↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
急報戦隊サイレンジャー ~呼ばれたら、行く。呼べないなら、見つけに行く~  作者: 智珠
第五巻

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
82/95

第077話 誰かいた

> 【第七支部 覚知記録】

> 覚知 ── 十月十二日 二十一時五分。

> 入電 ── 一般加入電話。発信地 ── 旧市街 一丁目。

> 第一声 ──「誰かいた」

> 出場 ── 第七支部 全隊。


「誰かいた」


 尾花律子は用紙を引き寄せた。分まで書いて、秒は書かない。


「はい、鳴瀬市消防指令センターです。今おられる場所を教えてください」


「旧市街一丁目です。うちの前の、路地の」


「お名前を教えてください」


「岸です。岸 光世」


「岸さん。誰かいた、というのを、もう少し教えてください」


「音がしたんです。物が倒れる音。出てみたら、路地の奥に何か倒れてて、その横に誰かいて」


「その方は、今もそこにおられますか」


「いません。もう、いません」


 尾花は右の欄へ、路地 倒壊物 一、目撃者 一、と書いた。


「岸さん。倒れているものが何か、見えますか」


「見えません。暗いんです。でも、人くらいの大きさで」


「人かどうかは、分からないということですね」


「分かりません。人だと思って、それで掛けました」


 人だと思って掛けた。それで合っている。人でなかった時のために、人だと思うのをやめる決まりは、何処にも無い。


「岸さん。近付かないでいてください。そこから見えていることだけ、教えてください」


「動いてないです。さっきから、ずっと」


「音は、あれから聞こえていますか」


「聞こえません。倒れた音の一回だけです」


 尾花は書いた。書いてから、その下に、音 一回、と足した。足した字の横に、線を引かなかった。線を引くのは、確かめが取れた欄になる。取れていない欄は、そのまま置いておく。


「岸さん。隊が出ます。着くまで、家の中で待っていてください」


「戸は閉めますか」


「閉めてください。閉めて、鍵を掛けてください」


「はい」


「電話は切っていただいて大丈夫です。何かあったら、また掛けてください」


「切ります」


 尾花は枠を見た。八つのうち、光っているのは一つになる。


 切れたあと、その枠が消えた。三年、切ったあとに残るものは無い。


*


 十月十二日の三階は、窓を閉めていた。夜の二十一時で、外は十三度になる。


 武藤とうふ店は七時十分に置いていく。十月は五丁になる。武藤は数える時、一丁ずつ声に出す。一、二、三、と来て、四だけ「四つ」と言い、そこから五へ戻る。三年、誰も直していない。棚の上の紙は、まだ読めない。九か月目に入った。


 寺尾剛は椀を六つ並べ終えて、湯を落としていた。夜の当直で、豆腐は朝の分を残してある。


「まあ待て。夜は冷える。汁は熱いまま置いとけ」


 二文で言って、寺尾は蓋を斜めに掛けた。斜めに掛けるのは、湯気を逃がすためになる。


 灰谷蒼汰は索を膝の上に広げて、端から端まで指で送っていた。三年、出る前に必ず一度やる。


「索は四本、乾いています」


 言ってから、三本目の結び目を解いて、また結び直した。同じ形に結び直す。同じ形に結び直したことに、本人は気付いていない。


 三年、この人は同じ結び方しか使わない。習ったのが一つだけだからになる。ほかの結び方を知らないわけではない。知っている分は、本で読んだだけになる。


 七尾ひかりは酸素の残りを見てから、七つ数えた。七つで戻る。数え終わってから、袋の中を上から順に並べ直した。


 桐島奏が、その横で同じ順に並べていた。並べ終わってから、袋の口を三度確かめる。七尾ひかりは、その手を見てから口を開いた。


「夜は、先に聞いてもらえますか」


「七尾 ひかりさん。何を聞きますか」


「返事です。暗いと、動いているかどうかが見えません」


「見えない時は、聞く」


「はい。返事があるうちは、分かります」


 奏は頷いた。頷いてから、自分の順番へもう一つ足した。足したのは、名前と痛みの間に入る一つになる。順番は、増える度に前が押される。押されて落ちたものは無い。


 逢坂澪は受信席の裏で、旧市街一丁目の路地の図を出していた。路地が四本入っている。


「旧市街一丁目の路地は、四本です。幅は一メートル八十から二メートル二十」


「どれだ」


「候補が三つあります。東から二本目、三本目、四本目」


「一本目は」


「一本目は、去年から塞がっています。人が通れません」


「では候補は三つだな」


「三つです。三つとも、岸さんの家の前を通ります」


 久遠寺修司が掲示板の前から振り向いた。未着累計の欄には、一と書いてある。三月の終わりから動いていない。


「一つでいい」


「候補は三つまでと決まっています」


 澪はそう言った。三年、この人は候補を三つ出す。一つに絞るのは、着いてからになる。


 久遠寺は、それ以上言わなかった。言わないまま、上着を取った。


 火群迅は自販機の前にいた。一番下の段を押す。理由を言ったことがない。缶を取って、指の腹で口を一度拭いてから開ける。


 覚知の音が鳴った。


 戸倉が地下三層から上がってきた。手に、クレーンの四本目のアウトリガーの受けを持っている。宮ヶ瀬佳代が、その手元を見た。


「今日も半拍のままです」


「宮ヶ瀬さん。四本目、今日も半拍でした」


「半拍のままです。半拍を消す受けは、まだ作れていません」


 宮ヶ瀬は逆から言う。出来ていることを先に言わない。


 言ってから、宮ヶ瀬は腕の内側の時計を見た。二十七時間になる。二十七時間起きていて、それを誰にも言わない。


 佐波が夜の点検の表を持って、その横に立った。立ってから、旧市街の欄を指で押さえた。押さえた欄には、三年分の記録が詰まっている。


 詰まっている中に、旧市街一丁目の路地は一行も無い。点検の対象に入っていないからになる。


 対象から外れた理由は、表の側に書いていない。書いていないものを、この三年、誰も足していない。足すには、外した人を探すことになる。


 澪が路地の図を机へ広げた。広げてから、三本の路地に順に指を置いた。


「三本とも、奥で行き止まりです。抜けられません」


「灯りは」


「路地の中に灯りはありません。表の通りの灯りが、入口から三メートルまで届きます」


「三メートルから先は」


「見えません。岸さんの家の窓から見える範囲が、六メートルほどになります」


「音は」


「路地は壁が近いです。倒れた音は、表の通りまで出ます」


 久遠寺は短い質問しかしない。三年、感想を言ったことがない。


「アンサー」


> ── はい。


「旧市街一丁目の覚知を」


> ── この十分で、旧市街一丁目からの入電は一件です。岸 光世さんの一件になります。


「近くは」


> ── 旧市街二丁目、三丁目からの入電はありません。……音を聞いた記録も、ありません。


「十四軒ある」


> ── 十四軒です。掛けたのは一軒になります。


 アンサーは、分からないことを分からないと言う。三年、そこだけは変わらない。


 澪が図の縁から指を離した。


「座標、出た」


*


 地下二層のポールを、迅が最初に下りた。二段飛ばしで踊り場を抜けて、下りきる前に走りはじめる。アンサーは一段ずつ下りる。三年、この対比が変わらない。


「発進」


 合図は整備班が出す。六人ではない。


 旧市街一丁目の表の通りに着いたのは、二十一時十四分になる。所要は九分だった。


 十月の夜で、風は無い。無風の路地は、匂いが動かない。旧市街一丁目の路地は、昼の間に溜めた匂いを、夜まで同じ場所に置いておく。醤油と、雨のあとの土と、古い畳の匂いになる。


 岸光世の家の戸が、内側から開いた。六十八になる。戸を開けたまま、外へは出てこない。


「そこの、二本目です」


 言ってから、岸は戸の縁を掴んだ。掴んだ手が、掌の側だけ白い。三十年、この戸を開け閉めしてきた手になる。戸の縁も、同じところだけ木が痩せている。


 迅が二本目の路地の口へ入った。入ってから、三メートルで足を止めた。


 表の灯りが届くのは、そこまでになる。そこから先は、何も見えない。見えないところへ、この人は毎回、先に入る。入ってから止まるのは、後ろの五人に足元を作らせるためになる。


 ひかりが灯りを足元へ向けた。顔へ向けない。向けた灯りが、路地の壁の下半分を照らす。


 照らした先の、六メートル奥に、何かが倒れていた。


 人ではない。禍体だった。倒れたまま、動かない。


 六人は、それを見た。見てから、誰も、そこまですぐには行かなかった。行かなかったのは、動かないものの扱いが手順に無いからになる。


 寺尾がハンマーを担ぎ直した。担ぎ直してから、路地の壁を掌で叩いた。


「まあ待て。壁が薄い。ここは打てん」


 二文で言って、寺尾は路地の口の外側へ回った。回った先の舗装を、足で二度踏む。


 澪が路地の口からソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。


「一名。家の中に一。路地の中は零。撃てる」


 撃った。低い音が路地の壁を通っていく。通った音が、奥の形を返してきた。


「奥のものは、中身がありません。輪郭だけです」


 中身が無い。禍体には、もともと何も入っていない。輪郭だけのものが倒れたまま残っているのを、六人はこの三年で一度も見ていない。倒れる前に消えるからになる。


「動いているものは」


「路地の奥、行き止まりの手前に一つあります。倒れているものとは別です」


 二つある。一つは倒れていて、一つは動いている。二つ出た回は、この夏に二度あった。二度とも、両方とも動いていた。動いている方から先に片付けるのが手順になる。倒れている方の手順は、書かれていない。


 迅が倒れているものの横まで行った。行ってから、しゃがまなかった。


 倒れているものには、切れ目が一本入っている。輪郭の真ん中を、横に一本走っている。


 誰かが断った。断った跡だけがあって、断った人はいない。切れ目の縁は焦げていない。押し潰した跡も無い。輪郭の一枚が、面のまま横へずれている。


 岸光世は、物が倒れる音を一回だけ聞いた。倒れる音であって、断つ音ではない。


 奏が路地の口へ戻った。戻ってから、支部へ繋いだ。


「尾花 律子さん。桐島です。この十分で、もう一件の覚知はありましたか」


> ── ありません。


「分かりました。以上です」


 奏はそれ以上訊かなかった。訊かないまま、棒を持ち直した。


 路地の奥で、壁が壁を押す音がした。


「トリアージ」


 迅が左手首の蓋を跳ね上げた。ブレスが色を出す。


> 判定 ── 黒。要救助者、無し。倒してください。


 黒が出た。誰もいない。


 倒れている方には、判定が出なかった。もう倒れているものを、ブレスは数えない。


「急報 ── 出場!」


> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。

> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。


「急報 ── 通報!」


 奏がダイヤルに指を入れた。一を回して、指を戻す。もう一度、一を回す。三度目に、九を回した。


> サイレン ── 着信。〈桐島 奏〉。応答、確認。


> ── 回線、残り 一本。市内 受信可能 八。


 一本になった。夜の二十一時で、残っているのが一本になる。


 迅は右手を耳の高さへ上げた。掌を外へ向ける。五人が続けた。


 幅二メートルの路地の口で、六つの掌が同じ高さに並んだ。並びきらずに、二人が壁の側へ半歩ずれた。


>  水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!

>  声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!

>  綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!

>  梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!

>  息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!

>  名を持っていく、影の現場 ─── サイレンゴールド!

>

>  特別災害対策機構、第七支部 ──

>  呼ばれたら、鳴らして、行く!

>  急報戦隊、サイレンジャー!


 声が路地の壁に挟まれて、奥の行き止まりで一度だけ返った。返ってきた声は、出した声より短い。


 二つ目の禍体は、行き止まりの壁から立った。


 人の形をしていない。路地の壁の面が同じ場所へ寄り続けて、寄ったまま形になっている。動くと、幅が狭くなる。


 音は、壁が壁を押す音だった。一か所ずつではなく、六メートル分が同じ拍で鳴る。


 迅がギアの柄を回した。噛む音が、壁の音を一度だけ割った。


「鉤!」


 鉤を投げて、引いた。引いた先で、寄っていた壁の面が一枚だけ手前へ出る。


 出た一枚の下に、隙間が出来た。


「隙間が出た」


 蒼汰が索を路地の口の柱へ取った。取ってから、二重に回す。


「上、任せろ。幅は二メートルです」


 張った索が、路地の中ほどに一本通った。通した先で、寄る壁が索の位置で止まる。


 止まった分だけ、幅が残る。残った幅は、一メートル四十になる。人が一人、横向きにならずに通れる幅になる。蒼汰は毎回、その幅を残す。残せなかった回は、三年で二度ある。


 ひかりが岸光世の家の戸の前に立った。立ってから、戸を閉めさせる。


「岸さん。戸を閉めて、鍵を掛けてもらえますか」


「はい」


 戸が閉まった。閉まった内側で、鍵の音が二度した。二度掛ける人になる。二度目を掛けるまでの間が、一度目より長い。長いのは、掛けたかどうかを一度確かめているからになる。


 斬った回数と、助けた回数を数える。この日、ひかりはまだ斬っていない。


 奏が棒を出した。先を広げて、路地の口へ向ける。


「盾」


 一語だけ言って、岸の家の戸と路地の間に立った。誰かの前に立った回を数える。この日で、十九回目になる。


 寺尾が路地の口の外側の舗装へ、柱を三本打った。三本を横に並べて、頭を路地の側へ倒す。


「表へ出る分を、ここで止める」


 打ち込んだ柱は、抜かない。街に三つ増える。三本のうち一本は、岸の家の戸から一メートル半のところに立つ。戸を開けるのに支障は無い。支障が無いことを、寺尾は打つ前に一度だけ測っている。測ったのは、目の高さで手を伸ばす形になる。


 澪が二度目のソナーを構えた。


「一名。家の中に一。路地の中は零。撃てる」


 撃った。音が壁の中を通って、行き止まりで返ってきた。


「幅は、一メートル四十で止まっています。索の位置から動いていません」


 迅が隙間へ体を入れた。入ってから、上を見ない。壁の面だけを見る。


「サイレンアックス ── 急救斬ッ!」


 刃が、寄り続ける向きを横から断った。断たれた先で、壁が同じ場所へ寄れなくなる。


 寄っていた面が、順に戻った。戻った先は、元の路地の幅になる。


 二メートル二十に戻った路地に、倒れているものが一つ残っている。


 残っている方は、六人が倒したものではない。倒したものは消える。消えないものが、路地の奥の暗いところに一つ、輪郭のまま置いてある。


*


 路地の口の外に、人が立っていた。


 十月の夜で、雨は降っていない。それでも、その傘は開いている。


 差しているのは〈遠慮〉になる。


 傘は、路地の奥の方へ傾いていた。傾いた先に、倒れているものがある。


 傘の下には、誰も入っていない。倒れているものも、傘の下には入らない。


「ご迷惑ですから」


 声はそう言った。誰にも向けていない。


 言ってから、傘の柄を持ち替えた。持ち替えた先で、傘が路地の口の側へ二センチ寄る。


 寄っただけで、路地には入らない。


 入らないまま、表の通りを東へ歩いていった。歩いた先の舗装に、足跡が残らない。


 残らない足跡の上を、岸光世が戸を開けて見に出てきた。出てきてから、路地の奥を見た。


「あの人、どこ行きました」


 誰にも向けていない。言ってから、岸は続けた。


「さっき、そこに立ってた人」


 さっき立っていた人と、傘の人が同じかどうかを、この人は訊いていない。


 迅は、路地の奥を見たまま答えた。


「いない」


 三文字になる。理由は付けなかった。


 六人のうち、誰も、倒れているものの断ち口を測らなかった。


 測らなかったのは、測る道具を持っていないからになる。


 持っていないことに、この日まで誰も困っていない。困る場面が無かったからになる。倒すのは六人で、倒れたものは消える。消えないものが残った日は、これが初めてになる。


 路地の壁の一枚が、そこで剥がれ落ちた。


*


 地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。


「路地には立てません。幅が足りません。表の通りの、舗装のある側だけ使えます」


「発進」


 合図は整備班が出す。


 サイレンファイヤーが表の通りの舗装の上で立った。レスキューが右へ、クレーンが左へ、メディックが右の脚へ、ウイングが背へ回る。


 立つ時、四本の脚のうち一本が半拍遅れて着いた。遅れた分だけ、体が一度西へ傾く。


> ── 回線、残り 零本。市内 受信可能 八。


 表の通りの向かいの二階から、人が見上げていた。窓を開けて見ている家が四軒ある。十四軒のうち、四軒になる。


 見上げているのは、二階の窓と、路地の三本向こうの角からになる。角に立っているのは、寝間着の上に上着を掛けた人で、腕を組んでいない。組む代わりに、片手を耳の高さまで上げていた。


 サイレンオーの左手は、握ったままだった。開かない。その握った左腕を、迅は路地の口へ寝かせた。


 寝かせた腕が、路地の口を上から蓋をする形になる。蓋をした内側で、寄る力が行き場を失う。


 壁の柱は、蓋の外側から表の通りへ伸びようとした。伸びた先には、岸の家の戸がある。


 右腕が動いた。開く方の掌が、柱の腹を横から押した。押した場所で、壁が薄くなる。


 薄くなった中から、消火栓の標識が出てきた。路地の口の壁に付いていた古い板になる。


「サイレンオー ── 全消斬ッ!」


 押し出した掌が、標識ごと柱の芯を横から断った。


 断たれた先で、柱が形を保てなくなる。壁は、ただの壁になって路地の中へ落ちた。


 落ちた先で、消火栓の標識が二つに割れた。割れた片方が、岸の家の戸の前まで転がる。


 転がった板の字は、上半分しか残っていない。上半分だけでも、その板が何の板かは分かる。分かる人が、この路地に何人いるかは分からない。


*


 地下三層で、戸倉がクレーンの四本目の受けを見ていた。半拍は、まだ半拍のままになる。


「明後日には出ると思います」


「明後日です。半拍を消す受けは、まだ作れていません」


 宮ヶ瀬は工具を置いた。置いてから、腕の内側の時計を見た。三十時間になる。


 佐波が夜の点検の表へ、旧市街一丁目の欄を書き足した。書き足してから、戸倉に言った。


「あの人、倒れてる方を先に見ました」


「本人に言え」


「言いません」


 それで終わった。佐波は表を畳んで、棚の二段目へ入れた。


 三階の食堂で、寺尾が汁の蓋を取った。夜の椀は、朝の分を残してある。


 残した分は、明日の朝に減っている。誰が食べたかを、誰も訊かない。訊かないのは、三年、減り方が同じだからになる。減り方が変わった朝は、まだ来ていない。


 尾花律子は受信席に残った。用紙を綴じて、次の一枚を出す。この日、保留は三件だった。


 用紙の一枚目には、音 一回、と書いてある。その下に、何も足していない。


 三年、この人は聞こえなかった音の欄を作っていない。作る欄が、そもそも用紙に無い。


 旧市街一丁目の十四軒のうち、掛けたのは一軒になる。残る十三軒は、音を聞かなかった。


 その十三軒を数えているのは、この人だけになる。数えても、欄が無いので用紙には出ない。出ないものは、三年で一度も報告に上がっていなかった。


 六人は、この人に礼を言わない。言わせない。


> 【第七支部 出場記録】

> 臨場 ── 二十一時十四分。所要 ── 九分。

> 保留 ── 三件。最長 一分五十二秒。

> 未着 累計 ── 一。

> 判定 ── 黒。破壊 ── 小。

> 損壊 ── 旧市街一丁目 路地 東から二本目 壁 六メートル 剥落。表の通り 舗装 四平米 破損。

>     消火栓 標識 一枚 破損。表示 判読 不能。

> 救助 ── なし。搬送 ── なし。避難 ── なし。

> 受信 ── 回線 増設 なし。市内 受信可能 八本。

> 現場 ── 倒壊物 二。うち一は 当隊の処理によらない。処理者 記録なし。

> 市内 消火栓標識のうち 判読出来ないもの 六十二枚 ── 更新予定 記録なし。

> 本件、処理 ── 完了。

> ── 入電。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。