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私を忘れて  作者: 千変万化
七章 「魔女」
53/125

7-7

「お待ちしておりました、魔女様」

 先頭の男が、アリーを見上げながら言った。

「我々は、かつてアルベール王に仕えていた者の子孫です」

 アルベール王。その名を耳にして、アリーは胸にひどい痛みが走るのを覚えた。

 蘇った魔女の記憶の中に、その王の姿は確かにあった。この国の姿に疑問を持ち、魔族と手を携え、共存する道を選んだ、かつての人間族の王。そして、魔女が初めて恋をした、愛しい人。

 その王は、臣下の裏切りにあって、無残にも首を落とされた。

 アリーには記憶があるから、その名に疑問を持つことはない。しかしラインハルトには、何のことだかわからないはずだ。

「アルベール王、だって? ジョシュアの、先祖の?」

 ラインハルトの呟くような言葉に、アリーはハッとした。確かに、ジョシュアはアルベール家の者だ。

 男が頷き、ラインハルトをちらと横目で見た。

「確かに、ジョシュア・アルベールは王の正当な子孫だ。だが、我々にとってのアルベールは、かつてこの国を統べたアルベール王のみ。国に寄り添う今のアルベールなど、我々は認めない」

「認めないって、君たちにジョシュアの何がわかる? この国を憂いていたのに、理不尽な死を強いられたジョシュアの無念が、君たちにわかるのか?」

 声音は落ち着いているが、ラインハルトが怒りを押し殺しているのが、アリーにはわかった。思い切り握られたラインハルトの右手が、微かに震えている。

 男はラインハルトに言葉を返すことはせず、アリーにまた向き直った。

「我々は、魔女様が現れるのを代々お待ちしておりました。約束通りに、我らの前にお戻りになるのを」

「約束? 私は、何かを約束したの?」

 男たちが顔を見合わせる。しかし、何かを納得したのか、彼らはすぐに頷いた。

「まだ、完全ではないのですね。それも仕方ありません。あなた様は、長い時を経てこの世に舞い戻られたのです。全てを取り戻すのにも、時間がかかるのでしょう」

「答えに、なってないよ。私は、何を約束したの?」

 少し強い口調になったアリーの言葉に、男が少し狼狽しながら答える。

「いずれ必ず、次の体を手に入れて、仲間の前に戻る。醜いこの国を滅ぼし、我らの居場所を作るために。そう言って、かつての魔女様は先祖の許を去ったそうです」

「た、戦いの最中でしたが、我らの先祖はそれを受け入れざるを得なかったそうです。魔女様が、もう戦うことができなかったらしくて」

 別の男が、少し緊張した声音で言った。

 そう、と小さく言い、アリーは少し思考を巡らせる。

 戦いに身を投じ、数々の破壊と数多の殺戮をなした記憶は、確かにある。国の大半を蹂躙し、あともう少しで仇に手が届くというところまで行ったのも、何となく思い出せる。だが、その状況を途中で放り出した理由は、記憶に霞がかかっていて思い出せない。

 こういう時こそ、隣に寄り添っているだろう魔女に教えてほしかったが、アリーの淡い期待が叶うことはなかった。魔女の姿は、何故かどこにも見えない。

「魔女様を失った我らの先祖に勝ち目はなく、戦いを諦めてこの国の各地に、散り散りとなって身を隠しました。そして、魔女様がお戻りになられるのを信じ、胸に抱いた遺恨を、我々の代まで途切れることなく伝えたのです」

 先頭の男が、勢いよく立ち上がる。ラインハルトよりも高い身丈が唐突に現れたことで、アリーは少しだけ驚き、体を震わせた。

「正直な話、我々の代で魔女様にお目にかかれるとは、思っておりませんでした。魔女様が本当に現れるのかも、半信半疑だったのです」

 ですが、と先頭の男が血走った目をアリーに向けながら言った。

「ここでお会いできたのは、きっとアルベール王のお導きに違いありません。これまで、誰一人として魔女様にお会いすることは叶わなかった。しかし、あなた様は生きてここに来て下さった。まさしく王が、仇を討てと仰っているのですよ!」

 アリーの手をひったくるように強く握り、男がずいと顔を寄せてきた。より近づいた血走った目が、どことなく狂気に近いものを孕んでいる。

 怖い。口の中でそう呟いて、アリーは目を逸らそうとした。しかし、ヘビに睨まれてしまったカエルのように、動くことができない。

 それでも、頭の中だけはしっかりと動いている。浮かび上がる疑問を、ちゃんと考えることができる。

 魔女となりうる巫女は、今に至るまでに何人もいた。それなのに、彼らは何故、何もせずに今の今まで待っていたのか。国を滅ぼすつもりならば、無理をしてでも巫女を守りに行くべきではなかったのか。

 そんな疑問が、ずっと巡っている。

「あなたたちは、本当に魔女を待っていたの? 巫女は、生まれてきてたのに」

 震える唇を何とか動かし、アリーはそれだけを絞り出すように言った。

 男が、強い視線を向けたまま口を動かす。

「勿論、待っていました。当然、魔王と人間の混血児である巫女が魔女様であることも、我々は存じています。ですが、迎えに行くことを考えた同志だって、いないわけではありません。しかし、無理でした」

「どうして?」

「彼らは、危険を避けるために身を隠していました。我々には容易く掴めないような場所に。一度、何とか居所を掴み、同志がそこを訪ねた時には、もう後の祭りだったのです。魔王も人間も、魔女様になろうとした巫女も、既にこの世の人ではなかった」

 男のアリーを握る手に、力が一層込められる。それがあまりにも強くて、アリーは小さく呻いた。

「この国は、何故か魔女様が再び現れるのを予期していて、あらゆる手を講じてくる。だから、我々があなた様にできることは、本当に何もなかったのです。できたのは、同志を少しずつ増やすことのみ。歯がゆい思いを抱きながらも、我々は耐え忍びながら待ち続けたのです。全ては、今日この日のために」

 男の目が、獰猛な光を放つ。

「魔女様、今こそ決起の時です! 長く時がかかったために、同志は多く募れました。この国の各地にいる大勢の同志が、その時を待ち侘びています。今こそ、この腐った国を滅ぼし、我らのような混血児もまともに生きられる国を作り出すのです!」

 握られる手が、さらに強くなった。アリーは思わず、痛い、と声を出した。

 気づいたラインハルトが、男の手を無理やり引きはがす。男がキッとラインハルトを睨んだが、ラインハルトもまた鋭い目で睨み返していた。

「君たちの言いたいことはわかったよ。だけど、本当に大昔の恨みが、君たちを動かしているのか?」

 ラインハルトの声には、燃え盛る炎のような怒気が見え隠れしている。

「お前などに言う必要はないが、答えてやる。本当はな、先祖の遺恨は血の中に流れていても、俺たちの感情に結び付くわけではない。だがな、俺たちは許せないのだ。人の痛みをまったく感じようとしない、この国がな。だから、一度壊さなければならないのだ。圧倒的な、そう、魔女様のお力を持ってな」

 男が、ちらりとアリーを見る。どこか親しみを感じてくれているような眼差しだが、アリーは男の言葉に傷つき、俯いてその視線を避けた。

「……そうか」

 呟くように言ったラインハルトの声は、いやに低いものだった。

「君も、結局同じだよ。国を滅ぼすためだのなんだの言っているけれど、結局根っこは、この国と変わらないじゃないか。アリーを、道具としか思っていないじゃないか!」

「な、何を!」

 男が怒鳴り返し、ラインハルトに掴みかかろうとする。

 刹那、やや遠くで馬のいななきが聞こえ、誰もが一瞬動きを止めた。膝をついていた男の一人が、立ち上がって遠くを見る。目がいいのか、視線の先に何かを見つけて、その男はハッと息を呑んでいた。

「騎士だ。騎士の小隊が、こっちに向かって来る!」

 男たちが慌てたが、次の瞬間には先頭の男が一喝していた。

「狼狽えるな! 我らが今すべきことは、そんなことではない! 魔女様を、無事に逃がすことだ!」

 男の声に、他の五人はすぐに落ち着きを取り戻した。彼らは一度息を吐くと、すっと立ち上がり、静かに剣を引き抜く。

 前方の少し先に、アリーの目にも人の姿が映るようになった。馬に乗った騎士が二人と、走ってくる騎士が十人とちょっと。合わせて、多分十五人くらいか。

 フランドル隊もいるのか。ラインハルトの焦慮に満ちた声がアリーの耳に届いたが、気にしている余裕はあまりなかった。

 行け、と男が指示を出す。五人が頷き、前へと駆け出していく。騎士はその姿に動揺することなく、咄嗟に剣を抜いて応戦の構えを見せていた。

「魔女様、ここは我らが食い止めます。早くお逃げを!」

 呆然としているアリーに、男が早口に言った。

「で、でも」

「あなた様さえ生きていればいいのです! 必ず生き延びて、いつか決起してください!」

 言い終えると、男はラインハルトへと視線を移した。

「俺が、この国と違うってことを、今から見せてやる。だから、魔女様は頼むぞ」

「……わかった」

 ラインハルトが小さく頷くと、男は口の端に小さな笑みを浮かべ、それから騎士のほうへと向かった。

 男たちはとても強いのか、数で勝る騎士たちと互角の戦いを繰り広げていた。特に、さっきの男の動きは凄まじい。一瞬で、一人、二人と斬り倒し、周囲に赤い霧を舞わせた。

 しかし、素直に喜べない。人が、死んだのだ。

「行こう、アリー!」

 呆然としながら見ていたアリーに、ラインハルトの焦った声が届く。

 既にイデアルに跨ったラインハルトに手を引かれて、アリーもその背に乗り移った。

 ラインハルトが馬腹を蹴り、イデアルが駆け出す。

 通り抜ける風の音に紛れて、断末魔が耳に届いた。アリーは、思わず振り返った。

 男たちが、次々と倒れている。馬に乗った騎士が弓を使い、矢を受けて男たちが怯んだところを、他の騎士が容赦なく剣を振るっていた。既に、四人は倒れている。騎士のほうは六人倒れているが、それでも数の差はどうしようもなくなっている。

 また一人、声を上げずに男が斃れた。くるりと一回転して倒れていくその体の近くで、きらりと雫のようなものが光る。

 それが男の涙だと気づいた時、アリーの頭の中は真っ白になっていた。

「止まって、イデアル」

 自分のものとは思えないほどの低く静かな声に、イデアルが素直に従う。ラインハルトが驚き、声を上げるが、イデアルは足を緩め、やがて止まった。

 アリーは軽やかに地面に降り立ち、来た道をゆっくりと戻り始めた。

 遠くで、最後まで奮戦していた男が、槍に体を貫かれた。

 その体が地面に倒れるのと同時に、アリーは無意識のうちに魔法を放っていた。

 突風のような風が吹き遊び、何人かの騎士たちを呑み込んだ。馬に乗っていた騎士は馬だけ呑み込まれ、二人とも地面に放り出された。一人は首から落ちて絶命し、もう一人は落ちた拍子に剣が喉を刺し貫き、少し苦しそうにもがいてから息絶えた。

 風に呑まれた者は、そのまま消えた。騎士も馬も、近場にあった木さえも、呑まれたところは削り取られたかのようにこの場には残っていない。

 生き残っているのは四人だ。その内、一人は腰が抜けて座り込み、二人は悲鳴を上げてアリーに背を向け、もう一人は震えながらもアリーに立ち向かってきた。

 アリーは何も言わずに、右手を一度横に振った。風でできた刃がすさまじい速さで逃げた二人に迫り、その体を胴から真っ二つに切り裂いた。

 その様に一瞥をくれることなく、今度は左手を前面に押し出し、間近に迫った騎士を宙に浮かせる。アリーはためらいなく左手を強く握り、かつて殺したジョージのように、苦しそうにもがく騎士を、一息に握り潰した。

 血の雨が降り、アリーを濡らす。妙に生温かいそれも、今はさほど気にならなかった。

 アリーは、震えて這いつくばる騎士に、ゆっくりと近づいて行った。

「ひいっ!」

 アリーが目の前に来ると、騎士はひと際高い声で悲鳴を上げた。

 そんな姿にも、憐れみを覚えることはない。アリーは冷たい目を向けながら、騎士に問いかける。

「アナタは、どうしてここに来たの?」

「ま、魔女がこの森に入るのを見たと、ほ、報告があったのだ」

 声を震わせながら、騎士が言った。

「ワタシを、追って来たんだね。でも、どうして? どうしてワタシを追って来るの? ミンナを殺してまで、しなきゃいけないことなの?」

「わ、私は命じられただけだ! こいつらだってそうだ! 魔女を、魔女に加担するものを討ち果たせと、王命を受けただけだ! だから」

「そう」

 騎士の言葉の最中に冷たく言い捨て、アリーは右手をかざして、騎士の体を燃え上がらせた。

 炎に包まれた騎士が、苦痛の叫び声をあげ、激しくのたうち回る。その動きも少しずつ静かになり、やがて止まった。それでも、炎はまだ燃えたままだ。

 燃えていく体を冷たく見つめながら、アリーは胸に去来する思いを、そっと口にする。

「どれだけの時が流れても、アナタはワタシを殺したいんだね、リチャード。自分の罪が暴かれるのを、恐れてるから」

 遥か昔の醜い裏切りを、この国の人々に知られないために。

 王は、もう何代目になったのだろうか。最初の魔女の頃から、もう数えきれないくらいの時が流れている。それでも、この国が隠した真実が明るみに出るのを、王は今でも恐れている。自身が罪を犯したわけではないのに、ずっと恐れている。

 だからこそ、真実を知る魔女を、王は執拗に狙っているのだろう。どうして、魔女が再び現れることを知っていたのかはわからないが、現に王は魔女を秘かに始末してきた。何かしらの、確信をもって。

 このままでは、次は自分の番だ、とアリーは思った。ただ魔女であるがために、命を狙われる。それが、とても悲しかった。

 悲しみが胸に広がったが、不意に聞こえた呻き声がそれをかき乱した。

 ラインハルトと束の間目が合い、すぐに声の方へと視線を向ける。

 最後に槍で貫かれた男が、小さく身動ぎしていた。

「しっかりするんだ!」

 すぐさまラインハルトが駆け寄り、男を抱き起す。アリーも遅れて、できるだけ早く傍に寄った。

「これはまずいな……」

 傷を見たラインハルトが顔をしかめて呟き、アリーは俯いた。

 腹部に大きな赤い染みが広がり、しかもまだ血は流れている。既にたくさんの血を失ってしまったのか、顔色は蒼白になっていて、とてもではないが生きている人のものとは思えない。

 もう、助からない。頭の中でそれはわかっていたが、アリーはまだ諦めたくなかった。

「アリー」

「うん、わかってるよ」

 ラインハルトの言葉にアリーは頷き、頭の中で癒しの力を想像する。

 体の中から力の流れを感じ、アリーは男の腹部に手を当てた。傷が、少しずつ塞がっていく。しかし、ある程度までしか塞がらない。何度力を込めてみても、結果は同じだった。それどころか、男の顔色には、明らかな死の色が浮かび上がっている。

 どうして。愕然としながら魔法を止めると、男の顔色にほんの微かにだが生の色が戻った。それは本当に些細なものでしかなかったが、アリーは見逃さなかった。

「まさか」

 アリーはあることに気づき、呆然とした。

 傷を癒す魔法は、おそらく大地の生命力を使うのではない。相手の、生命力を使うのだ。これから生きていくための命を削っているから、傷は急速に治っていく。

 その命が尽きかけているならば、当然傷は治せない。

「だから、あまり使わないほうがいいって、言ったんだ」

 自分の力がとんでもない過ちを犯していたことに気づき、アリーは足元が崩れる思いがした。

 少なくなっていたこの人の命を、あろうことか殆ど奪ってしまった。そして、ラインハルトの命も、たくさん削ってしまった。

 どうしようもない後悔が押し寄せ、アリーを苛ませた。

「やはり、聞いた通りだ」

 後悔に塞ぎ込みそうになるアリーを、男の呟くような声が現実に引き戻した。

 アリーは、そっと男の顔を覗き込む。弱弱しい光を湛える双眸と自分のそれが、重なり合った。

 男が、口元に笑みを浮かべた。心なしか、表情には穏やかなものが浮かんでいる気がする。

「魔女様のお力は、やはり人知を超えている。そのお力があれば、王様の無念は、きっと晴らせる」

 男が震える手をゆっくりと伸ばし、宙をもがくように掻く。

「どうか、この国を救って下さい。数多蔓延る国賊を討ち果たし、我らが同胞を」

 か細くなっていた声が不意に途切れ、手が力なく落ちる。

 アリーは、ラインハルトを縋るように見た。しかし彼は首を横に振り、力なく俯いた。

 そっと立ち上がり、アリーは男から一歩二歩と、離れた。離れても、男の言い遺した言葉は、耳から消えない。

「ねえ、ラインハルト」

 押し潰されそうな胸の痛みを感じながら、アリーはぽつりと呟くように言う。

「私は、どうすればいいのかな。この国を、滅ぼさなきゃいけないのかな」

 ラインハルトは、何も答えてくれなかった。アリーも、次の言葉が見つからない。しばらくの間、重い沈黙が流れ続けた。

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