7-9
「……わからない」
その言葉が出たのは、少しの間が空いてからだった。
「本当は、わからないんだ。国を恨んでいるのは、本当の気持ち。でも、滅ぼしたいのとは、ちょっと違うかもしれない」
「じゃあ、やめよう? そんなに辛そうな顔をしてるのに、無理して自分をごまかす必要はないよ」
「そうは、いかないよ」
魔女が、泣きそうな顔で言う。
「わたしは、恨みの中で生き過ぎた。恨みの中で、多くを犠牲にし過ぎた。今更、恨みを晴らす以外に、生きることはできないよ」
「じゃあ、もしもこの国を滅ぼしたら、あなたはどうするの?」
「それは」
言葉に詰まった魔女が、また俯く。
「……だったら、わたしはどうすればいいの? わたしのせいでたくさんの人が死んだのに、今更投げ出してもいいって言うの?」
「そうは言わないよ。でも、滅ぼす以外のやり方だって、あるはずだよ。人はきっと、わかり合えると思うから」
「憎い仇が、相手でも?」
「うん。だって、その人だって生きてるのだから。生きてれば、いつか言葉を届けられるかもしれない。届いたら、心を通わせられると思うんだ」
にこりと精一杯微笑みながら、アリーははっきりとした口調で言った。
魔女が一度溜息をつき、困ったような顔をした。さっきまでの狂気は、どこかへ消え去っている。
「……やっぱり、あなたのことはわからない。あなた、変わってるもの。最初から変わってると思ってたけど、ここまでだとは思ってなかった」
「私は、やっぱり変な子?」
「うん。他の子たちと、何もかもが違う」
「そっか。そうだよね」
はっきり言われてちょっとだけ傷つき、束の間俯いたが、アリーはすぐに魔女へと顔を向けた。
「ねえ、どうして私は特別なの?」
不思議と、今ならちゃんと会話できる気がして、アリーは自分の疑問を思い切ってぶつけた。
「簡単だよ。あなたは、本当にわたしの生まれ変わりだから」
魔女が、何かを思い出すように、遠くを見る目をした。
「あなたのお父様である魔王は、魔力を他者から奪える珍しい方だったの。まあその頃はまだ魔王じゃなかったけど、とにかくその人が、あるものに宿っていた魔力を、危険に感じて自身が吸い取った。それこそがわたしの魔力の一部であり、時をかけて魔王の魔力と溶け合った」
魔女が一息つき、さらに言葉を紡いでいく。
「彼の魔力は、今の時代では異常なほどに強いものだった。それをたまたま見つけ、溶け込めたのは、わたしにとって僥倖だった。だって、言うなれば自分を生み出すようなものだもの。自分の魔力で形成したその体は、いずれ思う様に動かせる。他の子みたいな、奪った巫女の体をうまく動かせないことも、ないはずだったから」
結果としてアリーは無事に生まれ、魔女がそのまま体を乗っ取る。そのはずだった、と魔女は言った。
「生まれたあなたは、わたしと同じくらいに魔力を扱える資質を持ってるのに、魔力そのものが体になかった。混血児に、普通そんなことはあり得ない。魔王と人間の子に生まれたなら、尚更だよ。わたしの目論見は、泡のように消えた。わたしは魔力がないと生きられないから、仕方なくあなたから離れ、別の体を探しに行ったの」
魔女の言葉で、自分に知識があった理由を、アリーは漸く納得した。本当にこの体が、魔女の入れ物だったことも、痛いほどに理解した。
「だったら、どうして私はあなたにまた選ばれたの?」
「あなたが、わたしの本を持っていたからだよ」
「魔女の書を?」
魔女が小さく頷く。
「あの本は、わたしの記憶そのもの。わたしが自分を忘れてしまわないための、魔法の本。そして、わたしにふさわしい体を探すための、エサ」
恐ろしいことをサラッと口にされて、アリーはちょっとびっくりしたが、魔女にはさっきの狂気はもうなかった。
「最初は、わたしを忘れないために、あの本を生み出した。狂気に蝕まれていても、時々今みたいに、正気に返ることがあったの。その時に、わたしは自分の記憶を魔法で本に変えた。でも、その時に膨大な魔力まで、その本に移ってしまってね。呪われた魔力だから、当然だけど強大な魔力をその本は求めた。いつからかその本は、魔女となりうる人を待つ本になってしまったの」
「で、でも、本を持ってたのは、普通の人間だったよ?」
「本自体は、誰だって持てるよ。本は、自分では動けないから。でもね、長く待ったんだと思う。本の中身、結構掠れてたりしてたでしょ?」
アリーは頷く。何度も何度も読んだ魔女の書は、中身を見なくてもどんな状態だったかさえ、鮮明に思い返せる。
「生み出したのはずっと昔だったから、本は少しずつ魔力をなくしてしまってた。いくらわたしの魔力でも、無尽蔵ってわけじゃない。魔力で生み出した本だから、魔力が消えてしまったら本もなくなってしまう。多分、もう何年かくらいしかもたなかったはずだよ」
でも、と魔女はアリーを指さす。
「そんな時、あなたが現れた」
魔女の言葉に、アリーは思わずどきりとした。
「魔力はなくても、あなたには資質がある。何よりも、本があなたを選んだ。ここからは憶測だけど、本はあなたにわたしの記憶を見せていって、少しずつ魔力を分けていくことで、あなたが魔女になるように仕向けていったんだと思う」
「だからなのかな、私が魔法を使えるようになったのは」
意識的に魔法を使ったことを思い返しながら、アリーは言った。
「多分ね。今なら感じるでしょ? 自分の体に流れる、魔力の存在を」
「う、うん」
確かに、体の中では不思議な流れを感じる。しかし、何か違和感がある。記憶の中にある魔女の持つ力の流れと、何かが異なっているような気がして、アリーは内心で小首を傾げた。
しかし、それはおくびに出さない。戸惑いながら、アリーは頷くだけだ。
「でも、それに身を委ねないほうがいいよ。きっと、自分じゃいられなくなるから。まあ、体がいらないなら別だけど」
さらっと言う魔女に、アリーは首を大きく横に振った。
魔女が口元に笑みを浮かべ、冗談だよ、と言った。
言ってから、魔女がはっとしたような顔をする。自身が笑ったことが意外だと驚いているように、アリーには見えた。
「何だか、調子が狂うよ。あなたと喋ってると、不思議と懐かしい感じがする。ずっと昔を、思い出しそうになる」
少し困ったように笑いながら、魔女が言った。
「でも、悪い気はしないよ。だけど、そう思わせてくれるあなたが羨ましい。わたしや巫女たちと、いい意味で違うのだもの」
アリーは何も言えず、ただじっと魔女を見つめることしかできなかった。
「……ねえ、わたしも聞いていい?」
魔女の言葉に、アリーは小首を傾げた。
「どうしてあなたは、こんなに頑張れるの? あなたも、相当辛いはずなのに」
「どうしてって」
空を見上げながら考えると、真っ先に頭に浮かんだのは、ラインハルトの優しい顔だった。
ちょっと不器用だけど、アリーをいつも気にかけてくれる、とても優しい人。アリーが初めて、心の底から好きになった、愛しい人。
胸に去来したラインハルトへの思いを、アリーは少し別の形にして、言葉に出した。
「大切な人が、私のために頑張ってくれるのだもの。私は、それに応えてあげたい」
「大切な人……」
魔女が、少し考えるような素振りをした。
アリーはその様をじっと見つめていたが、不意に向けられた真剣な眼差しと視線が交錯して、小さく声を上げるくらいに驚いてしまった。
「ねえ、アリー」
そのことには構わず、魔女が口を開く。
「その人と、少しお話がしたい。だから、ちょっとだけ体を貸してほしいの」
「えっ」
一瞬戸惑い、少しうろたえてしまったが、アリーはすぐに平静を取り戻した。
アリーを見つめる魔女の瞳に、悪意は微塵も感じられない。それが、アリーを安心させた。
「いいよ。私は、ここで待ってるから」
「ほ、本当にいいの? あなたは、わたしを信用してくれるの?」
あっさり承諾したことに、魔女のほうが信じられないらしく、いくらか動揺している。
そんな魔女を落ち着かせるように、アリーはにこりと微笑んで見せた。
「うん。だって、今のあなたは、本当の気持ちを見せてくれてるから」
呆気に取られていた魔女が、泣きそうな顔を隠すように、束の間俯いた。
「……ありがとう、アリー」
呟くようにそう言って、魔女がアリーの額に人差し指を当てる。
途端に、睡魔がアリーを襲ってきた。瞼がすぐに落ちてしまいそうなほどに強いそれを受け入れ、アリーは自然と横になる。
意識が、徐々に遠くなる。視界はもう、殆ど暗い。
「信じてくれて嬉しいよ、アリー」
どこか遠くで、魔女の声が聞こえる。その声に、やはり悪意はない。
「安心して。ちゃんと、返すから」
まどろみの中で、アリーはその声を確かに聞き、そして意識を手放した。




