6-4
ひと際目を惹くほどの巨大な邸宅に、ラインハルトはフランドル卿と共に入った。
中に入ると、使用人と思われる人が、声を揃えてフランドル卿を迎えた。姿が見える者だけで、二十人は下らない。
こういった光景は、ラインハルトの家と似たようなものだからそれほど驚かないが、中の広さとあちこちに所狭しと飾られた骨董品や絵画の多さには少し戸惑った。貴族の家だから珍しいものを飾るのは当然だろうし、ラインハルトの実家もまた見栄えを気にしてか、いくらか装飾に気を遣っている。しかし、ここまで見せびらかすほどの数は置いてはいない。
「驚くのもいいが、さっさとかけたまえよ、ラインハルト君。今日は、鑑賞に来たのではないのだからね」
いくらか勝ち誇ったようなフランドル卿に促され、ラインハルトは少しむっとするものを抑えながら、用意された椅子に腰を下ろした。
「さて、何が聞きたいのかね。昔の誼だ、答えられる範囲で答えてあげよう」
机に肘をつきながら、フランドル卿が顔をにやつかせながら言った。
フランドル卿は、交易に詳しいのは当然ながら、歴史についての知識も相当に深い。ラインハルトが騎士になる前は、父の命でよくヨハネスと共に学ばせられたものだ。
その頃はこの物言いに対して何も思わなかったが、歳月が流れて色々なものが見えてくると、ラインハルトはこの男のことが途端に嫌いになった。
「……魔女について、詳しく聞きたいです」
彼への嫌悪が邪魔をして歯切れが悪くなるも、ラインハルトは何とか堪えて言い切った。
ほう、とフランドル卿の顔が一瞬不機嫌そうに歪む。しかし、それもすぐに消えて、嫌な笑みがまた顔に張り付いた。
「君も物好きだな。あんなものについて知りたいなんて」
それに対して、ラインハルトは何も返さなかった。
面白くなさそうに鼻を鳴らしてから、フランドル卿は言葉を続けた。
「私も多くを知っているわけではないが、これだけは確実に言える。魔女は、混血児だ。それも、他のとは違った、異質の魔力の持ち主だ」
「異質の魔力?」
ラインハルトは、首を捻った。
魔力について、レヴィアから少し聞いたことがある。魔族の血に許された、体内に宿る見えない力のことで、自然界の力を少し借りることで魔力を外に具現化できるという。例えば、頭の中で炎を想像しながら自然界の力を借りることで、実際に炎を出せる。魔族によって得意分野は異なるが、使役する力の源は変わらない、とレヴィアは言っていた。
人間であるラインハルトには、自然界の力と言われてもピンとこない。体内に宿る見えない力と言うのも、さっぱりだ。それでも、レヴィアがいくらか魔法を使って見せてくれたことで、何となくだが魔法のために何かが使われているのは理解していた。
「そうだ。忌々しいが、混血児もいくらか魔力を有している。だが魔女が持っていたのは、魔族を優に超える異質な魔力だ。……魔力弱体化のまじないの話を、君は知っているか?」
大集落での長の話を思い出し、ラインハルトは小さく頷いた。
「ならば話は早い。魔女の魔力はな、その弱体化のまじないが何故か効かないものだった。魔族は勿論、他の混血児にだってちゃんとまじないが効いているのに、魔女にだけは無力だったのだ。無力だったがゆえに、この国は滅亡の危機に追いやられたのだよ」
「それほどの力を持っていたのに、魔女は何故国を滅ぼさなかったのです?」
「さあな。そのことはまだわかっていないが、今はもう知る気がない。魔女が混血児だとわかった時点で、私はもう、調べる気が失せたよ」
混血児の名を口にするたびに、フランドル卿が顔を醜く歪めた。
フランドル卿は、混血児を、正しくは魔女を忌み嫌っている。魔女が混血児であるから、おかしな物言いだが普通の彼らも嫌っていて、口にするのも耳にするのも極端に嫌悪しているようだ。
それでも、ラインハルトは話題を変えない。腹に力を入れて相手への嫌悪感を抑え込み、執拗に食い下がった。
「フランドル卿、そもそも魔女って何なのですか? どうして、現れたのですか?」
「ああ、君もなかなか知りたがるね。忌々しいくらいに」
舌打ちし、フランドル卿が人差し指で何度か机を叩く。苛立っている時に決まって起きる、彼の癖だ。
「魔女とは災厄、と言っても、君は納得しないだろうな」
ラインハルトは、無言で頷く。
もう一度舌打ちし、深く息を吐くと、フランドル卿は諦めたような顔をしてラインハルトを見つめてきた。
「わかった、少しだけ話そう。だが、くれぐれも他言は無用にしてくれよ。でないと、私の首が飛ぶからな」
「はい。それは、騎士の誇りに懸けて誓います」
ラインハルトの言葉に、フランドル卿が大きく頷いた。
「魔女とは、憎悪に呑まれた巫女のことだと伝わっている。まじないの話を知っているのだ、巫女も知っているだろう?」
「一応は、聞いたことがあります」
「うむ。そのことは、私の先祖から口伝されたものだから、信用できるかはわからんが。ただな、私はこのことを事実だと思っている。紐解いた歴史の中には巫女の名があるが、ある時からその名は消え、代わりに魔女が現れたのだからな」
「その、ある時とは?」
「人間族と魔族が争い始めた時だ」
フランドル卿の言葉に、魔族の村での話が思い返される。正直なところ、未だに半信半疑だったが、ラインハルトはあの話を信じざるを得ないと思った。
「君にはさっき適当なことを言ってはぐらかしたが、私も一端の歴史家だ。虫唾が走るが、あれほど興味深い歴史はない。本当は、今も研究は続けている。忌々しい混血児に関わることだが、歴史となれば堪えねばならん」
苦虫を噛み潰したような顔をしていたフランドル卿が、真顔になって溜息をついた。
「正確に言うとだな、人間族が争ったのは魔族ではない。魔女が率いた、反乱軍なのだ」
「魔女が、反乱軍を……?」
「そうだ。何があって、巫女が魔女になって反逆したのかは、さすがにまだわからん。だがな、どす黒い憎悪に突き動かされてこの国を襲ったのは、確かなのだ。先に語った、この交易都市のことがあるからな」
少し混乱してきて、ラインハルトは額を抑えた。触れた額は、心なしかいつもより熱い。
――僕は、何か大変なことを知ろうとしているのかもしれない。
そして、アリーも。
ラインハルトは、自然と体に力が入るのを感じた。アリーが、大変な道を歩もうとしているかもしれない。それを思うと、頭の中の混乱も不思議と治まっていた。
「知っていることは、これくらいだな。このことは、なかなかに真実が掴めん」
「いえ、十分です。ありがとうございます、フランドル卿。話しづらいことを、話してくれて」
「ふん。できれば、二度とごめんだな。研究対象とはいえ、私はできるだけ、混血児のことは口にしたくはない。交易都市を奪った混血児など、存在を認めるわけにはいかん」
険しい顔をしながら言ったフランドル卿が、ふと何かを思い出したような顔をした。
「思い出したのだがラインハルト君、あの小娘は混血児だったな。少し、変わったところがあるようだが」
「気のせいでは、ないかもしれませんね。アリーは、変わった髪色をしていますから」
そう言うと、フランドル卿は少し考えるような素振りを見せた。
「……これは、精一杯の善意で言うことだが、あの混血の小娘から目は離さないほうがいい」
「アリーを? 何故です」
「妙に、胸がざわつくのだ。混血児ごときがどうなろうと知ったことではないが、一応君の連れだからな。忠告はしたぞ」
頷き、ラインハルトは席を立つ。フランドル卿は座ったままで、ラインハルトは一礼してから、その場を後にした。
邸宅を出て少ししてから、ラインハルトは一度深呼吸した。
初夏の爽やかな空気が体に入り込み、少し強張っていた肉体が緩み、同時にいくらかの疲れが襲ってきた。
ふと、ラインハルトは空を見上げた。まだ、陽は高い。
それでも思った以上に時は経っていて、ラインハルトは足早に宿屋へと向かった。
「もっと早くに、僕は知ろうとするべきだったのかもしれない」
歩きながら、溜息交じりにそう呟く。
魔女の話を聞きたがったのは、単なる興味からではない。アリーが知りたがっているものを、ラインハルトも知りたくなったからだ。
思えば、ラインハルトはアリーが何を求めて旅に出たのか、知ろうとしてこなかった。ただ、一緒にいられる。それだけで、満足だった。
しかし、ここ最近、それではいけないと感じてきていた。アリーは、何を知ろうとしているのか。それを知ろうとしなければ、隣りにいる資格はない。
ここ最近の出来事を思い返して、アリーの興味を引いていたものを頭に浮かべてみると、大昔の巫女が真っ先に考え付いた。
「巫女は魔女、か」
確かめるように呟き、ラインハルトはまた溜息を吐く。
巫女の話は、これまでいくらか聞いてきた。魔族によって支配されていたこの国を、自由にした救い人。それなのに、魔女となって国を滅ぼそうとした、災厄の人。
何故そうなったのか、考えてもよくわからなかった。フランドル卿から聞いた話を付け足しても、魔女となった巫女が、深すぎる憎悪を胸に抱いていたことがわかる程度だ。
――アリーは、僕よりも知っているのだろうか。
どこまでも広がる青い空を見上げながら、ラインハルトは口の中で呟いた。
一緒に旅をしているのに、自分はアリーのことを全然知らない。知ろうともしていない。それがやはり、ラインハルトにどこか後ろ暗い思いをさせる。
「……そういえば、アリーはどうしてあんな髪色をしているのだろう」
これまで深く考えてこなかったことに、ラインハルトは触れてみた。
混血児は、不思議と紅い髪と瞳を持つと決まっていた。人間族も魔族も、紅の瞳を、髪を持つ者はいない。故に、例外などないと、世間を知り抜いている父から聞いたのだから、これまでは大分信憑性があった。
しかし、アリーは燃えるような真っ赤な瞳こそあるが、髪色は眩い光を放たんばかりの銀色だ。例外が、存在している。
「アリーは、何か特別なのか……?」
言って、ラインハルトはあることを思い出した。
――この前訪れた魔族の村は、魔王の生まれた村だ。そしてその魔王は、アリーの父親。
頭の中にそれが浮かぶと、ラインハルトは思わず身震いした。恐怖などではない。何故か、嫌な感じがした。
フランドル卿の言葉が、急に蘇ってきた。アリーから目を離さないほうがいい。途端に、胸騒ぎがしてくる。
速めていた足をさらに進め、ラインハルトは急いで宿屋へと向かった。
その足が、不意に聞こえた声で止まった。
「本当にこの都市にいるのか? そのアリーっていう娘は」
「さあな。けど、レヴィア将軍が各地に部隊を出しているって言うんだから、いない可能性のほうが高いんじゃないか?」
二人の騎士が、うんざりしたような口調で話している。
アリーの名が出たことに半ば驚きつつも、ラインハルトは咄嗟に物陰へと身を隠し、耳をそばだてた。
「まったく。銀髪赤目の少女と言っても、どれだかわからんぞ」
「フードを目深く被っているらしいが、分かりっこないよな。珍しい容姿だけどさ、この国にどれだけ人がいると思っているんだか」
「だよなぁ。それにしても、将軍は何故その少女を探しているんだろうな?」
「ああ、お前は聞いてなかったか。なんでも、国に関わる何かを、その少女が持っているらしい。だが、確かなことじゃないらしくて、騎士団は公には動けない。だから、将軍の所属の大隊だけが、こうして探索してるのさ」
成程、と片方の騎士が頷く。
ラインハルトは、半ば信じられないものを聞いて、心臓が早鐘を打つほどに動揺していた。
――国に関わる何か、だって?
アリーが、どうしてそんなものを。瞬時にどれだけ考えてみても、わかるはずがなかった。
背中を、冷たい汗が流れる。額にも、びっしりと同じものが浮かんでいる。ラインハルトは、今にも飛び出して話を聞きだしてしまいたかった。
実際、半分ほど物陰から身を乗り出しかけた。けれどそれは、突如として現れた荒々しい足音で押し留められた。
「おいお前たち、こんなところにいたのか!」
隊長風の騎士が、息せき切って駆けてきた。
二人の騎士が、その姿を認めて直立する。
「いたぞ、探し人が! 間違いなく、この都市にいた!」
隊長の騎士が、一息に言った。
「えっ、本当ですか!?」
「ああ。街を歩く少女が銀髪と赤目だったのを、巡回中の部下が見たのだ。部下が後をつけ、その少女が宿屋に入ったのを確認したから、間違いない」
「だったら、こうしちゃいられないじゃないですか。その少女は、まさしく袋のネズミでしょう?」
「その通りだ。今、宿屋を遠巻きに包囲していくよう指示を出している。私は、他の騎士にも声をかけてから向かうから、お前たちも早く行け!」
騎士たちが驚きながらも、大きく頷いていて駆け始めた。隊長も、どこかへ駆け去って行く。
ラインハルトは愕然としたが、次の瞬間には全力で走っていた。
騎士たちとは、逆の方向だ。鉢合わせしたらその中に加わらざるを得なくなるし、今は何よりも逃げる足のイデアルを放さなければならない。
「何が起きてるって言うんだ……!」
駆けながら、ラインハルトは吐き捨てるように言った。
何故、アリーが追われなければいけないのか、捕えられなければいけないのか。気になることはいくらでもある。
しかし、そんな理由などどうでもよかった。今、ラインハルトの頭の中は、たった一つのことがずっと響き回っている。
アリーが、危ない。
動く理由など、それだけで十分だった。




