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私を忘れて  作者: 千変万化
四章 「喪失と決意と」
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4-4

 ジョシュアが死んだ翌日、ラインハルトはヨハネスに呼び出されて、彼の屋敷へと行った。

「遅かったな、ラインハルト」

 迎えたヨハネスの顔は、驚くほどにやつれていた。頬はこけ、目の下には黒い隈が張り付いている。それでも鋭い双眸は、少し身震いするほどの強い光を湛えていた。

 しかしその顔にも、別段驚かなかった。ラインハルトだって、ジョシュアと別れてから、まともに食事をとることができていない。眠ろうにもジョシュアの顔が頭に浮かび、浅い眠りで目が覚めてしまう。きっと、ヨハネスに劣らず酷い顔をしているのは容易に想像できた。

「ごめん、ヨハネス。約束は、昼前だったのに」

 日は、既に中天をいくらか過ぎている。人の気など知らないかのように、頭上には青々とした空が広がっていた。

「ふん。まあ、そんなことはどうでもいいか。お前に、伝えておかねばならんことがある」

「僕に? 一体何を」

「ジョシュアが、守ったものをだ」

 入口の石段に腰掛け、ヨハネスは口の前で指を組みながら言葉を続ける。

「昨日、処刑されたのはジョシュアだけだっただろう? 本当はな、あそこにはもう二人いるはずだった」

 組んでいた指をほどき、ヨハネスは自身と、そしてラインハルトをゆっくり指さした。そして、低い声で呟く。

「俺と、お前さ」

「えっ……?」

 何を言われたのかわからず、ラインハルトはそれしか言えなかった。

 構わず、ヨハネスは続ける。

「アルベールの家の奴らからすれば、ジョシュアだけじゃなく、俺たちも目障りだったのだろうな。俺たちのような曲がらない騎士は、いずれこの国に牙を剥く。この国が危うくなれば、奴らが何のために家を盛り立ててきたのかがわからなくなる。だから、一緒に処分しようとした」

「ま、待ってくれ、ヨハネス。君は、何を言っているんだ? 君は、何を知っているんだ」

「ふん。やはり、知らなかったか。ジョシュアは、お前には言わなかったのだな」

 少しだけ寂しげな表情を見せたヨハネスが、一度息を吐いた。

「アルベール家はな、もともとはこの国を統べていた王族だ。だが、遠い昔に没落してな、一度ただの貴族になり下がった。それが屈辱だったのだろう。アルベール家の奴らは、昔の栄華を取り戻すべく、長い時をかけて今の地位を手に入れた。名高い騎士を輩出する名家としての地位をな」

 このことは、アルベール家の者とジョシュアから聞いた俺くらいしか知らない、とヨハネスは付け加えた。

 ラインハルトは、まだ混乱していた。それに畳みかけるように、ヨハネスは言葉を紡ぎ続ける。

「ジョシュアが何を思って俺に教えてくれたのかは、今となってはわからん。ただわかるのは、アルベール家のどす黒い野望だけだ。いずれ王を追い落とし、自分たちが王として君臨する。そんな、薄汚い欲望だけだ」

 一度息を吐き、ヨハネスがさらに続ける。

「いずれ奴らは、この国に牙を剥く。しかしそれは、荒事を起こさずにだ。じっくりと時間をかけて今の地位を築いたように、じわじわとこの国を蝕み、やがて自分のものにするつもりだ。そのために、邪魔な芽は摘んでいこうというのだろう」

 漸く、ラインハルトの頭ははっきりしてきた。ヨハネスの言葉が、嫌になるほどはっきり理解できてくる。

「……つまりは、これから奪う国のために、邪魔になりそうな僕らを排除しようとした。そういうことなのか?」

「端的にまとめればな。でも、それは実現しなかった。何故だかわかるか?」

 ラインハルトは首を振った。今は、いくら考えても答えは出ない。

「ジョシュアが、身を挺して奴らを説得したからさ。あいつが、俺たち二人を殺す不利を必死に説いてくれたから、俺たちは今も生きている」

「ヨハネス、君はどこまで知っているんだ?」

 あまりにも知りすぎているヨハネスに怪訝な顔を向けると、彼は寂しそうな笑みを浮かべた。

「ふん。何の偶然か、俺はジョシュアと奴らが話しているのを聞いてしまったのだよ。巡回の帰りに、あいつの家へと立ち寄ろうとした時にな。ジョシュアの奴、必死だった。俺のフランドル家は交易を差配し、グランツ家は王の親衛騎士を束ねる。その二つの家の跡取りを奪えば、国は盾と喉を潤す水を失う。だから、死ぬのならば厄介者の俺だけにしてくれ。そう、叫んでいたよ」

 その光景を思い出したのか、ヨハネスの双眸から涙が零れ落ちた。滅多に涙を見せないこの親友の涙を、ラインハルトはただ茫然と見つめていた。

 ヨハネスは涙を拭うこともせず、そのまま言葉を続けた。

「俺たちは、ジョシュアに救われた。救われたからには、何としても生きなければならん。ラインハルト、ジョシュアと会って話せたお前は、あいつから何か言われただろう?」

 ジョシュアの、最後の願い。どれだけ心が揺さぶられていても、すぐに思い返せる、忘れられない言葉。

「……決して、理想を忘れないでくれ。俺たちが抱いた、遠い理想を」

 震える口から、ラインハルトはやっとの思いで言葉に出した。

 ヨハネスが、涙ながらに優しい笑みを浮かべた。いつもの口の端だけでの皮肉交じりのものではない、初めて見る優しい表情だ。

「忘れないさ。生かされた俺たちが、何としても叶えてやる」

 いつになく優しい声で言うヨハネスを、ラインハルトは呆然と見ていた。どこか、ヨハネスが大きく見える。ジョシュアの死を、受け入れているからなのか。

 自分はどうだろうか、とラインハルトは思った。きっと、見る影もないくらいに小さいのだろう。多分、ヨハネスのように割り切れなくて、立ち止まったままなのかもしれない。

 視線に気づいたヨハネスが、ラインハルトの額を指で弾いた。響くくらいのいい音が鳴り、ラインハルトは思わず額を押さえた。

 瞬間的な痛みが襲ってくる。だがそれも、見つめるヨハネスの冷たい視線が、掻き消した。

 いつの間にかいつもの仏頂面に戻っているヨハネスの顔が、しっかりしろと言っている。

 正直、ラインハルトは割り切れたかどうかわからない。それでも少しだけ、ほんの少しだけ気持ちを上向かせ、小さく頷いた。

 口の端だけで微かに笑って見せ、ヨハネスが腕を組んで瞳を伏せた。

「たとえ二人になっても、俺は後ろは向かんぞ。振り返るのは、理想が叶った時だけだ」

「……そうだね。僕も、できる限りそうするよ」

 小さく鼻で笑い、ヨハネスは拳を差し出してきた。ラインハルトはそれに、軽く自分の拳を合わせる、

 もう一つ足りない。そんな気分が襲い掛かってきたが、ラインハルトはぐっとこらえた。ジョシュアは、もういない。ヨハネスと二人で、頑張っていくしかないのだ。

 ――けれど、やはり寂しい。

 ヨハネスも、きっとそうなのだろう。合わせた拳は、一向に離される気配がない。

 互いの気が済むまで、二人でしばらく拳を合わせ続けた。合わせるヨハネスの拳は、寂しさも入り混じってか、いくらか冷たかった。

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