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私を忘れて  作者: 千変万化
六章 「覚醒」
46/125

6-12

 何が起きたのか、ラインハルトにはわからなかった。

 剣が手を離れ、万策尽き、最早最期の時を迎え入れざるを得なくなった。己の無力を恨むと同時に、それでも一矢報いようと最後の機会を狙っていたら、突如としてジョージの剣が炎に包まれた。

 柄まで燃え盛る剣を持っていられず、ジョージが堪らず手から落とした。地面に落ちると、しばらく炎が踊りながらそれを舐めていたが、やがて跡形もなく消えた。

「な、何だ。何が起きた……!?」

 ジョージの声が、怯えたように震えている。虎髭の大男は口をあんぐり開けたまま、呆然としては燃え跡を見ていた。殺戮を終え、いつしか集まってきていた賊徒たちも動揺を隠しきれず、ざわざわと仲間と言葉を交わし合っている。

 その中で、不意に一つの足音が、ラインハルトの耳へと鮮明に届いた。

 ジョージたちにも聞こえたのか、彼らはその方へと顔を向けていく。足音は、ジョージの後ろの方からだ。ラインハルトは視線を少し動かし、その正体に眼を向けた。

 ゆらりとよろめくような覚束ない足取りで、少女がこちらへゆっくりと歩いて来る。首は右に少し傾き、見開かれながらも何も映っていないかのように焦点が合っていないその双眸が、どこか狂気に似たものを思わせる。

 一瞬だが、ラインハルトにはそれが誰だかわからなかった。しかし、身に纏うローブと整った顔の面影は、ラインハルトのよく知った人のものに間違いない。

 ――そんな、まさか。

 すぐに気づき、思わず絶句したラインハルトは、目を何度も瞬かせた。けれども少女の顔が、見知った優しいものに変わることはない。

「ま、まさか、てめえがやったのか!」

 賊の一人が、声を震わせながら言う。

 少女は何も返さず、ただゆっくりと近づいて来るだけだ。不気味な雰囲気を醸し出しながら、一歩、また一歩と、ゆっくり距離を縮めていく。

「お、おい! やっちまおうぜ!」

 一人が尚も震えながら言い、何人かが応じた。

 自分を奮い立たせるように大声を上げながら、剣を振りかざして少女に迫る。

 少女の目が、不意に男たちを捉えた。その瞳は、あまりにも冷たい。

 徐に右腕を振り上げ、少女はゆっくりと手を開く。その手に、この場を燃やす炎が引き寄せられていっては、少し大きめの球体を作った。それは激しく燃え盛っているのか、少女の頭上の空間を微かに歪ませている。

 異様な光景に、賊たちの足が止まった。

 少女が、空いている手を前へと振る。瞬間、球体から炎が飛び交い、迫っていた賊を呑み込んだ。賊が熱さに身悶えしたのはほんの瞬きする程度で、すぐにその体はこの世から消えた。

「て、てめえ、よくも!」

 歯をがちがち震わせながらも、仲間を殺された怒りに身を任せ、また何人かの賊が少女に襲い掛かる。しかしそのいずれも、少女が放つ炎に呑まれては、跡形もなく姿をなくした。

 立て続けに仲間が一瞬で殺され、賊は明らかに怯え始めた。だが、その誰もが足が竦み、逃げようにもこの場から逃げられないでいる。

「どうして」

 少女が、ゆっくりと歩みながら、冷たい声で言った。

「どうして、みんなを殺したの?」

 少女の左手が動き、立ちすくむ賊を炎が襲う。一人、また一人と、賊は姿を消していく。

「どうして、ラインハルトを傷つけるの?」

 また、左手が動く。少し遠くにいた賊たちが、一瞬にして消し炭になった。

 賊の何人が、悲鳴を上げる。腰を抜かして、地べたに這いつくばって、許しを請う者もいる。しかしそのいずれも、命を長らえさせることはできずに消えた。

「てめえ、ふざけんじゃねえぞ! 子分どもを殺しまくりやがって!」

 我に返ったのか、虎髭の男が眦を決して少女に突進していった。体の動きは、異様に速い。

 少女の目がぎょろりと動き、男を捉えた。同時に、右腕で何かを投げるような素振りをする。燃え盛る球体が、唸りを上げて男に迫って行った。

 避けられないと思ったのか、男が立ち止まって剣を構えると、間近まで迫った球体に思い切り斬りかかった。ラインハルトが苦戦した豪風が、炎に微かに触れた。

 風は、あっという間にやんだ。振り下ろされた剣は球体に燃やし尽くされ、次いで男の胴を呑み込んだ。いかついままで表情を固まらせた首が、支えを失って地に落ちる。どっしりと地に根を張ったような下半身は、状況が掴めなかったかのようにしばらく立ち尽くしていたが、やがてそれも力なく倒れた。

 その様を見届けることなく、少女の目がジョージに向いた。

「ひ、ひいっ!?」

 視線に気づいたジョージが悲鳴を上げ、腰から崩れる。体に力が入らないのか、何度も立ち上がろうとしてはそのたびに失敗し、手が虚しく地面を掻いていた。

 少女が、ゆっくりと片手を上げる。ジョージの体が、不意に宙へと浮いた。

 喉元を押さえ、ジョージが苦しそうにもがく。それを、少女が無表情のまま見つめている。

「アナタのせいで、みんな死んだ。アナタがいるせいで、ラインハルトが傷ついた」

 少女の声は、やはり冷たい。

「だからワタシは、アナタを許さない」

 上げられた手を、少女が勢い良く握りしめた。

 肉が潰れる、生々しい音が鈍く響いた。最早原形を留めていないジョージの肉塊がゆっくりと地に落ち、次いでどろりとした赤い雨が周囲に降り注いだ。近くにいたためにラインハルトの顔をぽたぽたと汚すそれは、気味が悪いほどに生温かかった。

「ば、化け物だぁ!」

「に、逃げろぉ!」

 弾かれたように、賊が我先に逃げ始めた。

 その背に向けて、少女は右手を何度も薙ぐように振るっていく。その度に、命が消えた。

 少女の無表情な顔に、歪んだ笑みが浮かんだ。口からは、無機質な笑い声が漏れ出ていて、それがどこか楽しそうに聞こえてならない。

「もう、やめてくれ」

 呟き、ラインハルトは無意識のうちに駆け出していた。右肩がひと際激しく悲鳴を上げたが、そんなものには構いもしない。

 ラインハルトはこれ以上、今の少女を見ていられなかった。本当は誰よりも優しい彼女に、こんなことをさせたくなかった。

 少女が、眼前に迫る。歪んだ笑みを浮かべているその表情に、明らかな動揺が走った。

「もうやめるんだ、アリー!」

 少女の名を呼び、ラインハルトはその体を抱きしめた。

 アリーの動きが、ぴたりと止まる。それでも、異様なほどに冷たいその体を、ラインハルトは抱きしめ続けた。アリーは何の抵抗も見せずに、ただされるがままでいてくれた。

 その隙に、賊の何人かが悲鳴を上げて逃げていく。だがそれも、今のラインハルトには気にする余裕がない。

「ライン、ハルト」

 か細いが、いつもの優しい声が聞こえて、ラインハルトはすぐにアリーの顔を見た。

 いつしか夜が白んでいて、その顔がはっきりと見える。

 ラインハルトを見つめる瞳からは、先の狂気はもう感じられなかった。いつもの、少し気弱そうだけど、優しい顔に戻っている。いつものアリーが、そこにいる。

 ただ、一点を除いては。

「アリー、その髪は……?」

 アリーの体を離した時、見覚えのないものを見て、ラインハルトは言葉を失った。

 眩いほどの銀の髪に、深紅のそれが混じっていた。前髪辺りが、まるで血を吸ったかのように紅く染まっている。

 先の血を浴びたから、というわけではなさそうだった。髪の色は、元からそうであったかのように自然な色をしている。

「私ね、わかっちゃったんだ」

 そのことには答えず、アリーが少し寂しそうな表情をしながら言う。

「私が、他の誰とも違う、本当の理由を」

 アリーの悲しげな瞳が、ラインハルトのそれを見つめてくる。ラインハルトは、ただじっと見つめ返した。

 しばらく、アリーが言い淀む。ラインハルトは何も言わず、次の言葉を待ち続けた。

 やがて、アリーの口がゆっくりと動いた。

「私はね、私なんかじゃなかったの。あなたの目の前にいる私は、ただの入れ物。本当の私は」

 一度言葉を切り、アリーがそっと目をつぶっては、ゆっくりと開いた。その瞳には、微かなためらいの色が滲んでいた。

 それでも、アリーは言葉を紡ぎだす。その声は、暗い響きが宿っていた。

「大昔の、魔女なの。この国を恨み、全てを憎んだ、魔女そのものなの」

 震えながら告がれたアリーの言葉に、ラインハルトはなんて返したらいいのかわからず、呆然と見つめることしかできなかった。

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