4-3
「ラインハルト、ジョシュアとは縁を切れ」
朝の修練を終えた時、ラインハルトは唐突に父からそう言われた。
いきなりのことで一瞬戸惑ったが、言われたことはすぐに理解した。理解したが、とても納得できるものではなかった。
「何を言うのです、父上! 昔、ジョシュアとは良好な関係を築けとおっしゃったのは、父上ではありませんか!」
父の身勝手な言葉に食って掛かるが、一切取り合ってくれない。ラインハルトはそれに、微かな苛立ちを覚えた。
ラインハルトが幼少の頃、アルベール家の長男であるジョシュアと引き合わされた。アルベール家はこの国きっての騎士を輩出する名家の一つであり、国を重んじる父は何としても誼を結ぼうと躍起になった。どんな手段を用いたかはわからないが、結果として両家は手を携えた。
歳が二つしか離れていないこともあり、二人の仲は最初から良好だった。いや、正しくは幼いながらも胸に抱いた疑問が、奇しくも一致していたのが大きかったのかもしれない。
――何故、この国は変わっているのか。
お互いにそれをぶつけ合った時、ジョシュアとは友達以上の関係になった、とラインハルトは幼いながらに思ったものだ。
父の思惑とは違う形だったが、結果的にはアルベール家とは良好な関係を築くことができた。家は事あるごとに互いを立てたが、ラインハルトもジョシュアも、そんなことは気にせずに己を高め合った。
それなのに、何故今になってなかったことにしろと言われるのか。納得など、できるわけがなかった。
父が、去ろうとする。ラインハルトはその背に、怒号に似たものをぶつけた。
「何故です、父上! 何があなたの気に障ったというのです!」
背を向けた父が振り返り、キッと睨みつけてきた。小さく、口が動く。お前ごときに。そこまで言ったような気がしたが、父は何を思ったのか、口を真一文字に引き結び、それから怒れる瞳を伏せた。
父が次に目を開けた時、その双眸にはもう、何も宿っていなかった。
「警告はしたぞ、ラインハルト」
それだけ言い、父はどこかへ去ってしまった。
その背を見送ることなく、ラインハルトは家の中に戻り、浴室に行って汗に塗れた体を綺麗に拭った。しかし、心に宿るわだかまりだけは、どうしても残ってしまった。
「いきなり、何だって言うんだよ」
着替えに身を通し、鎧を纏いながら、ラインハルトは苛立ち交じりに呟いた。
どれだけ口に出そうとも、意味がないのはわかっている。それでも、口にしなければ自分の中で気持ちが暴発しそうだった。
着替えを終え、ふと鏡に目をやって、ラインハルトは愕然とした。怒りのせいでか、顔が赤黒く、酷く歪んで見える。目じりは吊り上がり、額には皺が寄ったままだ。何とか直そうにも、顔の筋肉が硬直してしまったかのように、どうしても戻らなかった。
「……こんな顔、部下には見せられないな」
奇しくも、今日は一人で巡回をする日だった。部下の大多数は、この日は非番にあたる。羽を伸ばさせるために、月に一度か二度は、そういう日をラインハルトは設けていた。
もやもやしたものを抱いたまま、ラインハルトは巡回に出た。今日は、平民街を回る。
何か異質なものを感じたのは、平民街をいくらか回ってからだった。
街の様子が、どことなくおかしい。いつものような活気はなく、人々の表情は不思議と沈んで見える。
ふと、道行く人と目が合った。射貫くような、冷たい眼差し。それがまっすぐラインハルトに向けられていて、ただただ戸惑った。立ち止まり振り返っても、その人はそのまま前を見て歩くだけだ。
そしてそれは、その人だけじゃなかった。すれ違い、目が合う人の大半が、同じように冷たいものを投げかけてきていた。
「どうしたんだろう、これは」
意味が分からず、ラインハルトは困惑することしかできない。こういう時こそ誰かに話を聞いて貰いたいものだが、ヨハネスは討伐任務で留守だし、ジョシュアもまたそうだったはずだ。顔見知りの商人は十日程度前に来たから、あと三、四日は待たないと現れない。
――アリーなら、会えるかな。
もしかしたら、下界の近くの公園でいつもみたいに座っているかもしれない。一瞬足が向きかけたが、会いに行くのは何となく憚られた。こういう話は、アリーにはできるだけ聞いてほしくはない。
一度息を吐き、ラインハルトは巡回を続けた。
しばらく歩いていると、遠くで人だかりができているのを見かけた。
興味本位で、ラインハルトは近づいていく。人の数が徐々に増え、ひそひそとささやく声も自然と聞こえてくる。罪人の護送。あの人は似非騎士だった。確かにそんな声が聞こえて、ラインハルトは唐突に嫌な気分に襲われた。
足を速め、人だかりをかき分けていく。途中で何人かにぶつかったが、構わず突き進み続けた。
そして、引かれる檻車の前まで来た時、ラインハルトは絶句した。
ジョシュア。檻車の中でぼろぼろの衣服を着て座っているのは、間違いなくジョシュアだった。
――何が何だか、わからない。
視界が歪みそうになるほど、頭の中が掻き回された感じだが、そんなことには構っていられなかった。
「そこのお役人、少し待ってくれませんか!?」
人目も憚らず、檻車を先導する役人めがけて、ラインハルトは駆け出した。
ラインハルトの顔を知っているのか、役人が少し緊張した風を見せる。それでも、どこか下卑たものを顔の端に浮かばせていた。
「これは、ラインハルト様。お勤めご苦労様です。私に、何か御用ですかな?」
「単刀直入に言う。何故、ジョシュアが護送されているのです? 彼がそんな過ちを犯すはずがない!」
「おやおや、これはおかしなことを申されますな。罪を犯したから、この男は檻に入れられているのですよ。何か、間違いでもありますかな?」
にやにやと嫌な笑みを浮かべる役人に少し苛立つも、ラインハルトはそれを押さえて頭を下げた。
「……とにかく、ジョシュアと話をさせては頂けませんか? 少しで、いいんです」
「そうですか。まあ、少しくらいならいいですがねぇ。私どもも、早々に仕事を終えたいわけでして」
役人はちらちらとラインハルトを見る。その意味が分かり、ラインハルトは右の拳を強く握り締めた。生温かい何かが滲み出すのを感じたが、それでもラインハルトは感情を抑えた。
「……お願いします。ほんの、少しでいいんです」
役人に歩み寄り、左の手で役人のそれに数枚の金貨を握らせた。
握ったものに気づき、役人が一層嫌な笑みを浮かべた。
「ようし。お前ら、小休止を挟むぞ。檻車など辛気臭いものの周りより、こっちに来て休め」
役人の声がかかると、檻車を引いていた者と護衛の者がさっと離れて行った。
檻車から人が離れると、ラインハルトはすぐにジョシュアの近くへと駆け寄った。
「……ラインハルトか」
目を閉じていたジョシュアが、ぽつりと呟いた。
「何故だ。何故こんなことになっているんだ、ジョシュア?」
声を上げたいのをぐっとこらえ、できるだけ小さい声でラインハルトは言った。
「どうもこうもないさ。反乱の疑惑あり。たったそれだけの理由で、この様さ。彼女が言ったことが、よくわかったよ」
「そんな……。誰も、誰も弁解してくれなかったのか? 君の、家族は」
「家族、か」
吐き捨てるように言ったジョシュアが、目を開けて見上げた。けれどその眼は、何も見ていないように思えた。
「俺を国に売ったのは、俺の家族そのものさ。あいつらからすれば、俺は家を潰しかねない厄介者だったんだよ。だから、あの野郎をぶん殴ったのを契機に、俺を罪人に仕立て上げる準備をしていたのさ」
「そんな、そんなことが……」
足元が崩れそうな錯覚に陥り、ラインハルトは思わずふらついた。檻車に手をかけ、何とか抑えたが、視界が思い切り揺れているような感覚が襲ってきていた。
ジョシュアとは縁を切れ。父のその言葉が、不意に蘇ってきた。父は、ジョシュアが護送されることを知っていたのだ。知っていて、手を差し伸べることもなく、切り捨てようとした。
ふつふつと、ラインハルトの胸に怒りが湧きだした。思い浮かべる父の冷たい顔が、この時はひどく憎く思えた。
「落ち着けよ、ラインハルト」
檻の中から伸びてきた手が軽く肩を叩き、ラインハルトははっとした。ジョシュアが、涙を流しながらこちらを見ている。
「俺のことは、もういいんだ。起きちまったことは、なかったことにはできない。これから起こるだろうことも、きっとな」
「いや、僕が何としても父さんを説得してみせるよ。君を救うためなら、いくらだって出させてみせる」
「よせ。仮にそれができたとしても、いずれまた同じことになる。その時は、お前も共倒れだ。俺はそんなのを、望んじゃいない」
ジョシュアが、小さく笑った、その笑みが諦めに満ちていて、ラインハルトは絶望した。もう、ジョシュアを助けることはできない。ジョシュア自身が生きることを諦めている以上、それはもう、動かせない現実だ。
「……結局、俺の運命は決まってたんだな。どうあがいても、変えられなかった」
「ジョシュア……?」
呟かれた声はあまりにも小さくて、ラインハルトには聞き取れなかった。
「なあ、ラインハルト」
今度ははっきりと聞き取れる力強い声で、ジョシュアが言った。その声は、微かに震えている。
「俺は、悔しい。俺は、間違ったことはしていない。それでも、この国では間違ったことが正しく映されちまう」
ラインハルトの両の肩をがしっと強く掴み、ジョシュアがしっかりと瞳を向けた。
「絶対に、忘れないでくれよ。俺たちが抱いた、遠い理想を。そしていつか」
「さて休憩は終わりだ。ラインハルト様、そろそろお引き取り願いましょうか」
唐突に役人が間に割って入り、ジョシュアの手が振りほどかれた。ジョシュアは伸ばしていた手を引っ込め、最初に会った時と同じ態勢に戻ってしまった。
檻車が運ばれる。ラインハルトは突き飛ばされたように押しのけられた。
追いかけようにも、ジョシュアの諦めた笑みが思い返されて、足が動かなかった。ただただ、去って行く檻車を見送るしかない。
「ジョシュアッ!」
手を伸ばして叫ぶも、もう届かない。せめて一目、顔を見ようにも、ジョシュアは決して振り返ってはくれない。
やがてその姿が視界から消えた時、ラインハルトは膝から崩れ、声をあげて泣いた。周りの人だかりが消え、時折通りかかる人が奇異の目を向けても、構わず泣き続けた。
その日から三日後、ジョシュアは、串刺しになって死んだ。




