3-4
翌日、ラインハルトはもやもやした気持ちを抱えたまま、ヨハネスとの合同訓練を行っていた。
騎士の仕事は、何も遠征や巡回ばかりではない。討伐任務をこなすための修練も、立派な仕事の一つである。特に、小隊を率いるようになれば連携の訓練は重要で、巡回がない日は修練に時間を当てる騎士はそれなりに多い。
ラインハルトもヨハネスも、一個小隊の隊長である。二人は不思議と同じ任務にあたることが多く、暇さえあれば小隊を率いて一緒に修練を積んでいた。
自身は当然ながら、配下の騎士にも厳しい修練を課している。基本的に修練は朝から日暮れまで行い、今日は連携の訓練を、朝から昼までずっと続けた。小休止を挟み、今は個々が相手を選んで、立ち合いによる稽古をしている。
ラインハルトは、いつもどおりヨハネスを稽古相手に選んだ。稽古と言っても、剣を使っての真剣勝負だ。これまで数えきれないほど斬り合ってきたが、勝負は分けてばかりだった。
向かい合うヨハネスに、ラインハルトはすぐに斬りかかった。
剣を振るう時、ラインハルトは気持ちを振り払うように力を入れた。空を裂く、鋭い音。斬撃は、いつになく速い。それなのに、ヨハネスは悠々とかわしていく。
「何だ、ラインハルト。そんな剣技で、俺が怯むと思っているのか?」
「くっ……」
ヨハネスの鋭い斬撃が飛んできて、ラインハルトは思わずのけぞった。その隙を逃さず、ヨハネスは攻撃の手を増やしていく。
防戦一方になったが、それが逆によかった。鋭い攻撃が、ラインハルトから雑念を取り払っていく。剣を受けていくにつれて、ヨハネスの動きがはっきりと見えるようになってきた。
ふと、ヨハネスと目が合った。笑っている。口元だけでだが、確かに強気な笑みを浮かべている。
「今頃らしくなっても、遅すぎるな。今日こそ、俺が勝ちを貰う」
口と同時に、ヨハネスの体が動く。踏み込みが、一段と強い。しかし、見える。その一歩に合わせるようにラインハルトも踏み込み、下から斬り上げた。
振り下ろされた一撃と交錯し、鋭く乾いた音が響いた。次いで鳴る、地面に刺さる二つの剣の音。
互いに力を込めた衝撃は、それぞれの手を痺れさせ、剣を弾き飛ばすには十分だった。
「……ふん。結局、引き分けか」
剣を振り下ろしたままの態勢で、渋い顔をしたヨハネスが呟いた。
「気が入っていない今日のお前になら、勝てると思ったのだがな」
「僕も、今日は負けると思ったよ。ヨハネスが、いつもより強く感じたから」
「違うな。途中までのお前が、いつもより弱かっただけだ」
剣を引き抜き、収めながらヨハネスが言った。そしてすぐさま、ラインハルトに近づいてくる。
依然として渋い顔のままだが、その中に真剣なものが混じっているのを、ラインハルトは見て取った。
「何かあったのか?」
率直に聞いてくるヨハネスに対して、ラインハルトは一瞬ためらった。頭の中に戻ってくる、昨日の出来事。胸にのしかかる不安も、蘇ってきた。しかしそれも、すぐに振り払った。
「うん。昨日、ジョシュアが」
ラインハルトは、ゆっくりと昨日のことを話した。ジョシュアの名を聞いた時、微かにヨハネスの表情が動いたが、話している間の反応はそれだけだった。
「昨日もか」
話し終わってから少しして、ヨハネスがポツリと言った。
「この前、お前と別れてから、ジョシュアは巡回の騎士と揉めた。揉めたというよりは、詰め寄ったって感じだったな」
「詰め寄った? どうしてだ」
「それはわからん。巡回の騎士がジョシュアに近寄ってきたと思ったら、俺に聞こえないように耳打ちしていたんだ。そうしたら、ジョシュアの顔色があっという間に変わってな。人目も憚らず、怒鳴るように問い詰めていたよ」
ラインハルトは、腕を組んで考えた。こうも立て続けにジョシュアが荒れるなど、何かがあったとしか考えられない。しかし、ヨハネスと一緒にいた時のジョシュアからは、そんな逼迫したものは微塵も感じられなかった。寧ろ、年上の余裕さえ感じたほどだ。
ヨハネスも、そんなジョシュアを見たことがないようだった。表情には見せないが、ヨハネスも何かしら嫌な感じを抱いているのは、何となくわかった。
「何か聞かなかったのか、ヨハネス?」
「聞いたさ。だが、何も答えなかった。ばかりか、すぐにどこかへ駆け去ってしまった」
あれからジョシュアを見かけていない、とヨハネスは付け加えた。
わからないことだらけである。理由を考えようにも、ラインハルトには思い当たる節がない。その何かが何なのか、ラインハルトは気になって仕方がなかった。
「わからないことを考えても仕方がないぞ、ラインハルト」
ラインハルトの心を見透かしたように、ヨハネスが剣を再び引き抜きながら言った。
「どうせ、あいつのほうから俺たちに何かを伝えに来るさ。ジョシュアは、そこまで独りよがりな奴じゃない」
「そうかな。……いや、そうだといいな。何も知らない僕たちには、待つことしかできないから」
「ふん。ただ待つのもつまらんだろう。もう一度、やるぞ。息は、十分整っただろう?」
「もちろんだ」
ラインハルトも剣を抜き、下段に構える。
それからしばらく、ラインハルトはヨハネスと剣を交えた。
と言っても、一番始めの斬り合い程、切迫したものを互いに出せない。決して甘くはない打ち合いなのだが、それでも勝敗を決するような動きはできなかった。
修練の時は、いつもそうだった。最初に全力を出したがゆえに、後が続かない。端から見れば相当の斬り合いも、ラインハルトとヨハネスにとっては児戯に等しかった。
ジョシュアが二人の前に現れたのは、修練を終えた日暮れの頃だった。
「どうしたんだ、ジョシュア!?」
現れたジョシュアの顔を見て、ラインハルトは思わず声を上げた。ヨハネスは声を上げなかったが、いつもの平静を保った顔はそこにはなく、いつになく動揺したものを満面に貼り付けている。
ジョシュアの顔は、ひどく傷ついていた。激しい殴打による生傷が、両の頬に痛々しく残っている。額には包帯が巻かれていて、何か深い傷があるのか、真っ白な布の奥を赤黒く染めているように見えた。
「まあ、ちょっとあってな」
頭を掻きながら、ばつが悪そうにジョシュアが言った。目は伏し目がちだが、時折何かを促すようにちらと二人に視線をくれる。
小さく頷き、ラインハルトは部下たちに解散を命じた。ヨハネスも、それに倣っている。
部下の騎士が帰路につき、他に誰もいなくなってから、ジョシュアは深く息を吐いた。
「悪いな、手間かけさせて。お前たちだけに、話したいことがあったんだ」
「それはいいけど、本当にその傷はどうしたんだ?」
「罰さ。ラインハルト、お前は見ただろう? あの野郎をぶん殴って顔を傷つけたから、王がかんかんに怒ってな。今日、王自ら俺を裁いたのさ。殴られ、斬られ、それでやっと気が収まったらしい」
言って、ジョシュアが額の包帯を取る。そこには深い切り傷があって、未だに血が流れようとしていた。
生々しいその痕に息を呑むも、ラインハルトは目が離せなかった。
「あの野郎、せせら笑っていたよ。無様に顔を腫らしているくせにな」
包帯を巻き直しながら、ジョシュアが吐き捨てるように言った。
「お前の馬鹿話はどうでもいい。それで、話したいこととはなんだ?」
「ヨハネス、そんな言い方はないだろう?」
そっけなく言うヨハネスにラインハルトは詰め寄ろうとしたが、それをジョシュアが制した。
「いいんだ、ラインハルト。確かに、俺が馬鹿だからこんな目に逢ったんだ。わざわざ同情を買うように、口へと出すことじゃない。俺が本当に話したいのは、昨日の処刑のことなんだ」
ジョシュアが二人から少し距離を置き、、どこか遠くを見つめながら言った。
この国では、月に一度は必ず処刑が行われる。罪人とされる者達で、月によって一人だったりもっと多くだったりするが、とにかく毎月必ず命が奪われる。
昨日は、その処刑が行われていた。民衆の目が最も多い平民街でそれはなされ、昼前まで町中からは人の姿は消える。皆、罪人の顔を拝みに行くからだ。
ラインハルトも処刑が行われるのは知っていたが、昨日は別のことで頭がいっぱいで、気に留める余裕がなかった。
「処刑か。昨日は、十人が磔になって、串刺しにされた。大体が下界の者か魔族の者、平民だったが、一人だけ貴族の女が混じっていたな」
処刑を見ていたのか、ヨハネスが腕を組みながら言った。
「ああ、そのとおりだ。十人死んだ中に、その女性はいたよ。死を目前にしても一切動じず、粛々と刃を受け入れた」
ジョシュアの声が、震えている。夕日に照らされて影を差したジョシュアの顔は、ひどく沈んで見えた。
ラインハルトは、唐突にジョシュアが取り乱した理由を察した。
「高潔で、まっすぐないい人だったよ。罪とは、まったく無縁な」
ジョシュアの言葉が途切れ、嗚咽が混じった。それでも、ラインハルトもヨハネスも、何も言わない。ジョシュアが再び口を開くのを、ただ待ち続けた。
「……彼女は、俺の許嫁だった」
しばらくしてから、ジョシュアがポツリと言った。
「俺にはもったいないほど、まっすぐすぎる子でな。いつも、貧しい者や虐げられる者のことばかりを考えていたよ。どうしたら、皆を救えるのだろう、自分に何ができるのだろう、ってな」
涙をぬぐい、息を吐いてから、ジョシュアが言葉を紡ぐ。
「そんな彼女に、俺は理想をよく語ったものさ。差別のない世界。皆が平等に暮らせる、優しい世界。夢物語かもしれないって言ったら、彼女は素敵な夢だって言って、目をキラキラ輝かせていたよ。私も何かしなくちゃって、いつも張り切ってた」
でもな、とジョシュアは遠くに向けていた目を、二人に向けてきた。
「素敵な夢の実現のために、平民や下民に施しをした。たったそれだけの理由で、彼女は処刑されたんだ」
「……あの時、騎士がお前に耳打ちしたのは、処刑のことだったのか」
「ああ。彼女が処刑されると聞かされて、俺はいてもたってもいられなかった。何とかして彼女を救えないかと力を尽くしたが、どうにもならなかった。できたことは、ほんの短い間、彼女と話せたくらいだ」
「何を、話したんだ?」
恐る恐る、ラインハルトは聞いた。
「俺からは、何も。話したいことはいくらでもあったのに、彼女の穏やかすぎる顔を見たら、何も言えなくなっちまった。だから俺は、彼女が語ることにずっと耳を傾けた。そして、秘かに絶望したよ。あまりにも、理不尽なことが起こっている、ってな」
「彼女は、一体何を語ったんだ?」
ラインハルトの問いに、ジョシュアは一呼吸置いてから答えた。
「罪人の全てに、大罪と呼べるものはない。皆、適当な理由をつけて裁かれる。そう言っていたよ」
「適当な理由、だと?」
ヨハネスが、言葉の端に怒気を含みながら言った。
「ああ。彼女が言うには、罪の有無は、実はどうでもいいらしい。重要なのは、処刑を行うことさ。何が重要なのかは、わからなかったらしいが」
「それが本当なら、ふざけているな。人を、命を何だと思っている」
「俺も、同じことを言ったよ。そしたら彼女、夢が叶ったらそんなこともなくなるよね、って寂しそうに言ったよ。俺は、頷くことしかできなかった。他にも何か言いたかったのに、それしかできなかった」
それで話は終わってしまったと言い、ジョシュアが目を血走らせて歩み寄っては、二人の肩をがしっと掴んだ。あまりにもこめられすぎている力は少し痛かったが、ラインハルトは振りほどくことなくされるがままでいた。
「彼女はもういない。だから、お前たちに言う。俺は、必ず理想を叶えて見せる。こんな間違ったことが罷り通る国を、このままにしておけない。必ず、変えて見せる。何があっても、必ず」
「熱くなりすぎだ、馬鹿が」
ヨハネスがジョシュアの手を振りほどき、ジョシュアの背中を思い切り叩く。
「お前ひとりが叶えるのではない。俺たちで、叶えるのだ。そうだろう、ラインハルト」
「そうだね。一人で抱え込むなんて、らしくないよ、ジョシュア」
ラインハルトも手を振りほどき、ヨハネスと同じようにした。少し痛かったのか、ジョシュアが顔をしかめて背中をさすっている。ただ、ジョシュアの目にはいつもの穏やかさが戻っていた。
「……ありがとう、二人とも。お前たちがいてくれて、よかったよ」
ジョシュアが、いつものような穏やかな笑みを浮かべる。涙が零れ、頬を伝っているが、ジョシュアは気にした風もない。
ほっと安堵し、ラインハルトは笑った。ヨハネスは腕を組んで仏頂面だが、口元だけはそっと笑っていた。
「改めて、誓おうか。皆で、僕らの理想を必ず叶えよう」
ラインハルトが拳を突き上げる。続いて、二つの拳がそれに倣った。
暗くなり始めた空に、三つの拳はしばらく上げられたままだった。




