5-4
夕闇に染められつつある広場で、本売りの商人が、店を畳もうとしている。
レヴィアは、足早に商人へと近づいて行った。
この商人とは、何度か顔を合わせている。ある調べ物のために、ここにはたまに訪れるのだ。古書などを手に入れるには、旅の商人のほうが掘り出し物を持っていることが多い。
「おや、将軍様。生憎、今日は店じまいなのですよ」
気づいた商人が一瞥くれ、また後始末に戻ろうとする。それを、腕を掴んで引き留めた。
「待て」
自分でも思う、恐ろしく低い声。普段と違う雰囲気に気づいたのか、商人が恐る恐るレヴィアに顔を向けた。
「何か、急ぎで入用なものでも?」
商人の声は、いくらか震えている。
「ああ、そうだな」
腰の剣を引き抜き、レヴィアは商人の鼻先に剣先を突き付けた。
声にならない悲鳴が上がる。しかし、この時間帯には人の姿は皆無だ。気に留めるはずの人は、誰もいなかった。
「正直に言え。魔女の本を、お前は手に入れただろう」
「ま、魔女の本、ですか? た、確かに、アルベール家の者から売られた本の中に、一冊ありましたが……」
――やはりあったか。
レヴィアは内心舌打ちし、奴らの軽率さを恨んだ。自身の立身ばかりを願うアルベール家の者たちは、ジョシュアを除いて愚物揃いだ。ジョシュアが持ち、読み解こうとしていた物の価値を、まったく知ろうとしていなかった。
だが、手に入れる機会を与えてくれたことには、感謝すべきだろうか。
「あの、それが何か……?」
震える商人の声が聞こえ、それが妙に癪に障った。剣を一度引き、それから無造作に突き出した。刃は商人の頬を掠め、一条の赤い筋が浮かび上がった。
「ひいっ!?」
悲鳴を上げ、無様に体を震わせる商人が、それでも腰を抜かさずに、立ったまま怯えた目をレヴィアに向けてきた。
剣を動かし、レヴィアは商人の首に剣を突き付ける。悲鳴が、もう一度上がった。
「どこにある」
「ほ、本ならば、もうここにはありませんッ!」
「何だと……?」
「もう、売ってしまったのです! 本当です、信じてください!」
商人の真剣な言葉も、レヴィアはどこか遠いものとして聞いていた。
長年探し、見つけた時には人の手に渡っていたが、それがどういう因果か手に入れられそうな機会に恵まれた。恵まれたはずだったが、どうしたわけかこの手からはすり抜けていった。
――十七年だ。あの時から、十七年も経っている。
己の手を汚してから、既にそれくらいの時が流れている。人間よりも何倍も生きる魔族からすれば、その歳月は短いものに過ぎないが、レヴィアにとっては異常なほどに長く感じられた。
――何としても、魔女を我が手に。
己の宿願のために、あれは必要なのだ。口の中で呟き、レヴィアはかっと目を怒らせた。
「言えッ! 誰だ、誰にその本を売った!」
自分のものではないと思うほど、声を荒げていたが、レヴィアは気にしなかった。
商人が震え、何かを言おうと口を何度も開閉させている。しかし恐怖のためか声は出ず、何とか絞り出そうとしているのか、吐息ばかりが漏れていく。
苛立ちながらも、レヴィアは言葉が出てくるのを待った。
「あ、アリーという、少女です……」
その言葉が出たのは、それから少ししてからだった。
「どういう女だ?」
「銀の髪と赤い瞳を持つ、少女です……。決まってフード付きのローブを纏い、よく公園で子どもたちに読み聞かせをしています……」
「何故、魔女の本を欲しがった?」
「わかりません。しかし彼女は、魔女の本に書かれた難解な文字を、いくつか読みました。それで、興味を持ったのではないかと」
剣を引き、レヴィアは唸りながら顎に手を当てて考えた。
銀髪に赤い瞳。どこかで聞いたことがある事柄だが、記憶に鍵をかけられているように、そのことだけははっきりと思い出せない。
しかしそれよりも、まず魔女の本だ。あの本は、普通では解読できない難解な文字で書かれている。ジョシュアとて、まったくと言っていいほど解読できておらず、おそらくレヴィアが見ても相当時間をかけねば、読み解くことはできないだろう。
――それが、文字を読んだだと?
俄かには信じられない話だった。だが、事実だとしたら、何としても捕えなければならない。
未だ震えている商人を、レヴィアは見下すように視線を向けた。
「他に、知っていることはあるか?」
「い、いえ」
「そうか」
言葉が消え入るのと同時に、剣が唸る。刹那、商人の首が飛んだ。
首のない胴体が生暖かいものを噴き出しているが、それもすぐに止まった。体を、飛んだ首を、そして本の乗った荷車を、突如として上がった黒い炎が覆っている。
「探さねば、その少女を。あの書物は、資格無き者に渡ってはならぬのだ」
音もなく燃えていくそれらに一瞥くれ、レヴィアは強く拳を握った。
炎が消え、燃えていたものは全て消し炭と化した。骨も残骸も、何も残らない。魔力によって生み出したレヴィアの炎は、全てを焼き尽くす。
レヴィアは、足を強く踏み鳴らしながら、この場を去った。
去り際に、肌を刺すような冷たい風が、一息に通り抜ける。吹き抜ける風に運ばれ、消し炭は夜の闇に紛れ、消えた。




