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急報戦隊サイレンジャー ~呼ばれたら、行く。呼べないなら、見つけに行く~  作者: 智珠
第六巻

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第085話 犬が鳴いてる

> 【第七支部 覚知記録】

> 覚知 ── 十二月七日 二十時十分。

> 入電 ── 携帯電話。発信地 ── 旧市街 三丁目。

> 第一声 ──「犬が鳴いてる」

> 出場 ── 第七支部 全隊。


「犬が鳴いてる」


 尾花律子は用紙を引き寄せた。分まで書いて、秒は書かない。


「はい、鳴瀬市消防指令センターです。今おられる場所を教えてください」


「旧市街三丁目です。うちの隣の、久米さんのお宅で」


「お名前を教えてください」


「前川です。前川 久美」


「前川さん。犬が鳴いているのは、いつからですか」


「一時間くらい前からです。ずっと同じ鳴き方で」


 尾花は右の欄へ、隣家 動物 継続鳴、と書いた。


「前川さん。久米さんは、出てこられませんか」


「呼びました。三回。戸を叩いても、出てきません」


「久米さんは、お一人ですか」


「一人です。七十いくつだと思います」


 尾花は書いた。書いてから、その下に、居住者 安否 不明、と足した。


「前川さん。灯りは点いていますか」


「点いてます。台所の窓と、あと、青いのが」


「青い、というのを、もう少し教えてください」


「青い火です。窓の下の方に。ストーブだと思います」


 尾花は書く手を止めなかった。止めないまま、火気 使用中、と書いた。


「前川さん。中へ入らないでいてください」


「入れません。鍵が掛かってます」


「入れる入れないではなく、入らないでください」


「入りません」


「隊が出ます。着くまで、そのまま外で待っていてください」


「外にいます」


「それから、窓を割らないでください。空気が入ると、火の勢いが変わります」


「割りません」


「電話は切っていただいて大丈夫です。何かあったら、また掛けてください」


「切ります」


 尾花は枠を見た。八つのうち、光っているのは一つになる。


 切れたあと、その枠が消えた。三年、切ったあとに残るものは無い。


*


 十二月七日の三階は、窓を閉めていた。十二月に入って、夜は二度まで落ちる。


 武藤とうふ店は七時十分に置いていく。十二月は五丁になる。武藤は数える時、一丁ずつ声に出す。一、二、三、と来て、四だけ「四つ」と言い、そこから五へ戻る。三年、誰も直していない。棚の上の紙は、まだ読めない。十一か月目に入った。


 十二月の当直は、三階の窓を閉めた分だけ音が中に残る。廊下の端の蛍光灯が一本、切れかけで鳴っている。替えの管は棚にある。替えるのは明日になる。その明日が、毎日来ている。三年、この一本だけが替わっていない。


 夜の当直で、椀は朝の分を残してある。冬は残す量が増える。増やしたのは去年の十二月からで、理由を寺尾は言っていない。


 寺尾剛が鍋の火を落とした。落としてから、蓋を斜めに掛ける。


「まあ待て。十二月は五丁だ。一月がいくつになるかは、一月に分かる」


 二文で言って、寺尾は火の当番の札を裏返した。冬の間、この札は裏のままになる。


 灰谷蒼汰は索を膝の上に広げて、端から端まで指で送っていた。三年、出る前に必ず一度やる。


「索は四本、乾いています」


 言ってから、四本目を袋の上へ入れ替えた。冬は火の季節になる。火の日は、四本目を上にする。決めたのは去年の冬になる。


 四本目だけ、端の三十センチが焦げている。焦げたのは去年の一月で、替えていない。替えないのは、焦げたところが一番よく分かるからになる。暗い中で手探りに掴んでも、そこだけ手触りが違う。


 棚の上の紙は、十一か月、誰も剥がしていない。剥がさないまま、端だけが茶色くなってきた。字は湯気で滲んで、上の二行がもう読めない。読めない二行を、武藤は毎週、同じ位置に貼り直す。


 七尾ひかりは酸素の残りを見てから、七つ数えた。七つで戻る。数え終わってから、袋の中を上から順に並べ直した。


 桐島奏が、その横で同じ順に並べていた。並べ終わってから、袋の口を三度確かめる。七尾ひかりは、その手を見てから口を開いた。


「熱いところでは、先に何を見てもらえますか」


「七尾 ひかりさん。温度を見ます」


「はい。人の側ではなく、床の温度を見ます」


「床ですか」


「床が熱いと、その上を歩けません。歩けない床に、人は倒れています」


 奏は頷いた。頷いてから、自分の順番へもう一つ足した。


 足したのは、床へ手の甲を当てる一動作になる。掌ではなく甲を当てる。掌だと、熱いかどうかを確かめる前に握れなくなる。教わったのは夏の熱の日で、それから一度も抜かしていない。


 速水司が、その横で同じ形を作ろうとした。作ろうとして、掌の側を下にした。


 ひかりが黙って手首を返す。返された手を、速水は見た。見てから、もう一度自分でやり直した。三度目で甲が下になった。


 速水が口を開く。


「三度目で覚えます」


 誰も、そこは笑わなかった。笑わないのは、四度目が無い日があるからになる。


 逢坂澪は受信席の裏で、旧市街三丁目の建物の図を出していた。久米の家のところに、印が一つ入っている。


「旧市街三丁目。木造の二階建てです。建ったのは四十八年前になります」


「路地は」


「幅は一間半。車は入りません。手前の広場までになります」


「隣は」


「両側とも壁が接しています。屋根は繋がっていません」


 久遠寺修司が掲示板の前から振り向いた。未着累計の欄には、一と書いてある。三月の終わりから動いていない。


「三丁目か」


「三丁目です」


 澪はそう言った。それだけ言って、図の縁を指で押さえた。押さえたのは、線を引く前の癖になる。


 旧市街三丁目の図には、白い付箋が一枚だけ貼ってある。貼ったのは三年前で、剥がしていない。付箋の字は、この日も読み上げられなかった。


 久遠寺は、それ以上を訊かない。訊かないまま上着を取った。


 旧市街三丁目という地名が出た日に、この人は必ず一度、掲示板の方を見る。三年、そうしている。見る時間は一秒に満たない。誰も、そのことを数えていない。


 火群迅は自販機の前にいた。一番下の段を押す。理由を言ったことがない。缶を取って、指の腹で口を一度拭いてから開ける。


 一番下の段には、缶の汁粉が入っている。冬になると、そこだけ札の色が変わる。夏の間、札は白のままで、それでも迅は同じ段を押していた。


 押してから、缶を左手へ持ち替えた。右手は空けておく。空けたままで、廊下の柱に背を預ける。柱には、去年の冬に付いた煤の跡が肩の高さで残っている。拭いても落ちない高さになる。


 覚知の音が鳴った。


 地下三層で、宮ヶ瀬佳代が机の上に二つの箱を並べていた。


 並べる前に、布で一度ずつ拭いている。拭いてから、向きを揃えて置く。置いた二つの間隔は、掌の幅ぶんになる。


 拭く布は、机の左端に畳んで置いてある。畳み方が三年、同じになる。四つに折って、角を手前へ向ける。向けた角の側から取る。取った後で、また同じ形に畳んで戻す。


 箱は掌に載る大きさで、片方の側面に金具が付いている。もう片方の側にも、同じ形のものが付いていた。噛み合わせて一つになる形になる。


「宮ヶ瀬さん。それ、いつからありました」


 梅木がそう訊いた。宮ヶ瀬は、箱の向きを揃えてから答えた。


「今日からです。昨日までは、噛みませんでした」


 噛まなかった、と言う。噛むようになった、とは言わない。


 この人の言い方では、今日出来たものは、昨日まで無かったものになる。作れた側ではなく、作れなかった側から数える。三年、そこが変わらない。


「一人では使えません。二人で一つになります。片方が動くと、もう片方も同じだけ動きます」


「離れられないってことですか」


「離れられません。離れる形は、まだ作れていません」


 宮ヶ瀬は逆から言う。出来ていることを先に言わない。


 言ってから、宮ヶ瀬は腕の内側の時計を見た。四十時間になる。四十時間起きていて、それを誰にも言わない。


 佐波が二つの箱を受け取って、上がってきた。上がってから、迅と寺尾の前へ置いた。


 誰に渡すかは、宮ヶ瀬が決めていない。佐波も決めていない。


 決めていないものを、決めていないまま持ってくる。持ってきた先で、誰かが取る。三年で、そういう渡し方をしたのは二度目になる。一度目は、去年の春の鉤になる。


 置かれた二つの箱を、迅が先に取った。取ってから、片方を寺尾へ渡した。


 寺尾が受け取る。受け取ってから、何も言わなかった。


 二人とも、使い方を訊かなかった。訊かなかったのは、宮ヶ瀬が先に言ったからになる。一人では使えない。二人で一つになる。片方が動くと、もう片方も同じだけ動く。


 それだけ聞けば、あとは現場で分かることになる。


 澪が建物の図を机へ広げた。広げてから、久米の家の間取りに指を置いた。


「一階は、台所と居間と、奥に六畳。ストーブは居間になります」


「窓は」


「路地の側に二つ。裏は塀で、開きません」


「戸は」


「玄関が一つ。路地から入って、土間が二畳分あります」


「熱は」


「分かりません。外からは測れません」


「隣の家は」


「両側とも人がいます。左が前川さん、右は空き家です。空き家は去年の秋からになります」


「屋根の上は」


「雪は載っていません。初雪は、まだです」


「路地の舗装は」


「昭和の打ちっ放しです。厚みの記録がありません」


 澪は、分からないところを分からないと言う。候補は三つまでしか出さない。三年、四つ目を出したことがない。


 久遠寺の質問は、三年、短いままになる。感想を挟んだことがない。


「アンサー」


> ── はい。


「久米さんのお宅を」


> ── 電気は来ています。灯りが二つ、点いています。


「火は」


> ── 分かりません。燃えているかどうかは、こちらでは分かりません。


「煙は」


> ── 前川さんの通報に、煙の記述はありません。……匂いの記述もありません。


「犬は」


> ── 鳴き声は、通報の背後で拾えています。一定の間隔です。弱っている声ではありません。


「間隔は」


> ── 四秒です。一時間、四秒のままです。


「燃えていないのに、火が見えている」


> ── そうなります。


 アンサーは、分からないことを分からないと言う。三年、そこだけは変わらない。


 澪が図の縁から指を離した。


「座標、出た」


*


 地下二層のポールを、迅が最初に下りた。二段飛ばしで踊り場を抜けて、下りきる前に走りはじめる。アンサーは一段ずつ下りる。三年、この対比が変わらない。


「発進」


 合図は整備班が出す。六人ではない。


 旧市街三丁目の手前の広場に着いたのは、二十時十九分になる。所要は九分だった。


 十二月の夜で、広場の温度は二度になる。路地の口まで来ると、一度に下がった。


 路地の奥へ行くほど、寒い。寒いのは、奥に火があるからになる。


 火があると温かい。三年、六人はそう思って現場へ入ってきた。この日の路地では、その順番が逆になっている。逆になっていることを、誰も口に出さない。


 前川久美が路地の口に立っていた。四十四になる。上着の上に、もう一枚羽織っている。


 足元には、履き替えていない室内履きがある。一時間前に戸を叩きに出て、そのまま帰っていない。爪先の布が濡れて、白く固まりかけていた。


「そこです。三軒目の」


 言ってから、前川は自分の腕をさすった。さすってから、手を止めた。


 止めたのは、寒さが上着の外側から来ていないことに気付いたからになる。


 外は二度で、路地の中は零度を切っている。一時間ここに立っていて、この人は上着を一枚足しただけで、家へは戻らなかった。戻ると、戸を叩く音が聞こえなくなる。


 迅が路地へ入った。入ってから、三歩で足を止めた。


 止めた足の裏が、冷たい。舗装が凍っている。十二月七日の夜に、路地の舗装が凍っている。


 凍り方が均していない。三軒目の前が一番厚く、そこから両側へ薄くなっていく。厚いところの縁が、盛り上がって割れていた。割れ目の底に、白い霜が立っている。


 迅は、その割れ目を靴の先で一度押した。押した底が動かない。動かないほど厚く凍っている。


 久米の家の窓の下に、青い火が見えた。


 石油ストーブの火になる。点いている。点いているのに、窓の硝子が曇っていない。


 曇らないのは、中も外も同じ温度だからになる。


 硝子は四十八年分の古い硝子で、面が波打っている。波打った面の向こうで、青い火だけが真っ直ぐに見えた。


 犬が鳴いていた。一時間、同じ鳴き方で鳴いている。


 鳴いている場所は、玄関の内側になる。土間の高さから、鼻の位置が四十センチほどになる。戸の下の隙間から、白い息が出ていた。


 息が出ているのは、下の隙間だけになる。戸の上の隙間からは、何も出ていない。上の空気が動いていないからになる。


 動かない空気は、外へ出ていかない。出ていかないまま、下へ落ちて溜まる。溜まった先が、今、迅の足の裏にある。


 ひかりが玄関の戸に掌を当てた。当ててから、すぐ離した。


「戸が冷たいです。中の方が冷たいと思います」


 中の方が冷たい。火が点いている家の中が、外より冷たい。


 ひかりは離した掌を、もう一度、戸の下の方へ当てた。下の方が、上より冷たい。上と下で違うということは、中の空気が動いていないということになる。


「下が冷たいです。上と、三度くらい違うと思います」


 言ってから、ひかりは手を戻して、袋の口を確かめた。確かめる順番は、いつもと同じになる。


 寺尾がハンマーを担ぎ直した。担ぎ直してから、路地の舗装を足で二度踏む。踏んだ音が、乾いた音で返った。


「まあ待て。路地は凍ってる。打つと割れる」


 二文で言って、寺尾は広場の側へ二歩戻った。戻った先の舗装を、踵で叩く。


「ここなら効く。三本立てる」


 澪が路地の口からソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。


「一名。路地の口に一。家の中は零。撃てる」


 撃った。低い音が壁を通っていく。通った音が、中の形を返してきた。


「人はいません。動いているのは、犬が一頭です」


 久米はいない。一時間、家にいない。いないまま、ストーブが点いている。


 消し忘れたストーブは、市内で年に何件あるかを、澪は言わなかった。訊かれていないからになる。


 蒼汰が索を一本、路地の口の柱へ回した。回してから、結び目を三度確かめる。


「索は九メートル余ります」


 余った分を輪にして、蒼汰は肩へ掛けた。投げたものは必ず回収する。回収する分まで数えてから投げる。三年、ここを省いたことがない。


 前川久美は、その手つきを路地の口から見ていた。見てから、自分の上着の紐の端を、同じ向きに一度結んだ。結んでから、すぐ解いた。


「トリアージ」


 迅が左手首の蓋を跳ね上げた。ブレスが色を出す。


> 判定 ── 黒。要救助者、無し。倒してください。


 黒が出た。誰もいない。


 誰もいない家の中で、火だけが点いている。


「急報 ── 出場!」


> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。

> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。


「急報 ── 通報!」


 奏がダイヤルに指を入れた。一を回して、指を戻す。もう一度、一を回す。三度目に、九を回した。


> サイレン ── 着信。〈桐島 奏〉。応答、確認。


> ── 回線、残り 二本。市内 受信可能 八。


 二本になった。冬の夜の二十時で、残っているのが二本になる。


 迅は右手を耳の高さへ上げた。掌を外へ向ける。五人が続けた。


 凍った路地の口で、六つの掌が同じ高さに並んだ。並んだ先の三軒目に、青い火がある。


>  水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!

>  声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!

>  綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!

>  梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!

>  息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!

>  名を持っていく、影の現場 ─── サイレンゴールド!

>

>  特別災害対策機構、第七支部 ──

>  呼ばれたら、鳴らして、行く!

>  急報戦隊、サイレンジャー!


 声が路地の壁に挟まれて、三軒目の手前で止まった。止まったのは、寒さが声を先へ通さないからになる。


 禍体は、居間の畳の上から立った。


 人の形をしていない。ストーブの熱が同じ場所へ集まり続けて、集まったまま形になっている。動くと、周りの温度が下がる。


 中心だけが熱い。中心の外は、下がり続ける。


 音は、木の柱が凍って軋む音だった。一か所ずつではなく、四十八年分の柱が同じ拍で鳴る。


 迅がギアの柄を回した。噛む音が、軋む音の切れ目に入った。


「斧!」


 斧が、集まり続ける向きを横から割った。割った先で、中心が一度だけ薄くなる。


 薄くなったところへ、迅が一歩入った。


 入った先で、足が止まった。


 止まったのは、動けなくなったからになる。中心の外の温度が、動く速さより速く下がっている。


 寺尾が入口から迅の背を見た。見てから、自分の箱を左手に持ち替えた。


「まあ待て。一人では入れん。俺が後ろだ」


 二文で言って、寺尾は路地を三歩で詰めた。詰めてから、迅の背中へ自分の背中を合わせた。


「連結 ── 換装!」


 二つの箱の金具が噛んだ。噛んだ音は、一度だけになる。


 背中の装甲が繋がった。繋がった分だけ、二人の間に隙間が無くなる。


> サイレン ── 連結。〈火群 迅〉〈寺尾 剛〉。回線 ── 一本、返却。


> ── 回線、残り 三本。市内 受信可能 八。


 三本になった。一本増えた。


 増えた一本へ、その場で一件が入った。旧市街三丁目の、別の家からになる。尾花が取った。


 増やしたのは奏ではない。増やす形をしていない二人が、繋がることで一本を空けた。空いた本数は一本で、空いた時間は四十秒になる。四十秒の間に、一件が入る。


 迅が前を向いている。寺尾が後ろを向いている。二人で、一つになった。


 迅が一歩出た。寺尾も同じだけ下がった。


 下がった寺尾の背が、迅の背を押している。押されている分だけ、迅は止まらない。


 止まらない足で、迅が中心まで入った。


 中心は熱い。外は冷たい。その境目を、二人分の背中が跨いでいる。


 蒼汰が索を隣家の庇へ投げた。投げてから、二重に取る。


「上、任せろ。路地は一間半です」


 張った索が、路地の上を横に通った。通した先で、外へ下がる冷えが索の位置で止まる。


 止まった分だけ、路地の口の温度が戻る。


 ひかりが玄関の戸を開けた。開けてから、犬を先に出した。


 犬は、外へ出た瞬間に鳴くのを止めた。


 止めてから、路地の口の前川の足元へ行った。


 斬った回数と、助けた回数を数える。この日、ひかりは戸を一枚も斬らずに、一頭を出した。


 奏が棒を出した。先を広げて、路地の奥へ向ける。


「盾」


 一語だけ言って、前川と路地の間に立った。誰かの前に立った回を数える。この日で、二十五回目になる。


 寺尾が広場の舗装へ、柱を三本打った。打ったのは、背中を合わせたままになる。


 迅が同じだけ動いた。動きたくない方向へ、動いた。


「路地へ来る分を、ここで止める」


 打ち込んだ柱は、抜かない。街に三つ増える。


 澪が二度目のソナーを構えた。


「一名。路地の口に一。居間の中は零。撃てる」


 撃った。音が壁の中を通って、奥の六畳で返ってきた。


「集まっている中心は、畳一枚分に縮んでいます。索の内側です」


 迅が中心の縁へ手を伸ばした。伸ばした先で、後ろの寺尾が半歩踏ん張る。


「サイレンアックス ── 急救斬ッ!」


 刃が、集まり続ける向きを横から断った。断たれた先で、熱が同じ場所へ集まれなくなる。


 集まっていた分が、順に散った。散った先から、路地の温度が戻ってくる。


 戻ったのは、二度までになる。凍った舗装は、そのまま凍っている。


 背中の金具が外れた。外れる音も、一度だけになる。


*


 久米が路地の口から入ってきた。七十三になる。買い物の袋を二つ提げている。


 犬が、その足元へ走った。


「あら」


 誰にも向けていない。言ってから、久米は続けた。


「鳴いてました?」


 一時間、鳴いていた。前川が三回、戸を叩いた。


 久米は、そのどれも知らない。知らないまま、路地の口で立ち止まっている。


 この人が家を出たのは十九時十分で、買い物へ行って、帰ってきた。その間に、隣が三回戸を叩き、犬が一時間鳴き、六人が来た。


 久米は袋の中を数え直した。豆腐が一丁と、葱と、あとは細かいものになる。数え直してから、豆腐だけを上へ移した。


 移してから、犬の頭へ手を置いた。置いた手が冷たかったらしく、犬が一度だけ身を引く。


「ストーブ、消し忘れました」


 言ってから、久米は袋を路地の舗装へ置いた。置いた袋の底が、凍った舗装に張り付いた。


 張り付いた音がして、久米が足元を見る。


「凍ってる」


 十二月七日の夜に、旧市街三丁目の路地が凍っている。


 この人は、その理由を訊かなかった。訊かずに、犬の首の毛を撫でた。


 前川久美が、その横に来た。来てから、何も言わなかった。


 言わないまま、右手を耳の高さまで上げて、掌を外へ向けた。


 上げてから、下ろした。


 誰も教えていない。この人は、路地の口で一時間、それを見ていた。


 久米が、その手を見た。見てから、自分も同じ形をした。上げた腕が、袋を提げていた側になる。提げ直してから、上げ直した。


 二人とも、何のためにやっているかを言わない。


 言わないまま、二人とも手を下ろした。下ろしてから、久米が袋を持ち直して、家の中へ入っていった。犬が先に入った。


 中で、ストーブの摘みを回す音がした。回して、止まる。青い火が窓の下から消えた。


 消えたあと、窓の硝子が内側から白く曇りはじめた。曇るまでに、少し掛かった。


 入っていった戸が閉まって、路地に犬の声が無くなった。一時間続いていた音が消えると、消えた分だけ、風の音が上から下りてくる。


 前川は、閉まった戸を暫く見ていた。見てから、自分の家の戸を開けた。開けて、入る前に、路地の側の室内履きを脱いで手に提げた。


 路地の東の口に、人が立っていた。


 十二月の夜で、風が北へ吹いている。その人の上着だけ、動いていない。


 立っているのは〈自力〉になる。迅が、そちらへ体を向けた。


「そこだ」


「二人がかりでないと入れない場所には、入るな」


「入るな、と言った」


「一人で入れる場所だけを選べば、誰も背中を押さずに済む。押されないと動けない者は、そこまでになる」


 声はそう言った。誰も言い返さなかった。


「押された」


「押されました。押された分、前へ出ています。出た先で何を得たかは、まだ数えていません」


 言ってから、〈自力〉は路地の東へ向き直った。向き直ってから、久米の家を見なかった。


 迅は、それ以上を言わない。言わずに、寺尾の方を見た。


 寺尾も、何も言わなかった。


 路地の三軒目の壁で、四十八年分の柱が一本、鳴った。


 鳴った先で、隣家との境の壁が、路地の側へ傾いた。


*


 傾いた壁の下では、三軒目の庇の氷が落ちはじめていた。落ちる先に人はいない。人がいないのは、前川が一時間、そこに立ち続けて、通る人を三人止めていたからになる。


 止めた三人の名を、この人は訊いていない。訊かないまま、路地の口へ戻っていた。


 地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。


「路地には立てません。一間半です。広場の、舗装のある側だけ使えます」


「発進」


 合図は整備班が出す。


 サイレンファイヤーが広場の舗装の上で立った。レスキューが右へ、クレーンが左へ、メディックが右の脚へ、ウイングが背へ回る。


 立つ時、四本の脚が凍った路面の縁を避けた。避けた分だけ、置ける場所が狭くなる。


> ── 回線、残り 二本。市内 受信可能 八。


 広場の周りから、人が見上げていた。十二月の夜で、上着を羽織っただけの人が多い。前川と久米と、犬が一頭いる。


 見上げているのは、広場の縁と、路地の三本向こうの角からになる。


 サイレンオーの左手は、握ったままだった。開かない。その握った左腕を、迅は路地の口へ差し込んだ。


 差し込んだ腕が、傾いた壁を下から受けた。受けた内側で、冷えの行き場が無くなる。


 冷えの柱は、受けられた腕の外側から、広場の側へ伸びようとした。伸びた先には、人がいる。


 右腕が動いた。開く方の掌が、柱の腹を横から押した。押した場所で、冷えが薄くなる。


 薄くなった中から、灯油の管が出てきた。ストーブから壁の外の缶まで、四十八年分の家に後から引かれた一本になる。


「サイレンオー ── 全消斬ッ!」


 押し出した掌が、灯油の管を避けて、柱の芯だけを横から断った。


 断たれた先で、柱が形を保てなくなる。冷えは、ただの空気になって路地の上へ落ちた。


 落ちた音のあと、路地の舗装は凍ったままだった。


 凍ったのは、この日の分だけではない。冬は、まだ始まったばかりになる。


*


 地下三層で、梅木が連結の箱を二つ、机の上へ戻していた。金具の噛み合わせを、指で確かめている。


「一度で噛みました。二度目は、まだ試してません」


「二度目です。二度目も一度で噛む形は、まだ作れていません」


 宮ヶ瀬は工具を置いた。置いてから、腕の内側の時計を見た。四十三時間になる。


 佐波が旧市街の建物の表へ、三丁目の欄を書き足した。書き足してから、梅木に言った。


「あの人、後ろを向いたままで柱を打ちました。前を見ないで」


「本人に言え」


「言いません」


 それで終わった。佐波は表を畳んで、棚の二段目へ入れた。


 速水は地下二層で、ポールの下の敷物を替えていた。二十時十分に迅が下りた時、踵が一度滑っている。滑った跡が、敷物の端に付いていた。


 替えた敷物を丸めて抱えながら、速水は跡の付いた側を内へ折り込んだ。折り込んでから、誰にも見せずに運び出した。


 三階の食堂で、寺尾が汁の火を入れ直した。十二月の椀は、五丁分になる。


 入れ直してから、寺尾は自分の背中を一度回した。回した先で、肩が鳴った。


 背中合わせで動くと、動かない側の肩に来る。来た分は、その日のうちには抜けない。抜けないことを、この人は誰にも言わない。


 迅は、その音を聞いていた。聞いていて、何も言わなかった。


 尾花律子は受信席に残った。用紙を綴じて、次の一枚を出す。この日、保留は一件だった。四十秒になる。


 二枚目の用紙には、旧市街三丁目の別の住所が書いてある。回線が一本増えた時に入った一件になる。


 用件は、路地が凍っていて出られない、という一件だった。急ぎではない。急ぎではない一件を、尾花は急ぎと同じ書き方で書いた。三年、書き分けたことがない。


 増えなければ、四十秒が三分になっていた。


 三分になっていた場合に何が起きたかは、用紙の何処にも書かれない。


 書かれないものを、この人は毎日、綴じている。


 綴じた束は、抽斗の三段目にある。三段目は、この秋で三度目に入りきらなくなった。四段目へ移すかどうかを、この人はまだ決めかねている。


 用紙の一番下の欄には、通報者の名前を書く枠がある。前川久美と書いて、その下に、久米、と書きかけて止めた。久米は通報していない。通報していない人の名は、この欄に入らない。


 尾花は、書きかけた二画を線で消した。消した上から、隣家、と書いた。


 六人は、この人に礼を言わない。言わせない。


> 【第七支部 出場記録】

> 臨場 ── 二十時十九分。所要 ── 九分。

> 保留 ── 一件。最長 四十秒。

> 未着 累計 ── 一。

> 判定 ── 黒。破壊 ── 中。

> 損壊 ── 旧市街三丁目 木造二階建て 境壁 三メートル 傾斜。路地 舗装 十四メートル 凍結 継続。

>     隣接二軒 庇 破損。広場 舗装 八平米 破損。

> 救助 ── なし。搬送 ── なし。避難 ── なし。

> 受信 ── 連結による 回線 返却 一。返却中の受信 一件。

> 気温 ── 旧市街三丁目 路地 氷点下 二度。周辺との差 四度。

> 市内 路地の幅が二メートル未満で 車の入れない区画 二百十七か所 ── 冬季の凍結 記録なし。

> 本件、処理 ── 完了。

> ── 入電。

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