第七班
「よし。じゃあ、役割を決めるぞ」
放課後の演習場で、ジークが木の枝を拾い、地面に丸を四つ描いた。
演習まで、あと二十日足らず。
班ごとに放課後の演習場を使ってよいことになり、第七班も毎日のように集まるようになっていた。
「班長は俺。異論は?」
「ないわ。面倒なことは全部あなたに押しつけられるもの」
リラがあっさりと言い、ネリネが笑った。
「ネリネは後ろ。治癒役が倒れたら全滅だからな。俺とリラは真ん中で、魔法で援護。それで――」
ジークは、いちばん前の丸を枝でつついた。
「前衛は、オルター。お前だ」
「……ぼく?」
「この班でいちばん頑丈なのは誰だ。荷馬車を持ち上げたって話、ネリネから聞いたぞ」
オルターはネリネを見た。ネリネは、ぺろりと舌を出した。
「魔物が来たら、お前が最初に受け止める。そのあいだに俺たちが撃つ。……できるか?」
オルターは、地面の丸を見下ろした。
いちばん前。白の席はいつも、いちばん後ろか、いちばん端だった。荷を担ぐ者として、薪を割る者として数えられたことはある。けれど、仲間の一人として、前に立つ者として数えられたのは、初めてだった。
「……やってみる」
しかし最初の練習は、散々だった。
藁で作った的を魔物に見立て、オルターが前に出る。その背後からジークが雷を撃ち――青白い光が、オルターの肩先をかすめた。
「うわ、悪い!」
「前に人がいると、狙いがつけにくいのよ。それに、あなたは動きすぎ」
そう言うリラの水の矢も、的を外れて演習場の柵を濡らした。
ネリネは、おろおろと三人のあいだを行き来するばかりだった。
三日目、リラがふと言った。
「ジーク。わたしの水、地面に撒くから。そこへ雷を落としてみて」
リラが手をかざすと、的の足もとに水が広がった。ジークが指を鳴らす。青白い光が水面を走り、的の藁が一瞬で焦げて弾けた。
「……すげえ」
「水は雷を通すの。図鑑に書いてあったわ。知らなかったの、班長」
「知らなかった」
ジークが素直にうなずき、リラが呆れたように天を仰ぐ。
ネリネが手をたたき、オルターも笑った。
「オルター。お前は魔物を水たまりの上に押しとどめて、合図で跳べ。それで決まりだ」
「前に出るなら、倒れないでよ」
リラが、ついでのように付け加えた。
「倒れたら、ジークの雷があなたごと焼くことになるんだから」
*
その夜、寮の部屋で、ジークは寝台に寝転がったまま天井を見ていた。
「なあ、オルター。お前、兄弟いる?」
「いない。……たぶん」
雪の夜に、名前だけを添えて院へ預けられた赤ん坊に、兄弟がいるかどうかなど、
オルターには知りようがなかった。
「俺は七人兄弟の一番上。下に弟が三人、妹が三人」
ジークは、指を折って数えてみせた。
「親父は港で荷役をやってる。稼ぎは悪くねえけど、なにせ口が多くてさ。だから俺が学園を出て、ちゃんとした仕事に就いて、ちびどもに腹いっぱい食わせてやるの。それが夢」
ジークは、照れくさそうに笑った。
「お前は? 学園を出たら、何になりたい」
オルターは、すぐには答えられなかった。
五年前の夜、井戸の縁でネリネにたずねた言葉を思い出す。あのとき、ネリネは答えずに笑っただけだった。
「……誰かを、守る人」
口にしてから、急に恥ずかしくなった。白のくせに、と笑われる気がした。
けれど、ジークは笑わなかった。
「いいじゃん、それ」
寝台の上で、ジークは大きく伸びをした。
「じゃあ演習じゃ、まず俺たちを守ってくれよ。頼むぜ、オルター」
「……うん」
「俺はお前の後ろから、全部撃ち落としてやるからさ」
灯りを消したあとも、オルターはしばらく眠れなかった。誰かと、明日の話をする。それだけのことが、胸の奥をくすぐったくさせた。
*
演習を五日後に控えた昼休み、オルターは図書室でリラを見つけた。
窓際の机に、分厚い魔物図鑑が広げられている。森に出る魔物の項に、細い字の書きこみがびっしりと並んでいた。
「……調べてたの?」
「誰かさんが、班長のくせに何も知らないから」
リラは顔も上げずに答えた。窓から差しこむ光に、肩で切りそろえた髪が透けている。光を受けると、その水色はほとんど白に近く見えた。
オルターの視線に気づいたのか、リラは髪をひと房つまんだ。
「薄いでしょ」
「……きれいだと思う」
「そういうことを聞いてるんじゃないの」
リラはぴしゃりと言って、それから小さく息をついた。
「色は濃いほど強い。薄い水色は、水色の中でもいちばん弱い。わたしの家じゃ、ずっとそう言われてきたわ。姉さんたちは濃い水色で、わたしだけが薄かった。……何をしても、まず髪を見られるの。薄いから、どうせできないだろうって」
図鑑のページを、リラの指がなぞる。書きこみの数だけ、悔しさが積み重なっているように見えた。
「だから、髪の色で人を測るやつが嫌い。濃いとか薄いとか、白とか黒とか」
リラは、初めてまっすぐにオルターを見た。
「白も薄い水色も、数に入らないのは同じでしょ。……だったら、数に入らない者同士、せいぜい足を引っ張り合わないようにするしかないじゃない」
皮肉な口ぶりだった。けれどオルターには、それがリラなりの精いっぱいの言葉なのだとわかった。
「……うん。足、引っ張らないようにする」
「当然よ」
リラは図鑑に目を戻した。その耳の先が、少しだけ赤かった。
*
出発の前日、グレンは一年の全員を講堂に集めた。
「森は国境沿いに広がっている。演習区域の端には、境界の杭が打ってある。そこから先は、どこの国のものでもない土地だ。――決して越えるな」
グレンの声は、いつもより低かった。
「森で出るのは、小型の魔物がほとんどだ。だが、油断した班から怪我人が出る。それから、これを一班に一本ずつ配る」
配られたのは、骨を削って作った細い笛だった。
「救難の笛だ。吹けば、森の外で待機している教官に届く。……使わずに済めば、それに越したことはない」
オルターは、手の中の笛を見つめた。
軽い。こんなに軽いものに、命を預けることになるのだろうか。
隣で、ジークが笛を首から下げ、得意げに胸をそらした。
「ま、俺たちには要らねえけどな」
「班長がいちばん先に吹きそうだけど」
リラの言葉に、ネリネがくすくすと笑った。
*
その夜、オルターは回廊に立っていた。
白い床。白い壁。奥へ行くほど濁っていく灰色と、いちばん奥の、夜よりも深い黒。
一年ぶりの回廊だった。
『群れたな、弱虫』
黒い髪の少年は、いつものように壁にもたれていた。顔も背丈も、オルターと同じだけ大きくなっている。違うのは、髪の色と、その目に宿る冷たさだけだ。
『……見てたの』
『お前の目に映るものは、全部見えている。橙の小僧、水色の小娘、それに桃色。ずいぶん楽しそうだったな』
少年は、心底つまらなそうに鼻を鳴らした。
『くだらない。群れて何になる。弱い者がいくら寄り集まっても、弱いままだ』
『弱くないよ。みんな、ちゃんと強い』
オルターは、自分でも驚くほどはっきりと言い返していた。
『ジークの雷も、リラの水も、ネリネの治癒も。ぼくは、あの三人の前に立つって決めたんだ』
少年は、しばらく黙ってオルターを見ていた。
それから、口の端だけを吊り上げて笑った。五年前の夜と同じ、冷たい笑い方だった。
『そうか。――明日は、退屈しないといいがな』
ぐらり、と回廊が揺れる。
『待って。それ、どういう――』
問いかけは、黒に呑まれて届かなかった。
*
目を覚ますと、窓の外はまだ暗かった。
隣の寝台から、ジークの寝息が聞こえる。オルターは身を起こし、窓の硝子に映る自分を見た。
白い髪。いつもの自分だ。
夜明け前の空の、国境の方角だけが、墨を溶かしたように黒く沈んでいた。
枕もとの救難の笛を、オルターはそっと握りしめた。




