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私を忘れて  作者: 千変万化
七章 「魔女」
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7-12

 アリーが目覚めた時には、既に外は真っ暗だった。

 いつの間にかベッドの上にいて、アリーはちょっと小首を傾げたが、自分が魔女に体を貸したことを、唐突に思い出した。

 そっと、アリーは自分の頬を引っ張ってみた。徐々に徐々に力を入れて引っ張っていくと、少し痛くなってきて、アリーはそこでやめた。

 間違いなく、自分に意識がある。信じていなかったわけではないが、アリーは無事に目覚めることができて、少しほっとしていた。

「どんな話をしたんだろ」

 ベッドを降りてから、アリーは少し考えてみた。もちろんわかるはずもなく、ただただ気になるばかりだ。

 周囲を見渡してみると、この家屋には一部屋しかないことがわかった。部屋の隅に調理場があり、家具は小さなベッドと机に、イスが二つ、あとは食糧棚がある程度だ。これだと、一人か二人が何とか暮らしていくのが限界かもしれない。

「目が覚めたんだね、アリー」

 物音に気付いたのか、ラインハルトが家屋の外から入って来る。休まずに何かをしていたのか、鎧も冑も身に纏ったままだ。

「うん。ごめんね、迷惑かけちゃって」

「迷惑だなんて、思ってないよ。君は君で、大変なんだから」

 鎧と冑を脱ぎながら、ラインハルトが困ったように笑って言った。

 ラインハルトの言葉に、アリーは少し含みを感じた。どう返していいのかわからず、ちょっと戸惑って口籠る。

 そんなアリーをよそに、ラインハルトはイスに座った。座るように促す視線に頷き、アリーもまたイスに座る。

 ラインハルトと、机を挟んで向き合う形になった。机の上には、火の灯った太めの蝋燭がちょこんと置かれている。

「もう、いい時間だよ。少しだけど、食べておかないと」

 ラインハルトが、袋に残っていた小さなパンを二つ取り出した。

 この部屋の中には、保存できそうな非常食がいくつか置いてある。状態もまだいい方で、食べることには何の差支えもないだろう。

 だが、誰のものかわからない食べ物に口をつける気が、ラインハルトは起きなかったのだろう。アリーも、ちょっと気が引けてしまう。

 パンを受け取り、アリーは大事に味わいながら食べた。

 元々小食のアリーはそれだけでもそこそこお腹が膨れたが、ラインハルトはちょっと物足りなそうな顔を一瞬だけした。

「足りたかい、アリー?」

 自分のほうが足りてないだろうに、ラインハルトが心配そうな顔をしながら、アリーに問いかけてくる。その優しさが少しだけ申し訳なくて、アリーは大丈夫、とできる限りの笑顔を見せた。

 ラインハルトが、少しほっとした面持ちで頷いた。

「ねえ、ラインハルト。魔女と、どんなお話をしたの?」

 一息入れてから、アリーは気になっていたことを聞いた。

 ラインハルトの表情が、束の間曇る。だがそれも、すぐにどこかへ消えた。

「僕の理想のことと、君のことだよ」

「もしかして」

「……うん。君が、本当に魔女の生まれ変わりだってことは、魔女から聞いた。君が、僕の知らないところで頑張っていたのも、確かに聞いたよ」

 少し言いづらそうにしながら、ラインハルトが言った。

 アリーはその言葉に、俯いた。まだ打ち明けられるほどには心の準備ができてなかったから、微かな動揺と少しの恐怖が胸の内に広がりつつある。

「知られちゃったんだね。ごめんね、ラインハルト。今まで、黙ってて」

 内心を悟られないように、アリーは無理やり困ったような笑みを浮かべた。

 しかし、ラインハルトは笑い返してくれない。それどころか、ちょっとだけ、怒ったような顔をしているように見える。

「いいんだ、って言いたいところだけどさ。本当は、僕にだけは教えてほしかった。たった一人で、苦しんでほしくなかった」

 怒ったような声に少し寂しさが混じっていて、アリーはちょっと焦ってしまった。焦って、次の言葉が出てこない。

 ラインハルトが、尚も言葉を続ける。

「ここまで、一緒に旅をしてきたんだ。楽しいことも辛いことも、分かち合ってきた。それでも君の苦痛を、本当に理解はできないかもしれないけれど、君を支えることぐらいは、僕にだってできるはずだよ」

 全然頼りないけれどね、とラインハルトが自嘲気味に笑いながら言った。

 そんなことない、と言おうとしたが、やっぱりアリーは言葉が出なかった。妙に、あたふたしてしまっている。

「あの、その、ごめんなさい」

 ちょっとの間が空いてから、アリーはしゅんとしながらその言葉をやっと口にできた。

 ラインハルトが、ばつが悪そうに困ったように笑う。それでもやっと笑ってくれたことに、アリーは少しほっとしていた。

 それから、ラインハルトは自身が魔女と話したことを聞かせてくれた。少し言いづらそうなこともあったのか、いくらかぼかされた感じがしたが、アリーはそこを深く追及することはしなかった。

「ねえ、ラインハルト」

 ある程度話を聞き終えてから、アリーは少し緊張したような声音で言った。

「あの子は、他に何か言ってた?」

 アリーの言葉に、ラインハルトがいくらか間を置いてから答える。

「……救われたい。悲しそうに、そう言っていたよ」

「そっか。そう、だよね」

 頭の中で、魔女の思いがぐるぐる回る。

 そんなこと、考えなくてもわかるはずだった。ずっと辛くて、苦しくて、それでも消えない憎悪に従って。長い長い時を、たった独りで抗い続けた。もう投げ出してしまいたかったのに、戦い続けていた。

 きっと魔女は、ずっと救われたかった。終わりにしたかったのだ。しかし、アリーはそれに気づいてあげられなかった。

 ただ、気づけなかったために、気づいたこともある。

 魔女とちゃんと話をしてみて、自分と魔女は違う人なのだということを、アリーはぼんやりと思い始めていた。確かにこの体も魔力も魔女が元であり、アリー自身も魔女であることには変わりない。しかし、胸に抱いた様々な思いは、それぞれのものである。

「なんで、最初から気づけなかったんだろ」

 口の中で呟いて、アリーは少しだけ後悔した。

 しかしそれも、別の思いが掻き消す。

 魔女のために、自分ができること。今はそのことばっかりが、胸の内を駆け回る。

 アリーには、一つの答えが見えつつあった。その答えは、自分が何のために生まれてきたのかという理由にも、繋がっている気がする。

「あの子は、独りぼっちだもんね。辛いに決まってるよ」

「独りぼっち、か」

「うん。巫女の体を貰っても、抱いた思いはあの子だけのものだよ。痛みも苦しみも、全部あの子が一人きりで抱えて、多分ずっと泣いてたんだ」

 知らない間に流れていた涙を指でそっと拭い、アリーは続ける。

「私、どうして気づいてあげられなかったのかな。あの子のことは、誰よりもわかるはずなのに。誰よりも、傍にいたのに」

 ラインハルトは何も言わない。嗚咽が漏れ、両の手で顔を覆って涙を拭うアリーを、じっと見つめて来るばかりだ。

 しばらく、互いに言葉を見つけられないかのように、会話はやんだ。

 閑静な小屋の中は、アリーの啜り泣く声が聞こえるばかりだ。それも少ししたらやみ、重い沈黙が流れ始めた。

「……あのさ、アリー」

 ラインハルトが口を開いたのは、蝋燭の芯が半分くらいになった頃のことだった。

 妙なほどに緊張した面持ちのラインハルトに、アリーは疑問の眼差しを投げかけた。

「君に、隠していたことがあるんだ」

「隠し事?」

「うん。こんな時に言うものじゃないのは、わかっている。けれど、君の秘密ばかり知って僕が話さないのは、卑怯だと思ったんだ。だから、話すよ」

 一度言葉を切り、ラインハルトが顔を俯けて口を閉ざす。しかしそれも束の間で、ラインハルトが何かを決めたように顔を勢い良く上げ、じっとアリーを見据えてから、口を開いた。

「……僕には、婚約者がいるんだ」

「えっ」

 一瞬、何を言っているのかわからなかった。アリーは、唖然としながらラインハルトを見ていることしかできない。

 ラインハルトが、アリーに構わず話を続ける。

「婚約者は、この国の王女なんだ。天真爛漫な少女で、どうしてか僕に好意を寄せてくれている。その彼女を、この旅を終えたら妻にしなければならない。王の命令で、拒むことは許されない」

 ラインハルトが言い終えても、アリーは呆然としたままだった。当然、殆ど頭に入ってきていない。

 胸の中が、隙間風が吹き荒んでいるかのように冷たい。自分が抱いている想いが、行き場を失ってさまよっているのが、アリーには手に取るようにわかった。

 その想いが、どろりとした何かにぶつかる。気味の悪いほどに、重くて冷たいもの。それはさながら、自分が抱いたことがなかった感情が具現化したものか。

 不意に襲ってきたその感情に、アリーはほんの少し戸惑ったが、それもすぐに馴染んだ。寂しさと、多分嫉妬。胸に広がるその思いが、どす黒い何かを呼び寄せているような気がした。

 しかしそれは、突然響いた机を叩く音に掻き消された。

「でも!」

 ラインハルトが、勢いよく立ち上がっている。あまりにも力強い大きな音と唐突な行動に、アリーはきょとんとしながらラインハルトを見た。

「僕は、そんなことを望んじゃいない。僕が一緒にいたいのは、彼女じゃない。ずっと、一緒にいてほしいのは」

 言葉を切り、ラインハルトがゆっくりとアリーに近づいて来る。

 ラインハルトが間近に迫った時、アリーは無意識のうちに立ち上がっていた。

 互いに、見つめ合う。力強い瞳と、不安に揺れている自分のそれが、束の間交じり合った。

 アリーは、自分の胸が高鳴っていることに、ふと気づいた。さっきまでの暗い思いは影を潜め、今は何かを期待しているような気持ちになっている。

 そのアリーを、ラインハルトは待たせはしない。

「……アリー、君だけなんだ」

 紡がれた言葉は、少しだけ震えていた。

 アリーは何も返せず、ただ目を丸くすることしかできなかった。

「ずっと、迷っていた。理想を叶えるために、家名を取るか。大切な人のために、目の前の現実を取るかって。僕は、理想を捨てられない。けれど、同じくらい、君も大切なんだ。どちらも大切だ。だからこそ、ある時から悩みに悩んでいた。心の声が聞こえなくなるまで、ずっとね」

 一度言葉を切り、ラインハルトが優しく微笑んだ。

「でも、すぐに答えを出さなくてもいいんじゃないかって、気づいたんだ。君と一緒にいながら、答えを探し続ける。そんな未来を夢見ても、いいんじゃないかって」

「で、でも」

 やっと絞り出せたアリーの声は、ラインハルトよりずっと震えていた。

「私は、魔女なんだよ? 私と一緒にいたら、あなたは苦しんじゃうかもしれないんだよ。それでもいいの?」

「構わない」

 ラインハルトが一歩歩み寄り、アリーの体をそっと抱き寄せた。

「あっ」

 いきなりのことでどぎまぎしたが、体に伝わるラインハルトの温もりが妙に気持ちを落ち着かせ、アリーは素直に体を預けた。

 ラインハルトの鼓動が伝わる。緊張しているのか、少し速い。

 しかし、それはアリーも一緒だ。もしかしたら、もっと速いのかもしれない。多分、ラインハルトにも伝わってしまっている。

「前に言ってくれたよね。僕は僕だって。名家の生まれでも、僕自身に変わりはないって。僕も、同じなんだ。君が魔女だろうが何だろうが関係ない。君がアリーだから、僕は一緒にいたいんだ」

 ラインハルトが、アリーの耳元にそっと口を近づけ、呟くように、だけどはっきりとした声で言う。

「愛している、アリー。この世にいる、誰よりも」

 耳元で囁かれたその言葉は、アリーの気持ちを乱すのに十分だった。

 アリーを抱きしめるラインハルトの腕に、ほんの少し力が加わる。ちょっとだけ、本当にほんのちょっとだけ苦しかったが、それ以上にアリーは嬉しかった。

 アリーは顔をちょっと上向け、上目でラインハルトを見る。

「私も」

 無意識のうちに、口が動く。胸が高鳴り、顔が燃えてしまっているかのように熱いが、それでも言葉を止めようとは思わない。

「私も、あなたが好き。大好きなの。叶うことなら、ずっとずっと、あなたと一緒にいたい」

 言い切るのと同時に、アリーの答えを返すかのように、ラインハルトがさらに強く抱きしめてきた。

 アリーは拒むことなどせずに、ラインハルトの胸に顔を寄せ、嬉しさと恥ずかしさで泣きそうになったそれを隠した。しかし、多分まったく隠せていない。耳まで真っ赤になっているのがわかるくらい、顔も体も熱かった。

 ラインハルトの小さく笑った声が、頭上から聞こえる。

「約束しよう。僕らは、ずっと一緒だ。どんな道も、一緒に歩んでいこう」

「うん、約束」

 泣きそうな震えた声を出してから、アリーは徐に顔を上げ、自分の小指をそっと立てた。ラインハルトが柔和な笑みを浮かべ、優しく小指を絡める。

 約束だよ、と二つの声が重なる。それは一切のずれがなくて、互いに顔を見合わせてから、二人して笑った。

「……必ず、君を守るよ。何があっても、必ず」

 一頻り笑ってから、ラインハルトが耳元で囁くように言った。

 アリーは頷き、照れたように笑った。

 あまりにも幸せで、妙な温かさがアリーの心を満たしていく。同時に、ちょっとだけ罪悪感が湧いた。自分だけ、こんな気持ちになっていいのだろうか、救われてもいいのか。そんな気持ちになる。

 ――救う?

 何気なく思ったことに、アリーは内心でハッとした。自分に、いや自分にしかできないことが、朧気だが見えた気がした。

 ――私に、できるのかな。

 一瞬よぎった不安も、目の前の大切な人が全て拭い去っていく。ラインハルトが傍にいてくれるだけで、アリーは勇気が湧いてくる。

「アリー?」

 不安が表情に出ていたのか、ラインハルトが少し顔を曇らせながら言った。

 アリーは、小さく首を横に振る。

「ううん、何でもないよ。今になって、ちょっと恥ずかしくなっただけ」

 言って、アリーはまたラインハルトの胸に顔を埋めた。少し慌てたのか、より高々と鼓動が鳴っている。それを聞きながら、アリーは微かに口を動かした。

「私、頑張ってみるから。あの子のために、頑張るから」

 強い決意を秘めて口の外に出したにしては、その声はあまりにも小さく、自分の耳にだけ届いては、すぐに消えていった。

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