↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
急報戦隊サイレンジャー ~呼ばれたら、行く。呼べないなら、見つけに行く~  作者: 智珠
第四巻

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
63/95

第059話 焦げくさい

> 【第七支部 覚知記録】

> 覚知 ── 五月二十五日 十九時十二分。

> 入電 ── 携帯電話。発信地 ── 中央駅前 二丁目。

> 第一声 ──「焦げくさい」

> 出場 ── 第七支部 全隊。


「焦げくさい」


 尾花律子は用紙を引き寄せた。時刻を分まで書く。秒は書かない。何が焦げているのかは、まだ書かない。


「はい、鳴瀬市消防指令センターです。今おられる場所を教えてください」


「中央駅前の、地下街です。二層目の、東の通路で」


「わかりました。煙が見えているか、教えてください」


「見えません。匂いだけです。でも、さっきより強くなってて」


「匂いのする方へ、歩いていませんか」


「歩いてます。どこから来てるのか、分からなくて」


 尾花はそこで一度、間を置いた。置いてから、訊く順を変えた。場所を訊き終える前に、先に言うことがある。


「歩くのをやめてください。今いる場所から、上へ上がる階段へ向かってください」


「火が見えないのに、ですか」


「見えないから、です。匂いのする方へ行くと、火に近付きます」


 尾花は用紙の右の欄へ、中央駅前二丁目、地下二層、焦げ臭、と書いた。三つ並ぶと、持っていくものが決まる。書いた三つのあとに、火元不明、と足した。


「今、隊が出ます。周りの方にも上がるよう伝えてください」


「みんな、普通に買い物してます」


「その方たちにも、同じことを伝えてください。走らないでください」


「はい」


「もう一つだけ。東は匂いの方になります。上がる階段は、西のを使ってください」


 尾花はそこで秒を書いた。この日、初めて秒を書いた。書いてから、回線の枠を見た。八つのうち、光っているのは一つになる。


 一つしか光っていない。地下街には、この時刻に千人以上いる。


*


 十九時十二分の三階は、片付けの終わったところだった。五月の日は伸びて、この時刻でも西の空が明るい。


 武藤とうふ店は七時十分に置いていく。五月は四丁になる。武藤は数える時、一丁ずつ声に出す。一、二、三、と来て、四だけ「四つ」と言う。丁と個が途中で入れ替わる。三年、誰も直していない。棚の上の紙は、まだ読めない。三か月目に入った。


 寺尾剛は鍋を洗っていた。洗うのは早い。乾かすのは遅い。


「まあ待て。匂いの日は長い。先に水を飲む」


 二文で言って、湯呑みを五つ並べた。並べた五つに、水を注いでいく。


 五つのうち、三つは同じ柄で、二つは違う。違う二つは、割れた分の代わりに寺尾が買ってきた。買う時、柄を揃えなかった。揃えてしまうと、割れた日が分からなくなる。


 灰谷蒼汰は索を膝の上へ広げて、端から端まで指で送っていた。三年、出る前に必ず一度やる。


「四本です。短いのを二本足します」


 言いながら、二本目の端を握り直した。地下街の柱は、角が丸くない。丸くない角に掛けた索は、そこから切れる。


 七尾ひかりは酸素の残りを見ていた。見てから、七つ数えた。七つ数えて、七つで戻った。数え終わってから、袋を二つに分けた。


 分けたのは、地下だからになる。一つを持って入って、もう一つを階段の口へ置く。置いた方は、外へ出した人に使う。


 地下では、助けた人を中で寝かせられない。中は、匂いのある側になる。だから外に置く袋の方が、たいてい先に減る。


 逢坂澪は受信席の裏で、地下街の図を出していた。市の都市整備課から借りた写しで、三層ぶんが重ねてある。


 中央駅前の地下街は三層ある。一層目が店で、二層目が通路と店、三層目が駐車場と機械室になる。写しの縁には、継ぎ足した線が三色で入っている。青が元の図で、赤が十年前の増築、黒が去年の入れ替え分になる。黒は、まだ二本しか引かれていない。


 澪はその図を、机の左の端へ寄せた。寄せた場所には、付箋の束がある。十三枚のままになっている。


 火群迅は自販機の前にいた。一番下の段を押す。理由を言ったことがない。缶を取って、指の腹で口を一度拭いてから開ける。


 拭くのは、置いてある間に埃が乗るからだと佐波が言っていた。迅は違うと言わなかったし、そうだとも言わなかった。三年、この動作だけが変わらない。


 久遠寺修司は掲示板の前に立っていた。未着累計の欄には、一と書いてある。三月の終わりから動いていない。数字の下の余白は、まだ広い。書き足す場所が用意されているという意味にもなる。久遠寺は、その余白を見ている時間の方が長い。


 覚知の音が鳴った。鳴った音の下で、寺尾が湯呑みを一つずつ配った。配り終わってから、自分の分を飲む。


 佐波悠が地下三層から上がってきた。工具箱を提げたままになる。


「宮ヶ瀬さん。ファイヤーの水槽、内側を洗いました」


「洗いました。洗わなくていい水槽は、まだ作れていません」


 宮ヶ瀬佳代は逆から言う。出来ていることを先に言わない。


 速水が受信席で、地下街の図を出した。出してから、東の通路を指でなぞる。


「二層目の東、去年の秋に店が三軒入れ替わっています。厨房が二つ増えました」


「届出は」


「出ています。ただ、換気の系統は前のままです」


「前のままだと」


「二つ分の煙が、一つの筒を通ります」


 速水はそこで図の縁を持ち上げて、裏まで見た。裏には何も書いていない。見てから、また表へ戻す。同じ図を二度見ても、増えるものはない。


「あ、いえ。裏は、白紙でした」


 誰も訊いていない。速水は言ってから、耳の後ろを掻いた。


 誰も何も言わなかった。届出は出ていて、通っていて、それで足りていない。


 澪が地下街の図を机へ広げた。広げてから、二層目の東に指を置いた。


「中央駅前二丁目、地下街の二層目。東の通路で焦げ臭。煙は出ていません。火元は不明です」


「人数は」


「三層で千二百人前後。二層目だけで、五百人」


「出口は」


「階段が六つ、上りの動く階段が四つ。東の二つは、匂いの側になります」


「一層目と三層目は」


「一層目は匂いが出ていません。三層目は駐車場です」


「三層目の人は」


「出せません。券売機の枚数からの推定だけになります」


「アンサー」


> ── はい。


「二層目の換気の筒を」


> ── 東側は一系統です。三軒の厨房が、同じ筒へ入っています。……去年の入れ替えの後の図面は、まだ届いていません。


「筒はどこを通っていますか」


> ── 天井裏です。二層目の天井と、一層目の床の間になります。……その間に何があるかは、記録にありません。


「点検は」


> ── 三年前が最後です。


 アンサーは、分からないことを分からないと言う。三年、そこだけは変わらない。


 尾花の席で、二本目が光った。地下街の管理事務所からになる。


「はい、鳴瀬市消防指令センターです。……はい。西の四つから上げてください。東は閉めてください」


 置いてから、用紙の右の欄へ、管理事務所 連絡済、と書き足した。書き足したところで、光っている枠は、また一つに戻った。


 久遠寺が短く訊いた。


「上か、下か」


「上です。天井裏を開けます。ただ、開けると煙が下りてきます」


「人は」


「先に出します。西の四つから、五百人を上げます」


 澪はそこで一度、図の縁を指で押さえた。押さえたのは、線を引く前の癖になる。


「座標、出た」


*


 地下二層のポールを、迅が最初に下りた。二段飛ばしで踊り場を抜けて、下りきる前に走りはじめる。アンサーは一段ずつ下りる。三年、この対比が変わらない。


「発進」


 合図は整備班が出す。六人ではない。


 中央駅前二丁目の広場は、夕方の人で埋まっていた。地下から上がってくる人と、これから下りる人が、階段の口ですれ違っている。


 下りる人を止めるのが、着いて最初にやることになる。


 止めるのは六人ではない。市の職員と、店の人が止める。六人が言うのは、止めてください、の一言だけになる。


 広場の隅では、駅の職員が下りの階段の前へ柵を寄せていた。寄せたのは二人で、足りない分は店の人が体で塞いでいる。塞いだ人の前を、事情を知らない人が一度は通ろうとする。その度に、通れませんと言う声が上がった。


 東の階段の口に、四十くらいの女が立っていた。買い物の袋を提げたままにしている。ひかりがその横へ回った。


「掛けてくださった方ですか」


「私です。堀といいます」


「西から上がってこられましたか」


「はい。言われた通り、東は使いませんでした」


「周りの方にも、伝えていただけましたか」


「伝えました。五、六人には。それから先は、みんな上がりはじめたので」


 伝えた人が、伝えた先で伝わっていく。誰も走っていない。走らないでください、が届いている。


 迅が東の階段を下りた。下りた先は、二層目の東の通路になる。


 匂いは、確かにあった。焦げた油の匂いで、熱くはない。手の甲を天井へ向けても、温度が上がらない。上がらないのに、匂いだけが濃くなっていく。


 天井は低い。二メートル四十しかない。低い天井の上に、換気の筒が通っている。


「上、任せろ。点検口が四つ。東から二つ目が、去年替えた分です」


 蒼汰が天井の点検口へ手を掛けた。掛けてから、開けずに耳を当てる。


「音がします。中で、何かが擦れています」


「開けるな」


 迅の返事は短い。理由は付けなかった。


 開ければ、上の煙が下りる。下りた先には、まだ人がいる。


 ひかりが西の階段の口に立っていた。上がってくる人を、順に数えている。


「四百八十六、四百八十七」


 数えているのは、上がった人になる。上がっていない人の数は、引き算でしか出ない。


 寺尾は西の階段の中ほどに立った。立って、上がってくる人の右側を空けている。空けた側を、荷物の多い人が通っていった。


「まあ待て。急ぐと前の人の踵を踏む」


 二文で言って、寺尾は自分だけ動かなかった。動かないものが一つ立っていると、人はその横を通れる。


 澪は地上の広場で、階段ごとに数を拾っていた。西の四つは、それぞれ速さが違う。動く階段の二つが早くて、段の二つが遅い。遅い方に、年寄りが寄っている。


「北西の段、遅れています。二分」


 迅は返事をしなかった。しないまま、東の通路の側へ一歩出た。出た先は、匂いの濃い方になる。


 五百人が上がりきるのに、六分掛かった。


 最後の一人が上がってから、迅が点検口へ手を掛けた。


「トリアージ」


 迅が左手首の蓋を跳ね上げた。ブレスが色を出す。


> 判定 ── 黒。要救助者、内部に確認できません。


「急報 ── 出場!」


> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。

> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。


 五人が同時に上がった。上がった先は、二層目の東の通路になる。


 迅は右手を耳の高さへ上げた。掌を外へ向ける。四人が続けた。


 天井が低いので、上げた手が天井に近い。近い分だけ、影が濃く出る。


>  水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!

>  声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!

>  綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!

>  梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!

>  息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!

>

>  特別災害対策機構、第七支部 ──

>  呼ばれたら、鳴らして、行く!

>  急報戦隊、サイレンジャー!


 声は通路の両側の店の面に当たって、二度返ってきた。返った声が、上がっていく人の背中へ届く。


> ── 回線、残り 二本。


 点検口が、内側から開いた。開いた口から、焦げた油が糸になって落ちてくる。


 落ちた糸が、床の上で集まった。集まった油が、通路の形に沿って伸びる。伸びる速さは、歩く速さより遅い。遅いのに、止まらない。


 伸びた先が、東の階段の口になる。


 音は、油が油を打つ音だった。一滴ずつではなく、天井裏の全部が同じ拍で鳴る。


 迅がギアの柄を回した。噛む音が、油の音の下から出てくる。


「筒先!」


 水を出した。出した水は、油へは当てない。床の側から押して、階段の口へ行かせない。


「まあ待て。俺が段を塞ぐ。東は使わせん」


 寺尾がハンマーを通路の床へ立てた。柱を三本、東の階段の口の手前へ打ち込む。


 二文で言って、寺尾は三本の頭を通路の側へ向けた。向けた分だけ、油が階段へ入れない。


 蒼汰が索を投げた。投げた索が、天井の梁へ巻いた。巻いてから、通路の柱へ二重に取る。


「上、任せろ。梁は四本、二本目が古い」


 留めた索が張った。張った先で、天井裏の口が広がらなくなる。


 澪が通路の西でソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。


「五名。通路に五。天井裏は零。撃てる」


 撃った。低い音が天井裏を通った。通った音が、東の端で止まる。


「東の端に、芯があります。去年替えた厨房の、真下です」


 替えたのは厨房で、替えなかったのは筒になる。芯は、その繋ぎ目にあった。新しい口と古い口の径が、二ミリだけ違う。二ミリの隙に、三軒分の油が三年かけて溜まっていた。誰も開けていない。


 迅が天井裏へ腕を入れた。入れた腕の先で、繋ぎ目を掴む。


「サイレンアックス ── 急救斬ッ!」


 刃が、繋ぎ目を横から断った。断たれた先で、油が糸を保てなくなる。


 床の油が、そこで動かなくなった。動かない油は、ただの油になる。


 蒼汰は柱の二重を解いて、索を手繰った。二本とも巻き取りへ収める。収めてから、端を指で一度送る。


*


 地上へ上がると、広場に人が溜まっていた。五百人が、一度に外へ出るとそうなる。


 堀という人が、階段の口の傍に立っていた。まだ帰っていない。


「私、間違ってましたか」


 誰にも向けていない。言ってから、買い物の袋を持ち直した。


「匂いのする方へ、歩いてしまって」


「歩いてから、掛けました」


 迅がそう言った。それ以上は言わなかった。


 掛けたのが先か、歩いたのが先かは、この人の中では同じことになっている。掛けた側からは、そう見えない。


 堀は袋を下ろした。下ろしてから、右手を耳の高さへ上げる。掌を外へ向けた。手の形が、少し違っていた。指が揃っていなくて、掌の向きも斜めになる。それでも、耳の高さで止まっている。


 誰も教えていない。この人は、西の階段を上がる間、前の人の背中しか見ていなかった。


 広場では、先に上がった人が、次に上がってくる人のために場所を空けていた。誰かが最初にそうして、あとは順に伝わっている。伝わり方は、階段の中と同じだった。


 広場の東の端に、傘を差した人が立っていた。


 五月の夕方は晴れている。降ってはいない。


 差した傘の下に、地下から上がってきた人が一人入っていた。年寄りで、段の途中で息が切れて、そこで止まっている。


「ご迷惑ですから」


 声はそう言った。年寄りが振り向いた時には、傘だけがその場に立っていた。


 傘の下の敷石だけ、乾いていた。周りは、放水の水で濡れている。


 差した人は、広場の北の方へ歩いていった。濡れた敷石の上を歩いて、足跡が付いていない。


 年寄りは、まだそこに立っていた。息が戻るまで、四十秒ほど掛かった。戻ってから、傘の立っていた場所を見る。見てから、何も言わずに歩き出した。


 ひかりが袋を提げて近付いた。階段の口へ置いた方の袋になる。


「座ってから、七つ数えてもらえますか」


 自分でも数えた。一つ、二つ、と来て、七つで止める。止めてから脈を取って、取ってからもう一度、七つ数えさせた。二度目の方が、間が揃っていた。


 地下の階段の口から、油が上がってきた。


 上がってきたのは、二層目の分だけではない。三層目の機械室に溜まっていた分が、全部そこへ来ている。


 油は、広場の敷石の上で立ち上がった。立った高さが、駅の屋根を越えて、そこで止まらない。


*


 地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。


「駅前です。下が空洞です。荷重を一箇所へ掛けると、天井が抜けます」


「発進」


 合図は整備班が出す。


 サイレンファイヤーが広場の西で立った。レスキューが右へ、クレーンが左へ、メディックが右の脚へ、ウイングが背へ回る。


 立つ時、四本の脚が同じ深さで沈んだ。荷重を分けて置いた分になる。


> ── 回線、残り 一本。


 広場の人が、そこで一斉に上を向いた。五百人が同時に上を向くと、音が消える。


 消えた音の中で、機体の組み上がる音だけが残った。


 サイレンオーの左手は、握ったままだった。開かない。その左手を、迅は地下街の換気の塔へ添えた。添えた腕が、煙の道を作る。


 塔の口が開いたままになって、下の空気が上へ抜ける。抜けた分だけ、地下に残った匂いが薄くなる。


 油の柱が、腕の外側から回り込もうとした。回り込む先には、駅の改札がある。


 右腕が動いた。開く方の掌が、柱の腹を横から掴む。掴んだ場所で、油が滑った。


 滑った下から、一本の管が出てきた。三年前の点検の記録までしか無い、換気の筒になる。


「サイレンオー ── 全消斬ッ!」


 押し出した掌が、筒を横から抜いた。抜けた先で、柱が形を保てなくなる。


 油が、広場の敷石へ落ちた。落ちた油は、そこで動かなくなる。


 落ちる音は、五百人の上げた声に消された。声を上げたのは、地下から出てきた人たちになる。上を向いたまま、誰も走っていない。


*


 地下二層で、佐波がファイヤーの水槽の口を見ていた。地下の油が付いて、外側が黒くなっている。


「明日、もう一度洗います」


「洗ってから、洗わなくていい形を考えます」


 宮ヶ瀬は工具を置いた。置いてから、それ以上は足さなかった。


 佐波は口の縁を指の腹で撫でた。油は、拭くと伸びる。伸ばすと薄くなって、薄い分だけ落ちにくい。


「先に、乾いた布で取ります」


「取ってからでないと、落ちません」


 言い直させはしない。順番だけを足す。


 速水が受信席で、地下街の図を畳んでいた。折り目が合わない。合わないまま、もう一度広げて畳み直す。畳みながら、佐波に言った。


「換気の系統、市へ出しました。厨房が二つ増えた分です」


「直るのか」


「三年前の点検が最後です。次は、来年度の予定でした」


 三階の食堂で、寺尾が湯を沸かした。五月の椀は、四丁分になる。


 出る前に配った湯呑みは、五つとも空になっていた。飲んだ順は分からない。分からないまま、寺尾は五つを重ねて流しへ運んだ。柄の違う二つが、いつも一番上に来る。


 迅は椀を先に空けた。空けてから、二杯目を自分でよそって、そこで手が止まった。止めた理由は言わない。久遠寺が見ていた。


「食うのか」


「食う」


 二文字で返して、迅は座り直した。


 尾花律子は受信席に残った。用紙を綴じて、次の一枚を出す。この日の保留は、一分十五秒になる。件数は一件だった。


 千二百人がいた場所から、電話は一本しか来ていない。一本しか来ないのは、見えていないか、見えていて誰も呼ばないかのどちらかになる。


 尾花は用紙の第一声の欄を、指で一度なぞった。焦げくさい、と書いてある。かなのままにした。この人は、何が焦げているかを名指し出来ていない。名指し出来ない声を、書き直さない。


 この日は、見えていなかった。匂いだけだった。


 六人は、この人に礼を言わない。


> 【第七支部 出場記録】

> 臨場 ── 十九時二十一分。所要 ── 九分。

> 保留 ── 一件。最長 ── 一分十五秒。

> 未着 累計 ── 一。

> 損壊 ── 中央駅前二丁目 地下街 二層 換気筒 一系統 破断。天井 点検口 四箇所 変形。

>     東側 階段 一箇所 使用不能。広場 敷石 一部 剥離。

> 救助 ── なし。搬送 ── なし。避難 ── 千二百名。

> 市内 点検の記録が三年以上空いている換気系統 四十七か所 ── 記録なし。

> 本件、処理 ── 完了。

> ── 入電。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。