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私を忘れて  作者: 千変万化
三章 「運命の邂逅」
16/125

3-5

 気持ちが、いつも以上に入る。

 昨日のことがあってか、ラインハルトは気力に満ちていた。今日は巡回くらいしか任務はないのだが、それでも異様に昂った感じがある。

 ラインハルトは小隊から二人を連れて、下界を見て回っていた。

 正直な話、下界を巡回するのは今日が初めてだった。これまで、両親に強く止められていたため、ラインハルトは平民街までしか巡回を行えなかった。下界の様子は他に回っている騎士から聞くしかなく、いつももやもやしていたものだ。

 この日になって下界に行ったのは、最早思い切りとしか言いようがなかった。これまで親に逆らいきれない自分がいて、足踏みしていたのは否めない。

「隊長、大丈夫でしょうか? 私たちは、下界に来たことがありません」

「下界は、余程用心しないと痛い目に遭うと、自分は聞いたことがあります。現に、大怪我をして帰ってきた者を、見たこともあります」

 不安を押し隠すこともなく、二人の若い騎士は口を震わせながら言った。ライアとレウスと言って、ラインハルトの隊の中で最も若い二人であり、新米でもある。まだ十八かそこらのはずだが、光るものを二人とも持っていて、ラインハルトは秘かに目をかけていた。

「大丈夫だ、二人とも。下界と言っても、化け物が住んでいるわけじゃない。ここにいるのは、僕たちと同じ人間だよ」

「し、しかし……」

「不安になるのもわかる。けれど、君たちが本当の騎士なら、現状をよく見ておくんだ。この国が抱えているにも拘わらず、目を逸らしている現実に」

 ラインハルトの言葉に、二人は直立して力強く返事をした。不安に揺れていた瞳には力が宿り、口の震えはもう止まっている。

 頷き、ラインハルトは巡回を続けた。

 下界は、思ったよりも荒廃していた。あちこちにある瓦礫やゴミの山を、人々はけだるそうに使えるものがないか漁っている。家はいくつかあるようだが、傷み、半ば崩れて、汚れきっている。中の家財などほとんどないようで、雨風を凌ぐことしかできそうもない。

 ふと見上げる空は、不思議とくすんだ色をして見えた。平民街で見た時はどこまでも澄んだ青色だったのだが、ここから見えるそれは、薄ぼけて汚れたように思える。

「荒んでますね。場所も、人も」

 ライアが悲しげに呟いた。

 ラインハルトの目にも、人々に力がないのはよく見えた。時折見かける子どもはいくらか元気があるようだが、大抵の大人は深く沈んだ眼をしながら、地に横たわるか座り込んでいた。

 その様を注意深く見ていたレウスが、首を何度か傾げた。

「確かに荒んでいますが、自分はこの人たちが、本当には諦めていないように見えます。ただ、何となくですが」

「そうかもしれないね、レウス。生きるってことに対して、多分僕たちよりも、彼らのほうが強い実感を持っている。いや、持っていなきゃ、ここでは生きていけないのかもしれない」

 ラインハルトが言うと、ライアは俯き、レウスは空を見上げた。それぞれ思うところがあるのだろうか、彼らの双眸は虚しさに満ちているように見えた。

 二人に促し、ラインハルトは巡回を続けた。どこを見ても、最初の風景と大して変わりはしない。ただ、奥に進めば進むほど、瓦礫とごみの山と、それを漁る人の数は増していった。それでも、誰も巡回しているラインハルトたちを、気に留める者はいない。

 ある程度見て回ったところで、ラインハルトは引き返そうとした。

 ふと、嫌な気配を感じ、ラインハルトは咄嗟に剣を抜いて振り返った。刹那、響き渡る金属音。目を血走らせた髭面の大男が、ぼろぼろに刃こぼれした剣で斬りかかってきていた。

「隊長!」

「待て!」

 二人が声を揃えて剣を抜こうとするが、ラインハルトは大声で押しとどめた。

 振り返る余裕はない。この大男の膂力は、尋常ならざるものがある。気を抜いたら、ひと呼吸の間に両断される。

「上級騎士様が、またここに何しに来やがった! まだ、仲間を連れて行き足りねえのかッ!」

 顔を真っ赤にし、濃い息を吐き出しながら、大男が吼えるように言った。酒の匂いがする。もしかしたら、それなりに酔っているのかもしれない。

「待ってくれ! 僕らは、ただの巡視隊だ。君らをどうこうする気はない!」

 努めて平静を保ってラインハルトは言うが、男は聞く耳を持たない。込められる力はますます強まり、顔もどんどん紅潮していく。

 あまり手荒なことをしたくはないが、そうも言ってられそうもなかった。ラインハルトは一瞬気合を入れ、押されていた剣を押し返す。

 押し返されたことに驚いたのか、大男が後ろに跳びすさって、構え直した。いくらか酒が抜けたのか、血走った目に平静が戻ってきたような感じがする。

 少しの間、互いに得物を構えたまま向かい合った。大男は気合を入れてくるが、ラインハルトはただ構え、受け流していった。

「やめんか、馬鹿者!」

 不意に、ぼろぼろのローブを纏った老人が割って入ってきて、手に持った杖でいきなり大男の頭を殴りだした。大男は避けるでもなくそれを何度も受け、剣を落としてうずくまった。

 老人が荒い息を吐き、ラインハルトへと向き直る。そして、穏やかな笑みを向けてきた。

 呆気に取られていたが、ラインハルトはすぐに剣を収め、老人へと近づいた。

「ありがとうございます。このままでは、大事になったかもしれませんでした」

「いやいや、こっちの若いのが失礼をした。何分、この前仲間を処刑されて、気が立っておってな。偶然手に入れた酒を飲んだせいで、手が付けられなくなっておった。こう言うのもなんじゃが、絡んだ相手があんたでよかったわい」

「やっぱり、処刑されたのですね。薄々そう思ってはいましたが」

「うむ。日々、文句も言わず口を糊していた真面目な青年だったが、反乱の兆しありと連れて行かれたんじゃ。あの髭は、青年と仲が良くての。仲間を奪った騎士を、国を、心の底から憎んでおるのじゃよ」

 寂しげに言う老人の言葉が、ラインハルトの胸に突き刺さる。ジョシュアと同じことがここでも起きている。人々の心には悲しみと憤りが満ち溢れんばかりなのに、国は目を向けようともしない。ラインハルトは、それが悔しくてならなかった。

「ところで、あの髭はどうするかい?」

 老人が不敵な笑みを浮かべながら言った。

 まるで言うことがわかっているような表情で、ラインハルトは思わず苦笑した。

「どうもしませんよ。僕らは、このまま帰ります。目的はあくまで、現実を見ることですから」

 ラインハルトが言うと、老人は小さく笑った。

「また、顔を見せに来てくれんか? あんたのような騎士とは、たまに話してみたい」

 戻ろうとするラインハルトを呼び止め、老人が期待するような眼差しを向けながら言った。

「来ますよ、必ず。今度は、もっとじっくり話したいです」

「嬉しいことを言ってくれるのう。ほれ、いつまでうずくまっておる。さっさと謝って見送らんか」

 杖で一度殴り、大男が痛みで声を上げる。ゆっくりと大男は立ち上がり、頭をさすりながらラインハルトの前に来た。

 こうやって並ぶと、相当に背が高い。ラインハルトもそれなりに長身だが、この大男はそれを優に超える。

「悪かったな、斬りかかってよ。騎士はみんな、クズ野郎ばっかだと思ってた」

「気にしないでくれ。僕ら騎士は、多分そういう気持ちさえも受け止めなきゃいけないんだ。そうでなきゃ、騎士でいる意味がない」

「……変な奴だよ、お前」

 その言葉に、ラインハルトはただ笑って返した。

「それにしても、相当強いな、お前。今度来た時は、ちっと稽古をつけてくれよ」

「教えられるほどじゃないけど、僕でいいなら喜んで」

「おう、約束だぜ」

 大男が右手を差し出してきて、ラインハルトはそれを軽く握り返した。互いに、双眸が絡み合う。男のそれには、先ほどとは打って変わった穏やかな光が湛えられていた。

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