第072話 中で動いた
> 【第七支部 覚知記録】
> 覚知 ── 九月七日 十時四十分。
> 入電 ── 携帯電話。発信地 ── 湾岸 一丁目。
> 第一声 ──「中で動いた」
> 出場 ── 第七支部 全隊。
「中で動いた」
尾花律子は用紙を引き寄せた。分まで書いて、秒は書かない。
「はい、鳴瀬市消防指令センターです。今おられる場所を教えてください」
「湾岸一丁目の、三番倉庫です。中で荷が崩れました」
「お名前を教えてください」
「南です。南 悟。ここで乗ってます」
「南さん。中で動いたのは、何ですか」
「分かりません。崩れた山の、真ん中あたりです。二回、動きました」
「人が中にいるか、教えてください」
「吉村さんが入ってました。奥の通路で、棚を見てました」
「呼んだかどうか、教えてください」
「呼びました。返事はありません」
尾花は右の欄へ、湾岸一丁目、三番倉庫、荷崩れ、要救助者一名 内部、と書いた。四つ並べてから、動きあり 二回、と足した。
「南さん。今、崩れた山に近付いていますか」
「五メートルくらいです」
「そこから下がってください。崩れた山は、二度目が来ます」
「下がります」
「倉庫の扉は開いていますか」
「開きません。荷が内側から寄っていて、押しても引いても動きません」
「では、無理に開けないでください。人を集めて引くのも、やめてください」
「やめます」
尾花はそこで秒を書いた。書いてから、次を訊く順を変えた。
「南さん。中の人の名前を、続けて呼んでいただけますか。返事が無くても構いません」
「呼びます」
「隊が出ます。着くまで、扉から離れて待っていてください」
尾花は枠を見た。八つのうち、光っているのは一つになる。
*
九月七日の三階は、窓を閉めていた。台風が南にある。まだ来ていない。来る前の風が、朝から北へ吹いている。
武藤とうふ店は七時十分に置いていく。九月は五丁になる。武藤は数える時、一丁ずつ声に出す。一、二、三、と来て、四だけ「四つ」と言い、そこから五へ戻る。三年、誰も直していない。棚の上の紙は、まだ読めない。七か月目に入った。
寺尾剛は椀を六つ並べていた。
「まあ待て。九月は五丁だ。十月は十月に分かる」
二文で言って、寺尾は六つ目を端へ置いた。置く場所は、もう決まっている。
灰谷蒼汰は索を膝の上に広げて、端から端まで指で送っていた。三年、出る前に必ず一度やる。
「索は四本。倉庫は屋根があります」
言ってから、四本目を出して、結び目を一度解いた。解いてから、また同じように結び直す。屋根があると分かっている日でも、やる。
七尾ひかりは酸素の残りを見てから、七つ数えた。七つで戻る。数え終わってから、袋の中の副木を三本にした。
増やしたのは、荷だからになる。荷に挟まれた人は、出してから動かない方がいい場所が出る。ひかりは、そこを毎回、道具の数で言う。
桐島奏が、その横に立っていた。副木の長さを見ている。
「三つとも長さを変えてもらえますか」
「七尾 ひかりさん。長さが三つとも違います」
「腕と、脚と、迷った時の分です」
「迷った時」
「何処を固定するか決まらない時に、一番長いのを当てます。長い方が、動く範囲が減ります」
奏は自分の袋へ、同じ長さのものを三本入れた。入れてから、蓋を閉める。
三本のうち、一番長いものだけ袋に入りきらない。斜めに入れると入る。入れ方も、そのまま覚えた。
逢坂澪は受信席の裏で、湾岸の図を出していた。一丁目のところに、倉庫が七棟並んでいる。
「三番倉庫は、床面が二千四百平米です。棚が十二列、通路が十一本になります」
「荷は」
「台風の前で、通常の一・六倍入っています」
久遠寺修司が掲示板の前から振り向いた。未着累計の欄には、一と書いてある。三月の終わりから動いていない。
「積んだのは」
「昨日の夕方と、今朝の八時です。二日で入れた分になります」
澪は言ってから、図の縁を指で押さえた。押さえたのは、線を引く前の癖になる。
火群迅は自販機の前にいた。一番下の段を押す。理由を言ったことがない。缶を取って、指の腹で口を一度拭いてから開ける。
覚知の音が鳴った。
速水が受信席で、湾岸の図を広げた。広げてから、三番倉庫の位置を指で追う。
「三番です。あの、東から三つ目の。いや、西から数えて三つ目です」
「どっちだ」
「西からです。番号は西から振ってあります」
言ってから、速水は指を離して、もう一度西から数え直した。三つ目になる。同じ場所だった。
須永が中継の表を見ていた。湾岸の中継は、先月から一つ落ちたままになる。
「二丁目の中継は、まだ仮設です。一丁目は生きてます」
言ってから、須永は仮設の欄に線を引いた。引いた線は、まだ消していない。
澪が湾岸の図を机へ広げた。広げてから、三番倉庫の輪郭に指を置いた。
「湾岸一丁目、三番倉庫。荷崩れ。要救助者一名、内部。通報者と作業員が外に十四名です」
「崩れたのは」
「東側の四列目から六列目。三列ぶんが、通路へ倒れています」
「高さは」
「棚が六段で、七メートル二十。上から三段目までが落ちています」
「扉は」
「四か所。東の大扉が、内側から荷で押さえられています。残る三か所は人用で、幅が八十センチです」
「入れるか」
「入れます。ただ、担架は出せません」
久遠寺は短い質問しかしない。三年、感想を言ったことがない。
「アンサー」
> ── はい。
「三番倉庫の積み方を」
> ── 台風前の増送で、通常の棚割りと違う置き方になっています。重いものが上段に入っている列があります。……何列あるかは、記録にありません。
「二度目は」
> ── 来ます。倒れかけて止まっているものが、上から三段目より上に残っています。時刻は分かりません。
「中の人の位置は」
> ── 分かりません。倒れた荷の下か、間か、外れているかの三つになります。
アンサーは、分からないことを分からないと言う。三年、そこだけは変わらない。
尾花の席で、二本目が光った。取るまでに、一分三十四秒あった。
「はい、鳴瀬市消防指令センターです。……はい、同じ倉庫ですね。隊が向かっています。扉を引くのはやめてください」
置いてから、保留の時間を用紙へ書いた。書いた数字に、線は引かない。
澪が図の縁から指を離した。
「座標、出た」
*
地下二層のポールを、迅が最初に下りた。二段飛ばしで踊り場を抜けて、下りきる前に走りはじめる。アンサーは一段ずつ下りる。三年、この対比が変わらない。
「発進」
合図は整備班が出す。六人ではない。
湾岸一丁目に着いたのは、十時五十一分になる。所要は十一分だった。
三番倉庫の東の大扉は、閉まっていた。閉まっているのではない。内側から荷が寄っていて、開かない。
外に十四人出ていた。倉庫で働いている人たちになる。半分は荷を運ぶ側で、半分は伝票を見る側になる。この日は、両方が外に出ている。
中に残っているのが一人だけなのは、崩れた時刻が休憩の入れ替わりに当たったからだった。
南悟は、扉から離れた場所に立っていた。三十五になる。呼び続けている。迅が、その横で足を止めた。
「こっちにも聞こえてる」
「吉村さん。吉村さん」
返事は無い。それでも、南は間を空けずに呼んでいる。
その横に、もう一人立っていた。三十一になる。
寺内巧は、南の腕を掴んでいた。掴んで、扉の方へ行かせない。迅は動かなかった。
「そのままでいい」
「離すな。呼ぶのは離さないでいい」
寺内がそう言った。誰にも向けていない。
言った本人が、その言葉を誰から聞いたかを、この場で説明しなかった。
迅が人用の扉へ回った。幅は八十センチになる。入ってから、東側の通路を見た。
三列ぶんが倒れている。倒れた先が通路で、通路の幅は二メートル四十しかない。
荷は、木の箱と、樹脂の袋と、金物の束になる。混ざって積んである。
混ざっているのは、台風の前に急いで入れたからになる。急いで入れた分は、棚割りの紙に載らない。載っていないものが、何処に何個あるかは、入れた人しか知らない。
蒼汰が索を残っている棚の柱へ取った。取ってから、二重に回す。
「棚は六段。三段目まで落ちてます」
澪が人用の扉の外からソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。
「一名。荷の中に一。周りに零。撃てる」
撃った。低い音が荷の中を通っていく。通った音が、形を返してきた。
「奥から四メートル。深さは上から一メートル六十。木の箱と箱の間に、人一人分の隙間があります」
隙間がある。隙間があるということは、潰れていないということになる。木の箱が三つ、互いに支え合って止まっている。止まっているものが崩れる速さは、誰にも読めない。
奏が倒れた山の縁へ来た。棒を出して、先を細くする。
「聴」
一語だけ言って、荷の間へ差し入れた。差し入れてから、目を閉じる。
「息があります。速いです。それから」
言葉を切って、もう一度聴いた。
「叩いています。三回ずつ、間を置いて」
三回ずつ叩くのは、この倉庫で決めてある合図ではない。誰かが自分で決めて、やっている。
決めた人は、返事が返らないことも分かっていた。分かった上で、間を置いて三回ずつ続けた。
寺尾がハンマーを担いで、山の西側へ回った。回ってから、足で三か所を踏む。
「まあ待て。ここは床が抜けん。四本立てる」
二文で言って、寺尾は残っている棚の柱の外側へ柱を四本打ち込んだ。四本を縦に並べて、頭を通路の側へ倒す。
「四段目が来る分を、ここで受ける」
打ち込んだ柱は、抜かない。街に一つ増える。
四段目の棚が、そこで十センチ下がった。
「トリアージ」
迅が左手首の蓋を跳ね上げた。ブレスが色を出す。
> 判定 ── 赤。要救助者、内部に確認。必殺の使用を禁じます。
赤が出た。撃てない。
撃たないで開ける。三年、赤の日にやることは一つしかない。
「急報 ── 出場!」
> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。
> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。
「急報 ── 通報!」
奏がダイヤルに指を入れた。一を回して、指を戻す。もう一度、一を回す。三度目に、九を回した。
> サイレン ── 着信。〈桐島 奏〉。回線、増設。
> ── 回線、残り 三本。市内 受信可能 九。
増やした。台風の前で、この日は市内の通報が多い。増える側へ、一本足した。
迅は右手を耳の高さへ上げた。掌を外へ向ける。五人が続けた。
倉庫の天井は高い。上げた手の上に、七メートル二十の棚がある。
> 水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!
> 声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!
> 綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!
> 梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!
> 息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!
> 名を持っていく、影の現場 ─── サイレンゴールド!
>
> 特別災害対策機構、第七支部 ──
> 呼ばれたら、鳴らして、行く!
> 急報戦隊、サイレンジャー!
声は倉庫の中で四度返った。返る度に、棚の間へ入っていく。
四度目が、荷の山の向こうまで届いた。
届いた先で、叩く音が三回鳴った。
禍体は、倒れた荷の中から立った。
人の形をしていない。落ちる向きの力が同じ場所に溜まり続けて、溜まったまま形になっている。触れたところから、荷が下へ動く。
音は、木が木を擦る音だった。一箱ずつではなく、三列ぶんが同じ拍で鳴る。
迅がギアの柄を回した。噛む音が、木の音の下から出てくる。
「鉤!」
引く形にした。引く先は禍体ではなく、山の一番上の箱になる。
上から一つずつ取る。下から抜くと、上が落ちる。上から取るのは遅い。遅くても、そうする。
取った箱を、蒼汰が索の輪で受けた。受けてから、後ろへ流す。
「上、任せろ。輪は一箱ずつです」
一箱ずつ、十四箱まで来た。十四箱目で、四段目がまた下がった。
寺尾が四本の柱の外側へ体を入れた。入れてから、柱の頭へ肩を当てる。
「まあ待て。柱は打ってある。押さえるのは人だ」
二文で言って、寺尾は動かなくなった。
ひかりが隙間の口へ入った。入ってから、腹這いになる。
「吉村さん。聞こえていたら、もう一度叩いてもらえますか」
三回鳴った。前より近い。
「腕を動かさないでいてもらえますか」
答えの代わりに、また三回鳴った。
ひかりは、その音の位置で決めた。動かせるのは足の側になる。腕は挟まれている。
「灰谷さん。右の肩の箱を二つ、外してください」
蒼汰が二つ取った。取った先で、隙間が十センチ広がる。
広がった十センチへ、ひかりが肩を入れた。
斬った回数と、助けた回数を数える。ひかりはこの日、樹脂の袋を二つ斬って、一人の腕を出した。
澪が二度目のソナーを構えた。
「一名。荷の中に一。上の段に零。撃たない」
赤の日は、撃たないと言う。言ってから、位置だけを伝える。
「奥から二メートル八十まで来ました。あと二メートル。上の段は、まだ動いていません」
迅が山の上に立った。立って、上から一つずつ取り続けている。
上が動いた。四段目が、そこで外れた。
落ちてくる先に、隙間の口がある。口の中に、ひかりと吉村がいる。
迅は引かなかった。位置を変えなかった。変えないまま、落ちてくる棚の下へ体を入れた。
肩で受けた。受けた音が、木の音の下で鈍く鳴る。
受けたまま、動かない。
寺尾が柱の外側から、同じ棚の反対の端を肩で受けた。二人で、七メートル二十の棚の三段目と四段目を止めている。
止めている間に、ひかりが吉村を出した。
出したのは、頭の側からになる。腕は、樹脂の袋を斬ってから外している。
外へ出たところで、迅と寺尾が同時に肩を抜いた。
棚は落ちた。落ちた先に、人はいない。
禍体は、落ちきったところで形を保てなくなった。落ちる向きの力が、落ちきると残らない。
誰も撃っていない。赤の日に撃った回は、三年で一度も無い。
蒼汰が索を解いて、手繰った。四本とも巻き取りへ収める。収めてから、端を指で一度送る。
*
吉村は、倉庫の外の日陰に寝かされていた。五十二になる。
右の腕が動かない。肘から先が、挟まれていた分だけ腫れている。ひかりが副木を当てた。三本のうち、一番長いものを使った。
「今は、動かさないでいてもらえますか」
吉村は頷いた。頷いてから、左手で自分の右の掌を触った。ひかりは、その手を見ている。
「そのまま置いていてください」
「叩いてました」
誰にも向けていない。ひかりは副木の帯をもう一度締めた。
「聞こえていました」
「三回ずつ。誰かに教わったわけじゃない。三回なら、風の音と間違えられないと思って」
三回ずつ叩く合図は、この倉庫にも、市の決まりにも無い。
南悟が、その横に来た。呼び続けていた声が、まだ戻っていない。
寺内巧は、南の腕を離していた。離してから、自分の掌を見ている。
三年、この人は握る側にいた。夏に一度、押さえる側にいた。この日は、止める側になった。
止めた腕を、南は振り解かなかった。振り解こうとして、途中でやめている。
誰も、そのことを言わなかった。寺内も言わない。言う相手が、この場にはいない。
倉庫の外の敷地に、人が立っていた。
九月の午前で、風が北へ吹いている。その人の上着だけ、動いていない。
立っているのは〈自力〉になる。
〈自力〉は、崩れた荷の山の方を見ていた。見てから、外の十四人の方を見る。迅が、そちらへ体を向けた。
「そこだ」
「十四人いた。十四人で引けば、扉は開いた。開けてから、自分たちで出せばよかった」
声はそう言った。誰にも向けていない。誰も言い返さなかった。
扉を十四人で引いていたら、内側の荷がさらに寄る。寄った先は、隙間の口になる。
それを言った者は、この場にいない。言えば、説明になる。
〈自力〉は、倒れた大扉の前まで歩いた。歩いてから、扉の把手を片手で掴んで、一度引いた。
開かない。
引いたまま、二度目を引かなかった。
手を離して、敷地の北へ歩いていく。歩いた先の砂利が、足の下で鳴らない。
倉庫の中で、残った棚が動いた。
動いたのは、五段目と六段目の分になる。三段目と四段目が落ちて、上の二段だけが宙に残っている。
残った二段が、屋根の高さまで持ち上がって、そこで立った。
*
地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。
「倉庫の中には立てません。屋根が低いです。東の岸壁側の、舗装のある場所だけ使えます」
「発進」
合図は整備班が出す。
サイレンファイヤーが岸壁側で立った。レスキューが右へ、クレーンが左へ、メディックが右の脚へ、ウイングが背へ回る。
立つ時、四本の脚が舗装の継ぎ目を跨いだ。跨いだ分だけ、割れる場所が減る。
> ── 回線、残り 二本。市内 受信可能 九。
敷地の縁から、十四人が見上げていた。吉村は日陰から見ている。
見上げているのは、敷地の縁と、隣の四番倉庫の庇の下からになる。
サイレンオーの左手は、握ったままだった。開かない。握った拳の指のうち、三本だけが少し開く。
その三本を、迅は東の大扉の合わせ目へ差し込んだ。
差し込んで、引いた。
扉が開いた。開いた先から、中の荷の圧が外へ抜ける。
抜けた分だけ、上の二段が下がった。
左手は、扉を開けたまま押さえ続けている。閉じると、また圧が溜まる。
右腕だけが動いた。開く方の掌が、二段分の塊の腹を横から押した。押した場所で、荷が薄くなる。
薄くなった中から、上段の金物の束が出てきた。台風の前に入れた分になる。棚割りでは、下段に入るものだった。
右の掌が、その束を横から抜いた。抜けた先で、塊が形を保てなくなる。
撃っていない。赤の日は、撃たない。
荷は、倉庫の床へ落ちた。落ちた先に、人はいない。
落ちる音のあと、左手はまだ扉を押さえていた。押さえたまま、十四人が中へ入っていく。入って、床の荷を外へ運び出す。
左手が離れたのは、最後の一人が出てからになる。
*
地下三層で、速水がメディックの右の脚の受けを見ていた。舗装の継ぎ目で、外側が擦れている。
「擦っただけです。明日には落ちます」
「落ちます。継ぎ目を跨がずに立てる脚は、まだ作れていません」
宮ヶ瀬は工具を置いて、それ以上は足さなかった。
須永が中継の表へ、湾岸一丁目の欄を書き足した。書き足してから、速水に言った。
「あの人、落ちてくる下へ入りました」
「本人に言え」
「言いません」
それで終わった。須永は表を畳んで、棚の二段目へ入れた。
三階の食堂で、寺尾が湯を沸かした。九月の椀は、五丁分になる。
肩を回してから、鍋の蓋を取った。回すのに、いつもより時間が掛かっている。棚を受けたのは右の肩になる。取った蓋を、左手で置いた。
誰も訊かない。訊かれない分だけ、言わずに済んでいる。
尾花律子は受信席に残った。用紙を綴じて、次の一枚を出す。この日の保留は、一分三十四秒になる。件数は一件だった。
判定の欄には、赤、と書いてある。この年で、二度目になる。赤の欄に丸を付ける決まりは無い。付けないまま、綴じる。
第一声の欄には、中で動いた、と書いてある。漢字のままにした。この人は、何が起きているかを名指し出来ている。
名指し出来ていたのは、動いた、というところまでになる。何が動いたかは、外からは分からなかった。
六人は、この人に礼を言わない。
> 【第七支部 出場記録】
> 臨場 ── 十時五十一分。所要 ── 十一分。
> 保留 ── 一件。最長 ── 一分三十四秒。
> 未着 累計 ── 一。
> 判定 ── 赤。必殺 ── 不使用。
> 損壊 ── 湾岸一丁目 三番倉庫 棚 三列 全壊。東大扉 蝶番 二基 変形。
> 荷 四十二個口 破損。床 舗装 一部 亀裂。
> 救助 ── 一名。搬送 ── 一名。避難 ── 十四名。
> 仮設 ── 支柱 四本 設置。撤去 ── 未定。
> 市内 台風前の増送で棚割りと異なる積載をしている倉庫 三十一棟 ── 確認記録なし。
> 本件、処理 ── 完了。
> ── 入電。




