第074話 通じません
> 【第七支部 覚知記録】
> 覚知 ── 九月二十一日 九時十五分。
> 入電 ── 携帯電話。発信地 ── 丘の上 二丁目。
> 第一声 ──「通じません」
> 出場 ── 第七支部 全隊。
「通じません」
尾花律子は用紙を引き寄せた。分まで書いて、秒は書かない。
「はい、鳴瀬市消防指令センターです。今おられる場所を教えてください」
「丘の上二丁目です。うちからです。うちは、こっちで」
「お名前を教えてください」
「宮下です。宮下 剛志」
「宮下さん。何が通じないか、教えてください」
「実家です。山側の柏木。母が一人でいます。朝から十二回掛けて、十二回とも通じません」
尾花は書く手を止めなかった。止めないまま、右の欄へ、山側柏木、固定電話 不通、と書いた。
「宮下さん。電話が通じないだけでしたら、こちらではなく市の窓口になります。番号をお伝えします」
「昨日から、道が塞がってます」
尾花は書く手を止めた。止めてから、また動かした。
「もう一度、教えてください。道が塞がっているのは、いつからですか」
「昨日の夕方です。台風のあとの土砂で、柏木へ上がる道が一本埋まりました。市が言ってました」
「柏木へ上がる道は、その一本だけですか」
「一本だけです。四十年、一本だけです」
「隣の家の携帯へ掛けられたか、教えてください」
「掛けました。三軒とも通じません。三軒とも、柏木です」
三軒とも通じない。区画ごと落ちている。
尾花は右の欄へ、道路寸断 一路線、集落 孤立の可能性、通信 三軒不通、と書き足した。書き足してから、線を引かなかった。
「宮下さん。ありがとうございます。こちらの件になります」
「行ってもらえますか」
「隊が出ます」
言ってから、尾花は続けた。言い方を変えなかった。
「宮下さんは、柏木へ向かわないでください。道が一本しかありません」
「行きません」
「電話は切っていただいて大丈夫です。こちらから、掛け直します」
「切ります」
尾花は枠を見た。八つのうち、光っているのは一つになる。
切れたあと、その枠が消えた。三年、切ったあとに残るものは無い。
*
九月二十一日の三階は、窓を開けていた。台風から一週間経っている。北の風が乾いて、山側の匂いが下りてくる。
武藤とうふ店は七時十分に置いていく。九月は五丁になる。武藤は数える時、一丁ずつ声に出す。一、二、三、と来て、四だけ「四つ」と言い、そこから五へ戻る。三年、誰も直していない。棚の上の紙は、まだ読めない。七か月目に入った。
九月の五丁は、夏の四丁から一つ増えた分になる。増えたのは、三階で食べる人数が一人増えたからで、武藤は理由を訊かなかった。訊かないまま、翌週から五丁置いていく。
寺尾剛は椀を六つ並べていた。右の肩は、もう回る。
「まあ待て。山の日は、水を余分に持つ」
二文で言って、寺尾は水筒を六つ並べた。並べてから、六つ目に印を付ける。新しい分になる。
九月の山側は、朝と昼で六度違う。寺尾はそれを口に出さずに、毛布を五枚積んだ。積んでから、一枚だけ袋の外へ出しておく。外へ出した一枚は、いつも一番上に載る。
灰谷蒼汰は索を膝の上に広げて、端から端まで指で送っていた。三年、出る前に必ず一度やる。
「索は四本、乾いています。山は土です」
言ってから、二本目を袋の外へ出した。出してから、また戻す。
索の二本目は、去年の秋の山で汚れた分が、まだ落ちきっていない。蒼汰は毎回それを出して、毎回戻す。捨てないのは、五十メートルある四本のうち、二本目だけが継いでいない一本だからになる。
七尾ひかりは酸素の残りを見てから、七つ数えた。七つで戻る。数え終わってから、袋の中を上から順に並べ直した。
桐島奏が、その横で同じ順に並べていた。並べる速さが、先月より速い。七尾ひかりは、その手元を見てから口を開いた。
「歩ける人から先に訊いてもらえますか」
「七尾 ひかりさん。歩ける人には、何を先に訊きますか」
「行き先です。先に訊いてもらえますか」
「動く前に、行き先を」
「動いてから訊くと、もう見えていません」
奏は頷いた。頷いてから、自分の順番へもう一つ足した。
逢坂澪は受信席の裏で、山側の図を出していた。柏木のところに、道が一本だけ入っている。
「山側柏木へ上がる道は、市道が一本です。幅は三メートル六十」
「他には」
「作業道が二本あります。二本とも、市の管理ではありません」
図の柏木のところには、家の印が十四ある。十四のうち二つは、去年の図には無かった。増えたのではなく、前の図で数え落としていた分になる。
久遠寺修司が掲示板の前から振り向いた。未着累計の欄には、一と書いてある。三月の終わりから動いていない。
「通れるか」
「分かりません。去年の秋に、一本は倒木で塞がっています」
澪は言ってから、図の縁を指で押さえた。押さえたのは、線を引く前の癖になる。
久遠寺は掲示板の前へ戻らなかった。戻らずに図の柏木の側へ回り込んで、同じ場所を上から見る。三年、この人は現場に出る。指令室の椅子に座ったままでいたことが一度も無い。
火群迅は自販機の前にいた。一番下の段を押す。理由を言ったことがない。缶を取って、指の腹で口を一度拭いてから開ける。
覚知の音が鳴った。
梅木が地下三層から上がってきた。面を上げるのが速い。手に、ウイングの尾の部品を持っている。
「宮ヶ瀬さん。尾の継ぎ目、台風の分がまだ抜けてません」
「抜けていません。抜けきる継ぎ目は、まだ作れていません」
宮ヶ瀬佳代は逆から言う。出来ていることを先に言わない。
言ってから、宮ヶ瀬は腕の内側の時計を見た。二十六時間になる。二十六時間起きていて、それを誰にも言わない。
戸倉が、その手元を横から見た。
「二十六時間だ」
宮ヶ瀬は答えなかった。答えずに、部品を受け取って、切り口を指で撫でた。
撫でてから、机の端へ置く。置いた場所には、切れ端が五つ並んでいた。夏の初めは四つだった。
須永が中継の表を見ていた。柏木の欄に、印が付いている。宮ヶ瀬が、その横から覗いた。
「落ちた理由の欄は、まだ作れていません」
「柏木は、朝の六時から落ちてます」
言ってから、須永は表の欄を指で押さえた。押さえた欄には、三時間分の空白がある。
澪が山側の図を机へ広げた。広げてから、柏木の集落に指を置いた。
「山側柏木。十四戸。市道が一本、昨日の夕方から土砂で寸断されています」
「土砂は」
「延長で四十メートル。厚さは、一番深いところで二メートル二十です」
「集落は」
「向こう側です。土砂の上流に、十四戸あります」
「電話は」
「柏木の中継が、朝六時から落ちています。固定も携帯も、三軒で確認出来ていません」
久遠寺は短い質問しかしない。三年、感想を言ったことがない。
「アンサー」
> ── はい。
「柏木の中継を」
> ── 六時二分に信号が止まっています。停電の記録はありません。……止まった理由は、記録にありません。
「昨日の土砂と」
> ── 土砂の位置と、中継の位置は四百メートル離れています。関係があるかどうかは、分かりません。
「十四戸の人数は」
> ── 住民票では二十一名です。実際に住んでいる人数は、分かりません。
アンサーは、分からないことを分からないと言う。三年、そこだけは変わらない。
尾花の席は、この日、静かだった。八つの枠のうち、光っているのは一つのままになる。
柏木からは、掛けられない。掛けられない場所からは、保留も出ない。
澪が図の縁から指を離した。
「座標、出た」
*
地下二層のポールを、迅が最初に下りた。二段飛ばしで踊り場を抜けて、下りきる前に走りはじめる。アンサーは一段ずつ下りる。三年、この対比が変わらない。
「発進」
合図は整備班が出す。六人ではない。
山側柏木の土砂の手前に着いたのは、九時二十四分になる。所要は九分だった。
柏木は、山側で一番市街に近い集落になる。近いのに、道が一本しかない。
土砂は道を斜めに越えていた。上の斜面から、木と土が一緒に来ている。
手前に、市の車が二台止まっていた。人が四人いる。誰も向こう側へ渡っていない。
土砂の手前は、昨日の雨で踏み固められていた。市の職員が同じ場所を行き来した跡が、幅一メートルの帯になって残っている。誰も、その帯の外へは出ていない。
向こう側の斜面に、人が立っていた。
十四戸のうちの何人かが、土砂の向こうから見ている。数えると、六人になる。
六人とも、自分の足で立っていた。
立っている場所は、土砂の上流の縁から十メートル入ったところになる。近付きすぎてもいないし、下がってもいない。誰かが、そこに線を引いたように見える。引いたのは、昨日の夕方に最初の音を聞いた人になる。
蒼汰が索を手前の立木へ取った。取ってから、二重に回す。
「上、任せろ。土砂は四十メートル」
澪が土砂の手前からソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。
「六名。土砂の向こうに六。土砂の中は零。撃てる」
撃った。低い音が土の中を通っていく。通った音が、下の形を返してきた。
「道は残っています。土砂の下に、舗装がそのままあります。厚さは二メートル二十」
道が残っている。埋まっているだけになる。
迅が土砂の縁へ立った。立ってから、向こう側へ声を出した。
「動くな」
三文字だった。届いたかどうかは、返事で分かる。
六人のうち一人が、手を上げた。上げた手が、耳の高さで止まる。掌が、外を向いた。
誰も教えていない。
ひかりが、その手を見た。見てから、土砂の縁の横へ来る。
「歩けます。行き先を訊いてもらえますか」
歩ける人には、行き先を先に訊く。動いてから訊くと、もう見えていない。
奏が土砂の縁まで出た。迅が一歩下がって、入る場所を空ける。
「呼」
棒の先が広がった。奏はそれを向こう側へ向ける。迅が、その横で顎を引いた。
「そこから先は任せる」
「柏木の皆さん。桐島と申します。今から、下りてこられる道を作ります。それまで、そこにいてください」
声が、四十メートルの向こうまで届いた。届いた先で、六人が動かなくなった。
寺尾がハンマーを担いで、土砂の手前の斜面へ回った。回ってから、足で三か所を踏む。
「まあ待て。上がまだ動く。三本で押さえる」
二文で言って、寺尾は斜面の裾へ柱を三本打ち込んだ。三本を横に並べて、頭を道の側へ倒す。
「上から来る分を、ここで止める。柱は抜かない」
打ち込んだ柱は、抜かない。街に一つ増える。
上の斜面が、そこで一度動いた。
「トリアージ」
迅が左手首の蓋を跳ね上げた。ブレスが色を出す。
> 判定 ── 緑。要救助者、自力で退出可能。壊さずに逃がしてください。
緑が出た。壊さない。
壊さずに逃がすのは、三年で数えるほどしかない。倒すより、時間が掛かる。
「急報 ── 出場!」
> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。
> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。
「急報 ── 通報!」
奏がダイヤルに指を入れた。一を回して、指を戻す。もう一度、一を回す。三度目に、九を回した。
> サイレン ── 着信。〈桐島 奏〉。回線、増設。
> ── 回線、残り 三本。市内 受信可能 九。
増やした。柏木からは掛けられない。掛けられない場所のために増やしても、そこからは来ない。
それでも増やした。増やす先は市内の全部になる。柏木が戻れば、そこも入る。
迅は右手を耳の高さへ上げた。掌を外へ向ける。五人が続けた。
土砂の上で、六人の手が並んだ。並んだ先に、向こう側の六人がいる。
> 水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!
> 声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!
> 綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!
> 梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!
> 息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!
> 名を持っていく、影の現場 ─── サイレンゴールド!
>
> 特別災害対策機構、第七支部 ──
> 呼ばれたら、鳴らして、行く!
> 急報戦隊、サイレンジャー!
声は谷の側へ落ちて、返ってこなかった。返らない代わりに、向こう側の六人が全員こちらを向いた。
禍体は、土砂の中から立った。
人の形をしていない。斜面から落ちる向きの土が同じ場所を通り続けて、通ったまま形になっている。動くと、道が増えて塞がる。
音は、土が土を押す音だった。一か所ずつではなく、四十メートルが同じ拍で鳴る。
迅がギアの柄を回した。噛む音が、土の音の下から出てくる。
「筒先!」
水を出した。出した水は、禍体へは当てない。土砂の上へ当てて、表の土を締める。
締めた分だけ、足が沈まなくなる。
沈まない筋が、四十メートルの上に一本出来た。
寺尾が土砂の上流側へ入った。入って、三本の柱の外側に立つ。
「まあ待て。俺が上を持つ。下は通れる」
二文で言って、寺尾は動かなくなった。動かないでいる間だけ、上から来る分が止まる。
蒼汰が索を向こう側の立木へ投げた。投げてから、二重に取る。
「四十二メートル。索は五十あります」
張った索が、締めた筋の上に一本通った。手を掛ける場所が出来る。
ひかりが向こう側へ渡った。渡ってから、六人の前でしゃがむ。
「お名前と、痛いところを教えてもらえますか」
名前の次は、痛いところになる。順番を変えない。
六人とも、名前を言った。痛いところは、六人とも無いと答える。
最後の一人が、宮下スミになる。七十四歳。三年前の冬に、座卓の下で一時間いたのが、この人になる。
ひかりは、その人の手を先に見た。手は、乾いていた。
「宮下 スミさん」
「電話、通じませんでしたでしょう」
「はい」
「掛かってきてたと思うんです。十二回くらい」
宮下は、誰にも向けて言っていない。十二回になる。数は合っている。
斬った回数と、助けた回数を数える。ひかりはこの日、一度も斬らずに六人を渡した。
澪が二度目のソナーを構えた。
「六名。索の上に六。斜面の上は零。撃てる」
撃った。音が斜面の中を通って、上の尾根で返ってきた。
「上に、まだ二十メートル分あります。動き出すのは、水が入ってからです」
水は入れない。締めるだけにする。
六人が渡りきった。渡りきったところで、寺尾が柱の外から出た。
迅が禍体の腹へ入った。入ってから、上を見た。
上の二十メートル分は、まだ落ちていない。落ちる前に、下を通した。
「サイレンアックス ── 急救斬ッ!」
刃が、通る向きを横から断った。断たれた先で、土が同じ場所を通れなくなる。
土は、ただの土になって道の上に残った。残った下に、舗装がある。
壊していない。埋まっているだけになる。
蒼汰が索を解いて、手繰った。四本とも巻き取りへ収める。収めてから、端を指で一度送る。
*
六人は、市の車の横に立っていた。九月の朝で、山側は市街より二度低い。
宮下スミは、毛布を掛けられていた。掛けたのはひかりで、五枚のうちの一枚になる。
「そのまま、掛けていてもらえますか」
「掛かってきてた分は、どうなるんでしょうね」
「大丈夫です」
「向こうは、鳴ってると思ってるんでしょう」
宮下は、誰にも向けて言っていない。
掛けた側では、呼び出しの音が鳴る。受ける側では、何も鳴らない。
その差を書く欄は、指令の用紙に無い。
鳴っていると思っている側は、掛け続ける。鳴っていない側は、掛かってきたことを知らない。十二回のうち、どれが何時だったかは、どちらの側にも残らなかった。
奏が、その横に立っていた。迅が場所を空ける。
「頼む。名前だけでいい」
「宮下 スミさん。ご家族へ、こちらから掛けます。お名前を伺ってもよろしいですか」
宮下は、息子の名前と、住んでいる丁目を言った。剛志。丘の上の二丁目。
奏は覚えた。書くものを持っていない。持っていないまま、覚える。
柏木の道の下流の端に、傘を差した人が立っていた。
九月の朝で、雨は降っていない。それでも、その傘は開いている。
差しているのは〈遠慮〉になる。
傘の下には、誰も入っていない。六人は市の車の横にいて、そこまで三十メートルある。
〈遠慮〉は、土砂の方を見ていた。見てから、六人の方を見る。
「ご迷惑ですから」
声はそう言った。誰にも向けていない。
言ってから、傘の柄を持ち替えた。持ち替えた先で、傘が土砂の側へ二センチ寄る。
寄っただけで、道は渡らない。
渡らないまま、下流へ歩いていった。歩いた先の土に、足跡が残らない。
残らない足跡の上を、市の車が通っていった。通った跡だけが残る。
上の斜面で、残りの二十メートル分が動いた。
動いたのは、水が入ったからではない。下の四十メートルが減った分だけ、上の支えが無くなっている。
落ちてきた土が、道の高さを越えて、そこで立った。
*
地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。
「道の上には立てません。下が舗装だけです。谷側の、岩の出ている側だけ使えます」
「発進」
合図は整備班が出す。
サイレンファイヤーが谷側の岩の上で立った。レスキューが右へ、クレーンが左へ、メディックが右の脚へ、ウイングが背へ回る。
立つ時、四本の脚が岩の割れ目を避けた。避けた分だけ、置ける場所が狭くなる。
> ── 回線、残り 二本。市内 受信可能 九。
市の車の横から、六人が見上げていた。市の職員が四人、その後ろにいる。
見上げているのは、道の下流側と、谷を挟んだ向かいの尾根からになる。
サイレンオーの左手は、握ったままだった。開かない。その握った左腕を、迅は谷側へ回した。
回した腕が、道の谷側に壁を作った。作った壁の内側が、幅二メートルの通り道になる。
道は塞がっている。塞がっていても、谷へ落ちない道が一本出来た。
土の柱は、回した腕の外側から乗り越えようとした。越えた先には、市の車と、六人がいる。
右腕が動いた。開く方の掌が、柱の腹を横から押した。押した場所で、土が薄くなる。
薄くなった中から、上の斜面の根が出てきた。去年の秋に倒れた木の根になる。倒れたまま、片付けられていない。
「サイレンオー ── 全消斬ッ!」
押し出した掌が、根を横から抜いた。抜けた先で、柱が形を保てなくなる。
土は、道の上へ落ちた。落ちた先は、さっきと同じ場所になる。
落ちる音のあと、道は前より厚く埋まった。
埋まった上を、六人が歩いて下りていく。左腕の作った通り道の内側を、一列で歩いた。
*
地下三層で、梅木がウイングの尾の継ぎ目を見ていた。台風の分は、まだ抜けていない。
「あと三日だと思います」
「三日です。三日で抜ける継ぎ目は、まだ作れていません」
宮ヶ瀬は工具を置いた。置いてから、腕の内側の時計を見た。二十九時間になる。
須永が中継の表へ、柏木の欄を書き足した。書き足してから、梅木に言った。
「あの人、動くなって三文字で言いました。届いてました」
「本人に言え」
「言いません」
それで終わった。須永は表を畳んで、棚の二段目へ入れた。
三階の食堂で、寺尾が湯を沸かした。九月の椀は、五丁分になる。
水筒を六つ洗った。六つ目だけ、新しい分の匂いが残っている。
洗った水筒を伏せて並べる時、寺尾は口の向きを揃える。揃えてから、六つ目だけ半回転ずらして置いた。新しい分をそうしておくと、朝に迷わない。誰にも言っていない。
尾花律子は受信席に残った。用紙を綴じて、次の一枚を出す。この日、保留は出なかった。
綴じた束は、九月の分で三冊目になる。三年で、束の厚さは変わっていない。変わったのは、右の欄へ書き足す行の数だけになる。
柏木からは、一本も掛かってこなかった。掛けられない場所からは、待たせた記録も出ない。
尾花は、丘の上二丁目へ掛け直した。三年で、こちらから掛けた回数は、用紙の裏に書いてある。
第一声の欄には、通じません、と書いてある。漢字のままにした。この人は、何が通じないかを名指し出来ている。
名指し出来ていたのは、掛けた側だけになる。受けられなかった側は、掛かってきたことを知らない。
六人は、この人に礼を言わない。
> 【第七支部 出場記録】
> 臨場 ── 九時二十四分。所要 ── 九分。
> 保留 ── なし。
> 未着 累計 ── 一。
> 判定 ── 緑。破壊 ── 最小。
> 損壊 ── 山側柏木 市道 四十メートル 土砂埋没。路肩 ガードレール 十二メートル 変形。
> 斜面 立木 六本 転倒。谷側 岩 一部 破損。
> 救助 ── なし。搬送 ── なし。避難 ── 六名。
> 受信 ── 回線 増設 一。市内 受信可能 九本。柏木 中継 停止 継続。
> 市内 一本の道でしか出入り出来ない集落 十七か所 ── 迂回路 記録なし。
> 本件、処理 ── 完了。
> ── 入電。




