためにな」
父が魔女に歩み寄って行く。魔女もまた下がっていくが、それよりも父が迫る方が早い。
「本当ならば、こうならないほうがよかった。いや、気づかなければ、俺は普通に生きられたのかもな。大切な人と離れなくてもすんだし、先祖の大事なペンダントも、こんなことに使うこともなかった。けどな」
怒気の籠った声が放たれ、次いで空気が痛いほどに震えた。
魔女の足が止まる。表情は、恐怖で歪んでいる。
「俺が気づかなければ、また別の誰かが死ぬ。お前に取り殺される奴や、お前の幻影に怯える奴に殺される。そんな連鎖は、もういらねえんだ」
父が、魔女の間近に迫る。足が動かないのか、魔女はもう、後退ることはしない。
「……アナタに」
ぽつりと、魔女が呟き、キッと父を強く睨んだ。
「アナタに、何がわかるのよ! 奪われた者の気持ちの、何がわかるの!」
「うるせえっ!」
父の怒鳴り声に、魔女はびくりと体を震わせた。アリーもまた、自分が言われたかのように、体が硬直した。
「それはもう、お前が言えることじゃねえよ。お前だって、数えきれないほどの命を奪ってるんだ。今更、自分だけが悪くないみたいに言うんじゃねえ」
「で、でも、ワタシは」
「もう、何も言うなよ」
父が遮るように言い、剣を振り上げる。
「俺は、お前をここで消す。そのために、あの日死ぬことを選んだんだからな」
「ひっ……!」
振り上げられた剣に怯え、魔女が腰から落ちて座り込む。両の目には涙がうっすらと滲み、体は小刻みに震えている。それでも手を振りかざし、炎を生み出して放つも、父は炎に包まれながらも平然としている。
魔女が、愕然とする。父は、変わらない冷たい眼差しを、魔女に向けている。
「言っただろ、魔力が尽きない限りは生きてられるって。そして俺は、魔力を奪い取れる。魔法で生み出された攻撃じゃ、俺は殺せねえよ」
父を覆っていた炎が、すぐに消えた。身に纏っているものも魔力でできているのか、焦げの一つもついていない。
「もう、終わりにしようぜ。お前は、長い間殺し過ぎた」
父の冷たい声に、魔女が必死な声で喚く。
「イヤ、イヤよ! ワタシは、こんなところで消えたくない! ワタシは、アノ人の無念を晴らすの。ワタシは、まだ……!」
悲痛な叫びも、父には届いていない。全てを聞き流している。
父の、剣を握る手が強く絞られた。刹那、鋭い殺気が放たれる。
そして、勢い良く剣が振り下ろされた。
豪風。空を立ち割るような音が、束の間鳴り響く。
しかし、その音を掻き消すように。
「待って」
アリーは、大声で叫んでいた。




