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急報戦隊サイレンジャー ~呼ばれたら、行く。呼べないなら、見つけに行く~  作者: 智珠
第一巻

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7/16

第006話 ぜんぶ燃えてる

> 【第七支部 覚知記録】

> 覚知 ── 五月三日 四時四十分。

> 入電 ── 一般加入電話。発信地 ── 旧市街 三丁目。

> 第一声 ──「ぜんぶ燃えてる」

> 出場 ── 第七支部 全隊。


「ぜんぶ燃えてる」


 尾花律子は用紙を引き寄せた。時刻を分まで書く。秒は書かない。


 声に覚えがあった。三年、毎朝この支部の階段を上がってくる人になる。


「武藤さん」

「そうだ」

「今どこですか」

「店の前だ」


 尾花は書く手を止めなかった。止めずに、次を訊いた。


「燃えているのはどこですか」

「うちの並びだ。四軒」

「あなたの店は」

「うちもだ」


 尾花はそこで一度だけ手を止めた。止めてから、また書いた。


「離れてください」

「離れる。それより」


 武藤徳三の声が、少しだけ大きくなった。


「隣に人がいる。梅崎さんとこの婆さんだ。動けん」

「何号ですか」

「三丁目の七の二。うちの左だ」


 書き終えてから、尾花は最後にもう一度訊いた。


「武藤さん。あなたの店は」

「うちはいい。隣を先に」


 そこで切れた。


 四時四十分の三階は暗い。


 五月に入って、日の出は四時四十五分になる。あと五分で外が白くなる。窓の外はまだ濃い青のままだった。


 当直の五人は仮眠に入っていた。二人が起きている。寺尾剛と、灰谷蒼汰になる。


 この支部では、四時から六時の間に二人を起こしておく決まりがある。誰が決めたかは分からない。三年前からそうなっていた。


 寺尾は湯を沸かしていなかった。この時刻は沸かさない。三年、四時台に湯を沸かしたことは無い。代わりに卓を拭いている。奥から手前へ、右から左へ。


 蒼汰は索を巻き直していた。前の日に川で使ったものになる。濡れて伸びた索は、乾くと縮む。縮んだ分だけ、また長さが変わる。測り直して、束ね直した。


 巻き直した索は、一巻きごとに手応えが違う。乾きの進み方が場所で変わる。蒼汰は端から順に握って、握った感触で三つに分けた。使える束、様子を見る束、下ろす束。下ろす束は物置の棚へ積む。棚は二段目まで埋まっていた。三年で埋めた分になる。


 卓の端末が低い音を一度だけ立てた。


> 覚知。第七支部、全隊。旧市街 三丁目。


 寺尾が雑巾を置いた。置いた場所が卓の縁になる。この人が卓の縁に物を置くのは、三年で数えるほどしか無い。


 仮眠室の扉が開いた。火群迅が出てくる。服は着ている。三年、この人は服を着て寝る。


「三丁目だ」

「聞こえた」


 迅は階段へ向かった。向かう途中で、卓の上の湯呑みを一つ倒した。倒したまま行く。寺尾が後ろで起こした。


 七尾ひかりが手帳を掴んだ。掴んでから、輪ゴムを掛けずに袋へ入れた。


 逢坂澪は二階から降りてこない。この人はもう席にいる。


 窓の外が白くなり始めた。四時四十四分になる。


 旧市街三丁目は、四月にも焼けている。


 二軒目の家が骨組みだけになって、そのまま一月が経っていた。取り壊しの見積もりが出るのが遅い。焼けた家は、焼けた形で立ち続ける。


 澪は席についてすぐ、左手で右耳を塞いだ。


「一件です」

 尾花が言った。声の調子が普段と少し違う。

「武藤さんです」


 久遠寺が動きを止めた。この人が地図の前で止まるのは、珍しいことになる。


 久遠寺修司が地図の前で止まった。振り返らずに訊く。


「本人が」

「はい」

「自分の店が燃えていると」

「はい。それから、隣の家に人がいると」


 久遠寺は壁の紙を見た。今月の数字が並んでいる。五月になって書き替えたばかりで、字が新しい。


 未着 累計 ── 零。


 尾花の卓で、二本目が鳴った。同じ並びの別の家からになる。用紙を書き終える前に取った。名前と場所を訊いて、中に人がいないことを確かめて、待ってもらった。三十一秒。待たせた秒数を、尾花は用紙の隅に書く。書いてから丸で囲まない。囲む欄が無いからになる。


> 候補、三点ございます。第一、三丁目 七番。第二、同 八番。第三、四丁目 一番。


「一です」


 澪は候補を見ずに答えた。塞いだ手も下ろさない。


「武藤さんの店が七の一。左隣が七の二。四軒燃えているなら、七番の並びが全部になる」


「風は」

 久遠寺が訊いた。


> 風向、北。風速、毎秒三メートル。三丁目の家並みは東西でございます。


 久遠寺は指を地図の上へ置いた。置いた指を、並びに沿って東へ滑らせる。滑らせた先で止めた。


 風は並びを横切る。四軒の先には、九軒の家が続いていた。九軒の先は五丁目になる。


 五丁目には小学校がある。五月三日で、休みになる。中に子どもはいない。それでも、校舎までは五百メートルしかなかった。


 澪が手を下ろした。


「座標、出た」


 久遠寺は地図から目を離した。離してから、階段の方を向いた。


「第七支部 ── 出場!」



 地下三層の扉が上がった。


「三層、開放!」


 宮ヶ瀬佳代が盤の前に立っていた。この日は寝ていない。地下二層に三日いる。


「一号から五号、出場!」


 言ってから、宮ヶ瀬は無線を切らずに続けた。


「レッド。五機の連結順を変えた」

「何」

「昨日直した。三番から始めろ」


 迅はアクセルを踏んだ。踏んでから訊いた。


「三番はクレーンだ」

「そうだ」

「腕が先か」

「腕じゃない。脚場だ」


 通信はそこで切れた。宮ヶ瀬は説明を続けなかった。


 サイレンファイヤーの真空引きが鳴った。上がりきる前に、迅は走り出している。


 旧市街までは六分掛かる。夜明け前の道は空いていた。信号は全部青に変わる。


「回線、五本使います」

 澪の声が耳に入った。

「市民が使えるのは三本」


 旧市街の入口で、消防のポンプ車が二台先に着いていた。市の消防が来ている。四軒同時なら当然になる。


 三丁目に入る手前で、赤が見えた。


 空が焼けている。四軒分ではない。もっと広い範囲が明るくなっていた。旧市街は木造が詰まっている。詰まっているところに風が入ると、火は横へ走る。


「行くぞ。先に着く」


 路地の入口でファイヤーを停めた。車は入らない。迅はホースだけを引いて走った。


 武藤徳三が路地の口に立っていた。前掛けをしていない。四時四十分に前掛けをしていない武藤を、迅は初めて見た。


 三年、毎朝この時刻に前掛けをしている。豆腐を切る前に締めるものになる。この日は締める前に、外が明るくなっていた。


「左だ」

 武藤が言った。指した先が七の二になる。


 迅は走った。走りながら、武藤の店の前を通った。


 暖簾が燃えていた。


 三年、毎朝そこに掛かっていたものになる。火は暖簾から店の中へ入っていた。


 迅は止まらなかった。


 七の二の玄関は開いていた。


 開いたところから煙が出ている。迅は扉の縁に手の甲を当てた。熱い。熱いのは扉ではなく、中の空気になる。


 膝で入った。這える装備になっている。


 土間に鍋が置いてあった。中身は空になる。台所は焼けていない。火は隣から来ていた。壁の向こうが武藤の店になる。


 鍋の底は乾いていた。前の晩に使って、洗って、伏せてあったものらしい。この家の人は寝る前に台所を片付ける。片付いた台所は、燃えるものが少ない。それでも隣から来る火には関わりが無かった。壁を二軒で分け合っているからになる。


 奥の部屋に人がいた。八十を超えている女で、布団の上に座っていた。立とうとして、立てていない。


「聞こえますか」

「聞こえます」


 女は落ち着いていた。落ち着いた声で、そのまま続けた。


「足が悪いんです。二年前から」

「担ぎます」

「はい」


 迅は背負った。背負ってから、部屋を出る前に一度振り向いた。仏壇がある。女が首を動かして、そちらを見た。


「いい」

 女が言った。

「いいです。人が先」


 迅は出た。出る前に、仏壇の扉を閉めた。閉めただけになる。何も持ち出していない。


 外へ出ると、風向きが変わっていた。北から北東へ。並びの東側へ火が寄る。


 寺尾がハンマーを打っていた。七の四と七の五の間になる。四軒目と五軒目の境で、火を止める形になる。


「まあ待て。俺が支える」


 言ってから、寺尾は二本目を打った。二本の柱の間に、水を落とす道を作る。


 蒼汰が屋根の上にいた。索を三軒先の電柱へ噛ませて、そこから水のホースを渡している。


「上、任せろ」


 ひかりが背負われた女を受け取った。息を七つ数えて整える。


「息、返すよ」


 言ってから、脈を見た。ある。煙をあまり吸っていない。奥の部屋の窓が閉まっていたからになる。


 女の手に、湯呑みが握られていた。座ったまま持って出たらしい。中身は入っていない。


「大丈夫です」

「そうですか」

 女は頷いた。頷いてから、路地の口を見た。


「武藤さん、いますか」

「います」

「うちのために呼んだんですよ、あの人」


 ひかりは答えなかった。答えずに、毛布を掛けた。



 火が集まった。


 四軒の屋根の上で、赤が一つになる。集まって、そこから立ち上がった。


 柱になる。人の形は取らない。四月の一件と同じ形で、太さが三倍あった。


 路地の幅は一間半しかない。柱はその幅に収まらない。両側の家の壁を焼きながら立つ。


「下がって」

 迅が言った。武藤は下がらなかった。


 迅は武藤の腕を掴んで、後ろへ回した。回してから、前に出た。


 左手首の蓋を跳ね上げる。受話器の形になる。五人が同じ動作をした。


「急報 ── 出場!」


> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。回線、確保。応答、確認。

> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。回線、確保。応答、確認。


 反射帯の光が足元から頭まで走った。装甲が下から順に組み上がる。送話口の格子が、五人とも同じ位置で閉じた。


 五つの手が耳の高さで止まる。掌を外へ向ける。受話器を取る形になる。


 背丈が違うので、五つの高さは揃わない。


> 水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!

> 声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!

> 綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!

> 梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!

> 息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!

>

> 特別災害対策機構、第七支部 ──

> 呼ばれたら、鳴らして、行く!

> 急報戦隊、サイレンジャー!


 迅がブレスを火柱へ向けた。


「トリアージ!」


> 判定 ── 黒。要救助者、内部に確認できません。


「黒だ。潰すぞ」


 サイレンギアを抜いた。柄を半回転させる。ギアが噛んで、短い音が鳴った。


「筒先!」


 水が出た。柱の根元に当てる。当たった場所が黒くなって、すぐまた赤へ戻る。四月と同じになる。


 違うのは太さだった。四月の柱は一軒分で、この日は四軒分になる。


「削れない」

 蒼汰がワイヤーを投げた。索が柱の上を巻く。引く。柱は傾かない。索の方が焼けた。


「切れます」

「戻せ」


 蒼汰は索を戻した。戻した先が半分焦げている。三巻きのうち、一本が使えなくなった。


 焦げた索は、その場で切り離す。切り離した端を袋へ入れた。持って帰る。投げたものは必ず回収する。


 寺尾が柱を打ち続けている。七の四と七の五の境に、五本目まで入れた。


「グリーン、そこは持つか」

「持つ。ただし、上は無理だ」


 火が屋根を伝って、五軒目へ移った。移った先で、また立ち上がる。


 柱が二本になった。


「増えます」

 澪が言った。ソナーを構える。撃つ前に必ず人数を言う。


「回線、残り三本。この並びに人はいません。全員出ています」


 撃った。音が柱の中を通る。通って、抜けた。芯が無い。


「軸がありません」

「無い」

「火そのものです。中に何も無い」


 迅は筒先を止めた。止めてから、上を見た。


 柱の高さは屋根の四倍を超えている。四月の一件では、二階の屋根より少し高い程度だった。同じ場所で、同じ火で、大きさだけが変わっている。


 柱が三本目を作りかけている。



 サイレンオーが立ったのは、その時になる。


「五機」

 迅が言った。

「上げろ」


 地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。五機がスロープを昇る。


 旧市街の入口に、五つが並んだ。五つとも、三年で一度も噛み合っていない。


 噛み合わないのは機体のせいだと、この五人は思っていた。宮ヶ瀬は思っていなかった。


「レッド」

 宮ヶ瀬の声が入った。

「三番からだ」


 迅は返事をしなかった。返事の代わりに、号令を出した。


「五機、連結!」


 サイレンクレーンが前へ出た。


 三年、この機体はいつも最後に出ていた。支える機体だからになる。この日は先頭に立った。


 アウトリガーを張る。一本、二本、三本。


 四本目が、半拍遅れて張られた。


 三年、直していない癖になる。戸倉健が「その方が地面を探る」と言って、それきりになっていた。


 その半拍の間に、四機が動いた。


 サイレンメディックがクレーンの右へ入る。走ってきた速度を落とさずに滑り込む形になる。サイレンウイングが背後から降りた。ローターの立ち上がりは、いつも一拍遅い。その一拍が、ここでは要らない待ち時間ではなくなった。


 二機が脚になる。四本のアウトリガーが、その二機を挟んで支えた。


 四本目が張りきる。同時に、脚の位置が決まった。


 サイレンレスキューが右から入って、腕になる。クレーンがアウトリガーを畳んで、そのまま左腕へ回った。畳んだアウトリガーが、そのまま拳の形になる。


 開かない。左の掌は、閉じたままになった。


 最後にサイレンファイヤーが上から降りた。胴と頭が乗る。乗った瞬間に、真空引きの音が鳴った。


 迅はその音を待たなかった。三年、待ったことが無い。この日も待たずに、次の操作へ入っている。


 その音が、五機分の音の上に重なった。


「特災合体 ── サイレンオー!」


 全高四十メートル。


 装甲は被せていない。消防車がそのまま立っている。胸に放水口がある。背にはローターが立ったままで、畳まれていない。


 足元に、アウトリガーの跡が四つ並んだ。四つのうち一つだけ、深さが違う。半拍遅れて張った方になる。


 旧市街の路地から、それが見えた。


 武藤徳三が上を見ていた。前掛けをしていない。首がいっぱいまで反っている。


 ひかりに毛布を掛けられた女が、担架の上から同じものを見た。


「あれ、消防車ですか」

「消防車です」


 ひかりが答えた。


 路地の口では、市の消防の隊員が二人、ホースを持ったまま上を見ていた。持っている方の腕が下がっている。四十メートルのものが立つと、地上の人間は首の角度で分かる。反った首が、路地の口に七つ並んだ。


 胸の放水口が開いた。


 水が出る。四十メートルの高さから、火柱の根元へ落ちた。落ちた量は、ファイヤー一台の三倍以上になる。


 高さがあると、水は落ちる途中で散る。散った分だけ広く当たる。狙って当てるには向かない。消すには向いていた。


 柱が一本、根元から消えた。消えたのは、水の量が足りたからになる。四月に足りなかったものは、水だけだった。


 二本目が横へ振られた。サイレンオーの右腕が受ける。掌が開いて、柱を掴んだ。掴んだ場所から水が噴く。腕の内側に、四月から残っている黒い跡がある。跡の上を火が撫でて、それでも跡は消えなかった。


 左腕は動かない。掌が開かないからになる。


 迅は左腕を振らなかった。振らずに、右だけで押した。


「グリーン、下」

「入れる」


 クレーンだった左腕が、路地の端を押さえた。押さえた先で、九軒目の家が守られる。


 三本目が立ちかけている。


「ブルー、位置」

「三本目、七の五の屋根。中に人はいません」

「イエロー、上」

「取れます」


 サイレンオーの背から、索が伸びた。ウイングのローターの根に噛ませてある。蒼汰が上から引く。三本目が傾いた。


 傾いた先が、一本目と二本目の跡になる。


「まとめて落とす」


 迅が右腕を引いた。引いた腕を、胸の高さで止める。


 胸の放水口が全開になった。


「サイレンオー ── 全消斬ッ!」


 水が刃の形で出た。斬るのではない。押し切って、動きを止める形になる。


 三本の柱が、押されて路地の中央へ寄った。寄ったところで、上から下まで一度に落ちた。


 落ちて、消えた。


 消えたあとに、四軒の家が残っていた。骨組みが三軒。壁だけが一軒になる。


 五軒目から先は焼けていない。寺尾の打った五本の柱が、そこで境になっていた。



 夜が明けた。


 五月三日の朝で、日の出は四時四十五分になる。もう五時を回っている。


 旧市街三丁目の並びに、水が溜まっていた。焼けた木の匂いと、水の匂いが混ざっている。


 武藤とうふ店は、正面が焼けていた。暖簾は無い。看板も無い。


 店の中は残っている。水槽が三つ、水を張ったまま置いてあった。中の豆腐は無事になる。


 武藤はその前に立っていた。中へ入らずに、外から見ている。


 水槽の水は濁っていない。消火の水は正面から入って、床を流れて、外へ抜けている。中まで届いていなかった。


 迅が横に立った。


「中、見ますか」

「あとでいい」


 武藤は水槽を見ていた。見てから、迅の方を向いた。


「梅崎さんは」

「無事です」

「そうか」


 それだけ言って、また前を向いた。


「明日、店は開けない」

「はい」

「明後日は開ける」


 迅は答えない。答えずに、頷いた。


「豆腐は」

「三十六ある」

「三十六丁ですか」

「三十六だ。丁は言わん」


 迅はそこで少し考えた。考えてから、もう一度訊いた。


「三十六丁じゃないんですか」

「三十六だ」


 武藤はそれ以上言わなかった。三年、この数え方で通している人になる。水槽の中で、三十六が浮いていた。


 担架の上の女が呼んだ。八十を超えた声で、通りの端まで届いた。


「武藤さん」


 武藤が振り向いた。


「ありがとうございました」


 武藤は何も言わない。手も上げない。前掛けをしていない手を、上着の脇へ入れただけになる。


 礼を言われたのは武藤で、六人ではない。



 地下二層は油の匂いがする。


 五機とも、外装に煤が付いていた。深い傷は入っていない。四十メートルで立った初日にしては、少ない方になる。


 戸倉健がクレーンの四本目のアウトリガーを見ていた。掌を当てる。温度と震えを見る。


「班長」

「何だ」

「これ、直さなくていいんだな」

「直すな」


 宮ヶ瀬佳代は図面を広げていた。五機分の連結の順序が書いてある。三番から始まる順序で、赤で線が引かれていた。


「半拍要るんだ。三年、要るとは知らなかった」

「知ってたのは俺じゃない」

「地面が知ってた、か」


 戸倉は答えなかった。答えずに、次の機体へ移った。


 梅木あかねが煤を落としていた。落ちる煤と落ちない煤がある。落ちない方は塗装まで入っている。


 落ちない場所は、右腕に一番多かった。掴んだ側になる。


「班長、塗り直しますか」

「今はいい」

「跡が残ります」

「残していい」


 工具は、置く順に癖が出る。戸倉は大きいものを左に、細いものを右に並べた。梅木はその逆になる。二人が同じ台を使う日は、真ん中で並びが割れる。どちらも直さない。直すと探せなくなるからだった。


 梅木は面を上げるのが速い。上げた顔に煤が付いている。付いたまま次の機体へ回った。回った先で、また面を下ろす。ウイングのローターの根に、索の噛んだ跡が三つ残っていた。三つとも浅い。蒼汰の噛ませ方は、三年で浅くなっている。


 宮ヶ瀬は図面を巻いてから、もう一枚を広げた。旧市街の路地の幅が書き込んである。一間半と書いてあった。


「路地に入れるサイレンオーは、まだ作れない」


 誰にともなく言って、その図面も巻いた。


 二階では、澪が付箋を書いていた。六枚目になる。五月三日、旧市街。


 書きかけて、手が止まる。通報 一件、と書くところで止まっている。


 この日の一件は、武藤徳三が呼んだものになる。呼んだ人の名前が分かっている一件は、六枚のうちこれが初めてだった。


 澪は名前を書かない。件数だけ書いて、地図に貼った。


 二階の受信席で、電話が鳴った。


> 【第七支部 出場記録】

> 臨場 ── 四時四十六分。所要 ── 六分十秒。

> 保留 ── 一件。最長 ── 三十一秒。

> 未着 累計 ── 零。

> 焼損 ── 旧市街三丁目 四棟。うち三棟、全焼。

> 本件、処理 ── 完了。

> ── 入電。

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