6-11
妙な息苦しさに襲われ、アリーは目を覚ました。
宿屋の一室である。ラインハルトが村人に歓待を受けている間、アリーは宿屋でひっそりと休んでいた。人が多いのはやはり苦手で、それはラインハルトが隣にいてくれても変わらない。
休んでいる間に本でも読もうかと思っていたが、昨日の疲れがどっと押し寄せてきて、アリーは今の今まで眠りに落ちていた。
「どうしたんだろ。ちょっと、暑いな」
額に滲んだ汗を拭いながら、アリーは言った。
まだ夜は涼しいくらいのはずで、こんなに汗ばむことはない。しかし今は、拭っても拭っても汗が滲み出してくるくらいに暑い。加えて、何かが燃えているようなきな臭さがある気がする。
嫌な感じがして、アリーは恐る恐る外へ出てみた。
「えっ」
外の光景に、アリーは絶句した。
炎に包まれ、たくさんの家が燃えている。人と人が追いかけ、追い回され、悲鳴と怒号がぶつかり合っては、喧騒の中へと消えていく。悲鳴は刹那のうちに死の闇へと呑まれて消え去り、下卑た笑い声ばかりが響いて回った。
呆然と立ち尽くしていると、傍で悲鳴が上がって、アリーはそちらへちらりと目をやった。
剣を持った男に迫られた小さな男の子が、震えながら後ずさっている。しかし後ろはもう宿屋の壁で、逃げ場所がない。
男の子が、高い声で喚き声を上げた。それに耳を貸すこともなく、男が剣をためらわずに振り下ろす。肉を裂く生々しい音が、嫌でもアリーの耳に入った。
近くにいたからか、生温かなものが頬に飛んできた。どろりとしたそれが、不意に妙なほどに生々しい何かを呼び起こす。
頭の中に浮かぶ、何かの光景。たくさんの子どもが血の海に沈み、絶望しながらそれを見下ろす、誰かの姿。
――違う。誰か、じゃない。
「あれは」
呟いた刹那、頭に激痛が走って、アリーは少しよろめいた。
視界に映ってしまったのか、アリーに気づいた男が、にやりと嫌な笑みをこちらに向けた。
「えらくべっぴんな嬢ちゃんだが、悪いな。ここにいる奴らは、皆殺しにしなきゃいけねえ」
男が、剣をゆっくりと振り上げる。アリーは逃げようとしたがふらふらとよろめき、その拍子に男に思い切りぶつかってしまった。
思いがけないことだったのか、男が体勢を崩して背中から倒れた。打ち所が悪かったのか、男はなかなか起き上がらない。その隙をついて、アリーはふらつく体を何とか動かし、その場から逃げ出した。
あまり、体を動かすのは得意ではない。それでも、もつれそうになる足を必死に動かし続けた。
――逃げないと。
しかし、どこへ。見渡す限り、襲ってきた人と同じような人ばかりがいて、とてもではないが逃げられそうにない。仮にこの場をうまくやり過ごせても、肝心の出口はしっかりとその人たちに固められている。逃げられないのは、変わりない。
辺りを見渡していると、頭痛がなお激しいものになってくる。近くに横たわるたくさんの亡骸が、頭の中に浮かぶ光景と妙に重なり、気分をどんどん悪いものにさせていく。自分でもはっきりわかるくらいに顔が青褪め、胸の奥からせりあがってくるものに堪えられず、アリーは酸っぱいものを口から吐き出した。
荒い息を吐きながら、アリーは再び視線を辺りに巡らす。決して見たいものではないのに、この双眸はアリーに何かを思い出させるために、凄惨な光景を見せつけようとしている。
「どうして」
呟いた自分の声が、まるで自分のものではないかのように、低いもののように聞こえた。
尚も揺れていた視線が、ある一点でぴたりと止まった。
ラインハルトが、壁際に追い詰められている。二人の男が、勝ち誇った顔でラインハルトに迫っていた。
アリーが何かを思うよりも早く、剣が振り下ろされた。ラインハルトが剣で防ぐが、その一撃で剣が弾き飛ばされた。
彼らの近くで、炎が爆ぜた。二人の男の顔が、はっきりと見える。虎髭の大男と、つい先刻、村で横暴を働いていた、ジョージというジョシュアの弟。
ジョージが、下卑た笑みを浮かべながら、ラインハルトに剣を突き付け、何事か口にした。ラインハルトは、黙って睨むばかりだ。面白くないのか、ジョージの顔が不機嫌そうに歪む。
死んじまえ。ジョージの口がそう動くのが、アリーにははっきり見えた。
「ラインハルト」
無我夢中で、アリーは駆け出していた。ラインハルトまで、ほんの少しの距離しかない。なのに、全然近づいて来ない。この時だけ、自分のひ弱さをアリーは恨んだ。
最中、さっきの光景が、また頭の中に浮かぶ。絶望している誰かの目の前で、血に濡れた男の人が、謝りながら誰かを見上げている。その男の人の後ろで、刃が鈍い光を放つ。
そこで、光景は消えた。しかしアリーには、それを気にしている余裕がない。
アリーが一歩進むたびに、現実も一つ歩みを進める。
ジョージが剣を振り上げ、頭上でぴたりと止める。
「やめて」
また、一歩進む。ジョージの右の口角が吊り上がり、小さな笑い声が漏れた。
「殺さないで」
次の一歩を踏み出した時、ジョージの剣がゆっくりと振り下ろされた。
時の流れが、この時ばかりはひどく遅く感じられた。世界の動きが、全てゆっくりに見える。唸りを上げて降りていく剣の軌道も、勝ち誇る男たちの顔も、険しいままのラインハルトの顔も、何もかもがはっきりと見える。
「私から、あの人を奪わないで」
無意識のうちに呟いた刹那、頭の中で、何かが弾けた。
体の内側から、何かが湧き上がる。今まで感じたことがない、力のような何か。それが、全身を一気に駆け巡る。
アリーは何かに突き動かされるように、咄嗟に右手を前に出し、思い切り握りしめた。
瞬間、振り下ろされた剣が、突如として炎に呑まれた。ジョージは突然のことに狼狽して剣を落とし、未だに燃え続ける剣を唖然としながら見ている。
何が起きたのか、アリーにもわからなかった。わからない中で、さらに理解できないものが、頭の中に響いてきた。
――やっと、捕まえた。
不気味な声が聞こえる。これまで何度か聞こえてきた、誰かの声が。
その声が聞こえて来た時、アリーの意識は、不意に遠いものになった。体に感じる不思議な感覚も、今はわからなくなりつつある。
それなのに、耳だけは良く聞こえる。地の底から響くような不気味な声が、はっきり聞こえる。
――アナタの命も、ワタシにちょうだい?
ぼんやりと霞みつつある意識の中で、アリーはその言葉を確かに聞いた。




