第005話 水が来てます
> 【第七支部 覚知記録】
> 覚知 ── 四月二十四日 五時五十分。
> 入電 ── 一般加入電話。発信地 ── 川沿い 二丁目。
> 第一声 ──「水が来てます」
> 出場 ── 第七支部 全隊。
「水が来てます」
尾花律子は用紙を引き寄せた。時刻を分まで書く。秒は書かない。
「どこの水ですか」
「川です。堤防の内側まで来てます」
「あなたは今どこですか」
「二階です。下が浸かってます」
背後に音があった。低く、切れ目なく続いている。水の音になる。近い。
「何センチくらいですか」
「わかりません。階段の三段目まで」
尾花はそれを書いた。書きながら、川の水位の表示を出す。この人はそれを見ない。見るのは久遠寺の仕事になる。
用紙の下の欄に、背後の音を書いた。水、連続、低い。三語だけになる。三語より多く書いたことは、三年で数えるほどしか無い。
「そのまま二階にいてください。降りないでください」
「はい」
電話は切れなかった。切らないでくださいとは言っていない。この人が切らなかった。
五時五十分の三階は、まだ暗い。
四月の終わりで、日の出は五時を回ったところになる。窓の外は白くなり始めていた。前の日の夜から雨が降っている。降り方は強くない。強くないまま、三日続いていた。
当直の五人は起きていた。降り続く雨の日は、この支部の全員が浅く眠る。
雨の日は出場が増える。増えるのは水の件だけではない。転倒が増える。車が増える。屋根が落ちる。三日目の朝は、待っている側の顔が変わってくる。
寺尾剛が湯を沸かしていた。人数分より一つ多く出す。多く出すのは癖で、余った一つは自分が飲む。
三日続けて雨が降ると、この人は湯を絶やさない。理由は言わない。濡れて帰ってくる回が増えるからだと、誰かが言っていた。誰が言ったかは覚えていない。
七尾ひかりが手帳を開いていた。最後の頁ではない。真ん中あたりで、指を止めている。止めてから、閉じた。輪ゴムを掛ける。
灰谷蒼汰は索を三巻き用意していた。雨の日は一巻き多く持つ。濡れた索は伸びる。伸びた分だけ、届く距離が変わる。
「三本目、使ったことあるのか」
「無いです」
「じゃあ要らないだろ」
「要ります」
蒼汰は三本目を袋へ入れた。入れてから、袋の口を二度確かめた。
「雨、いつまでですか」
「明日まで」
寺尾が答えた。天気は毎朝この人が見る。誰も頼んでいない。
火群迅は窓の前に立っていた。右腕を上げる。肩の高さで止まる。止まる場所が、十日前より少し上になっていた。
逢坂澪は二階から降りてこない。川の水位を見ている。三日分の数字が、二時間ごとに並んでいた。
久遠寺修司も二階にいた。同じ数字を見ている。壁の紙は、この人が毎月書き替える。今月の一番下の行は、まだ動いていない。
未着 累計 ── 零。
「三日で百二十ミリだ」
「はい」
「越えるか」
「越えません」
澪が答えた。答えてから、少し間を置いた。
「計算では越えません」
五時五十分。
卓の端末が低い音を一度だけ立てた。
> 覚知。第七支部、全隊。川沿い 二丁目。
迅が腕を下ろした。
*
二階の壁に、川の断面図が貼ってある。堤防の高さと、遊水地の容量が書き込んであった。
鳴瀬川は市の西を流れている。
上流に遊水地があって、増えた分をそこへ逃がす仕組みになっていた。設計では、三日で二百ミリまで持つ。三日で百二十ミリなら、越える筈がない。
澪は席についてすぐ、左手で右耳を塞いだ。
「一件です」
尾花が言った。
「切れていません。二階にいます」
「水位は」
久遠寺が訊いた。速水が端末を見た。
「堤防の高さの、六割です」
「六割で溢れるか」
「溢れません」
速水はそこで言葉を止めた。止めてから、もう一度端末を見た。
「溢れない筈です」
> 候補、三点ございます。第一、川沿い二丁目 堤内側。第二、同 遊水地の周り。第三、二丁目 排水路。
「三点ですか」
「三点でございます。それ以上は、わかりません」
澪は候補を見なかった。見たのは通報の音になる。
「水の音が、上から来ています」
澪が言った。塞いだ手はそのままになる。
「川から溢れたなら、水は横から来る。二階まで音が上がってくるとしたら、下の階の窓に当たっている音になる。この音は上から下へ落ちている」
「雨か」
「雨は屋根に当たります。この音は屋根の音ではない」
澪が手を下ろした。
「排水路です。二丁目の排水路が逆流している。川ではなく、下水の側から来ている」
速水が下水の系統図を出した。二丁目の区画だけ、別の色で塗ってある。
「ここ、去年やり替えてます」
「知ってる」
「新しい方が、逆流しやすいってことは」
「ない」
澪はそれだけ答えた。速水は図を閉じなかった。開いたまま、横へ置いた。
久遠寺が地図を見た。二丁目の排水路は、川へ落とす形で作ってある。川が高いと落ちない。落ちないと、街の側へ戻る。
「座標、出た」
「第七支部 ── 出場!」
*
地下三層の扉が上がった。
「三層、開放!」
宮ヶ瀬佳代が盤を叩いた。
「一号から五号、出場!」
サイレンファイヤーの真空引きが鳴った。上がりきる前に迅がアクセルを踏む。雨の日は、この音が湿って低くなる。
川沿いまでは八分掛かる。西へ抜ける道は二本しかない。片方が川と並んで走っていて、この日はそちらを使えなかった。
「回線、五本使います」
澪の声が耳に入った。
「市民が使えるのは三本」
二丁目に入ったところで、水があった。
水は音を立てずに来ていた。流れていない。溜まっている。溜まった水は音を出さない。川が溢れたなら、音が先に来る筈だった。
道の上に十センチ。走ると波が立つ。波が立つと、その先の家の玄関に入る。迅は速度を落とした。落として、そのまま走った。
「行くぞ。先に着く」
通報のあった家は、二階建ての木造だった。一階の窓が半分浸かっている。玄関の戸が水圧で開かない。
迅は戸を蹴らなかった。蹴れば水が入る。中の水位より外の水位が高い。開けた瞬間に、外の水が一気に入る形になる。
外の壁に足を掛けて、二階の窓へ登った。雨で滑る。足を掛ける場所は、雨樋の金具しかない。金具は三つあって、二つ目が緩んでいた。迅は一つ目と三つ目を使った。
窓の内側から人が開けた。六十くらいの男で、上着を着たまま濡れている。
「一人ですか」
「妻が、下に」
迅が階段を見た。下は水になっている。階段の三段目より下が消えていた。
「いつからです」
「十分前です。呼んでから、下りていって」
迅は答えずに、階段を降りた。水は腰まである。冷たい。四月の終わりの水で、川の水ではなかった。下水の側から来た水は、川より冷たくない。冷たくない代わりに、濁っている。
濁った水の中では、足元が見えない。迅は一段ずつ足で探して降りた。三段目から下は、段の高さも分からなくなる。
台所に人がいた。流しの縁を掴んで、立っている。腰から下が水に入っていた。六十くらいで、髪が濡れていない。頭から浸かってはいない。
「聞こえますか」
迅が声を掛けた。女が頷く。息はある。
「動けますか」
「足が、はまってて」
床の板が一枚外れている。外れた場所に足が落ちて、そこで挟まっていた。
水が濁っていて、足がどう挟まっているかは見えない。迅は水の中へ手を入れた。指で形をなぞる。板の端が斜めに入っていた。引けば抜ける。引けば、皮膚も持っていく。
寺尾が窓から入ってきた。水を割って進む。
「まあ待て。俺が支える」
言ってから、床下へハンマーを差し込んだ。板を持ち上げるのではない。板の下に柱を入れて、足の周りだけ空間を作る。
水の中で数を出す。四、五、六。息は止めない。水の中では、声が籠もって聞こえる。それでも数える。
迅は女の肩を持った。持つ手は右ではなく左になる。
「抜ける」
抜く前に、迅は板の斜めに入っている側を手で押さえた。押さえてから、寺尾が柱を半回転させる。板が浮いた。
女の足が抜けた。ひかりが窓の外から手を伸ばす。
「息、返すよ」
言ってから、脈を見た。ある。低い。冷えている。
「体温です。上げないと」
ひかりは女の濡れた上着を切った。切る位置は決まっている。腕の外側を、肘から肩へ。脱がせるより速い。切ってから毛布を掛けた。
*
水が家の中で立ち上がった。
台所の床から柱の形になる。水が水のまま立っている。天井を突き破って、二階まで抜けた。抜けた先で、屋根が持ち上がる。
人の形は取らない。柱が三本、家の中に立った。
「外へ」
迅が言った。
寺尾が女を抱えて窓から出す。ひかりが受け取る。受け取る前に、外の足場が動かないことを一度確かめた。男は自分で梯子を降りた。
迅は最後に出た。出る前に、水柱を一度見た。柱は三本とも同じ太さで、同じ速さで回っている。回っているのに、水面には波が立たなかった。
道の上で、五人が並んだ。水は膝まで来ている。
左手首の蓋を跳ね上げる。受話器の形になる。五人が同じ動作をした。
「急報 ── 出場!」
> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。
> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。
反射帯の光が足元から頭まで走った。装甲が下から順に組み上がる。五つの送話口が、同じ高さで止まった。
五人が同時に右手を上げた。耳の高さで止めて、掌を外へ向ける。受話器を取る形になる。
> 水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!
> 声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!
> 綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!
> 梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!
> 息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!
>
> 特別災害対策機構、第七支部 ──
> 呼ばれたら、鳴らして、行く!
> 急報戦隊、サイレンジャー!
雨の音に混ざって、それでも消えなかった。
水面に光が映った。五つ映って、波で崩れた。崩れた光が、両側の家の壁へ散った。二階の窓から、それを見ている人がいる。三軒分の窓が開いていた。
迅がブレスを向けた。
「トリアージ!」
> 判定 ── 黒。要救助者、内部に確認できません。
「黒だ。潰すぞ」
サイレンギアを抜いた。柄を半回転させる。ギアが噛んで、短い音が鳴った。水の中で鳴ると、音が近く聞こえる。
「筒先!」
水が出た。水柱に当てる。当たった場所が混ざって、それだけになる。水に水を当てても、減らない。
「馬鹿だろ、それ」
蒼汰が言った。
「言うな」
迅は筒先を止めた。
水柱が横へ倒れた。倒れた先が道になる。道の水が押されて、両側の家の玄関へ入っていく。
迅がその前に入った。背中で受ける。水は硬くない。硬くない代わりに、止まらない。押されて、三歩下がった。下がってから、そこで止まった。
「押し返せない」
寺尾がハンマーを打った。道の真ん中に柱が一本立つ。水は柱を避けない。柱ごと押していく。
柱が二本目で止まった。三本目でようやく水が割れた。割れた水が、両脇へ逃げる。
寺尾は柱の間隔を詰めた。水は隙間から通る。隙間を狭くすれば、通る量が減る。減った分だけ、勢いは上がった。
「グリーン、逃がす先を選べ」
「選んでる。左は空き地だ」
水は左へ流れた。空き地に溜まる。溜まった分だけ、道の水位が下がった。
空き地は前の年まで家が建っていた場所になる。更地にしたのは去年の秋で、次に何が建つかはまだ決まっていない。
蒼汰がワイヤーを投げた。索が水柱の中に入る。何も噛まない。水に噛む場所は無い。
三年やっていて、噛まなかったのは初めてになる。蒼汰は二度目を投げなかった。
「駄目です」
「濡れた分だけ重い」
寺尾が言った。
「引くな。切れる」
蒼汰は索を戻した。戻してから、一度引いて確かめた。傷は無い。
澪がソナーを構えた。
「回線、残り三本。この区画に十一名。全員が二階です」
撃たなかった。構えたまま、水柱を見ている。
「ブルー」
「待って」
澪は撃たずに、銃口を下げた。下げた先は水面になる。
「音が下から来ています」
ソナーを水に浸けた。撃つ。音が水の中を通る。水は空気より音を速く運ぶ。
「排水路の中に軸があります。深さ二メートル、道の下」
「掘るのか」
「掘りません」
澪は水面から銃口を上げた。上げてから、もう一度浸ける。二度目で、返ってくる音の形が固まった。
澪は排水路の蓋を指した。道の端に、鉄の格子が並んでいる。
「ここから撃ちます」
格子の下は暗い。撃つ側からは何も見えない。見えないまま撃つのは、この人にとって普通のことになる。
格子を蒼汰が外した。索を掛けて、一度引いて、それから引き抜く。
澪はその穴に銃口を入れた。膝を突く。水は腰まである。装甲の膝が石の縁に当たった。当たったまま、姿勢を固めた。
撃つ前に、必ず人数を言う。
「軸、一。周りに人はいません」
「サイレンソナー ── 急救斬ッ!」
音が排水路の中を走った。水の中では音が減らない。減らないまま、二メートル下の軸に届いた。
届いた音は返ってこなかった。返らないことが、当たった合図になる。
水柱が三本とも、上から崩れた。崩れて、道の水に戻る。戻った水は普通の水になった。
落ちた場所に、家の屋根の破片が浮いた。二階まで抜けた穴の分になる。
道の水位が下がり始めた。排水路が、川へ落ち始めている。
膝までの水が、脛までになった。脛から足首までは、もう少し掛かる。
*
女は毛布に包まれて、メディックの中にいた。
体温は上がってきている。時間は掛かる。掛かるが、上がる。ひかりは扉を開けたまま、外の男と話していた。開けたままにしたのは、中の女に外の声を聞かせるためになる。
ひかりが扉の外で、通報した男に話していた。
「十分前と言いましたね」
「はい」
「呼んでから、奥さんが下へ行った」
「止めました。止めたんですけど」
男は言葉を切った。切ってから、自分の手を見た。
「大事な写真が、下にあるって」
ひかりは頷いた。頷いただけになる。
「写真は」
「取れました。濡れてますけど」
男は上着の内側から袋を出した。透明の袋に、写真が何枚か入っている。水は入っていない。袋の口は二重に折って、輪ゴムで留めてあった。
「これのために、あの人は」
「取れたんですね」
「取れました」
ひかりはそれ以上言わなかった。言わずに、扉を閉めた。閉まる音の方が、開く音より大きい。
男は袋を持ったまま、閉まった扉の前に立っていた。持ち替えもしない。中の女はまだ出てこない。出てくるのは病院に着いてからになる。
礼を言った者はいない。言う相手が分からなかったのではない。この人はまだ、何が終わったのかを分かっていなかった。
道の水が引いた場所から、匂いが出た。
排水路の水は川の水ではない。引いたあとに残るものが違う。二丁目の道に、線が一本残った。水がどこまで来たかの線になる。
二丁目の家は十一軒が床上まで来ていた。畳は替えることになる。家具は乾かしても戻らないものが多い。それを数えるのは、支部の仕事ではない。
崩れた水が、道の端でまた集まった。
集まって、また立つ。二度目は道の外へ出て、堤防の上に立った。高さは二十を超える。川と街の境に立つと、両側から見える。
対岸の道に、人が出ていた。朝の六時半になる。犬を連れた人が、上を見て止まっていた。
「五機」
迅が言った。
「上げろ」
五機がスロープを昇った。この日も、五つは噛み合わない。
堤防の上は狭い。幅が六メートルしかない。サイレンクレーンはアウトリガーを張れなかった。張れば堤防を踏む。踏めば崩れる。
「グリーン」
「張らない。踏めば穴になる」
寺尾はクレーンを堤防の下の道に置いた。アームだけを上げる。届かない。十メートル足りなかった。
サイレンファイヤーは水を出さない。この日、水は敵になっている。
レスキューが右腕を伸ばした。掴む。水は掴めない。腕の内側の黒い跡が、水に濡れて濃くなった。左腕は動かない。掌が開かないからになる。
メディックは走り出している。冷えた女を乗せて、病院へ向かう。その分、地上が一人減った。
ウイングが上から降りた。ローターの風で水面を叩く。風は水に効く。効くのに、水柱は撓むだけで切れない。撓んだ形のまま、また戻る。
「上からじゃ無理です」
澪が言った。
迅はファイヤーを堤防の下へ回した。上ではなく、下から見上げる位置になる。堤防の斜面は草で覆われていて、雨で滑る。前輪が一度空転した。
「排水路の口は」
「堤防の内側。三つ」
「三つとも開けろ」
レスキューが右腕で鉄の蓋を三枚外した。外した先から、川の水が流れ込む。
水柱の足元が、そこへ吸われた。吸われた分だけ細くなる。三つの口から同時に吸うので、細くなり方も三方向から進んだ。
細くなったところへ、クレーンのアームが届いた。
届いてから、押した。押す速さは変えない。速く押すと、水は割れずに逃げる。
水柱が堤防の内側へ倒れた。倒れた先は遊水地になる。遊水地の水面に落ちて、そこで広がって、消えた。
対岸の人が、犬を引いて歩き出した。歩き出すまでに、暫く掛かった。犬の方が先に動いていた。
*
地下二層は油の匂いがする。
この日は水の匂いも混ざっていた。五機とも下半分が濡れている。濡れたまま置くと錆びる。
戸倉健が拭いていた。五十二で、元は自動車の整備工になる。拭き方は決まっている。合わせ目の内側から先に拭く。表は最後になる。
表を先に拭くと、内側を拭く時に表がまた汚れる。当たり前のことになる。当たり前のことを、この人は三年変えない。
「班長、下水です」
「わかってる」
「錆びますよ」
「洗う」
宮ヶ瀬佳代がホースを引いてきた。地下二層で機体を洗うのは、月に一度あるかどうかになる。この日は五機とも洗った。
洗うのに二時間掛かる。次の覚知が来れば、途中で止めて出すことになる。この日は来なかった。
佐波悠が排水の溝を開けた。開ける位置を間違えて、水が逆へ流れた。戸倉が黙って正しい溝を開けた。佐波はそれを見ていた。見てから、間違えた側の溝を自分で閉じた。
洗い終わってから、宮ヶ瀬は川の断面図を広げた。堤防の幅が書き込んである。幅の欄に、六と書いてあった。アウトリガーを四本張るには、八要る。
「堤防に乗れるクレーンは、まだ作れない」
誰にともなく言って、図面を巻いた。
二階では、澪が付箋を書いていた。五枚目になる。四月二十四日、川沿い。通報 一件。
書いてから、五枚を横に並べた。
付箋には日付と場所と、通報の件数しか書いていない。五枚とも一と書いてある。
久遠寺が入ってきた。今度は後ろに立たずに、澪の横へ来た。
「何が見えてる」
「まだ何も」
「見えたら言え」
「言います」
澪は五枚目の位置を、少し左へずらした。ずらした先に空きが出来る。空きは日付の順にすると出来るもので、そこに入る一枚は、まだ無い。
二階の受信席で、電話が鳴った。
> 【第七支部 出場記録】
> 臨場 ── 五時五十八分。所要 ── 八分十秒。
> 保留 ── 一件。最長 ── 三十九秒。
> 未着 累計 ── 零。
> 浸水 ── 川沿い二丁目 十一棟。床上。
> 本件、処理 ── 完了。
> ── 入電。




