7-1
眩い朝日が、辺りを照らし始める。朝からそよと吹く風はからりと乾いたもので、本来ならばどこか気持ちのいいものだ。
しかし、今だけはそんな思いも湧かない。
魔女。その事実が、アリーの心に影を落とし、気持ちをどんどん暗くさせていた。
今まで断片的だった魔女の記憶が、今では鮮明に繋がって蘇っている。まだ一つ、末路の記憶が戻っていないが、それ以前までに起きたことは、まるで昨日のことのように思い返せた。
魔王と人間の子どもとして生まれ、虐げられてきた幼い頃。巫女として崇められるようになり、この国の全てを愛そうとしてきた日々。そして、たくさんの大事なものを失って魔女となり、多くの命を奪い去っていった苦痛の時。
それらが一遍に去来し、アリーは頭が痛くなった。一度にたくさんの情報を詰め込められたような気分だが、痛みはすぐに治まり、今は記憶とまっすぐに向き合える。
先生の言っていたことは、本当だった。記憶を追い、知っていったことで、アリーは魔女そのものに近づいてしまった。その事実は、一人きりで抱えるにはあまりにも重すぎた。
ラインハルトに、聞いて貰いたい。そう思ったが、アリーの口はうまく動かなかった。ラインハルトに呼び掛けることはできても、肝心の次の言葉が出てこない。
ラインハルトは少し待ってくれたが、どこか居辛そうにしていた。落ち着きなく視線を逸らし、瞬きの回数もいつもより多い。
やがて、我慢できなくなったのか、村に生き残りがいないか見てくると言って、ラインハルトは離れていった。
一人っきりになるのが寂しくて、待って、と言いたかったが、アリーはその言葉さえも口にすることができなかった。
ラインハルトの背が見えなくなって、アリーは一人になってしまった。
淋しさを紛らわすように、そっと片手をかざし、頭の中に炎を描いてみる。体の底から力の流れのようなものを感じ、次いで大地から何かを吸い上げるような感覚に見舞われる。それらは束の間感じたことで、手のひらには瞬く間に小さな炎が音を立てて燃え上っていた。
ぼんやりと炎を見つめていると、さっと風が通り過ぎて行って、アリーの前髪を揺らした。視界に紅色のそれがちらちらと映り、魔女の髪色をまざまざと思い出させる。しかし、現実にあるその髪は、自分のものだ。自分が自分でなくなったことを痛切に感じて、アリーは悲しくなって俯いた。
厳密に言えば、アリーはまだ完全に魔女になったわけではない。記憶を全て取り戻していないからか、アリーには自我がはっきりと残っている。
――でも、いずれは。
アリーという私は、この世から消え去ってしまうのかもしれない。
アリーが記憶を求める限り、その結末からはおそらく逃れられない。ならば探さなければいいのだろうが、それももう遅いだろう。
魔女が、隣に寄り添っている。そんな感じが、アリーにははっきりと感じられていた。
姿は見えない。しかし、気配をしっかりと感じる。禍々しいまでの重い狂気が、アリーの肌を刺してきていた。
「どうして、なんだろ」
ぽつりと呟いては、空を見上げる。雲一つない澄んだ青空が、この時ばかりは少しだけ恨めしかった。
足音が聞こえて、アリーはそちらに顔を向けた。ラインハルトが、沈痛な面持ちで立っている。
「お帰りなさい。誰か、いた?」
炎を握って消してから、アリーは言った。
ラインハルトが、俯いて首を横に振る。
「……生き残りは、いない。誰も彼もが、焼け落ちた家屋の近くで、冷たくなっていたよ」
「やっぱり、そうなんだね」
アリーも俯き、瞳を伏せた。
せめて一人でも、生き延びていないか。そう願っていたが、それは儚いものに終わった。ずっと昔にも多くの命を失ったこともあり、今の現実が、アリーには辛い。
「……僕のせいだ」
ラインハルトのか細い声が聞こえて、アリーはちらりと目を向けた。
「僕が甘かったから、彼らは殺された。……いや、僕がいたから、彼らは巻き添えを食ったんだ。僕さえ、いなければ」
「やめて、ラインハルト」
少しだけ強い口調で、アリーは言った。
「あなたのせいじゃない。きっと、あなたのせいじゃないから。だから、自分がいなければなんて、言わないで」
ラインハルトは、何も言わない。ただただ、悲しい瞳を、アリーに向けてくるばかりだ。
その視線はあまりにも痛かったが、それでもアリーは眼を逸らさず、少し強い口調のまま続けた。
「あなたは、みんなを守ろうとした。命を、救おうとしたんだよ。傷つき、自分が死ぬかもしれなかったのに、必死になって戦った。奪い続けた私とは、大違い」
言った刹那、胸を刺し貫かれたような痛みが襲った。顔にべったりとついた生温かい血の感触が、まざまざと蘇る。
それでも、アリーは言葉を継いでいく。止めたいと思っても、自然と口から零れていく。
「私は、たくさんの人を殺した。殺してしまいたくなって、あの人たちを手にかけた」
頭の中に蘇る、恐怖に歪んだ賊の顔。許しを請い、助けを願った、悲痛な叫び。その全てを、アリーは焼き尽くした。
「冷たい憎悪が、命を奪うことへの抵抗を、なくしてしまったから」
その言葉を呟いた時、両の目からいくつもの雫が零れてきた。
目の前にいるラインハルトが、ぼやけてしまう。何度手のひらで拭っても、涙は止まらない。
「あんなこと、したくなかった。誰かが死ぬのを、私はもう見たくなかった」
絞り出した声は、少し震えていた。
「どうして、こうなっちゃったんだろ。魔女になるのだって、どうして私じゃないといけなかったのかな」
独り言のような問いかけを、ラインハルトが答えてくれることはない。言葉に詰まり、呆然とアリーを見つめるばかりだ。それでも声に出さなければ、アリーは苦しさに押し潰されてしまいそうだった。
「ねえ、ラインハルト」
押し寄せる悲しみに身を委ねながら、アリーは消え入りそうな声で言った。
「私は、何のために生まれてきたのかな。私が生きてる意味って、あるのかな」
胸に広がる思いを口に出した時、もう、悲しい気持ちを押さえることができなかった。
ラインハルトに歩み寄り、その体に自分のそれを委ねては、アリーは声を上げて泣いた。
どれだけ涙を流しても、悲しみが消えることはない。辛い思いが、増していくばかりだ。
ラインハルトは何も答えてくれなかったが、アリーが泣き止むまで、そっと抱き寄せてくれた。気持ちが落ち着くまで、アリーはずっと、体を預けて涙を流し続けた。




