選べるもの
五度目の春が来た。
ハーベル養護院の裏庭で、オルターは最後の薪を割り終えた。斧を立てかけ、額の汗をぬぐう。
この五年で背はずいぶん伸び、今では勝手口をくぐるとき、頭をぶつけないようにかがむのが癖になっていた。
髪だけは、あのころと何も変わらない。降ったばかりの雪のように、白いままだ。
十五の春が来たら、院を出る。それがこの院の決まりだった。
行き先は、色によって違う。町の商家へ奉公に出る子もいれば、職人に弟子入りする子もいる。
白色種のオルターには、院を通してボルド鉱山の働き口が回ってきていた。
出発は、ひと月後だ。
十歳のころ、ミレットの町で見た荷車を思い出す。膝を抱えた白い髪の大人たち。何の色も浮かべない目。
ぼくも、ああなるのかな――あのときの問いに、答えはもう出ていた。
回廊へは、この五年のあいだにも、年に一度ほど呼ばれた。黒い髪の少年は相変わらず名乗らず、多くを語らなかった。ただ、あの日のように回廊の外で笑い声を聞くことは一度もなかった。
「オルター!」
勝手口から、ネリネが駆けてきた。二つに結んだ桃色の髪が、春の風に跳ねている。手には、封蠟の押された封筒。
「来た! アルクス魔導学園から。願書、受け付けてもらえたって」
「よかった。おめでとう、ネリネ」
「まだ試験があるんだってば。おめでとうは受かってから」
そう言いながら、ネリネの頬はゆるみっぱなしだった。
イリスティア連邦では、十五になれば色を問わず、誰にでもアルクス魔導学園へ入る資格が与えられる。
誰にでも――とはいえ、それを使う白色種はまずいない。
魔法を学ぶ学園に、魔法を持たない者が行く理由はないからだ。
「オルター。お前、ネリネについて行っておやり」
いつの間にか、マルタ先生が勝手口に立っていた。五年分、また少し背が縮んだように見える。
「試験のあるセレスタの町までは、乗合馬車で二日だ。荷物持ちがいるだろう。……鉱山へ発つ前に、一度くらい遠出してきな」
出発の朝、門の前では、十三になったミロがいつまでも手を振っていた。
*
セレスタは、ミレットよりもずっと大きな町だった。
坂の上に、白い石造りの学園がそびえている。門の前には、受験生たちの長い列ができていた。赤、水色、緑、黄、茶、橙、紫、桃。色とりどりの髪が、春の日差しにきらめいている。
その中に白い髪は、一つもなかった。
オルターが列の脇に立つと、あちこちから視線が刺さった。荷物持ちだろ、と誰かが小声で言い、誰かが笑う。
慣れている。オルターはネリネの鞄を抱え直した。
「次。ハーベル養護院、ネリネ」
受付の机で名前を呼ばれ、ネリネが一歩前に出る。受付係は書類をめくり、それから、もう一枚の紙を取り上げた。
「同じくハーベル養護院、オルター。……受験番号、二百十四番」
オルターは、自分の耳を疑った。
「……え?」
「オルターは君か。白色種、十五歳。保護者の署名は院長マルタ。間違いないね」
差し出された願書には、見覚えのある角ばった字が並んでいた。マルタ先生の字だ。
オルターはゆっくりと、隣を見た。
ネリネはまっすぐ前を向いたまま、耳まで赤くなっていた。
「ネリネ」
「……約束したでしょ」
ネリネは、小さな声で言った。
「一緒に探すって。オルターがなりたいもの。白でも選べるもの。……鉱山しかないなんて、まだ決まってない」
「でも、ぼくは魔法が」
「知ってる。先生も知ってる。それでも、受けるだけなら誰にも止められないって、先生が」
五年前の夜、井戸の縁でからめた小指を思い出す。
オルターは、願書を受け取った。紙の端が、少しだけ震えていた。
*
最初の試験は、魔力の測定だった。
講堂の中央に、ひと抱えほどもある透明な水晶が据えられている。手を触れると、その者の色に光る仕組みらしい。
赤い髪の少年が触れると、水晶は燃えるように赤く輝いた。水色の髪の少女が触れれば、澄んだ水色に。ネリネが触れると、淡い桃色の光がやわらかく広がり、試験官たちが小さくうなずき合った。
「次、二百十四番」
オルターは水晶の前に立ち、そっと手のひらを当てた。
しかし何も起きなかった。
水晶は透明なまま、講堂の窓の光を映しているだけだった。
受験生たちのあいだから、くすくすと笑いが漏れる。
「白が光るわけないだろ」
「何しに来たんだ、あいつ」
記録係が、困ったように試験官を見上げた。黄色の髪をきっちりと撫でつけた、
壮年の男だ。胸の名札には、グレンとある。
グレンはしばらく透明な水晶を眺めてから、短く言った。
「測定は、零。――実技で見る。次」
*
実技の試験は、学園の中庭で行われた。
受験生は一人ずつ、上級生と模擬戦をする。砂時計の砂が落ちきるまで、どれだけ戦えるか。勝ち負けではなく、それを見るのだという。
「二百十四番、前へ。相手は――」
「俺がやります」
グレンの声をさえぎって、上級生の列から一人が進み出た。
燃えるような赤い髪。背は伸び、肩幅はオルターより広い。けれど、人を値踏みするような目つきは、五年前と何ひとつ変わっていなかった。
「……ダグ」
「久しぶりだな、白」
十七になったダグは、アルクス魔導学園の制服を着ていた。院を出て、ここへ入っていたのだ。
グレンは二人を見比べ、黙って砂時計を返した。
「始め」
ダグの手のひらに、炎がともった。
小指の爪ほどではない。こぶしほどでもない。人の頭ほどもある火の塊が、うなりを上げて飛んでくる。
オルターは身をひねってかわした。熱風が頬をなでる。
二つ目、三つ目。ダグの炎は速く、重く、狙いも正確だった。
この五年、本気で鍛えてきたのがわかる。
右へ、左へ。オルターは跳び、転がり、しのぎ続けた。
「打ってこいよ!」
ダグが吠えた。
「いつまで逃げてる。試験だぞ。ここなら誰も鉱山送りになんかしねえ。打ってこい!」
オルターは答えなかった。
炎の切れ目に、踏みこめる隙は何度も見えた。あの日のように一歩で間合いを詰めれば、手首をつかめる。そのまま地面に叩きつけることも、たぶんできる。
――できるから、しなかった。
砂が、落ちていく。
最後の一撃は、ひときわ大きかった。地面をなめるように走る炎の壁を、オルターは跳び越えた。着地した瞬間、砂時計の最後の一粒が落ちた。
「そこまで」
中庭は、しんと静まりかえっていた。
オルターの服はあちこち焦げていたが、火傷ひとつ負っていない。そしてダグも、指一本触れられていなかった。
グレンが、オルターの前に立った。
「なぜ、一度も打ち返さなかった」
「……打ったら、痛いので」
受験生たちのあいだに、ざわめきが広がった。笑う者もいた。けれど、グレンは笑わなかった。手もとの帳面に、何かを書きつけただけだった。
ダグは肩で息をしながら、オルターをにらんでいた。それから、ふいと目をそらした。
「……相変わらずだな、お前は」
吐き捨てるような口調だった。けれど、五年前、院長室を出ぎわに聞いたあの言葉とは、どこか響きが違っていた。
*
三日後、学園の門に合格者の名が貼り出された。
ネリネの名前は、上のほうにあった。
オルターの名前は、いちばん最後にあった。
見間違いかと思って、三度読み直した。何度読んでも、そこには確かに「二百十四番 オルター」と書かれていた。
「あった! オルター、あったよ!」
ネリネが飛びついてくる。人目もはばからず、何度も何度もオルターの腕をたたいた。
オルターは、自分の両手を見下ろした。
荷馬車を持ち上げた手。ダグの手首をつかんだ手。誰かを傷つけることも、守ることもできる手。
その手が初めて、鉱山ではない道の前にあった。
オルターは、ゆっくりと手を握った。
その春の終わりに、自分の髪が夜よりも黒く染まることを、オルターはまだ知らなかった。




