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私を忘れて  作者: 千変万化
六章 「覚醒」
41/125

6-7

 イデアルが足を止めたのは、それから少し経ってのことだった。

 いくらか大きな木があるだけの、草原の片隅である。よく野宿などで使われるのか、雑草が刈られ、適度な石が置かれたりと、妙に手入れされた感があった。

「今日は、ここで野宿をしよう。さすがに、イデアルも限界だよ」

 頷き、アリーはイデアルから降りると、ふらふらしながら石の上に腰を下ろした。

 アリーも、心身ともに限界に近かった。足に力が入らず、体は鉛のように重い。何より、追われた恐怖が今になって強い実感となり、思わず体を震わせた。

 ちらりとラインハルトを見ると、彼はまずイデアルの手入れをしていた。蹄を確かめたり、毛並みを整えたりと、イデアルを最優先している。

 ――ラインハルトも疲れてるのに。

 自分ばっかりが休もうとしているのが恥ずかしくなって、アリーは重い体を何とか動かして、薪となりそうな枝を拾い集めた。

 両手いっぱいに枝を集め、地面に置いた。置いたところはよく焚火が行われているのか、微かな焼け跡や炭の汚れが見受けられた。

「ありがとう、アリー。今、火を熾すから」

 イデアルの手入れを終えたラインハルトが、手慣れた手つきで火を熾す。すぐに小さな火が上がり、次第に積まれた枝を飲み込んでは、少し大きな炎になった。

 改めて腰を下ろし、アリーは炎に手をかざす。いくらか濡れてひんやりしていた体に、ほんのりと熱が戻って来るのを感じた。

 ラインハルトも、アリーの隣の石にゆっくりと座った。そこで漸く一度息を吐き、その整った顔に微かな疲労の色を滲ませた。

「大変なことになっちゃったね。ごめんね、私のせいで」

「君のせいじゃないよ。第一、一番大変なのは君じゃないか」

「ううん。私のために必死で頑張ってくれたのは、イデアルとラインハルトだもの。私は、ただ怯えてただけ。迷惑を、かけただけ」

「迷惑じゃないさ。人々を守るのは、騎士の務めだ。僕はただ、それを果たしただけだよ」

 ラインハルトが、疲れた顔に精一杯の自信を漲らせて言った。

 アリーはやはり申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、あんまり卑屈になるのもよくないことであるのを思い出し、謝りたい自分をそっと胸の奥に押し込めた。

 代わりになる話題を探し、アリーは思いついたことを口に出す。

「ねえ、ラインハルト。私は、この国を回れるのかな。まだ行ってないところを、見れるのかな」

「アリー、君はまだ」

 そう言ったラインハルトが、俯いて口を噤んだ。

 その様を見て、自分が言ったことの無神経さにすぐに気づき、アリーも言葉を続けるのをやめた。

 しばらく、無言のまま時が過ぎていった。互いに何か言おうとはしていたが、言葉にはならない。少なくともアリーは、気の利いた言葉が見つからなくて、口にするのをやめてばかりいた。

「……こんなことになるなんて、想像していなかった」

 意を決したように、ラインハルトが沈黙を破った。

「旅をするからには、いくらか大変なことがあるとは思っていた。見たくないものを見なきゃいけないのも、覚悟していた。けれどさ、君が追われることだけは、夢にも思っていなかった」

 アリーは、何も言えなかった。ただただ、ラインハルトの次の言葉を待つばかりだ。

「僕は、君ともっと旅をして、色々なものを見るつもりだった。これからも楽しいこともそうでないことも、共に分かち合っていける、そう思っていた」

 でも、そうはいかない、とラインハルトは悲しげに続ける。

「先生は、多分本気で君を追っている。一度姿を見つけられた以上、間違いなく追跡の手が伸びてくる。この国にいれば、いずれ見つかってしまうだろう。それでも君は、本当に旅を続けるのか?」

 不安と悲哀が入り混じった瞳で、ラインハルトが見つめてくる。

 胸が、絞めつけられる。ラインハルトが、本当に心配してくれていることがわかるだけに、心が悲しげな声を上げている。

 ――だけど、私は。

 旅をやめるわけには、いかない。

「うん。私は続けるよ。たとえ、何が待ってても」

 少しだけ間を置いてから、アリーははっきりと言い切った。

「どうしてだ!?」

 ラインハルトが勢いよく立ち上がり、悲痛な声を上げる。

「どうして、続けようと思えるんだ! あんなに危ない目に遭ったのに、どうして!」

「それは」

 アリーは言葉に詰まった。いや、言ってしまいそうになる自分を、無理やり押し殺した。自分の旅の目的に、できるだけラインハルトを巻き込みたくはない。

「……魔女のこと、なのか?」

 ラインハルトが呟くように言って、アリーはハッとした。目が合ったラインハルトの口が、やっぱりと動く。

「交易都市で、フランドル卿に色々聞いたよ。魔女は、憎悪に呑まれた巫女のことだって。君は巫女の話を聞くと、すごく興味を示していたから、もしかしてと思っていたけれど」

 ラインハルトが座り直し、アリーをじっと見つめてくる。

「教えてくれ。君はどうして、魔女について知ろうとしているんだ? 危険を冒してまで、知る必要があるのか?」

 真剣な眼差しに堪えかねて、アリーは視線を逸らした。それでも、ラインハルトの目がこちらに向き続けているのは、痛いほど伝わってきた。

 しかし、言えない。今は、言いたくはない。自分でもはっきりわからないことを、ラインハルトに言うわけにはいかない。

「ごめんなさい。今は、言えないの。言えないけど、どうしても知らなきゃいけないんだってことは、理解してほしいの」

「これからも危険な目に遭うかもしれなくても?」

「うん。この国に、私の居場所がなくなったとしてもね」

 はっきりと言い切り、逸らしていた瞳をラインハルトに向け直した。

 互いに真剣なものを秘めたそれが、瞬間交錯する。

「そうか」

 溜息をつき、ラインハルトが瞳を伏せた。

「君がそこまで言うならば、僕はもう止めたりはしない。だけど、これだけは言わせてほしい」

 ラインハルトが、もう一度視線を向ける。

「君が本当に危なくなったら、僕は何としても君をこの国から逃がす。そのために、僕は君と共に旅を続けるよ」

「えっ。でも、そんなことしたら、ラインハルトにもっと迷惑かかっちゃうよ」

「いいんだ。君にしたいことがあるように、僕にもしたいことがある。ただそれだけなんだ。……君を守る、たったそれだけがね」

 力強く言うラインハルトの言葉は、何故か最後のほうは呟くように小さくて、うまく聞き取れなかった。

 しかし、あまり気にはならなかった。ラインハルトが一緒に来てくれる。それだけが、今のアリーの心を満たしてくれている。

「ありがと、ラインハルト」

 頷いたラインハルトが、優しく微笑んだ。

 その笑みに妙なほど安心するものを覚えて、アリーは不意に眠気に誘われた。疲れ切った心身ではそれに抗うことは難しく、アリーは自然と落ちてくる瞼を堪えることさえできなかった。

「おやすみ、アリー」

 遠くでラインハルトの声が聞こえたのを最後に、アリーの意識は途切れた。

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