第066話 呼んでいいですか
> 【第七支部 覚知記録】
> 覚知 ── 七月二十日 十一時三十分。
> 入電 ── 携帯電話。発信地 ── 旧市街 三丁目。
> 第一声 ──「呼んでいいですか」
> 出場 ── 第七支部 全隊。
「呼んでいいですか」
尾花律子は用紙を引き寄せた。分まで書いて、秒は書かない。
その問いには答えなかった。答えずに、いつもの一行を出す。
「はい、鳴瀬市消防指令センターです。今おられる場所を教えてください」
「旧市街の三丁目です。八百屋の脇の路地。三階建ての、古い建物の下です」
「お名前を教えてください」
「桐島です。桐島 奏と申します」
尾花は名前の欄へ書いた。書いてから、手を止めなかった。
「何が起きているか、教えてください」
「壁が浮いています。二階から三階のところ、モルタルが四メートルほど。まだ落ちていません」
「落ちていないんですね。落ちる前に掛けていただいて、助かります」
「はい。まだ何も起きていません。……それで、呼んでいいのか分からなくて」
尾花は書いた。第一声の欄へ、呼んでいいですか、と書いてある。そのままにした。
「壁の下に人がいるか、教えてください」
「三人います。荷を出している最中で、上を見ていません」
「桐島さんが、その三人から離れているか教えてください」
「離れています。路地の外です」
「そのまま外にいてください。中へ入らないでください」
「入りません。声は届きます」
「では、声で伝えてください。上を見ないで、路地の外へ出てください、と」
「伝えます」
尾花はそこで秒を書いた。書いてから、次を訊く順を変えた。
「桐島さん。壁の浮いている場所が路地のどちら側か、教えてください」
「東です。日の当たっている側になります」
「日の当たる側ですね。そこは近付かないようにしてください」
尾花は右の欄へ、旧市街三丁目、路地、外壁モルタル浮き、四メートル、と書いた。四つ並べてから、要救助者なし、と足した。
「隊が出ます。着くまで、路地の外で待っていてください」
「待ちます」
尾花は枠を見た。八つのうち、光っているのは一つになる。
この日、二つ目は光らなかった。
光らないのは、この場所で何も起きていないからになる。まだ、何も落ちていない。落ちる前に掛かってきた電話は、三年で数えるほどしかない。
*
七月二十日の三階は、朝から暑かった。窓を開けても、風は入ってこない。屋上の訓練塔の縄が、日で熱を持っている。
武藤とうふ店は七時十分に置いていく。七月は五丁になる。武藤は数える時、一丁ずつ声に出す。一、二、三、と来て、四だけ「四つ」と言い、そこから五へ戻る。三年、誰も直していない。棚の上の紙は、まだ読めない。五か月目に入った。
寺尾剛は椀を五つ、机に並べていた。並べてから、順番を一度入れ替える。入れ替えたのは、端から二番目の椀になる。
「まあ待て。今日は暑い。汁は薄くする。薄い方が、後で水を飲む」
二文で言って、寺尾は鍋の蓋を開けた。開けた分だけ、三階の温度が上がる。
灰谷蒼汰は索を膝の上に広げて、端から端まで指で送っていた。三年、出る前に必ず一度やる。
「索は四本、乾いています。三本目の塩は落ちました」
言ってから、三本目の端を握って、指の腹で撫でた。塩が落ちても、繊維は硬いままになる。硬いまま、使う。
硬い索は、投げると遠くへ行く。行った先で、掛かりが甘い。甘い分だけ、二重に取る手が増える。蒼汰は、その手数を数えていない。
七尾ひかりは酸素の残りを見てから、七つ数えた。七つで戻る。数え終わってから、毛布を六枚から四枚へ戻した。海の日が終わっている。
戻した二枚は、袋の外の棚へ置く。置いた場所は、次に海へ出る日まで動かない。動かさないので、そこだけ埃が乗る。乗った埃を、ひかりは払わない。払うと、置いた日が分からなくなる。
逢坂澪は受信席の裏で、旧市街の図を出していた。三丁目のところに、赤い線で囲まれた区画が一つある。三年前に焼けた区画になる。
澪はその区画には触れない。触れずに、隣の路地を指でなぞった。
図の上では、赤い線の内側は白く抜いてある。建物が一つも書かれていない。三年前に無くなって、まだ建っていない。
白いところの縁に、細い路地が一本だけ残っている。今日の現場は、その路地になる。
久遠寺修司が掲示板の前に立っていた。未着累計の欄には、一と書いてある。三月の終わりから動いていない。
「三丁目か」
「三丁目です」
それ以上は訊かなかった。澪も、それ以上は言わなかった。
火群迅は自販機の前にいた。一番下の段を押す。理由を言ったことがない。缶を取って、指の腹で口を一度拭いてから開ける。
覚知の音が鳴った。鳴った音の下で、寺尾が並べた椀を五つとも棚へ上げた。
地下二層で、宮ヶ瀬佳代が机の抽斗を開けていた。
抽斗の中には、三つ入っている。二つは蓋が閉まっている。閉まっている方には、まだ形が決まっていない。
抽斗は三年前から同じ場所にある。開けるのは宮ヶ瀬だけになる。鍵は掛かっていない。掛かっていないのに、誰も開けない。開けても、何が入っているか分からないからになる。
宮ヶ瀬は、閉まっていない一つを取り出した。掌に載る大きさになる。丸くて、上に数字の並んだ円盤が付いている。
円盤の数字は、一から九まで並んでいた。並べ方が、電話と同じになっている。
同じにしたのは、そうしないと回せないからではない。回す手が、先に形を覚えているからになる。宮ヶ瀬は、その理由を誰にも言わない。
円盤の縁は、指の腹の幅で刻んである。刻みは三十二あった。数えた者はいない。
戸倉が、その横を通った。通りながら、掌の上を見た。
「それ、いつからありました」
「三月からです。使う人が、まだ決まっていません」
宮ヶ瀬佳代は逆から言う。出来ていることを先に言わない。
言ってから、宮ヶ瀬はそれをファイヤーの助手席へ入れた。入れてから、蓋を閉めない。
「一つ積みました。渡す相手は、そちらで決めてください」
無線で、そう言った。返事は無かった。
返事の要る言い方をしていない。宮ヶ瀬は三年、そういう言い方しかしない。返事を待つと、待った分だけ発進が遅れる。
戸倉が、助手席の蓋を閉めようとして、途中で手を止めた。閉めるなとは言われていない。それでも、開いたままにした。
速水が受信席で、旧市街の図を広げていた。広げてから、三丁目の欄を指で追う。
「三丁目の路地、幅が二メートル二十です。車は入りません」
「担架は」
「入ります。二人で持てば、ぎりぎり」
言ってから、速水は自分で図を測り直した。測り直しても、同じ数字になる。同じ数字が出てから、初めて澪へ渡した。
澪が旧市街の図を机へ広げた。広げてから、三丁目の路地の線に指を置いた。
「旧市街三丁目、八百屋の脇の路地。三階建ての外壁、モルタルが四メートル浮いています」
「築は」
「五十二年です。三年前の火の熱を、隣から受けています」
「受けると」
「モルタルと下地の間が離れます。離れたまま、雨と日で三年です」
「下に何人」
「三人。荷を出している最中です。通報者は路地の外に一名」
久遠寺は短い質問しかしない。三年、感想を言ったことがない。
「アンサー」
> ── はい。
「三丁目の路地の建物を」
> ── 昭和四十八年の建築です。外壁の改修記録が二回あります。二回とも三十年より前になります。……三年前の熱を受けた後の記録は、ありません。
「浮きの下は」
> ── 分かりません。剥がしてみるまで、どこまで離れているかは出ません。四メートルは、見えている範囲になります。
「見えていない範囲は」
> ── 上へ続いている可能性があります。三階の窓の下から、上は見えません。
「向かいの家からは」
> ── 見えます。ただし、路地の幅が二メートル二十です。窓を開けると、開けた人が下を通ることになります。
「開けさせない方法は」
> ── ありません。……こちらから、市民へ話しかけることは出来ません。
アンサーは、分からないことを分からないと言う。三年、そこだけは変わらない。
尾花の席では、一つ目が光ったままになっている。切れていない。通報者が切っていない。
二つ目は光らなかった。
澪が図の縁から指を離した。
「座標、出た」
*
地下二層のポールを、迅が最初に下りた。二段飛ばしで踊り場を抜けて、下りきる前に走りはじめる。アンサーは一段ずつ下りる。三年、この対比が変わらない。
「発進」
合図は整備班が出す。六人ではない。
旧市街三丁目までは、二・八キロになる。信号が四つ。三年で、一番多く走っている道になる。
旧市街三丁目に着いたのは、十一時三十七分になる。所要は七分だった。
路地の口に、若い男が立っていた。二十歳になる。携帯電話を耳に当てたままで、もう片方の手で路地の奥を指している。
指している腕が下がらない。三分近く、その形のままになっている。
迅は、その男を見た。見て、そのまま路地の方へ目を移した。
指している先に、三人いた。三人とも、路地の外側へ向かって歩いていた。荷は置いたままになる。
伝わっている。上を見ないで、外へ出てください、が届いた。
「三人とも、名前を伺いました」
男が最初に言ったのは、それだった。
「八百屋の岡さん。乾物の山内さん。それから、荷を受け取りに来ておられた田代さんです。田代さんは膝が悪くて、一番後ろになります」
ひかりが路地の口へ入った。入ってから、しゃがむ。
「田代さん。肩を貸しますね。ゆっくり、右足から出してもらえますか」
田代は右足から出した。出しながら、上を見上げようとする。
「上は見ないでください。見ると、足が止まります」
言ったのは、路地の口の男になる。敬語のまま、少しも崩れていない。
田代が返した。
「恐れ入ります」
膝の悪い七十代が、二十歳に向かって恐れ入る。誰も笑わなかった。田代だけが、自分の言葉に少し驚いていた。
驚いてから、もう一度言った。二度目は、ひかりに向かって言っている。ひかりも笑わずに受けた。受けてから、肩の位置を五センチ下げる。
下げると、田代の体重が肩へ乗る。乗った分だけ、膝が休む。
路地は、両側から日が入らない。東の壁だけ、朝のうちに日が当たる。当たるのは十一時までになる。十一時を過ぎると、路地は上から下まで日陰になった。
当たっていた三時間分の熱が、壁の中に残っている。残った熱が、離れている隙間の空気を押す。押された分だけ、離れ方が進む。
誰も、それを説明しなかった。
迅が路地の中へ入った。入ってから、東の壁を見上げる。
モルタルが浮いていた。四メートルという見立ては合っている。上の方は、三階の庇に隠れて見えない。
「桐島 奏です」
男が、後ろからそう言った。迅は振り向かない。
「桐島 奏さん。壁の下に、まだ荷がありますね」
言ったのは奏の方になる。返事を待たずに続けた。
「荷は取りに行かないでください。取りに行きたくなります」
迅が、そこで初めて振り向いた。
「行くのか」
「行きません。行きたくなる、と言いました」
迅は何も返さなかった。返さずに、壁の下から二歩下がった。
その二歩の位置に、荷がある。
荷は木箱が四つと、麻の袋が二つになる。中身は玉葱と、乾いた昆布だった。取りに戻る値打ちがあるかどうかは、持ち主が決める。
岡は、路地の口からその方を見ていた。見てから、目を戻した。
「上、任せろ。庇の下が見えません。索を掛けて、上から見ます」
蒼汰が索を三階の物干しの鉄棒へ投げた。投げてから、二重に取る。
澪が路地の外からソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。
「四名。路地に四。壁の内側は零。撃てる」
撃った。低い音が壁の中を通っていく。通った音が、離れている場所の形を返してきた。
「四メートルではありません。十一メートルです。三階の上まで、全部離れています」
浮いているのは、見えている分の三倍になる。
三倍が落ちてくると、路地の床は埋まる。埋まると、中にいる者が出られない。出られないことより先に、出す者が要る。
澪はそれを言わなかった。数字だけを言って、次の測りに入っている。
寺尾がハンマーを担いで、路地の中ほどへ入った。入ってから、足で三か所を踏む。
「まあ待て。ここは下水の蓋だ。二歩ずらす」
二文で言って、寺尾は二歩ずらした場所へ柱を三本打ち込んだ。三本を縦に並べて、頭を壁の側へ倒す。
「落ちてくる分を、ここで受ける」
打ち込んだ柱は、抜かない。街に一つ増える。
三階の庇の上で、鉄棒が鳴った。
鳴ったのは、掛けた索が張ったからではない。庇の裏側で、離れているものが動いている。
蒼汰は索から手を離さなかった。離さないまま、下へ声を出す。
「上、任せろ。庇の裏も離れています。ここから先は、見ずに測ります」
「トリアージ」
迅が左手首の蓋を跳ね上げた。ブレスが色を出す。
> 判定 ── 黒。要救助者、内部に確認できません。
「急報 ── 出場!」
> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。
> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。
迅は右手を耳の高さへ上げた。掌を外へ向ける。四人が続けた。
路地が狭いので、五人の手が縦に並んだ。
> ── 回線、残り 三本。
名乗らなかった。名乗る前に、壁が動いた。
禍体は、壁の裏から立った。
人の形をしていない。モルタルが下地から離れて、離れたまま形になっている。十一メートルの帯が、路地の東側を全部覆っている。
音は、乾いたものが乾いたものから剥がれる音だった。一枚ずつではなく、十一メートルが同じ拍で鳴る。
迅がギアの柄を回した。噛む音が、剥がれる音の下から出てくる。
「斧!」
振り下ろした先は、禍体ではなく、落ちてくる帯の端になる。端を割って、割った分を路地の外へ落とす。落ちる先に人はいない。
だが、路地は二メートル二十しかない。
割れば割るほど、落ちる欠片が増える。増えた欠片が、路地の床に溜まっていく。溜まった分だけ、走れなくなる。
蒼汰が索を張った。張った索の下を、ひかりが田代を連れて抜ける。抜けた先が路地の口になる。
「上、任せろ。索は一本。もう一本を張ると、下が通れません」
一本しか張れない。狭いから、人が通る幅と索の幅を、同時には取れない。
蒼汰は張った索の高さを、途中で一度下げた。下げると、通る人が屈むことになる。屈む方が、当たらない。
下げてから、自分は屈まずに立っていた。立っている頭の上を、欠片が擦って落ちる。
寺尾が柱の三本で受けた。受けた三本が、上から二十センチのところで曲がる。
「まあ待て。三本では足りん。もう二本入れる」
二文で言って、寺尾は二本を足した。足したところで、上からの量が増えた。
澪が二度目のソナーを構えた。
「零。路地に零。壁の内側に零。撃てる」
撃った。音が壁の中を通って、上から返ってきた。
「まだ上があります。屋上の立ち上がりまで、離れています」
迅が壁の下へ入った。入って、そこに立った。
立った場所は、寺尾の柱の外側になる。受けていない側になる。
上から来た。二度、三度と、同じ肩に来る。当たる音が、乾いた音の下で鈍く鳴る。
迅は引かなかった。位置を変えなかった。変えないまま、後ろで最後の一人が路地を出ていく。
出ていったところで、路地の床が欠片で埋まった。
人が通れる幅が、無くなった。
*
路地の口に、四人が出ている。岡と、山内と、田代と、桐島奏になる。
岡は五十を過ぎている。山内は六十を過ぎている。田代は七十を過ぎていて、膝を突いたままになる。
三人とも、荷を置いたまま出てきた。置いてこいと言ったのは、路地の口に立っていた二十歳になる。
六人のうち五人が、路地の中にいた。中と外が、欠片で分かれている。
奏は、路地の中を見ていた。見てから、耳の携帯電話を下ろす。
下ろした先で、その手が耳の高さで止まった。掌が、外を向いている。
誰も教えていない。三年前に一度、見ている。見た時、自分は担架の上にいた。
迅が路地の中から、ファイヤーの助手席の方へ手を伸ばした。伸ばした先に、蓋の開いたままの箱がある。
箱の中には、掌に載る大きさのものが一つ入っていた。円盤の上に、一から九までの数字が並んでいる。
迅はそれを取って、欠片の上を歩いた。踏む度に、乾いた音が足の下で鳴る。鳴る音の高さが、一歩ごとに違う。
歩いて、路地の口まで出た。出た先に、四人が立っている。
「持て」
二文字だった。それだけになる。理由は付かない。三年、この人は理由を付けない。
「これは」
「呼んだのは、あんただ」
奏は受け取った。受け取ってから、両手で持ち直した。持ち直す時に、指が円盤に触れる。
重さは、思っていたより軽かった。掌に載る大きさで、載せると縁が指の付け根に当たる。当たる場所が、電話の受話器と同じになる。
同じであることに、奏は気付かなかった。気付かないまま、持ち替えている。
触れた指が、そこで止まった。
「使い方が、分かりません」
「回せ」
奏は回した。一を回して、指を戻す。もう一度、一を回す。三度目に、九を回した。
回しきったところで、円盤が自分で戻った。
「急報 ── 通報!」
> サイレン ── 着信。〈桐島 奏〉。回線、増設。
路地の口の空気が、そこで一度、詰まった。
> ── 回線、残り 四本。
増えている。減っていない。街の側の枠が、一つ増えた。
三年、隊が出る度に市民の枠は減った。減ることを、六人は数字で知っていた。増えることは、数字にしたことがない。
尾花の席で、光っていない枠が四つになった。三年、隊が出る度に減ってきた枠が、この日だけ増えた。
奏は路地の中へ入った。欠片を踏んで、五人の前まで来る。
踏んだ欠片が鳴った。鳴った音で、五人が振り向く。振り向いた先に、六人目が立っている。
誰も、何をしに来たのかを訊かなかった。
手には、細い棒が一本あった。棒は伸びて、先が広がる。
「盾」
一語だけ言って、奏は迅の前に立った。前に立った回数を、この日から数えることになる。一度目になる。
上から来た分を、広がった先で受ける。受けた音が、路地の壁に当たって返った。
六人になった。
迅が前へ出た。出てから、右手を耳の高さへ上げる。掌を外へ向けた。
五人が続いた。六人目が、半拍だけ遅れて続く。
路地の幅は二メートル二十しかない。六つの手が、壁と壁の間で縦に並んだ。
> 水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!
> 声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!
> 綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!
> 梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!
> 息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!
> 名を持っていく、影の現場 ─── サイレンゴールド!
>
> 特別災害対策機構、第七支部 ──
> 呼ばれたら、鳴らして、行く!
> 急報戦隊、サイレンジャー!
六行目の声だけ、路地の口の外まで出た。外に立っていた三人が、それを聞いた。
岡が山内の方を見た。山内は上を見ていた。田代は膝を突いたままで、耳だけを路地の方へ向けている。
三人とも、六行目が今日から入ったことを知らない。知らないので、初めから六行だったのだと思っている。
「今度は、呼ぶ側じゃない」
奏がそう言った。誰にも向けていない。決めた言い方が、道具と一緒に付いてくることがある。
迅が路地の奥へ下がった。下がってから、ギアの柄を回す。
「五器、連結!」
寺尾がハンマーを路地の床へ置いた。置いた上に、迅がアックスを渡す。渡した横へ、蒼汰がワイヤーを掛けた。掛けた上に、澪がソナーを載せる。載せた先へ、ひかりがナイフを差した。
順は、いつも寺尾から始まる。支える者が土台になる。三年、この順を一度も入れ替えていない。
入れ替えられない理由があるわけではない。入れ替えなかっただけになる。
奏は加わらなかった。加われない。系統が違うので、繋がる形をしていない。
誰も、その説明をしなかった。奏も訊かなかった。訊く前に、自分の棒を見て、繋がらないことが分かっている。
代わりに、棒の先を路地の口へ向けた。
「呼」
一語だけ言った。
路地の口から入ってくる音が、そこで集まった。集まった音が、砲の後ろへ回っていく。
入ってくる音は、いくつもあった。八百屋の前の車。向かいの家のテレビ。田代の突いた膝が敷石を擦る音。岡が息を吸う音。
集めているのは、そのどれでもない。全部になる。
路地は狭い。狭い分だけ、音が逃げない。逃げないものが、砲の後ろで一つになる。
奏は棒を動かさなかった。動かすと、集めた先が変わる。変えないために、両足を欠片の上で開いて止めている。
「特災合技 ── 全消ッ!」
撃つのではない。流す。
流れた先が、十一メートルの帯を上から下まで通った。通った跡で、モルタルが下地から完全に離れる。
離れたものは、ただの欠片になって落ちた。落ちた先で、寺尾の柱五本が受けている。
路地の東側から、壁が消えた。消えた先に、下地の煉瓦が出てくる。
出てきた煉瓦は、五十二年、一度も外から見られていない。塗り込められたまま、そこにあった。
煉瓦は、五十二年分の色をしていた。
*
地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。
「路地には立てません。両側が民家です。八百屋の前の広場だけ使えます」
「発進」
合図は整備班が出す。
八百屋の前の広場は、三十メートル四方しかない。両側に電線が渡っている。渡っている高さは、六メートルになる。
サイレンファイヤーが広場の中央へ来た。来て、そこで止まる。
止まってから、車体の後ろが開いた。開いた先へ、サイレンレスキューが入る。入って、右側で止まる。
サイレンクレーンが左から来た。来て、腕の向きを変えてから、左側で止まる。
サイレンメディックが後ろから入った。入って、右の脚になる。
サイレンウイングが上から下りてきた。下りて、背へ着く。着いてから、左の脚が下りる。
五つが、順に噛んだ。噛む音が五つとも違う。
最初が低い。二つ目が短い。三つ目は、噛んでから半拍遅れて止まる。四つ目が一番高くて、五つ目は音が二度鳴る。
三年、この五つの順は変わっていない。順を覚えている者は、支部の外にもいる。岡がそうだった。
ファイヤーの前面が割れて、胴が起きた。起きた先に、頭が出る。
電線に触れない。触れない高さで、頭が止まる。止まってから、肩が上がった。
立った。
> ── 回線、残り 三本。
路地の口から、四人が見上げていた。岡と、山内と、田代と、桐島奏になる。
田代は膝を突いたままで、そこから見上げている。
見上げているのは、路地の口と、八百屋の軒の下からになる。
サイレンオーの左手は、握ったままだった。開かない。その握った左腕を、迅は路地の上へ寝かせた。
寝かせた腕が、二メートル二十の幅に蓋をした。蓋をした下は、誰もいない。
蓋をされた路地の中は、日が完全に無くなった。無くなった暗さの中で、寺尾の柱五本だけが、外から差す光の縁に立っている。
欠片の柱は、寝かせた腕の外側から回り込もうとした。回り込む先には、八百屋の広場がある。
右腕が動いた。開く方の掌が、柱の腹を横から押した。押した場所で、欠片が薄くなる。
薄くなった中から、三年前の熱の跡が出てきた。煉瓦の一面だけ、色が変わっている。
「サイレンオー ── 全消斬ッ!」
押し出した掌が、色の変わった面を横から抜いた。抜けた先で、柱が形を保てなくなる。
欠片は、広場の端へ落ちた。落ちた欠片は、そこで動かなくなる。
落ちる音のあと、八百屋の軒の下から声が上がった。上げたのは岡で、次に山内が続いた。
声は路地の中で反射して、二度返った。返った二度目の方が大きい。狭い場所では、そうなる。
田代は上げなかった。上げずに、膝を突いたまま手を叩いた。
叩いた音は、二人の声に消えた。消えても、叩き続けている。
*
地下三層で、戸倉がウイングの左脚の受けを外していた。上から下りた時に、路地の庇へ半分掛けている。
「掠ってます。庇の側が先に折れました」
「折れました。庇に当たらない下り方は、まだ作れていません」
宮ヶ瀬は工具を置いた。置いてから、それ以上は足さなかった。
地下二層では、宮ヶ瀬が台の端を見ていた。
台の上には、連結の順に五つの窪みが彫ってある。端に、六つ目の場所だけが空けてあった。彫ったのは三年前になる。
宮ヶ瀬はそこへ、今日渡した道具を一度だけ置いてみた。合わない。系統が違う。
「六つ目の口は、まだ付きません」
言ってから、道具を取って、返しに行った。
速水が受信席で、旧市街の図を畳んでいた。折り目に沿って畳むと、赤い線の区画が内側に入る。内側に入れてから、もう一度開いて、外側になるように畳み直した。
どちらでも同じになる。速水は畳み直してから、そのことに気付いた。気付いてから、そのままにした。畳みながら、戸倉に言った。
「あの人、路地の外から一歩も入りませんでした。着くまで」
「本人に言え」
「言いません」
それで終わった。速水は図を畳んで、棚の三段目へ入れた。
三階の食堂で、寺尾が湯を沸かした。七月の椀は、五丁分になる。
棚から下ろしたのは、六つだった。
六つ目を下ろしてから、寺尾は一度手を止めた。止めてから、そのまま並べる。
六つ目は、棚に置いてあった替えの二つのうちの一つになる。三年、割れるのを待っていた椀だった。割れないまま、使われることになる。
残った一つは、まだ棚にある。
卓は六人分になる。壁際に寄せてあった椅子が、この日、卓の側へ出ていた。動かしたのが誰かは分からない。
誰も何も言わなかった。
受信席の壁に、紙が一枚貼ってある。名乗りの紙になる。七行分の枠が引いてあって、五行に字が入っていた。
尾花律子が、その前に立った。
立ってから、六行目の枠へ字を書いた。書くのに、十秒掛からない。
字は上手くない。枠に対して、少しだけ右へ寄っている。寄っているのは、左手で紙を押さえながら書いたからになる。押さえないと、紙が浮く。三年、日で焼けた紙は端から反る。
書いてから、席へ戻った。誰にも言わなかった。六人は、まだ地下にいる。
紙の焼け方は、そのままになっている。六行目のところだけ、字が濃い。
濃いのは、書いたばかりだからになる。三年もすれば、上の五行と同じ色になる。同じ色になったところで、誰も気付かない。
残った七行目の枠は、白いまま薄くなっていた。その下に、細い線が一本ある。消した跡になる。
消したのは尾花ではない。尾花が来る前から、そこにあった。
尾花は用紙を綴じて、次の一枚を出した。この日の保留は、なしになる。件数は零だった。
三年で、初めてになる。
零は、書く欄がある。三年、その欄に零と書いたことが一度もなかっただけになる。書いてみると、他の数字と同じ大きさだった。
尾花は零を書いてから、用紙を裏返さなかった。裏返す用が無い。
第一声の欄には、呼んでいいですか、と書いてある。そのままにした。この人は、何が起きているかを名指し出来ていた。それでも、呼んでいいかを先に訊いた。
尾花は、そこに何も書き足さなかった。三年、第一声の欄には何も足していない。足すと、その人の声ではなくなる。
書いてある七文字を、もう一度だけ読んだ。読んでから、綴じた。
六人は、この人に礼を言わない。
> 【第七支部 出場記録】
> 臨場 ── 十一時三十七分。所要 ── 七分。
> 保留 ── なし。
> 未着 累計 ── 一。
> 損壊 ── 旧市街三丁目 外壁 モルタル 十一メートル 全面 剥落。三階 庇 一箇所 破損。
> 路地 下水蓋 一枚 変形。八百屋前 広場 舗装 一部 破損。
> 救助 ── なし。搬送 ── なし。避難 ── 三名。
> 仮設 ── 支柱 五本 設置。撤去 ── 未定。
> 受信 ── 回線 増設 一。市内 受信可能 九本。
> 市内 三年前の熱を受けた外壁のうち 改修記録の無いもの 十九か所 ── 点検予定 記録なし。
> 本件、処理 ── 完了。
> ── 入電。




