↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私を忘れて  作者: 千変万化
五章 「旅立ち」
27/125

5-3

 アリーは、平民街から外に繋がる入口の前で、ラインハルトを待っていた。

 空はまだ薄暗く、日も顔を出してからあまり経っていない。人の出入りも、どこからか仕入れをしてきた人たちが何人か通っていく程度だ。

 昨日の夕暮れにラインハルトが現れて、待ち合わせの時間を告げてきた。少し早めの時間にアリーは戸惑ったが、人目が少ない時間のほうが目立たないで済むというのが、ラインハルトの意見だった。

 目立たずに済むのは、アリーとしては望んでいたことでもある。だから、戸惑いはしたが、拒絶することはなかった。

「遅いな、ラインハルト」

 少し明るくなりつつある空を眺めながら、アリーは不安げに呟いた。

 約束の時間は、いくらか過ぎている。あともう少ししたら、人の出入りも増えてくるだろう。

 時間を間違えただろうか。ちょっとだけそんな不安がよぎったが、アリーはそれを振り払った。昨日の夜、何度も何度も、頭の中で確認したのだ。間違っているはずがない。

「きっと、もうすぐ来るよね」

 呟いて、アリーはラインハルトを待った。

 そっと吹き抜ける風が、少し冷たい。春真っ盛りとはいえ、朝晩はまだまだ冷え込む日が多い。それなのに、防寒具になるようなものは、中に着るものしか持っていなくて、顔や手がとても冷たい。何もつけていない手に息を吐きかけ、アリーは少しでも寒さを紛らわせようとした。

 慌ただしい足音が聞こえてきたのは、それから少ししてからだった。

 俯いていた顔を上げ、アリーは目の前で肩で息をしている人に、視線を投げかけた。その人は、ばつが悪そうに苦笑している。

「ごめん、アリー。待たせちゃったね」

 息を整えてから、ラインハルトが気持ち小さい声で言った。

「ううん、私も来たばかりだったんだ。だから、気にしないで」

「そ、そう? 良かった」

「何が良かっただ、愚か者」

 一瞬安堵の表情を浮かべたラインハルトの頭を、いつからいたのか、ヨハネスが思い切り叩いた。少し鈍い音が鳴り響き、ラインハルトが頭を抱えてしゃがみ込む。

「な、何をするんだ、ヨハネス……」

「俺に面倒事を押し付けただけでは飽き足らず、あまりにも鈍感なのでな。見ろ」

「あっ」

 ヨハネスが唐突にアリーの手を取ってきて、アリーは思わず小さな声を上げた。

 握られた手は、とても温かかった。少し震えていた手が、動きを止める。

「冷たいな。ラインハルト、お前を大分待っていたのだろう。それくらい、ちゃんと察してやれ」

「う、うん。ごめん……」

 頭をさすりながらラインハルトが立ち上がり、持っていた袋から手袋を取り出して、差し出してきた。

「気づかなくて、ごめん。今更だけど、これを貸すよ」

 差し出されたのは、赤の毛糸で編まれた手袋だった。鮮やかすぎる色で、あまりにも目立つが、毛糸の手袋はとても温かそうである。ちょっと寒くて、少し辛かったから、アリーはあまり迷わずにその手袋を受け取っていた。

「ありがとう。あと、嘘ついちゃってごめんね。本当は、ちゃんと時間通りに来たんだ」

「そうだったんだね。本当にごめん。一人、挨拶を済ませてない人がいて、ちょっと時間を食っちゃったんだ」

「挨拶だけじゃなかったからな」

 言ったヨハネスの顔は、不機嫌で仏頂面になっている。

「こいつ、昨日それとなく言い出したかと思えば、そいつの稽古を俺に押し付けてきたのだ。朝早くについて来てくれというから一緒に行ったら、まったく。厄介な面倒事を増やされた」

「そう言うなよ、ヨハネス。彼は強い。君にだって、いい刺激になるはずだ」

「そういう問題ではないのだよ」

 ヨハネスがもう一度ラインハルトの頭を叩き、また鈍い音が響いた。

 うずくまって小さな声を上げて痛がるラインハルトをよそに、ヨハネスがアリーに一歩歩み寄った。

 少し高い所にある双眸に目をやり、アリーはちょっとだけ頬を膨らませた。

「あんまり叩いちゃダメだよ、ヨハネス。痛そうだよ」

「ふん。こいつにはこれくらいがいい薬だ。ここから先、本当に見なきゃいけないものはいくらでもある。見落としてはならないものもだ。一発二発の痛みでそれが学べるなら、安いものだろう」

 全く悪びれた風がないヨハネスに、アリーは少し困ったように笑った。ヨハネスとは、こういう人だった。ちょっと不器用で、うまく態度に示せない。だからこういう風に少し荒っぽいこともするが、それは相手のことをちゃんと思っているからでもある。

 ――でも、やっぱりやりすぎだよね。

 口の中で呟いて、アリーはもう一度困ったように笑った。

「それにしても、お前も旅に出るのだな」

「うん。私ね、やらなきゃいけないことがあるんだ」

 そうか、と呟き、ヨハネスが俯きがちに考えるような素振りを見せた。

 その様に、アリーは小首を傾げた。

「……お前が何をしたいのか、俺は知ろうとは思わん」

 少しの沈黙の後に顔を上げたヨハネスが、アリーをしっかり見据えてくる。

「だが、お前が後悔しない旅になることぐらいは、祈ってやる」

 友達だからな、と付け加えたヨハネスの顔は、少しだけ赤くなっているように見えた。

 ――やっぱり不器用な人なんだね。

 アリーはちょっとおかしくなって、小さく笑った。

 そっぽを向いて視線を逸らすヨハネスだが、それでも口元には小さな笑みが浮かんでいた。

 うずくまっていたラインハルトが、頭をさすりながらゆっくりと立ち上がった。

 表情が、不思議ときりっと引き締まっている。

「ありがとう、ヨハネス。君に言われなかったら、僕はただ浮かれて旅に出かけていたかもしれない。僕には、忘れちゃいけないものがあるんだ」

「ふん。わかればいいのだよ」

「僕は、ちゃんと見てくるよ。見なきゃいけないものも、見たくないものも」

 ヨハネスが目を瞑りながら口元だけで笑い、頷いた。

 二人を微笑ましく思って見ていたアリーだが、不意に眩しい光を浴び、思わず目を瞑った。

 気づけば、空はしっかり明るくなっていて、人の通りも少し増えてきている。

 ラインハルトもそれに気づいたのか、少し姿勢を正して、ヨハネスに向き直った。

「そろそろ行くよ、ヨハネス」

「ああ。またな」

「うん。またね」

 たったそれだけを言って、二人は互いに背を向けた。

「待って、ラインハルト。ヨハネス、私も行くね。バイバイ」

 アリーの言葉に、ヨハネスが振り返らずに手だけを振って応えた。

 見てはくれないだろうが、アリーは一度ヨハネスに頭を下げてから、ラインハルトの背を追った。

 アリーは王都と外を繋ぐ橋を渡り、ラインハルトと並んで王都の外へ出た。

「あっ」

 初めてしっかり見る外の風景に、アリーは息を呑んだ。

 遠くまで広がる浅緑の草原。風がそよと吹くたびに草がゆらりと揺れ、青いにおいをふんわりと運んでくる。街道はしっかりと整備されて土が見えているが、そこからちょっと離れた草のある所を歩いてみると、ちくちくとした感触が軽く襲ってきて、どことなくむず痒い。

「外の景色は、珍しいかい?」

 ラインハルトが柔らかな笑みを湛えて聞いてきて、アリーは小さく頷いた。

「私ね、ずっと前に各地を転々としていたの。でも、心に全然余裕がなくて、不思議と周りの景色を覚えていないんだ。だから、とっても新鮮。外の景色って、こんなにきれいなんだね」

 一歩二歩と歩きながら、アリーは言った。サクサクと、草をかき分ける音が、どことなく心地いい。

「そうだね。この国は、本当はこんなにきれいなんだ。こんなにも、きれいなんだ」

 ラインハルトの言葉にちょっとだけ寂しさを感じて、アリーは思わず立ち止まった。

 顔色を窺おうとしたが、ラインハルトの表情は、もういつもと変わらなかった。いつもの、柔らかな優しい顔である。

「そうだ。君に、紹介しておかないといけない子がいるんだ」

 そう言って、ラインハルトが指笛を鳴らした。

 どこか遠くから、足音が聞こえてくる。それは次第に大きくなって、やがて高いいななきと共に、その姿を現した。

 少し体が大きな白馬だ。白馬がラインハルトの姿を認めると、すぐに寄って行って鼻面を彼の体に摺り寄せた。ラインハルトはそれをそっと撫で、小さく何かを呟いている。

「僕の友達の、イデアルだよ。とても賢くて、優しい子なんだ。滅多に暴れないし、乗り手も選ばない。誰の話だって、ちゃんと聞いてくれるんだ」

「そうなんだ。ねえ、触ってみてもいい?」

 ラインハルトが頷き、アリーはおずおずと馬の体に触ってみた。

 さらさらした毛並みに、アリーは少し驚いた。触っていて、とても気持ちがいい。整った毛並みはちゃんと手入れがされていて、ずっと触っていたいような気持ちになる。

「ねえ、どうしてこの子は、王都の外なのに呼んだら来たの?」

「外に、厩があるんだ。僕の家は広いけど、馬を走らせるほどじゃない。馬は、ちゃんと走らせてあげないとダメなんだ。だから、王都の外に厩を設けさせてもらってるんだよ」

 尤も今日は、部下にイデアルを放しておいてもらったけど、とラインハルトは付け加えた。

 アリーは頷きながら、イデアルの顔に自分のそれを近づけた。優しい瞳が、アリーを見つめ返してくる。

「私は、アリーって言うの。よろしくね、イデアル」

 アリーの言葉に、イデアルが耳をピコピコ動かし、ゆっくりと頷いてきた。その仕草が、どことなく愛らしい。

「イデアルも、アリーのことを気に入ってくれたみたいだよ」

 隣に来たラインハルトが言った。

「僕らだけじゃ、この国を歩いて回るには広すぎる。でも、イデアルがいれば、少しは楽になるよ」

「そうだね。でも私は、少しの間は自分の足で歩きたいな」

 もっと自分の足で、体で、この風景を堪能したい。その気持ちを、アリーは抑えられなかった。

 ラインハルトは察してくれたのか、小さく頷いただけだった。

「さて、行きたいところがあるんだよね? どこかな」

 ラインハルトが、地図を取り出しながら言った。

 広げられた地図を覗き込むようにして見ながら、アリーはあの時光った場所を思い返した。地図の真ん中にある王都を中心にして、それを囲む五角形の頂点にあたる位置が光っていたはずだ。

 北東の大集落、南東の魔族が住まう村、南西の交易都市、北西の小さな村、そして北の、深い森の中。思い返しながら、アリーはその場所を指でそっと触れていく。そうしながら、アリーは束の間、どこへ行こうか迷った。

 ――大集落から、かな。

 気のせいかもしれないが、そこが最初に光ったような気がする。それに、地図の上から見ると、大集落は王都からそれほど遠くない場所にあり、早くて二日でつけると思われた。

「北東にある、大集落。最初は、ここに行ってみたいな。そこから、時計回りに回ってみたいの」

 言ってから、アリーは自分の目的地を付け加えた。

「大集落を始めに時計回りだね」

 理由を気にすることなく、ラインハルトが頷いた。

 何も聞かれないことは不思議だったが、逆にそれはありがたいことでもあった。アリーにだって、自分に起きていることは説明できない。

「旅をしてれば、おじさんにも会えるかな?」

「もしかしたらね。商人殿は、色々なところを回ってるらしいし」

「そっか」

 話したいこと、教えたいことが色々あって、アリーはその時が早く来ればいいな、と思った。同時に、もっと色々わかってからがいいのかな、とも思って、アリーはちょっとだけ複雑な思いに駆られた。

「さあ、行こうか」

 ラインハルトが手綱を持ち、イデアルと並ぶようにしている。

「ラインハルトも、歩くの?」

「うん。たまにはゆっくり歩くのも悪くない。それに」

 ラインハルトが、何故か言い淀んだ。

「それに?」

「な、何でもないよ」

 不思議に思って聞いたアリーに、ラインハルトは慌てたように首を振って否定した。

 小首を傾げ、アリーがラインハルトの顔を覗き込むも、彼は苦笑いしてごまかすばかりだった。

「さ、さあ行こう。大集落まではいくらか距離があるから、途中で宿を取らないとね」

「そうなんだ。わかったよ、ラインハルト」

 そう言うと、ラインハルトは頷いて、イデアルと共に歩き出した。

 アリーは、少し立ち止まっていた。それに気づいたラインハルトが、訝しげに後ろを向く。

「どうしたんだい、アリー?」

「あのね、ラインハルト」

 一度言葉を切り、そっと息を吐く。それに呼応したかのように、そよと吹く風が、フードから出る前髪を微かに揺らす。ちらちらと映る銀色が、束の間日の光で煌めいて見えた。

「いっぱい迷惑かけちゃうかもしれないけど、改めてよろしくね」

 自分の精一杯の笑顔を見せ、アリーは少し小走りにラインハルトへと駆け寄った。

 ラインハルトが赤くなりながら頷き、顔を別のほうへと向けながらまた歩き出した。

 気持ちゆっくり、ラインハルトは歩いてくれている。アリーは合わせるように、その隣を歩いて行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。