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私を忘れて  作者: 千変万化
四章 「喪失と決意と」
20/125

4-3

「ラインハルト、ジョシュアとは縁を切れ」

 朝の修練を終えた時、ラインハルトは唐突に父からそう言われた。

 いきなりのことで一瞬戸惑ったが、言われたことはすぐに理解した。理解したが、とても納得できるものではなかった。

「何を言うのです、父上! 昔、ジョシュアとは良好な関係を築けとおっしゃったのは、父上ではありませんか!」

 父の身勝手な言葉に食って掛かるが、一切取り合ってくれない。ラインハルトはそれに、微かな苛立ちを覚えた。

 ラインハルトが幼少の頃、アルベール家の長男であるジョシュアと引き合わされた。アルベール家はこの国きっての騎士を輩出する名家の一つであり、国を重んじる父は何としても誼を結ぼうと躍起になった。どんな手段を用いたかはわからないが、結果として両家は手を携えた。

 歳が二つしか離れていないこともあり、二人の仲は最初から良好だった。いや、正しくは幼いながらも胸に抱いた疑問が、奇しくも一致していたのが大きかったのかもしれない。

 ――何故、この国は変わっているのか。

 お互いにそれをぶつけ合った時、ジョシュアとは友達以上の関係になった、とラインハルトは幼いながらに思ったものだ。

 父の思惑とは違う形だったが、結果的にはアルベール家とは良好な関係を築くことができた。家は事あるごとに互いを立てたが、ラインハルトもジョシュアも、そんなことは気にせずに己を高め合った。

 それなのに、何故今になってなかったことにしろと言われるのか。納得など、できるわけがなかった。

 父が、去ろうとする。ラインハルトはその背に、怒号に似たものをぶつけた。

「何故です、父上! 何があなたの気に障ったというのです!」

 背を向けた父が振り返り、キッと睨みつけてきた。小さく、口が動く。お前ごときに。そこまで言ったような気がしたが、父は何を思ったのか、口を真一文字に引き結び、それから怒れる瞳を伏せた。

 父が次に目を開けた時、その双眸にはもう、何も宿っていなかった。

「警告はしたぞ、ラインハルト」

 それだけ言い、父はどこかへ去ってしまった。

 その背を見送ることなく、ラインハルトは家の中に戻り、浴室に行って汗に塗れた体を綺麗に拭った。しかし、心に宿るわだかまりだけは、どうしても残ってしまった。

「いきなり、何だって言うんだよ」

 着替えに身を通し、鎧を纏いながら、ラインハルトは苛立ち交じりに呟いた。

 どれだけ口に出そうとも、意味がないのはわかっている。それでも、口にしなければ自分の中で気持ちが暴発しそうだった。

 着替えを終え、ふと鏡に目をやって、ラインハルトは愕然とした。怒りのせいでか、顔が赤黒く、酷く歪んで見える。目じりは吊り上がり、額には皺が寄ったままだ。何とか直そうにも、顔の筋肉が硬直してしまったかのように、どうしても戻らなかった。

「……こんな顔、部下には見せられないな」

 奇しくも、今日は一人で巡回をする日だった。部下の大多数は、この日は非番にあたる。羽を伸ばさせるために、月に一度か二度は、そういう日をラインハルトは設けていた。

 もやもやしたものを抱いたまま、ラインハルトは巡回に出た。今日は、平民街を回る。

 何か異質なものを感じたのは、平民街をいくらか回ってからだった。

 街の様子が、どことなくおかしい。いつものような活気はなく、人々の表情は不思議と沈んで見える。

 ふと、道行く人と目が合った。射貫くような、冷たい眼差し。それがまっすぐラインハルトに向けられていて、ただただ戸惑った。立ち止まり振り返っても、その人はそのまま前を見て歩くだけだ。

 そしてそれは、その人だけじゃなかった。すれ違い、目が合う人の大半が、同じように冷たいものを投げかけてきていた。

「どうしたんだろう、これは」

 意味が分からず、ラインハルトは困惑することしかできない。こういう時こそ誰かに話を聞いて貰いたいものだが、ヨハネスは討伐任務で留守だし、ジョシュアもまたそうだったはずだ。顔見知りの商人は十日程度前に来たから、あと三、四日は待たないと現れない。

 ――アリーなら、会えるかな。

 もしかしたら、下界の近くの公園でいつもみたいに座っているかもしれない。一瞬足が向きかけたが、会いに行くのは何となく憚られた。こういう話は、アリーにはできるだけ聞いてほしくはない。

 一度息を吐き、ラインハルトは巡回を続けた。

 しばらく歩いていると、遠くで人だかりができているのを見かけた。

 興味本位で、ラインハルトは近づいていく。人の数が徐々に増え、ひそひそとささやく声も自然と聞こえてくる。罪人の護送。あの人は似非騎士だった。確かにそんな声が聞こえて、ラインハルトは唐突に嫌な気分に襲われた。

 足を速め、人だかりをかき分けていく。途中で何人かにぶつかったが、構わず突き進み続けた。

 そして、引かれる檻車の前まで来た時、ラインハルトは絶句した。

 ジョシュア。檻車の中でぼろぼろの衣服を着て座っているのは、間違いなくジョシュアだった。

 ――何が何だか、わからない。

 視界が歪みそうになるほど、頭の中が掻き回された感じだが、そんなことには構っていられなかった。

「そこのお役人、少し待ってくれませんか!?」

 人目も憚らず、檻車を先導する役人めがけて、ラインハルトは駆け出した。

 ラインハルトの顔を知っているのか、役人が少し緊張した風を見せる。それでも、どこか下卑たものを顔の端に浮かばせていた。

「これは、ラインハルト様。お勤めご苦労様です。私に、何か御用ですかな?」

「単刀直入に言う。何故、ジョシュアが護送されているのです? 彼がそんな過ちを犯すはずがない!」

「おやおや、これはおかしなことを申されますな。罪を犯したから、この男は檻に入れられているのですよ。何か、間違いでもありますかな?」

 にやにやと嫌な笑みを浮かべる役人に少し苛立つも、ラインハルトはそれを押さえて頭を下げた。

「……とにかく、ジョシュアと話をさせては頂けませんか? 少しで、いいんです」

「そうですか。まあ、少しくらいならいいですがねぇ。私どもも、早々に仕事を終えたいわけでして」

 役人はちらちらとラインハルトを見る。その意味が分かり、ラインハルトは右の拳を強く握り締めた。生温かい何かが滲み出すのを感じたが、それでもラインハルトは感情を抑えた。

「……お願いします。ほんの、少しでいいんです」

 役人に歩み寄り、左の手で役人のそれに数枚の金貨を握らせた。

 握ったものに気づき、役人が一層嫌な笑みを浮かべた。

「ようし。お前ら、小休止を挟むぞ。檻車など辛気臭いものの周りより、こっちに来て休め」

 役人の声がかかると、檻車を引いていた者と護衛の者がさっと離れて行った。

 檻車から人が離れると、ラインハルトはすぐにジョシュアの近くへと駆け寄った。

「……ラインハルトか」

 目を閉じていたジョシュアが、ぽつりと呟いた。

「何故だ。何故こんなことになっているんだ、ジョシュア?」

 声を上げたいのをぐっとこらえ、できるだけ小さい声でラインハルトは言った。

「どうもこうもないさ。反乱の疑惑あり。たったそれだけの理由で、この様さ。彼女が言ったことが、よくわかったよ」

「そんな……。誰も、誰も弁解してくれなかったのか? 君の、家族は」

「家族、か」

 吐き捨てるように言ったジョシュアが、目を開けて見上げた。けれどその眼は、何も見ていないように思えた。

「俺を国に売ったのは、俺の家族そのものさ。あいつらからすれば、俺は家を潰しかねない厄介者だったんだよ。だから、あの野郎をぶん殴ったのを契機に、俺を罪人に仕立て上げる準備をしていたのさ」

「そんな、そんなことが……」

 足元が崩れそうな錯覚に陥り、ラインハルトは思わずふらついた。檻車に手をかけ、何とか抑えたが、視界が思い切り揺れているような感覚が襲ってきていた。

 ジョシュアとは縁を切れ。父のその言葉が、不意に蘇ってきた。父は、ジョシュアが護送されることを知っていたのだ。知っていて、手を差し伸べることもなく、切り捨てようとした。

 ふつふつと、ラインハルトの胸に怒りが湧きだした。思い浮かべる父の冷たい顔が、この時はひどく憎く思えた。

「落ち着けよ、ラインハルト」

 檻の中から伸びてきた手が軽く肩を叩き、ラインハルトははっとした。ジョシュアが、涙を流しながらこちらを見ている。

「俺のことは、もういいんだ。起きちまったことは、なかったことにはできない。これから起こるだろうことも、きっとな」

「いや、僕が何としても父さんを説得してみせるよ。君を救うためなら、いくらだって出させてみせる」

「よせ。仮にそれができたとしても、いずれまた同じことになる。その時は、お前も共倒れだ。俺はそんなのを、望んじゃいない」

 ジョシュアが、小さく笑った、その笑みが諦めに満ちていて、ラインハルトは絶望した。もう、ジョシュアを助けることはできない。ジョシュア自身が生きることを諦めている以上、それはもう、動かせない現実だ。

「……結局、俺の運命は決まってたんだな。どうあがいても、変えられなかった」

「ジョシュア……?」

 呟かれた声はあまりにも小さくて、ラインハルトには聞き取れなかった。

「なあ、ラインハルト」

 今度ははっきりと聞き取れる力強い声で、ジョシュアが言った。その声は、微かに震えている。

「俺は、悔しい。俺は、間違ったことはしていない。それでも、この国では間違ったことが正しく映されちまう」

 ラインハルトの両の肩をがしっと強く掴み、ジョシュアがしっかりと瞳を向けた。

「絶対に、忘れないでくれよ。俺たちが抱いた、遠い理想を。そしていつか」

「さて休憩は終わりだ。ラインハルト様、そろそろお引き取り願いましょうか」

 唐突に役人が間に割って入り、ジョシュアの手が振りほどかれた。ジョシュアは伸ばしていた手を引っ込め、最初に会った時と同じ態勢に戻ってしまった。

 檻車が運ばれる。ラインハルトは突き飛ばされたように押しのけられた。

 追いかけようにも、ジョシュアの諦めた笑みが思い返されて、足が動かなかった。ただただ、去って行く檻車を見送るしかない。

「ジョシュアッ!」

 手を伸ばして叫ぶも、もう届かない。せめて一目、顔を見ようにも、ジョシュアは決して振り返ってはくれない。

 やがてその姿が視界から消えた時、ラインハルトは膝から崩れ、声をあげて泣いた。周りの人だかりが消え、時折通りかかる人が奇異の目を向けても、構わず泣き続けた。

 その日から三日後、ジョシュアは、串刺しになって死んだ。

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