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「……やっぱ、辛いよな。こういうのを見てるのは」
ジョシュアがポツリと漏らしたのは、騎士が去ってしばらくしてからだった。
「今こうしてる間にも、きっと誰かが虐げられている。その人達は、あの騎士みたいに心が荒んでいるんだろう。そんなの、寂しすぎる」
空を見上げながら言うジョシュアの姿は、どこか愁いを帯びたもののように見えた。元々、ジョシュアはわかりやすいほどに感情が表に出やすい男だ。言葉の端々には気持ちが乗り移り、行動にもまた、それは伝播する。根が優しすぎるから、心の揺れ幅は人一倍大きいのだ。
だからか、時々感情に任せて無茶をするが、そんな二つ年上の彼を、ラインハルトは実の兄のように慕っていた。
「お前が寂しく思っても、何も変わらんな。思うだけなら、誰だってできる。そしてそれは、何もしないのと同じだ」
「それはそうだが」
「わかってないな、ジョシュア。他の奴らみたいに、俺たちは何もしないのではない。まだ、何もできないのだ。思いを吐き出しても、それこそ虚しいだけだというのは、俺達が一番わかっているだろう?」
「……やれやれ。相変わらず手厳しいな」
事実を言ったまでだ、とヨハネスが不機嫌そうな顔で言った。
辛辣な物言いをするが、この三人の中で一番感情が燃えやすいのは、ヨハネスである。ただそれを、ジョシュアのように行動に示すことはない。冷たい言葉で吐き捨てるか、胸のうちに秘めるかだ。
ただ、態度や言葉遣いにどこか傲岸さが垣間見え、誤解を受けやすいのは否めない。この同年の騎士が揉めそうになるのを、ラインハルトが何度仲介に入ったかはもう覚えていないほどだ。
「でも、夢は追うんだろう?」
ラインハルトは、二人の間に入りながら言った。
「差別のない、本当の意味での平和な国を。小さい頃から夢見た、僕らの理想を」
「当たり前だろ」
「愚問だな」
ラインハルトが拳を上げると、二人が合わせるように軽く拳をぶつけてきた。
ラインハルト達がまだ少年だった頃から、三人でずっと語り合ってきたことがある。何故、同じ人なのに違いが出るのか。何故、同じように生きているのに、命の重さが違うように見えるのか。何故、この国はその醜さを肯じられるのか。
三人とも、他の貴族のように、この豊かな生活がいいものだとは決して思えなかった。寧ろ、窮屈すぎた。世界は狭められ、見える景色もくすんだ色をしている。そして、そんな世界は間違っている、と子どもながら思った。
――いつか、自分たちの手で国を変える。
目標というにはあまりにも大きすぎて、夢のような理想だと、三人とも理解していた。それでも、やらなければならない。国に変わる兆しが見えないならば、自らが動かなくてはならない。
ただ、変革の志は、反逆ともとられかねない大それたものでもある。ヨハネスが言ったように、今はまだ、何もできない。来る日を迎え入れるために、己を磨き続けるしかなかった。
「それにしても、二人が揃ってここにいるなんて、珍しいね」
拳を降ろし、物珍しいものでも見るような眼をしながら、ラインハルトは言った。
同年のヨハネスはともかく、騎士としての経歴が少し長いジョシュアは、遠征の任務に就くことが多い。三月に一度の王都の外での巡察とは違って、危険が伴うものだ。
例えば、討伐の任がある。国に不満を持つ者が、皆が皆黙っているわけではない。居場所を失い、飢えに満ちた平民崩れの人たちなどは、徒党を組んで盗賊になることもあった。規模はまちまちだが、時には何百人もの大所帯になっているものもあるという。
そういった者たちを、王は許さない。自分に不都合なものを消し去りたいがために、多くの騎士を招集しての速やかな討伐を命じてくる。
本来ならば、精兵で固めた討伐隊だけでも事足りる。しかし、自身の部下を信用しきれないのか、王は無駄に多くの兵を同道させたがった。
命の危険を伴うものだが、この任を受けようとする者は多い。王の命だけあって得られる勲功は大きく、勲功狙いの名ばかり騎士がいつも列をなすほどだ。さすがに腕が未熟すぎる者はいないが、それでも目先の欲に目が眩んだものばかりで実力は心許ない。しかし、命を下した王の顔に泥を塗るわけにもいかず、志願してきた騎士は討伐隊の支援兵として同道させるしかなかった。
ジョシュアは、その討伐隊の隊長を務めている。少し前に賊が出没し、討伐に赴いていると聞いていたのだが、現にこうしてヨハネスと貴族街にいるのは少しおかしな話だ。ヨハネスはラインハルトと同じ、一個小隊の部隊長だが、遠征を一任されるほどの功はまだない。己の部下を鍛え、王都周辺を哨戒するくらいしかできなかった。
無論、ラインハルトも似たようなものだ。ただ、騎士団長の息子ということで、遠征に同道することは稀にあった。
「討伐任務が、予想より早く済んだんでな。今朝方王都に戻ってひと眠りしてから、一緒に鍛錬でもしようと思って、ヨハネスのところに行ったんだ。そしたらこいつ、俺と会った途端になんて言ったと思う?」
「どうせ、暇なら俺の用事に付き合え、とか言われたんだろう?」
「そうなんだよ。しかもその用事ってのが、猫探しだってんだからタチが悪い。騎士団に依頼されていたとはいえ、あんまりだろ」
「別段いいではないか。無駄に暑苦しくするよりも、人様のために働いた方がいいに決まっている」
「そんなこと言って、単に猫が好きなだけなんだろう?」
悪いか、と悪びれる風もなくヨハネスは言った。
額を押さえながら溜息をつくジョシュアは、大分疲れているように見えた。おそらく、ヨハネスにあちこち振り回されたのだろう。平気で毒を吐くヨハネスと長く一緒に歩いていたら、精神的に疲れて当然だ。
「そんなことより、お前は何をしていたんだ、ラインハルト? 大層大事に、その包みを持っているようだが」
二人のやり取りを笑って見ていたラインハルトに、ヨハネスが思い出したように聞いてきた。
「僕は、本を買いに行ってたんだ。ここ最近、行けなかったからさ」
「それだけか?」
ずいと詰め寄ってくるヨハネスに、ラインハルトは思わずたじろいだ。
「そ、それだけって、他に何があるんだい?」
「いや、別に。ただ、遠目で見た時のお前は、いやに沈んでいたからな」
「そうかな。いや、そうなんだろうね。二人に会う前まで、ちょっと落ち込んでたかも」
「そうか」
それだけ言って、ヨハネスは話題を切った。
「おい、そうかじゃないだろう。ラインハルト、何が」
「黙れ」
言いかけるジョシュアの脇腹に、ヨハネスの重い一撃が入る。鈍い音とともに呻き声が聞こえてきて、それからジョシュアは脇腹を押さえて屈みこんだ。
呻くジョシュアに一瞥さえもくれず、ヨハネスはその冷えた紺碧の双眸をラインハルトに向けた。
「無理に言う必要はない。ただ、これだけは言っておこう。何もせずに、後悔はするなよ」
「……うん。ありがとう」
礼を言うと、ヨハネスは顔が見えないくらいそっぽを向いた。だが、それでも見えている耳が、少し赤くなっている。
「ふん。今日はこれくらいでお開きにしようか。ジョシュア、いつまで地面と話しているつもりだ? さっさと任務の報告に行くぞ」
「お、お前、容赦ないな……」
脇腹を押さえて立ち上がったジョシュアと共に、ヨハネスはまたな、と言って去って行った。
二人の背を手を振りながら見送ってから、ラインハルトは自分の家に戻った。
家に戻ると、真っ先に自室へと向かった。
「この本、どう渡そうかな……?」
椅子に背を預けながら、包みから出した無題の本を眺めていたが、一向にいい案は思いつかない。
――それにしても。
あの子のことが、何故こうも気になるのか。
本を机に置き、ラインハルトはそちらのほうに思考を切り替えてみた。
煌めいて見えた銀の髪に、鮮やかな深紅の双眸。そして、整った顔を際立たせる、色白の肌。その美しさは、先も思った通り、これまで出会った女性の中で一番のものだ。しかし、惹かれるものは果たしてそれだけなのだろうか。見た目以外に、気になってる何かがあるのではないのか。
「……わかるわけ、ないよな」
理由の一端の、せめて漠然としたものでも掴めていれば、これほど悩むことはない。今はただ、アリーという少女に惹かれている、という現実だけしか理解できていないのだ。
「気になると言えば、この本も気になるんだよなぁ」
最初に感じた変な感覚を思い出し、机の本を手に取って開いてみる。
中身は、何の変哲もない小説のように見えた。
ひょんな事から出会った貧家の少女の、世界を見て回りたいという夢を、心優しい騎士の少年が叶えてあげる。そのために、立ちはだかる困難を何とか乗り越えていって、遂にはその夢を実現する。
およそ現実ではありえないような、まさに夢のような話だ。
いい話だ、とラインハルトは思った。ただ、現実とかけ離れすぎて、悲しくもなった。ラインハルトが望んでいる未来はこういう形でも、それを手にするにはあまりにも道は遠い。
しかし、本当に確かめたいのはこういう気持ちではない。あの時の不思議な感覚は、もっと不可解なものだ。
「別段、変わった内容じゃないよなぁ。タイトルを消す必要も、ないと思うんだけど」
首を傾げてもう一度読み返してみるも、ラインハルトはただ同じ内容を繰り返し見ただけに過ぎなかった。
何も変わらない。何も変じゃない。だけど、気にかかる。
三度目の正直と、ラインハルトはもう一度だけ読み返そうとした。しかし、視界がぶれる。頭がゆらりと動いているのか、焦点がいまいち定まりづらい。
不意な眠気は、到底抗いきれるものではなかった。何故なのかは、考える余裕がない。机に突っ伏して、今すぐにでも寝てしまおうと思うほどだ。
「あれ……?」
今にも閉じきってしまいそうな瞳の端に、先までなかった挿絵が映ったような気がした。ぼんやりとした視界の中で、ラインハルトは何とか目を凝らして見る。少女が、泣いている。一瞬そう見えたが、視界が唐突に暗闇に満ちた。
机に突っ伏したような感覚が、微かに伝わる。それも、すぐにわからなくなった。
気づかないうちに、ラインハルトは深い眠りに落ちていた。




