3-1
瞳を、髪色を見られた。
未だ震える体を押さえながら、アリーは家へと逃げるように帰った。帰ってすぐに布団に潜り、頭の先まで毛布にくるまった。
――見られた。
か細い声で呟き、アリーは小さく嗚咽を漏らした。
瞳の色も、髪の色も、たくさん見つめられた。あの青年騎士が何を思っていたかはわからないが、アリーを見る瞳に映った好奇に似た何かは、少し怖いものをアリーに思わせた。
「やっぱり、変なんだよね。私だけ、こうなんだもん」
きっとあの騎士は、アリーのことを誰かに喋るだろう。他の騎士が知ったら、もしかしたらアリーを捕えに来るかもしれない。これまで目立たないように過ごしてきたから事なきを得ていたが、こうもはっきりと容姿を見られたらそうもいかないだろう。
恐怖が先立ち、体の震えは止まらない。塞ぎ込む気持ちに任せて、アリーはただただ涙を流し続けた。
そうしてから、いくらの時が流れただろうか。ふと布団から覗いて見えた世界の色は、大分に変っていた。眩いほどの夕焼けもいつしか影を潜め、月と星とが冷たい光を落としている。
「もう、夜なんだ」
布団から起き上がるのと、アリーのお腹が小さな音を立てるのは、ほぼ同時だった。
「お腹、空いたな」
よろよろと歩いてロールパンを二つ皿に置き、小ぶりの瓶に入ったミルクを添えた。今日の晩御飯は、これだけである。
お腹は空いているが、たくさん食べたい気分ではない。アリーは食事を手短に済ませ、それからまた布団に戻った。
布団に戻ると、やっぱり思考は今日の出来事に返った。
「あの本、ちょっと惜しかったな」
小さな溜息が漏れる。あのタイトルがない本は、きっと青年が買ってしまっただろう。仮に買ってなくても、次に訪れるのは二週間も後だ。珍しい本だから、きっと売れてしまっている。
容姿も見られ、本も買えなくて、ただただ寂しい気持ちになってばかりだ。今日は良いことないな、とアリーは呟いた。
思い返せば、今日は変な日だった。父の声が聞こえ、本売りの商人は不思議な話をし、青年騎士には容姿を見られた。心はあちこち走り回り、アリーは疲れ果てていた。
「不思議だな。これまで、こんなに心が忙しい時なんてなかったのに」
母が死んでからというものの、心が大きく揺れ動くことなど殆どなかった。珍しい本を見つけた時も、お日様の光を浴びに外へ出た時も、少し明るい気持ちにはなってもすぐに冷え切っていたものだ。
今日は、そんな暇もなかった。休まる暇さえ、なかった。
ふらふらする体を押さえ、すぐにでもベッドに向かおうとしたが、アリーはやらなければいけないことを思い出し、机に向かった。
机の上に乗っている日記に手を伸ばし、アリーは今日の出来事を書いていく。死んだ母の言いつけから始めたことだが、毎日日記をつけてきたことで、今では欠かすことのできない習慣になっていた。
あまり思い出したくない今日の出来事を思い返し、胸が苦しくなりながらも、アリーは日記を書き終えた。
「もう、休もう。私、疲れたよ」
誰に言うでもなく呟き、そして思考を断ち切った。ふらつく足取りでベッドに向かい、すぐに布団の中に潜り込んだ。
瞼を閉じれば、あの青年の顔が何故か浮かんできた。けれど不思議に思うこともなく、やがてその顔も闇に溶けた。
あの日から、六日くらい経った。
今日までずっと、アリーは家に閉じこもったが、その間誰かが訪れることはなかった。
時々、窓から外を覗き込んだが、騎士団が誰かを探しているようなことはなく、いつも通り巡回をしているだけに過ぎなかった。
アリーは不思議に思ったが、それも湧き出した安堵感が掻き消していった。今まで通り、ここで過ごせる。そう思ったら、どっと力が抜けた。
日が昇って久しい頃に、アリーは気晴らしに近場の公園へと向かった。
積極的に外に出ようとは思わないが、亡き母が家の中にばかりいてはダメ、と口を酸っぱくして言っていたから、こういうことでもなかったら週に二回くらいは外を出るようにしていた。
今日はよく晴れた日で、気持ちのいい風が吹いている。久しぶりの外は、いつもと違って清々しいものを感じさせた。
公園につくと、隅っこにあるベンチに座った。木陰になっていて、風がそよそよと吹くととても気持ちがいい。あまり外に出たくはないアリーの、数少ないお気に入りの場所であった。
アリーは、持ってきていた童話に目を通し始めた。もう、何度も読んでいる普通の童話の一つだが、何回読み返してもアリーは飽きない。
ただ今日は、別の理由があって童話を持ってきていた。
しばらくして、小さな足音が近づいてきた。ふと顔を向けると、四人の子どもが木の幹から顔を覗かせている。男の子二人と女の子二人だ。どの顔も、まだまだ幼い。
アリーは本を閉じ、子どもたちに微笑みかけた。
「おはよう。みんな、早いね」
子どもたちが頷き、それぞれ挨拶を口にする。みんな顔には好奇が満ちていて、気持ちもどこかふわふわしているように思えた。
「ねえ、おねえちゃん。今日はどんなお話を読んでくれるの?」
一番年長の女の子が、首を傾げながら聞いてきた。
「慌てないの。お話は、聞いてからのお楽しみだよ」
アリーは小さく笑って、女の子の頭を撫でながら言った。
このお気に入りの場所で読書をしていたら、いつからか子どもが集まるようになっていた。最初は一人、二人と遠巻きに見ているだけだったが、いつからか子どものほうから声をかけてきた。
――どんなお話を読んでるの?
知らない女の人に、緊張しながらたどたどしく問いかけてきた女の子の声が少し震えていたのを、アリーは今でもはっきり覚えている。
アリーは童話だよ、と答えた。そして、声に出して読もうか、とも聞いた。
あの時、嬉しそうに笑いながら頷いた女の子の顔は、とても眩しかった。
一人が聞きに来ると、一人、また一人と集まってくるようになった。大体はこの平民街に暮らす子どもだが、時々下界の子どもも遠慮がちに混ざることもあった。
平民街の子どもは、下界の子どもでも分け隔てなく接している。彼らの親は少し険しい顔をするが、そんなことはお構いなしだ。自由に育まれている子どもの心には、貴賤などないのかもしれない。
今日来ている子どもも、平民の子が二人と、下界の子が二人だ。もちろん、みんな友達である。
アリーは閉じていた本を広げ、ゆっくりと心を込めて読み上げ始めた。
童話を読み上げている間は、アリーは少し幸せだった。好きな童話を聞かせているだけなのに、子どもたちは嬉しそうに表情を綻ばせる。それを見ていると、アリーも無性に嬉しくなってくる。
童話だから、あまり長い話ではない。それでも、心を込めて読む。一冊にいくつか載せられたお話を、じっくり読む。
読み始めていくらか時が経ち、やがてアリーは本を閉じた。
「はい、おしまい。今日は、ここまでにしようか」
「えっ、もう?」
一番小さな男の子が、残念そうに言った。
「だってほら、もうすぐお昼だもの。みんな、お腹空いたでしょ?」
アリーが言うと、どこからともなくお腹が鳴る音が聞こえてきた。男の子のかな、と、アリーは思ったが、年長の女の子がお腹を押さえて顔を真っ赤にしていた。その姿が愛らしく、アリーは女の子の頭を、また撫でた。
「また、読んであげるからね。だからみんな、おうちに帰ろ?」
「はーい」
四人が揃って残念そうに返事をする。そして、手を振ってそれぞれ自分の家へと帰っていった。
アリーはその背が見えなくなるまで、ずっと見送っていた。四人の姿が見えなくなってから、アリーも帰路についた。




