第052話 直せますか
> 【第七支部 覚知記録】
> 覚知 ── 四月十七日 十八時四十分。
> 入電 ── 携帯電話。発信地 ── 丘の上 一丁目。
> 第一声 ──「直せますか」
> 出場 ── 第七支部 全隊。
「直せますか」
尾花律子は用紙を引き寄せた。時刻を分まで書く。秒は書かない。何を直すのかは、まだ書かない。
「はい、鳴瀬市消防指令センターです。今おられる場所を教えてください」
「丘の上一丁目の、東雲台の三号棟です。エレベーターの中で。動かなくなって」
「わかりました。中に何名おられますか」
「三人です。私と、女の方と、小さい子が一人。四つくらいの」
尾花は用紙の右の欄へ、丘の上一丁目、昇降機、閉じ込め三名、と書いた。三つ並ぶと、持っていくものが決まる。書いてから、四つ目の欄へ、幼児一、と足した。四つ目を足す日は、三年で数えるほどしかない。
「直すのではなく、開けに行きます。今、隊が出ます」
「あ、すみません。直せますかって、変ですね」
「変ではありません。動かないものを見たら、直るかどうかを先に考えます」
尾花はそこで一度、間を置いた。置いてから、続けた。この人は、責める言葉も、褒める言葉も、間に入れない。
入れる欄が用紙に無い。
「扉をこじ開けようとしないでください。それから、上の方を見ないでください。天井の板を外して出る形は、ここでは使いません」
「はい」
「小さいお子さんは、床に座らせてあげてください。立たせておくより疲れません。電話は切らないでください」
向こうで、子どもへ話しかける声がした。話しかけている方が、電話へ向けた声より柔らかい。
柔らかい声は、離れた場所から聞こえている。男が受話器を口から外して、床の側へ向けたことになる。
尾花はそこで秒を書いた。この日、初めて秒を書いた。書いてから、回線の枠を見た。八つのうち、光っているのは一つになる。
*
十八時四十分の三階は、片付けの終わったところだった。四月の日は伸びて、この時刻でも窓の外がまだ薄い青になる。
武藤とうふ店は七時十分に置いていく。四月は五丁になる。六丁目に挟んであった紙は、棚の上に残ったままで、そこだけ一か月前と同じ場所を占めている。
寺尾剛は鍋を洗っていた。洗うのは早い。乾かすのは遅い。
「まあ待て。今日は洗ってから出る。夕方の出場は、帰りが遅い」
二文で言って、鍋を伏せた。伏せた向きは、欠けた縁が上になっている。
灰谷蒼汰は索を膝の上へ広げて、端から端まで指で送っていた。三年、出る前に必ず一度やる。
「四本です。中なら短いのを二本足します」
言いながら、器具箱の七つ目に手を掛けた。掛けただけで、開けなかった。中に規定外の索が一巻き入っている。三年、誰も外へ出せと言っていない。
短い索は、建物の中で使う。廊下や階段では、長い索は余った分が絡む。絡んだ索は、解くのに時間が掛かる。
七尾ひかりは酸素の残りを見ていた。見てから、七つ数えた。七つ数えて、七つで戻った。数え終わってから、子ども用の面をもう一つ袋へ入れる。四月に入って、入れる日が増えた。
逢坂澪は受信席の裏で、丘の上の集合住宅の図面を出していた。市の建築課から借りた写しで、線が二重に見える。
二重に見える線のうち、内側が古い方になる。この団地は、建った後で一度、外階段を足している。足した階段は図面の外側に引かれていた。
澪はその図面を、机の左の端へ寄せた。寄せた場所には、付箋の束がある。十三枚のままになっている。
火群迅は自販機の前にいた。一番下の段を押す。理由を言ったことがない。缶を取って、指の腹で口を一度拭いてから開ける。開ける音が、廊下の端まで届いた。
久遠寺修司は掲示板の前に立っていた。未着累計の欄には、一と書いてある。三月の終わりから動いていない。
覚知の音が鳴った。鳴った音の下で、寺尾が伏せた鍋の向きをもう一度直した。直してから走り出す。
戸倉が地下二層から上がってきた。手に、外から当てる板の切れ端を提げている。
「宮ヶ瀬さん。ファイヤーの胴、板を当てました。動きます」
「直っていません。動くだけです」
宮ヶ瀬佳代は逆から言う。出来ていることを先に言わない。
「合体は出来ます。撃てません。撃つと、当てた板の方が先に外れます」
言ってから、盤の隅へ札を一枚出した。札には、撃たない、とだけ書いてある。
この札が盤に出るのは、三年で初めてになる。書いたのは宮ヶ瀬で、書いた理由は誰にも言っていない。
須永が受信席の後ろから顔を出した。手に、市の建築課から届いた紙を持っている。
「東雲台の三号棟、昇降機の型式が古いです。非常の呼び出しは、管理室にしか繋がりません」
「管理室は」
「十八時で閉まります。今は誰もいません」
「呼び出しは、何処へ回る」
「回りません。鳴るだけです。鳴りっぱなしのまま、朝まで鳴ります」
誰も何も言わなかった。中の三人は、備え付けの呼び出しを押していない。押していたら、押した先で鳴り続けていた。
押さずに、一一九へ掛けた。それだけの違いになる。
備え付けの呼び出しは、押せば鳴る。鳴った先に人がいるかどうかは、押した側には見えない。見えないまま押して、返事を待つ形になる。
待っている間、籠は止まったままになる。
*
澪が図面を机へ広げた。広げてから、東雲台の三号棟に指を置いた。
「丘の上一丁目、東雲台三号棟。五階建て、昇降機一台。停止したのは三階と四階の間です」
「間」
「床の高さが合っていません。上の階の床まで、六十センチあります」
「アンサー」
> ── はい。
「この型式の、扉の開け方を」
> ── 手動の解錠が、各階の扉の上に一つずつ付いています。……三号棟の点検の記録は、二年前で止まっています。
「呼び出しの線は」
> ── 管理室へ入っています。管理室から外への転送は、設定されていません。
「四つの子は」
> ── わかりません。
アンサーは、分からないことを分からないと言う。三年、そこだけは変わらない。
久遠寺が短く訊いた。
「上か、下か」
「上です。四階の扉から開けて、六十センチを引き上げます。下から抜くと、籠の下へ人を通すことになります」
澪はそこで一度、図面の縁を指で押さえた。押さえたのは、線を引く前の癖になる。
「座標、出た」
*
地下二層のポールを、迅が最初に下りた。二段飛ばしで踊り場を抜けて、下りきる前に走りはじめる。アンサーは一段ずつ下りる。三年、この対比が変わらない。
「発進」
合図は整備班が出す。六人ではない。
ファイヤーは、板を当てたまま出た。当てた場所に、佐波が朝に締めた金具が並んでいる。
丘の上一丁目は、坂の上まで道が細くなる。東雲台は昭和の終わりに建った五棟で、三号棟だけが道から一段低い場所にある。
一段低い分、消防車を横付け出来ない。車は坂の途中で止めて、そこから広場まで四十メートル歩くことになる。
四月の夕方は、その四十メートルの間にもう一度明るさが変わる。棟の影が長くなって、広場の半分だけ先に暗くなっていた。
三号棟の前には、住人が七人集まっていた。夕方の時刻で、勤めから帰ってきた人が多い。買い物の袋を提げたままの人が三人いる。
七人とも、籠の止まっている位置を見ていた。外からは見えない。見えないので、階を数えている。
「四階です。上の階に、うちの子がいて」
言ったのは三十くらいの女で、上を指した。指した先は籠の止まっている位置ではなく、四階の廊下になる。
「お子さんは、四階のお部屋ですか」
「いえ、乗ってる方です。私は下にいて、先に降りたので」
ひかりが女の前へ回った。回ってから、女の目の高さに合わせる。
「お名前を教えてもらえますか」
「あかりです。四つです」
「あかりちゃんですね。今から扉を開けます。届く場所まで行ったら、呼んでもらいます」
母親は頷いた。頷いてから、上着の袖を握った。握った指が、そのまま動かない。
四階の廊下は、外に面している。扉の上に、鍵穴のような小さい口が一つあった。手動の解錠になる。
この口は、外から開けるためのものになる。中からは開かない。中にいる人が押すのは、備え付けの呼び出しだけになる。
寺尾が扉の前で膝を突いた。突いてから、扉の下の隙間へ指を入れる。
「まあ待て。ここは六十センチだ。開けてすぐ引くと、足が落ちる」
二文で言って、ハンマーの柄を扉の枠へ当てた。当てた場所を、体重で押さえる。
迅が解錠の口へ鉤を差し込んだ。差し込んでから、回さずに引く。
鉤は引くための形になる。差し込んで回す形ではない。回すと、口の中の金物が先に折れる。
「鉤!」
引いた分だけ、扉が二センチ開いた。開いた隙間から、中の光が出てくる。
中では、三人が籠の奥に寄っていた。四つの子は床に座っている。座らせたのは、通報した男になる。
男は、自分の上着を子どもの下へ敷いていた。籠の床は金属で、四月でもまだ冷たい。
敷いてから、自分は膝を突いたままでいる。三人とも、扉の側へは寄っていなかった。
「開けます。動かないでください」
扉が横へ滑った。滑った先で、床の段差が見えた。上の階の床が、籠の天井の高さに近い。
六十センチの段差は、大人なら手を掛けて上がれる。四つの子は上がれない。
籠が、そこで一度下がった。
下がったのは、二センチだった。二センチ下がって、そこで止まる。
止まった音が、竪穴の下から返ってきた。返り方が長い。五階分の竪穴が、そのまま筒になっている。
筒の底には、外れた金具が溜まっていた。溜まりはじめたのがいつかは、誰も知らない。
「トリアージ」
迅が左手首の蓋を跳ね上げた。ブレスが色を出す。
> 判定 ── 黒。要救助者、内部に確認できません。
「急報 ── 出場!」
> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。
> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。
五人が同時に上がった。上がった先は、四階の外廊下になる。
迅は右手を耳の高さへ上げた。掌を外へ向ける。四人が続けた。
廊下は幅が一メートル二十しかない。五人が並ぶと、手すりへ背が付く。
> 水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!
> 声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!
> 綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!
> 梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!
> 息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!
>
> 特別災害対策機構、第七支部 ──
> 呼ばれたら、鳴らして、行く!
> 急報戦隊、サイレンジャー!
声は外廊下から下の広場へ落ちた。落ちた先で、住人の七人が同じ方を向く。
> ── 回線、残り 二本。
竪穴の中で、鋼索が鳴った。一本ではなく、四本が同時に鳴っている。
鳴った鋼索が、籠から外れて上へ伸びた。伸びた先は、屋上の巻き上げ機になる。
巻き上げ機は、この型式では屋上に置かれる。置かれた場所は、五階の天井の上になる。
巻き上げ機の周りの金具が、鋼索に引かれて外れていく。外れた分が、竪穴の中へ落ちた。
蒼汰が手すりの外へ体を出した。
「上、任せろ。鋼索が四本、屋上まで抜けます」
蒼汰が索を投げた。投げた索が、四階の手すりの根元へ巻いた。巻いてから、外廊下の柱へ二重に取る。
留めた索を、籠の床の縁へ回す。回した索が、籠の下がる分を止めた。
寺尾が扉の枠の前へ入った。
「まあ待て。俺が受ける。落とすと下の階の天井が抜ける」
寺尾が扉の枠へハンマーを差し込んだ。差し込んだ柄の上に、籠の縁が乗る。
澪が外廊下の端でソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。
「十二名。籠に三、廊下に五、下の広場に四。鋼索の中は零。撃てる」
撃った。低い音が竪穴を通った。通った音が、下の階で二度返ってくる。
竪穴は上下に長い。長い筒の中では、音が横へ逃げない。逃げない音は、上と下で二度返る。
「返りが下から来ます。竪穴の底に、外れた金具が溜まっています」
迅は扉の隙間から腕を入れた。入れた腕が、四つの子の前へ届く。
「あかりちゃん」
下の広場から、母親の声が上がった。名前を呼ぶ声が、竪穴を通って上まで届く。
子どもが立った。立ってから、迅の腕へ手を伸ばす。
伸ばした手が届く前に、籠がもう一度下がった。今度は五センチだった。
寺尾のハンマーの柄が、そこで受けた。受けた柄が曲がって、それ以上は下がらない。
「上げます」
迅は腕を伸ばしたまま、体を前へ倒した。倒した先で、子どもの脇の下へ両手が入る。
持ち上げるのに、二秒掛かった。二秒の間、寺尾は柄から手を離していない。
曲がった柄は、そのまま使えなくなる。使えなくなる前提で差し込んである。曲げてもよい道具と、曲げてはいけない道具の区別が、この人の中にはある。
子どもの次に、女の人が上がった。最後が、通報した男になる。三人とも、上がった順は籠の中で決めていた。
決めたのは男で、四つの子を先にした理由は言っていない。
「直せますか、って訊いたのは、俺です」
「聞きました」
迅はそれだけ言った。それ以上は言わなかった。
三人が外廊下へ出たところで、籠が竪穴の底まで落ちた。落ちた音が、五階分の筒の中で長く鳴った。
鳴り終わる前に、竪穴の中で鋼索が束になった。束は四階の高さまで上がって、外廊下の扉の口から外へ出ようとする。
出た先には、三人が立っている。上がったばかりで、まだ手すりの手前にいる。
「開いた口から出させません」
澪がソナーの角度を横に変えた。変えた先は、扉の枠の内側になる。
撃った。低い音が枠の内側で止まった。止まった場所で、束の先が細くなる。
「細いところが、枠の内側です。地上から十メートル、扉の高さと同じです」
寺尾がハンマーを持ち替えた。持ち替えたのは、打つ側の面を出すためになる。
迅が扉の枠へ肩を入れた。入れた肩の分だけ、束が枠の内側へ押し戻される。
戻った先に、寺尾の高さが来た。
「サイレンハンマー ── 急救斬ッ!」
柄の先が、細くなった場所を横から打った。打たれた束が、そこで四本に分かれる。
分かれた四本が、竪穴の中へ落ちた。落ちた先で、また鳴りはじめる。
四本は、切れていない。切ると、竪穴の中で暴れる。切らずに分けたのは、そのためになる。
*
鳴り終わったところで、竪穴から鋼索が出てきた。
四本の鋼索が、屋上の縁を越えて外へ垂れる。垂れた先が、三号棟の外壁を伝って下りていく。
下りた鋼索は、地面に着く前に束になった。束は広場の真ん中で立ち上がって、五階の高さで止まらない。
立ち上がる時、束の中で鋼索が入れ替わり続けている。外から見て動いていない場所が、一つも無い。
音は、鋼と鋼が擦れる音だった。一本ずつではなく、四本が同じ拍で鳴る。
広場の隅に、紙を挟んだ板を持った人が立っていた。背は低い。集まっていた住人の数を数えている。
「七名。三号棟から五名。ほかの棟から二名」
誰も訊いていない。
「この街の昇降機は四千二百台です。年に一度の点検を受けているのは、そのうち三千九百台になります」
数字は合っている。この人は嘘を言わない。
「三百台は、動いているうちは誰も見ません。見ない方が、費用が掛かりません」
板の紙が、一枚めくれた。めくれた下にも、数字が並んでいる。
澪はそちらを見た。見て、それから三号棟の壁の点検の札を見た。札には、二年前の日付が入っている。
札は外されていない。外していないので、二年前の日付がそのまま掲げられている。
誰も、そこまでは言わなかった。紙を挟んだ人は、板を下ろして、棟の間へ入っていった。
地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。
「丘の上です。棟が五つ並んでいます。広場の側にしか立てません」
「発進」
合図は整備班が出す。
サイレンファイヤーが広場の南で立った。レスキューが右へ、クレーンが左へ、メディックが右の脚へ、ウイングが背へ回る。
> ── 回線、残り 一本。
下の広場から、住人が見上げていた。あかりの母親が、子どもを抱いたまま動いていない。
三年、この団地の人がこれを見るのは二度目になる。一度目は去年の夏で、その時は棟の反対側だった。
去年見た人のうち、何人がここに残っているかは分からない。分かるのは、今日ここに七人いることだけになる。
サイレンオーの左手は、握ったままだった。開かない。その左手を、迅は三号棟の外壁へ添えた。添えた腕が、壁の代わりになる。
壁の代わりになった腕の外側で、鋼索の束が横へ回った。回る先には、二号棟がある。
右腕が動いた。開く方の掌が、束の腹を横から掴む。掴んだ場所で、鋼が鳴った。
掴んだまま、押さえた。押さえた腕の中で、束が細くなっていく。
胸の放水口は開かなかった。開けば、当てた板が外れる。
「押さえます。撃ちません」
迅の声が、盤へ届いた。理由は付けなかった。
束は、押さえられたまま形を保てなくなった。芯が無いので、掴まれた分だけ薄くなる。
薄くなった鋼索が、四本に戻った。四本が広場の舗装へ落ちて、そこで動かなくなった。
撃たずに終わる形になる。三年で、初めてになる。
押さえて止めるのは、撃つより時間が掛かる。掛かった分だけ、回線が塞がっている。
広場から声が出た。出たのは、拍手ではない。声だった。
蒼汰は外廊下の柱の二重を解いて、索を手繰った。二本とも巻き取りへ収める。収めてから、端を指で一度送る。
*
地下二層で、戸倉がファイヤーの胴の付け根を見ていた。当てた板は、外れていない。締めた金具も動いていない。
「外れませんでした」
「撃たなかったからです」
宮ヶ瀬は工具を置いた。置いてから、それ以上は足さなかった。
須永が受信席の後ろで、建築課の紙を畳んでいた。畳みながら、戸倉に言った。
「三号棟の点検、二年空いています。市には出しました」
「出したら、直るのか」
「出さないと、直りません」
須永は畳んだ紙を、二つに分けた。片方は市へ出した控えで、もう片方は支部に残す分になる。残す分の方が、いつも厚い。
三階の食堂で、寺尾が湯豆腐を出した。四月の椀は、五つ並んだ。伏せてあった鍋は、乾いていなかった。
「洗ってから出ると、こうなる」
寺尾はそれだけ言って、濡れたまま火に掛けた。掛けた鍋の底で、水が先に鳴る。
蒼汰が笑った。笑ってから、自分の索を膝の上へ広げて、また端から端まで指で送りはじめる。
尾花律子は受信席に残った。用紙を綴じて、次の一枚を出す。この日の保留は、一分五秒になる。件数は一件だった。
六人は、この人に礼を言わない。言われる欄も、この用紙には無い。
東雲台三号棟の管理室では、非常の呼び出しが鳴っていない。誰も押していないので、鳴らないままになる。
翌朝、管理の人が出てきて、昇降機が使えなくなっているのを見た。市の建築課へ出た紙は、その日の午後に受け付けられている。
直る日は、まだ入っていない。
> 【第七支部 出場記録】
> 臨場 ── 十八時四十八分。所要 ── 八分。
> 保留 ── 一件。最長 ── 一分五秒。
> 未着 累計 ── 一。
> 損壊 ── 丘の上一丁目 東雲台三号棟 昇降機 全損。四階 扉枠 変形。
> 竪穴 底部 金具 脱落。広場 舗装 一部 剥離。
> 救助 ── 三名。搬送 ── なし。
> 市内 点検の記録が二年以上空いている昇降機 三百台 ── 記録なし。
> 本件、処理 ── 完了。
> ── 入電。




