第054話 濡れてます
> 【第七支部 覚知記録】
> 覚知 ── 四月三十日 十六時二十四分。
> 入電 ── 一般加入電話。発信地 ── 商店街 東端。
> 第一声 ──「濡れてます」
> 出場 ── 第七支部 全隊。
「濡れてます」
尾花律子は用紙を引き寄せた。時刻を分まで書く。秒は書かない。何が濡れているのかは、まだ書かない。
「はい、鳴瀬市消防指令センターです。今おられる場所を教えてください」
「商店街の東の端です。金物屋の、地下の倉庫で。膝まで来てます」
「わかりました。中に何名おられますか」
「二人です。私と、うちのが。階段の下で、扉が押されて開かないんです」
尾花は用紙の右の欄へ、商店街東端、地下浸水、閉じ込め二名、と書いた。三つ並ぶと、持っていくものが決まる。書いてから、四つ目の欄へ、水位膝、と足した。
「わかりました。今、隊が出ます。今から言うことを、順にやってください」
「はい」
「まず、階段の一番上まで上がってください。扉は押さないでください。押すと、向こうの水が動きます」
「上がると、電話が切れます。線がここまでしか来てなくて」
尾花はそこで一度、間を置いた。置いてから、順番を入れ替えた。
「では、先に伺います。天井の高さは何メートルありますか」
「二メートル半くらいです」
「水は、何処から来ていますか」
「上からです。天井の隅から、筋になって落ちてきてます」
「わかりました。上がってください。電話が切れても、そのまま階段の上にいてください。私はここにいます」
「はい」
通話が切れた。切れた音は、途中で押されたものではない。線が離れる音になる。
一般加入電話は、線の届く場所からしか掛からない。掛けた人が動くと、切れる。切れることを承知で動いてもらう時、尾花は先に訊く順番を入れ替える。
入れ替えたのは、切れた後で訊けないことを、先に済ませるためになる。
尾花はそこで秒を書いた。この日、初めて秒を書いた。書いてから、回線の枠を見た。八つのうち、光っているのは一つになる。
*
十六時二十四分の三階は、雨の音がしていた。四月の終わりの雨で、朝から降り続いている。
武藤とうふ店は七時十分に置いていく。四月は五丁になる。雨の日は、容器の底に水が溜まっていることがある。今日は溜まっていなかった。
寺尾剛は湯を張った鍋の前にいた。張るのは早い。食べるのはいつも最後になる。
「まあ待て。雨の日は、湯を先に沸かしておく。戻ってから沸かすと、手が冷えたままになる」
二文で言って、鍋の縁の欠けた場所を上へ向けた。三年、この置き方が変わっていない。
灰谷蒼汰は索を膝の上へ広げて、端から端まで指で送っていた。三年、出る前に必ず一度やる。
「四本です。雨の日は結び目に水が入るので、先に振ります」
言いながら、三本目の端で指を止めた。四月に入ってから、この一本だけ乾ききっていない。
七尾ひかりは酸素の残りを見ていた。見てから、七つ数えた。七つ数えて、七つで戻った。数え終わってから、袋の口を布で拭く。雨の日は、袋の外側が先に濡れる。
逢坂澪は受信席の裏で、商店街の雨水の図を出していた。市の下水道課から借りた写しで、管の太さが色分けしてある。
商店街の東端は、三年前までアーケードの屋根が続いていた。秋の風で骨組が歪んで、七区画だけ屋根が無くなっている。張り直しは年明けと聞いていた。
屋根の無かった半年、東端の店は自分たちで日除けを繋いでいた。荷造りの紐で七軒分を渡して、上から落ちてくるものだけを止める形になる。
その紐は、三月に屋根が付いた時に外された。外した紐を、誰が持っていったかは分からない。
澪はその図を、机の左の端へ寄せた。寄せた場所には、付箋の束がある。十三枚のままになっている。
火群迅は自販機の前にいた。一番下の段を押す。理由を言ったことがない。缶を取って、指の腹で口を一度拭いてから開ける。
久遠寺修司は掲示板の前に立っていた。未着累計の欄には、一と書いてある。三月の終わりから動いていない。
覚知の音が鳴った。鳴った音の下で、寺尾が火を落として蓋をする。
速水が受信席で、商店街の地図を出した。出してから、東端の七区画を指でなぞる。
「屋根、三月に張り直しました。七区画とも、上は繋がってます」
「雨樋は」
「そこまでは、届いていません。屋根だけ先に張って、樋は来年度になりました」
誰も何も言わなかった。屋根が繋がって、樋が繋がっていない。七区画分の雨が、繋ぎ目の一箇所へ集まることになる。
戸倉が地下二層から上がってきた。手に、拭いた工具を提げている。
「宮ヶ瀬さん。メディックの蝶番、直しました」
「直りました。雨の日に軋まない蝶番は、まだ作れていません」
宮ヶ瀬佳代は逆から言う。出来ていることを先に言わない。
*
澪が雨水の図を机へ広げた。広げてから、商店街の東端に指を置いた。
「商店街東端、金物屋の地下倉庫。天井の高さ二メートル半、床面積が四十平米。水位は膝までで、上から筋で入っています」
「量は」
「屋根の七区画ぶんです。一時間に十五ミリ降ると、七区画で一分に三百リットル出ます」
「今の雨は」
「十七ミリです。朝から止んでいません」
「アンサー」
> ── はい。
「東端の、雨水の管の太さを」
> ── 主管が三百ミリ、枝管が百五十ミリになります。……七区画の分を受ける枝管は、図面の上では一本だけです。
「その一本は」
> ── 三年前の図面までしかありません。張り直した後の図は、まだ届いていません。
「地下へ入る口は」
> ── 表の階段が一つです。……裏の搬入口は、二年前に塞がれています。
アンサーは、分からないことを分からないと言う。三年、そこだけは変わらない。
久遠寺が短く訊いた。
「入るのは」
「表からです。扉は内側へ開きます。水が押しているので、外からは引けません」
「では」
「上を抜きます。倉庫の天井は、表の歩道の下です。歩道の点検の蓋が、真上にあります」
澪はそこで一度、図の縁を指で押さえた。押さえたのは、線を引く前の癖になる。
「座標、出た」
*
地下二層のポールを、迅が最初に下りた。二段飛ばしで踊り場を抜けて、下りきる前に走りはじめる。アンサーは一段ずつ下りる。三年、この対比が変わらない。
「発進」
合図は整備班が出す。六人ではない。
商店街の東端は、雨で人が少ない。張り直したばかりの屋根が、七区画ぶん光っている。光っているのは新しいからで、三年前の分とは色が違う。
屋根の繋ぎ目から、水が一筋落ちていた。落ちている場所は、金物屋の前の歩道になる。
歩道には、点検の蓋が一枚ある。丸くて、直径が六十センチしかない。
蓋の周りの舗装は、他の場所より少し盛り上がっていた。何度も開けて、何度も戻した場所は、そうなる。
最後に開けたのが何時かは、蓋の上には書いていない。
金物屋の前に、七十くらいの女が立っていた。傘を差していない。上着が肩から胸まで濡れている。桝田の妻になる。
外へ回るのに、店の中を通っていない。店は東側の戸を閉めてあって、開けるのに鍵が要る。鍵は下の倉庫にある。
だから、隣の路地を回った。回るのに、二分掛かっている。
「うちのが、まだ下に」
迅が女の前へ回った。
「お名前を」
「桝田です。うちのは、桝田健三といいます。七十八です」
「上がってきたのは、あなたですか」
「私です。階段の上まで上がって、そこで電話が切れて。それから、外へ回りました」
言われた通りに階段を上がって、それから外へ出た人になる。切れた後も、言われたことを守っている。
守っている間、この人は下の様子が分からなかった。分からないまま、上で立っていた。立っていた時間は、四分になる。
ひかりが女の前へ回った。回ってから、肩へ布を掛ける。
「桝田さん。よく上がりました。今から入ります」
寺尾が点検の蓋の前で膝を突いた。突いてから、蓋の縁へ指を掛ける。掛けた指で、重さだけを確かめた。
鉄の蓋は、四十キロある。一人で持ち上がるが、持ち上げた後で置く場所が要る。歩道は二メートル四十しかない。
「まあ待て。ここは六十センチだ。開けたら、上から水が全部落ちる」
二文で言って、蓋を開けずに、屋根の繋ぎ目の方を見た。
迅がギアの柄を半回転させ、そのままもう半分回した。金具が二度噛む。
「鉤!」
柄の先の鉤を、屋根の繋ぎ目の縁へ掛けた。掛けてから、横へ引く。
引いた分だけ、繋ぎ目が開いた。開いた場所から、水が歩道の外へ落ちる。
落ちた先は、車道の側溝になる。落ちる筋が、点検の蓋から一メートル半外れた。蒼汰が屋根の縁を見上げた。
一メートル半外れれば、蓋を開けても上から水が入らない。入らない位置を作ってから開けるのが、順になる。
「上、任せろ。屋根の勾配、東へ二十分の一です」
蒼汰が索を投げた。投げた索が、屋根の骨組の三本目へ巻いた。巻いてから、街灯へ二重に取る。
留めた索を、屋根の縁へ回す。回した索が、繋ぎ目の開いた幅を止めた。
寺尾が蓋を開けた。開けた下から、水の音が上がってくる。
音の返り方が短い。天井が低くて、水面が近い。
地下の水は、上から落ちる音と、下で溜まる音が重なる。重なると、深さが分からなくなる。分かるのは、返るまでの短さだけだった。
「桝田さん」
迅が蓋の口から声を掛けた。掛けた声は、六十センチの円の中で一度反響してから下へ届く。
下から返事があった。
「います。階段の上です」
「そこから動かないでください。今から下ろします」
下ろすのは蒼汰になる。索の端を、蓋の口の縁へ回した。
蒼汰が短い索を蓋の口から下ろした。下ろした先が、階段の上へ届く。
届いた索を、桝田健三が自分で腰へ回した。回し方が、教わったものではない。金物屋で、六十年、荷を縛ってきた人の回し方になる。
回してから、一度引いて確かめた。確かめる動作が、蒼汰のものと同じ順番になっている。誰も教えていない。
蒼汰は上から見ていた。見ていたが、何も言わなかった。
「上がってこないでください。私が引きます」
言ったのは蒼汰になる。返事は来なかった。返事の代わりに、索が二度引かれた。
引いた合図になる。
桝田健三が歩道へ上がったのは、十六時三十一分になる。所要は七分だった。
上がった人の膝から下が、濡れていた。水は、床から四十センチまで来ている。
蓋を閉める前に、下の水が動いた。
動いたのは、階段の側ではない。倉庫の奥の壁の側になる。
壁の向こうには、雨水の枝管が通っている。三年前の図面までしか無い、一本だけの枝管になる。
水が、そこから逆に出てきた。出てきた水は、上へ立ち上がる。
立ち上がった水が、点検の蓋の口から歩道へ出た。出てから、そこで形を保った。
水は、放っておけば落ちる。落ちないで立っているものは、水ではない形になっている。
音は、水が水を打つ音だった。一筋ではなく、七区画ぶんが同じ拍で鳴る。
「トリアージ」
迅が左手首の蓋を跳ね上げた。ブレスが色を出す。
> 判定 ── 黒。要救助者、内部に確認できません。
「急報 ── 出場!」
> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。
> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。
五人が同時に上がった。上がった先は、金物屋の前の歩道になる。
迅は右手を耳の高さへ上げた。掌を外へ向ける。四人が続けた。
張り直した屋根の下で、雨に当たらずに名乗ることになる。三年で、初めてになる。
> 水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!
> 声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!
> 綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!
> 梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!
> 息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!
>
> 特別災害対策機構、第七支部 ──
> 呼ばれたら、鳴らして、行く!
> 急報戦隊、サイレンジャー!
声は屋根の下を東の端まで抜けた。抜けた先で、雨の音に混ざる。
> ── 回線、残り 三本。
水の形は、歩道の幅いっぱいになっていた。歩道は二メートル四十しかない。
幅がいっぱいということは、逃げる先が二つしかないことになる。車道の側か、店の側になる。
迅がギアの柄を回した。噛む音が、雨の音の下から出てくる。
「筒先!」
水を出した。出した水は、形の腹へは当てない。歩道の路面へ当てて、床の側から押す。
寺尾がハンマーを提げて前へ出た。
「まあ待て。俺が挟む。壊すと、下の倉庫が抜ける」
寺尾がハンマーを歩道の車道側へ立てた。柱を三本、縁石の外へ打ち込む。
二文で言って、寺尾は三本の頭を歩道の側へ向けた。向けた分だけ、形が車道へ出られない。
澪が屋根の下でソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。
「八名。歩道に六、店の中に二。水の中は零。撃てる」
撃った。低い音が水の形を通った。通った音が、下の倉庫で返ってくる。
水は音を通す。通した先で、何が入っているかまでは返らない。返るのは、続いているかどうかだけになる。
「返りが下から来ます。倉庫の水が、まだ繋がっています」
繋がっている限り、上の形は減らない。切るのは、蓋の口の高さになる。
蓋の口は、直径六十センチしかない。六十センチの円の中で、一度だけ横に抜くことになる。
ひかりが蓋の口の縁へ回った。回ってから、ナイフを抜き直した。
この日、二度目になる。一度目は、桝田健三の上着の袖を裂くために抜いた。
「サイレンナイフ ── 急救斬ッ!」
刃が、蓋の口の高さで水を横に一度だけ抜けた。
抜けた場所で、上と下が切れた。切れた上の分が、歩道の上で行き場を失う。
行き場を失った水が、屋根の繋ぎ目の方へ寄った。寄った先には、蒼汰の索がある。
索が張った。張った先で、水は車道へ出られない。
蒼汰は街灯の二重を解いて、索を手繰った。二本とも巻き取りへ収める。収めてから、端を指で一度送る。
桝田健三は、店の軒の下に座っていた。膝から下が濡れている。ひかりが靴を脱がせて、足の下へ布を敷いた。
「息、返すよ」
七つ数えた。七つ数えて、七つで戻った。
「六十年、あの倉庫で濡れたことがなかった」
桝田健三がそう言った。誰にも向けていない。
「屋根が付いたら、濡れた」
言い方に、責める色は入っていない。長く商いをしてきた人の、事実の並べ方になる。
「はい」
迅はそれだけ言った。それ以上は言わなかった。
桝田の妻が、店の奥から古い雑巾を出してきた。売り物にならなくなった分を、この店は捨てずに置いている。
出してから、六人の足元へ順に置いていく。置く順は、立っている順になる。
置き終わってから、右手を耳の高さへ上げた。掌を外へ向ける。
誰も教えていない。この人は、階段の上で待っている間、電話の向こうの声だけを聞いていた。
歩道の東の端に、男が一人立っていた。作業着の袖をまくって、腕に古い傷がある。雨に濡れているのに、傘を差していない。
「屋根は、自分で葺け」
誰にも向けていない。言ってから、自分の腕の傷を指の腹で押さえた。
押さえた指を、自分で巻いた包帯の上へ置く。包帯は雨で色が変わっていた。変わっても、巻き直さない。
迅はそちらを見なかった。見ないで、蓋の口の方を見ている。見ている口から、まだ音が返ってくる。
口から、水がもう一度出てきた。今度は、七区画の屋根の上からになる。
張り直した屋根の面を、水が一枚の膜になって走った。走った膜が、東の端で立ち上がる。
立ち上がった高さが、商店街の建物の三階を越えて、そこで止まらない。
*
地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。
「商店街です。屋根が張り直したばかりです。上から押すと、七区画とも保ちません」
「発進」
合図は整備班が出す。
サイレンファイヤーが東の端の広場で立った。レスキューが右へ、クレーンが左へ、メディックが右の脚へ、ウイングが背へ回る。
> ── 回線、残り 二本。
商店街の店の軒から、人が見上げていた。雨の日の夕方で、店を閉めかけていた人が多い。
三年、この商店街の人がこれを見るのは四度目になる。四度とも、東の端で見ている。
東の端は、屋根の無かった側になる。無い間は、上を見ると空が見えた。今日は、張った下から見ている。
サイレンオーの左手は、握ったままだった。開かない。その左手を、迅は屋根の骨組の下へ差し込んだ。差し込んだ腕が、七区画分の柱の代わりになる。
柱の代わりになった腕の上で、屋根が押されても落ちない。
水の膜が、腕の外側から回り込もうとした。回り込む先には、店の並びがある。
右腕が動いた。開く方の掌が、膜の腹を横から掬った。掬った先で、水が落ちる。
落ちた水の下から、細い管が一本出てきた。三年前の図面までしか無い、枝管の一本になる。
「サイレンオー ── 全消斬ッ!」
押し出した掌が、枝管を横から抜いた。抜けた先で、膜が形を保てなくなる。
水が、屋根の面へ戻った。戻った水は、繋ぎ目から車道の側溝へ落ちていく。
落ちる場所は、迅が鉤で開けた繋ぎ目になる。開けたままにしてあるので、そこから抜ける。
落ちる音が、商店街の東の端で長く続いた。続いた音は、雨の音と同じ高さになる。
軒の下から声が出た。出たのは、拍手ではない。声だった。
声を上げたのは、東の端の七軒になる。屋根の無かった半年、日除けを繋いだ人たちと同じ七軒になる。
*
地下二層で、戸倉がメディックの後扉を見ていた。直したばかりの蝶番が、雨で軋んでいる。
「軋みます」
「軋みます。それは直しません」
宮ヶ瀬は工具を置いた。置いてから、それ以上は足さなかった。
速水が受信席で、商店街の地図を畳んでいた。畳みながら、戸倉に言った。
「樋の分、市へ出しました。来年度と書いてあります」
「来年度は、いつからだ」
「四月からです。もう始まっています」
速水は畳んだ紙を、二つに分けた。市へ出した控えと、支部に残す分になる。残す分の方が厚い。
三階の食堂で、寺尾が湯豆腐を出した。四月の椀は、五つ並んだ。先に沸かしておいた湯は、まだ熱かった。
「言った通りだ」
寺尾はそれだけ言って、椀を配った。配り終わってから、自分の分に注ぐ。注ぐころには、湯気が出ていない。
尾花律子は受信席に残った。用紙を綴じて、次の一枚を出す。この日の保留は、五十八秒になる。件数は一件だった。
一分を切ったのは、三月の半ばから数えて初めてになる。重装を使わなかった日は、こうなる。
使わなかった理由は、用紙には入らない。入るのは、五十八秒という数字だけになる。
六人は、この人に礼を言わない。言われた通りに動いた人が、この日は二人いた。二人とも、電話の向こうの声しか知らない。
桝田金物店の地下倉庫は、翌日から二日かけて水を抜いた。抜いたのは、商店街の東の端の七軒になる。誰も呼ばれずに集まった。
抜き終わってから、七軒で歩道の蓋の周りへ土嚢を三つ置いた。置いたのは、次の雨までの間に合わせになる。
間に合わせのまま、そこに残った。
屋根は、落ちていない。樋は、まだ付いていない。付く日は、この年度のどこかになる。
> 【第七支部 出場記録】
> 臨場 ── 十六時三十一分。所要 ── 七分。
> 保留 ── 一件。最長 ── 五十八秒。
> 未着 累計 ── 一。
> 損壊 ── 商店街東端 桝田金物店 地下倉庫 全面 浸水。歩道 点検蓋 一枚 変形。
> 雨水枝管 一系統 破断。縁石 三箇所 割れ。
> 救助 ── 一名。搬送 ── なし。
> 市内 屋根だけ直して樋の入っていない区画 十四か所 ── 記録なし。
> 本件、処理 ── 完了。
> ── 入電。




