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2/9

数に入らない

ハーベル養護院から町までは、丘を一つ越えて半刻ほどかかる。

 ミレットの町は、このあたりでいちばん大きな市場町だった。石畳の大通りには露店がひしめき、色とりどりの髪が行き交っている。赤、水色、緑、黄、茶。

ときおり、橙や紫も。

「はぐれるんじゃないよ。とくにオルター、お前はね」

 先頭を歩くマルタ先生が、振り返りもせずに言った。

 月に一度の買い出しには、院の子どもが二人、荷物持ちとしてついていく決まりだ。今月はオルターとネリネの番だった。

「どうしてオルターだけ?」

 ネリネが小声でたずねる。

「……白は、はぐれると面倒なんだよ」

 答えたのはオルター自身だった。

 白い髪は、人ごみの中でよく目立つ。目立って、そして、よく見られる。

すれ違う人たちの視線が髪の上でいったん止まり、それから何もなかったように逸れていく。

その一瞬が、オルターは少しだけ苦手だった。

 

粉屋の前で、マルタ先生が足を止めた。

 戸口の脇に、古びた木の札が打ちつけてある。


 ――白色種の入店を断る。


「お前たちは外で待っておいで。……ネリネ、お前は入ってもいいんだよ」

「ううん。わたしも外で待つ」

 ネリネはオルターの隣にぴたりと立った。マルタ先生は何か言いかけて、やめた。ため息を一つついて、一人で店の中へ入っていく。

 大通りの向こうを、幌のない荷車がゆっくりと通り過ぎていった。

 荷台に乗せられているのは、白い髪の大人たちだった。十人、いや、もっといる。誰もがすすけた作業着を着て、黙って膝を抱えていた。

「ボルド鉱山行きだよ」

 露店の男が、誰にともなく言った。

「白は丈夫だからな。鉱山にはもってこいさ」

 オルターは荷車を目で追った。いちばん後ろに座っていた若い男と、一瞬だけ目が合う。

 男は、何の色も浮かべない目で、すぐに視線を落とした。

(ぼくも、ああなるのかな)

 五年後か、十年後か。

 ネリネが、黙ってオルターの袖をつかんだ。

*

 事故が起きたのは、帰り支度をしていたときだった。

 坂の上から、悲鳴が降ってきた。

 麦袋を山と積んだ荷馬車が、石畳の段差に車輪を取られたのだ。馬が棹立ちになり、荷台が大きく傾く。ばらばらと袋が転げ落ち、続いて荷馬車そのものが横倒しになった。

 地響きのような音。

 舞い上がった粉の向こうで、子どもの泣き声がした。

「子どもが下に!」

「誰か、魔法を――」

 大人たちが駆け寄るが、誰も手を出せずにいる。土の魔法で地面を持ち上げれば、荷台ごと崩れるかもしれない。風で吹き飛ばせば、下の子どもまで巻きこむ。

 考えるより先に、オルターの足は動いていた。

「オルター!」

 ネリネの声を背中に聞きながら、粉の煙に飛びこむ。

 横倒しの荷台の下に、五つか六つくらいの男の子がいた。緑の髪。右足が、荷台の縁に挟まれている。

「動かないで。すぐ出すから」

 オルターは荷台の縁に両手をかけた。

 重い。麦袋がまだ半分以上残っている。大人の男が三人がかりでも、持ち上がるかどうか。

 ――それでも。

 息を吸い、腰を落として、オルターは全身に力を込めた。

 木がきしむ。指の骨が鳴る。腕の奥で、何かが熱くふくれあがっていく感じがした。

 荷台が、ゆっくりと浮いた。

「ネリネ、今!」

 駆けつけたネリネが、男の子の脇に手を差しこんで引きずり出す。それを見届けてから、オルターはそっと荷台を下ろした。乱暴に落とせば、石畳が割れていたかもしれない。

 ネリネは既に、男の子の足に手をかざしていた。淡い桃色の光が、赤く腫れた足首を包みこむ。

「大丈夫。骨は折れてない。……ほら、もう痛くないでしょ」

 しゃくりあげていた男の子が、きょとんとした顔で自分の足を見た。

 人垣を割って、女が飛び出してきた。男の子と同じ、緑の髪。

「トビー!」

 女は男の子を抱きしめ、そして――オルターを見た。

 正確には、オルターの髪を。

 

次の瞬間、女は男の子を抱えたまま、一歩うしろへ下がった。まるでオルターこそが、荷馬車をひっくり返した張本人であるかのように。

「……行くよ、トビー。白に近づいちゃだめって、いつも言ってるでしょう」

「でも、母ちゃん、あのお兄ちゃんが――」

「いいから!」

 女は振り返らずに去っていった。男の子だけが、母親の肩越しに、ずっとこちらを見ていた。

 まわりの人垣から、くすくすと笑い声が漏れる。

「たいしたもんだ。白は力仕事にだけは使えるからな」

「荷馬車を一人で持ち上げるとはね。鉱山に送れば三人分は働くぞ」

 誰も、ありがとうとは言わなかった。

 それでいい、とオルターは思った。あの子の足が無事だったなら、それでいい。

 けれど、ネリネは違った。

「――ちょっと!」

 顔を真っ赤にして人垣に向き直ろうとするネリネの手を、オルターはつかんだ。

「いいよ、ネリネ」

「よくない!」

「いいんだ。……行こう」

 ちょうどマルタ先生が、粉袋を抱えて店から出てくるところだった。

*

 帰り道、夕日が丘の斜面を染めていた。

 ネリネは、ずっと黙って歩いていた。怒っているのだとオルターにはわかった。

自分のためにではなく、オルターのために。

「……ネリネ」

「なに」

「さっきは、ありがとう。あの子の足、治してくれて」

「オルターが持ち上げなかったら、治せなかったよ」

 ネリネは小石を一つ蹴った。

「わたしね、治癒師になりたいの」

 ぽつりと、ネリネが言った。

「町の診療所で、けがをした人を治す人。今日みたいに。……色なんか関係なく、誰でも治す治癒師」

「ネリネなら、なれるよ」

「オルターは?」

「え?」

「オルターは、大きくなったら何になりたいの」

 オルターは答えに詰まった。

 荷車の上の、白い髪の大人たちを思い出す。何の色も浮かべない、あの目。

「……わかんない。白は、選べないから」

 言ってから、言わなければよかったと思った。ネリネの足が止まったからだ。

 ネリネは振り返って、オルターの顔をまっすぐに見つめた。

「じゃあ、わたしが一緒に探す」

「探すって、何を」

「オルターがなりたいもの。白でも選べるもの。見つかるまで、ずっと一緒に探す。……約束」

 ネリネは小指を突き出した。

 オルターは少し迷ってから、自分の小指をからめた。荷台を持ち上げた手は、まだかすかに震えていた。

 夕日のせいか、ネリネの耳は赤かった。

*

 院の門をくぐると、玄関脇の掲示板の前に人だかりができていた。

 年長の子たちに混じって、ダグの赤い頭も見える。

「何かあったのかい」

 マルタ先生が声をかけると、子どもたちが道を開けた。

 掲示板には、真新しい紙が一枚、貼り出されていた。町の役所が配った写しらしい。

 

――ノクスガルド帝国皇帝ヴァルディス、新たな勅令を発す。

――帝国は黒色種のみを正しき民とし、黒以外のすべての色種を劣等種と定める。

帝国領内に残る劣等種は、ことごとく国外へ追放する。


「勝手なことを」

 マルタ先生が低くつぶやいた。いつもの口の悪さとは違う、冷えた声だった。

 オルターは、その帝国のことをほとんど知らない。国境の向こうにある、黒い髪の人々だけの国。闇の魔法を使う、恐ろしい人たちの国。

院の子どもたちは、悪さをすると「ノクスガルドに連れていかれるよ」と脅される。

知っているのは、それくらいだ。

 紙の最後には、皇帝についての短い一文が添えられていた。


 ――皇帝は、帝国でもっとも黒き闇色を持つ。


 その一文を読んだとたん、オルターの背中を冷たいものが走った。

 理由はわからない。ただ、まぶたの裏に、あの回廊のいちばん奥が浮かんだ。

どこまでも黒く沈んだ、光の届かない場所。

「オルター? 顔、真っ青だよ」

 ネリネが袖を引いた。

「……ううん。なんでもない」

 オルターは掲示板から目をそらした。

 そのとき、人だかりの端からダグがこちらを見ていることに気づいた。勅令の写しを届けに来た町の使いが、荷馬車の一件も話していったのかもしれない。

ダグの目は、オルターの顔ではなく、その両手にじっと注がれていた。

 

小指には、まだ約束のぬくもりが残っている。それなのに、胸の奥のどこかが、ひどく寒かった。


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