第051話 また来ました
> 【第七支部 覚知記録】
> 覚知 ── 四月十日 十三時五十二分。
> 入電 ── 一般加入電話。発信地 ── 旧市街 三丁目。
> 第一声 ──「また来ました」
> 出場 ── 第七支部 全隊。
「また来ました」
尾花律子は用紙を引き寄せた。時刻を分まで書く。秒は書かない。何が来たのかは、まだ書かない。
「はい、鳴瀬市消防指令センターです。今おられる場所を教えてください」
「旧市街の三丁目です。岩瀬といいます。去年、焼けた家の隣で」
尾花の右手が止まった。止まったのは、書く欄を選ぶ分になる。去年の四月に、この番地から一本だけ電話が来ている。その一本は、三秒に足りなかった。
「わかりました。今、何が見えていますか」
「更地です。去年焼けたあと、ずっと更地で。そこに置いてあった足場の材が、勝手に立ってます」
「けがをした方はいますか」
「まだいません。でも、うちの物置がもう倒されて。隣の三軒、みんな年寄りです」
尾花は用紙の右の欄へ、旧市街三丁目、更地の資材、木造密集、と書いた。三つ並ぶと、持っていくものが決まる。
三つ目の欄を書く時、この人は一度だけ手を止める。止まる長さは、いつも同じになる。
「わかりました。今、隊が出ます。岩瀬さん、路地の東の口から出てください。西は狭くて、車が入りません」
「東は、もう倒れた材で塞がってます」
「では、家の中で、道に面していない方の部屋へ移ってください。二階があるなら二階です」
「わかりました。また来ました、って、言ってしまって」
「そのままで結構です。次にお隣へ回れますか」
声が返ってきた。返ってきた声は、隣の家の名を呼びながら遠ざかっていく。呼ぶ声の間隔が、だんだん短くなる。
尾花はそこで秒を書いた。この日、初めて秒を書いた。書いてから、回線の枠を見た。八つのうち、光っているのは一つになる。
去年の同じ月の同じ番地から来た電話は、一本だった。今日も、まだ一本になる。
一本しか来ないのは、見えていないか、見えていて誰も呼ばないかのどちらかになる。この区画では、三年で四度あった。
*
十三時五十二分の三階には、六人ともいた。年度の替わった週で、当直の表がまだ鉛筆のままになっている。
武藤とうふ店は七時十分に置いていく。四月は五丁に戻った。三月だけ六丁で、四月から一丁減る。理由は誰も訊いていない。
三年、この店の時刻は五分と違ったことがない。違ったのは去年の四月に一度だけで、その日は正面が工事で通れなかった。
冷蔵庫の下の段は、この店の分だけ空けてある。誰が決めたわけでもない。三年、そうなっている。
六丁目に挟んであった紙は、棚の上に残っている。一か月経って、まだ読めていない。
寺尾剛は湯を張った鍋の前にいた。張るのは早い。食べるのはいつも最後になる。
「まあ待て。四月は五丁だ。三月の六丁で慣れたところに、一丁減る」
二文で言って、鍋の縁の欠けた場所を上へ向けた。三年、この置き方が変わっていない。欠けたのは二年前で、欠けた理由も言っていない。
灰谷蒼汰は索を膝の上へ広げて、端から端まで指で送っていた。三年、出る前に必ず一度やる。
「四本です。四月は風が回るので、結びを一つ増やします」
言いながら、二本目の中ほどで指を止めた。塩を吸った場所は、洗っても色が戻らない。
七尾ひかりは酸素の残りを見ていた。見てから、七つ数えた。七つ数えて、七つで戻った。数え終わってから袋を閉じて、口の紐を短く結ぶ。
逢坂澪は受信席の裏で、去年の四月の記録を出していた。同じ月の同じ区画の紙が、一年分だけ前にある。
紙の上には、去年の四月九日の欄がある。第一声の欄には、もしもし、と書いてあった。
その下の欄は、三秒に足りない。掛けた人が何を言おうとしたかは、その用紙に無い。
澪はその欄を、指で押さえなかった。押さえないで、日付だけを見ている。
澪はその紙を、机の左の端へ寄せた。寄せた場所には、付箋の束がある。十三枚になっている。
十三枚目には、丘の上三丁目、と書いてあった。書いたのは二週間前で、それから一枚も増えていない。
火群迅は自販機の前にいた。一番下の段を押す。理由を言ったことがない。缶を取って、指の腹で口を一度拭いてから開ける。
久遠寺修司は掲示板の前に立っていた。未着累計の欄には、一と書いてある。
三月の終わりに書き換わってから、二週間になる。誰も欄を見ない日は、まだ一日も無い。
本部からは、この二週間で紙が二枚来ている。二枚とも、机の抽斗に入ったままになる。
「四月だな」
訊いたのは久遠寺で、答えたのは寺尾になる。
「四月です。去年と同じ月に入りました」
覚知の音が鳴った。鳴った音の下で、寺尾が火を落として蓋をする。
鍋の中には、五丁のうち三丁が残っていた。残した三丁は、戻ってから食う分になる。
三年、この人は出る前に鍋を空にしたことがない。空にすると、戻ってから作り直すことになる。
宮ヶ瀬佳代が地下三層から上がってきた。手に、細長い箱を二つ提げている。
「ファイヤーは出せません。胴の付け根が、まだ直っていません」
逆から言う人になる。出来ていることを先に言わない。
「合体の出来ない分を、こちらで埋めます。埋まりません。埋まる形で作れませんでした」
箱の一つを卓へ置いた。置いた箱の中に、共通武器の柄が五本入っている。
五本とも、今まで使っていた柄になる。新しく作ったのではない。分解して、中へ一段足して、また組んである。
だから重さが変わらない。持った手が、違うものを持ったとは思わない。
柄の下に、金具が一つ足してあった。今までの二形態の外側に、もう一つ噛む場所がある。
足した金具は、後から付けたものになる。色が本体と合っていない。合わせる時間が無かった、とは言わなかった。
「サイレンギア・改です。新しくは作っていません。柄に一段、足しただけです」
「三つ目は」
訊いたのは迅になる。返した宮ヶ瀬の答え方は、いつも通り短い。
「鉤です。引くための形になります。押す形と割る形は、これまで通りです」
迅は柄を受け取って、その場で一度、半回転させた。噛む音が二度した。二度目は、今までに無い音になる。
音を確かめてから、元へ戻した。戻す時も、同じ音が二度する。
もう一つの箱は、宮ヶ瀬が卓へ置かなかった。床へ下ろした。中身が重い。
「重装です。背に円筒を二本背負います。空気を持っていける形になります」
「何分持つ」
訊いた迅へ、宮ヶ瀬が箱の側から答えた。
「四十分です。ただ、遅くなります。走る速さが三割落ちます」
箱の中の円筒は、一本が人の腕ほどある。持ち上げると、腰から先に力が要る。宮ヶ瀬は一本を床へ立てた。
「重いです。重い分だけ、中にいられます」
宮ヶ瀬はそこで一度、言葉を切った。切ってから、逆の側から言い直した。
「それと、回線を二本使います。一人につき二本です。回線を減らす改造は、まだ出来ません」
誰も何も言わなかった。八本のうち、五人が変身すれば五本になる。そこから一人が重装へ換える度に、一本ずつ余分に減る。
「二人までです。三人目を入れると、街の側が零になります」
零になると、掛けた電話が鳴らない。鳴らない電話は、掛けた側からは掛かっているように見える。
「三人目を止める仕掛けは」
「付けていません。止めるのは、道具ではありません」
佐波悠が階段の下から上がってきた。工具箱を提げたままになる。
「宮ヶ瀬さん。円筒の背負い紐、詰めました」
「詰めただけです。走って外れない紐は、まだ作れていません」
*
澪が地図を出した。出してから、旧市街三丁目に指を置いた。
「旧市街三丁目。去年の四月に焼けた区画です。跡地は更地のまま。建て直しの届出は出ていますが、着工していません」
「材は」
「単管と足場板が、更地に積んであります。去年の秋から。今日は、それが立っています」
「積んだのは」
「建て直しを請けた会社です。着工の日が二度延びて、二度目からは日が入っていません」
地図の上で、指が路地をなぞった。路地の幅は一間半しかない。
「アンサー」
> ── はい。
「三丁目の路地に、車の入れる口を」
> ── 東と西の二つです。東は幅二メートル四十。西は一メートル八十になります。……西は、消防車の幅に足りません。
「東は」
> ── 今、倒れた材で塞がっています。
「中の家は」
> ── 八軒です。四軒に高齢の方が住んでおられます。……何名おられるかは、わかりません。
アンサーは、分からないことを分からないと言う。三年、そこだけは変わらない。
久遠寺が短く訊いた。
「入る手は」
「歩いてです。車は東の口の外に置きます。そこから路地の奥まで、六十メートルあります」
「戻る手は」
「同じ道になります。他にありません」
六十メートルを、担いで戻ることになる。四軒に年寄りがいて、何人いるかは分からない。
去年の四月に、同じ路地の奥から一人を出した。その時は、外まで四十八秒掛かっている。掛かった秒数は、澪の紙にだけ残っていた。
担架は路地へ入らない。入らないので、背負って出ることになる。背負って六十メートルを歩くと、一人につき四十秒掛かる。
四人なら、二分四十秒になる。数えているのは澪だけになる。
澪はそこで一度、地図の縁を指で押さえた。押さえたのは、線を引く前の癖になる。
「座標、出た」
*
地下二層のポールを、迅が最初に下りた。二段飛ばしで踊り場を抜けて、下りきる前に走りはじめる。
スロープの手前で、宮ヶ瀬が二つ目の箱を開けていた。円筒が四本並んでいる。
「二人までです」
言ったのは宮ヶ瀬で、選ぶのは六人になる。二人を選ぶと、残りの三人は普通の装甲のまま外にいることになる。
外にいる三人が、六十メートルの出口を受け持つ。中へ入る二人は、出口を持たない。
「俺と寺尾さんだ」
迅がそれだけ言った。理由は付けなかった。
寺尾は返事をしない。返事の代わりに、円筒を二本、自分で肩へ回した。回してから、紐を一度引いて締める。
「発進」
合図は整備班が出す。六人ではない。
ファイヤーは車庫に残った。残った場所に、佐波が板を一枚立てかけている。
レスキュー、クレーン、メディックがスロープを上がった。ウイングは屋根の口から出て、旧市街の上で高度を落とす。
四台になる。三年、五台で出ていた。
旧市街三丁目の東の口には、単管が扇の形に倒れていた。倒れた材の向こうで、路地が奥まで見えている。
路地の中ほどで、更地の位置だけが明るい。一年前に家が一軒無くなって、そこだけ空が見えるようになった場所になる。
両隣は残っている。焼けたのは一軒だけで、その一軒だけが更地になった。
更地の周りには、白い杭が四本立っている。境界の杭で、去年の秋に打たれたものになる。
杭のうち一本には、細い紐が結んであった。結んだのは隣の家の人で、洗い物を干すためになる。更地は、一年で少しずつ隣の家の側へ使われはじめている。
空の見える場所から、単管が立ち上がっていた。立った高さは二階の屋根を越えて、そこで横に太くなる。
太くなった腹から、細い材が路地の両側へ伸びていく。伸びた先で、隣の家の壁を押した。
押された壁が、内側へ歪む。歪んだ壁は、木造の古い家の壁になる。
この路地の家は、どれも六十年より古い。柱が細くて、壁が薄い。薄い壁は、押されると先に鳴る。鳴ってから歪む。
歪んだところで、まだ抜けてはいない。
「岩瀬さん」
ひかりが東の口から声を掛けた。路地の奥から、返事があった。
「二階です。三軒、来てもらいました」
「わかりました。窓は開けないでください。今から入ります」
「開けないで、どうやって出るんですか」
「外から開けます。私たちが桟へ手を掛けてから、そこで開けてもらいます」
岩瀬タキは分かった、と返した。返してから、後ろの三人へ同じことを言い直している。言い直す声の方が、電話へ向けた声より大きい。
東の口の前には、車を寄せられる場所が一つしかない。そこにレスキューを置くと、次に来る車が入れなくなる。
置いたのは蒼汰で、置いてから車体の後ろを一度見た。見た先に、まだ空いている幅が二メートルある。
迅が単管の扇へ手を掛けた。掛けた手を、そのまま押し下げる。
押し下げた分だけ、口が広がった。広がった幅は、人が二人並べる幅になる。
広げた材を、迅は路地の外へは出さなかった。出すと、車の通る道を塞ぐ。塞げば、救急が入れない。
「トリアージ」
迅が左手首の蓋を跳ね上げた。ブレスが色を出す。
> 判定 ── 黒。要救助者、内部に確認できません。
「急報 ── 出場!」
> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。回線、確保。
> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。回線、確保。
五人が同時に上がった。上がった先は、路地の東の口になる。
迅は右手を耳の高さへ上げた。掌を外へ向ける。四人が続けた。
路地は一間半しかない。五人が横に並べないので、前に二人、後ろに三人になる。
> 水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!
> 声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!
> 綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!
> 梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!
> 息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!
>
> 特別災害対策機構、第七支部 ──
> 呼ばれたら、鳴らして、行く!
> 急報戦隊、サイレンジャー!
声は路地の奥へ入った。入った先の二階の窓で、一つだけ雨戸が開く。
> ── 回線、残り 三本。
迅がギアの柄を半回転させた。噛む音が、単管の擦れる音の下から出てくる。
半回転で止めずに、そのままもう半分回した。今までの二つの向こうで、金具がもう一度噛む。
「鉤!」
柄の先が、鉤の形になった。先の内側が曲がっている。
迅は路地の壁を押している細い材へ、鉤を掛けた。掛けてから、引く。
引いた材が、壁から離れた。離れた分だけ、歪んだ壁が戻る。
寺尾が横へ回った。
「まあ待て。俺が支える。壁は押し返さん。押し返すと柱が抜ける」
寺尾がハンマーを路地の敷石へ立てた。柱を三本、歪んだ壁の下へ打ち込む。
二文で言って、三本の頭を壁の側へ向けた。壁は、押されないまま止まった。柱の足元は路地の敷石で、打ち込んだ場所に石が一枚割れている。
「上、任せろ。二階の窓、四つ開けます」
蒼汰が索を投げた。投げた索が、二階の庇の桁へ巻いた。巻いてから、東の口の電柱へ二重に取る。
留めた索を伝って、蒼汰が二階の高さまで上がる。上がった先の窓を、外から順に開けた。
開ける前に、内側の人へ一度、窓の枠を指で叩いて知らせる。叩く数は二回で、三年、この数が変わらない。
路地の中では、音が上へ抜けない。両側の家の壁が高くて、天井のある廊下に近い形になる。
澪が東の口でソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。
「九名。二階に四、一階に一、路地に四。材の中は零。撃てる」
撃った。低い音が単管の束を通った。通った音が、路地の両側の壁で二度返ってくる。
「返りが二重です。壁が薄いです。ここで撃つと、家の方が先に落ちます」
撃てる、と言ってから、撃たない理由を言った。
「なら、撃たん」
迅の返事は短い。理由は付けなかった。
迅は鉤を材へ掛け直した。掛けてから、引く。引いた分だけ材が路地の真ん中へ寄る。
鉤は、引くための形になる。押す形でも、割る形でもない。壁を割らずに、壁から離すだけの動きになる。
三年、この隊には引くための形が無かった。
押して割る道具しか無い場所では、壊さずに助ける方法が減る。減った分は、人の手で埋めてきた。
寄せた材を、寺尾が柱で受けた。受けた場所は、家の壁から半歩離れている。
半歩の分だけ、家が助かる。
二階の窓から、人が出てきた。
岩瀬タキが最初に出た。七十二になる。窓の桟へ足を掛けて、蒼汰の索へ体を預ける。
続いて三人。四人とも七十を越えている。
降りるのに、一人あたり五十秒近く掛かった。急がせない。急がせると、桟で足が滑る。
「息、返すよ」
ひかりが路地で受けた。受けてから、七つ数えた。七つ数えて、七つで戻った。
路地は六十メートルある。担架は入らない。歩ける人は歩いて、歩けない人は背負って出ることになる。
四人のうち、二人は歩けた。一人は蒼汰が背負って、もう一人は寺尾が背負った。
背負われた側は、どちらも自分の履物を手に持っていた。持っていくものを自分で決める人は、途中で下ろせと言わない。
「一階に、まだ一人います」
澪の声が届いた。
「奥から二軒目です。動いていません」
迅は東の口から路地の奥を見た。奥は煙で見えない。単管が擦れて出た粉が、路地の中を満たしている。
粉は錆と塗料で、去年の秋から外に置かれていた分だけ細かくなっている。細かいものほど、下へ落ちない。
粉は熱くない。熱くないが、吸うと肺が詰まる。
「重装 ── 換装!」
迅の背に、円筒が二本立った。装甲の外へ、もう一枚が被さる。
寺尾も続いた。二人ぶんで、四本になる。
> ── 回線、残り 一本。
残りが一本になった。八つの枠のうち、七つが光っている。
迅が走った。走る速さが、いつもより落ちている。三割落ちる、と聞いた通りに落ちた。
背の円筒が肩の後ろで揺れて、揺れた分だけ体が前へ行かない。走り慣れた歩幅が、途中で一度崩れる。
崩れた歩幅を、迅は直さなかった。直すのに掛かる時間の方が長い。
六十メートルを、十九秒で走った。いつもは十三秒になる。
奥から二軒目の戸を、寺尾が肩で外した。外した戸を、路地へ立てかける。
中は暗い。粉が入って、床の上に薄く積もっている。
窓は閉まっていた。閉めたのは中にいる人で、閉めたから粉の入りが遅れている。
閉めてから電話まで歩いた跡が、床に一本だけ残っていた。戻った跡は無い。
積もった粉の上に、足の跡が一つあった。跡は台所の方へ向かっている。
台所の床に、男が座っていた。八十くらいで、電話の受話器を握っている。
受話器は、壁の一般加入電話のものになる。線は繋がったままだった。
「掛けたんだ」
男がそう言った。
「掛けた。ちゃんと掛けた」
「はい」
迅は膝を突いて、男の腕の下へ肩を入れた。入れてから、円筒の面を男の口の側へ回す。
円筒は四十分持つ。二十分は自分の分で、残りを人へ回せる形になっている。回す口が一つ付いていて、その一つは背中側ではなく胸の側に付いていた。
付ける場所を胸にしたのは、担ぐ時に相手の顔が肩の上へ来るからになる。宮ヶ瀬はそれを言っていない。
「息だけ、こっちへ」
男は受話器を離さなかった。離さないまま、迅の肩へ体を預けた。
線が引っ張られて、途中で外れた。外れたのは受話器の側ではなく、壁の差し口の側になる。
外れた受話器を、寺尾が拾って卓の上へ戻した。
戻す時に、受話器の口の側を上へ向けた。三年、この人の癖になる。
路地を戻る間、男は何も言わなかった。言わないまま、握っていた手だけが開いている。
六十メートルを、担いで戻った。戻るのに三十四秒掛かっている。
行きが十九秒で、帰りが三十四秒になる。背負った分だけ遅い。遅い分は、この人が全部持っている。
重装は、走るためのものではない。着いてからの時間を買うためのものになる。
路地の東の口で、五人が全員出たのを確かめた。
岩瀬タキが、担がれてきた男の名を呼んだ。
「片桐さん。片桐さん、来たよ」
男は答えなかった。答えないが、目は開いている。
岩瀬タキは、それ以上呼ばなかった。呼ばないで、男の手の甲へ自分の手を置いた。
ひかりが酸素を当てた。当ててから、七つ数えた。七つ数えて、八つで戻った。
八つは、七つより一つ多い。多い分を、ひかりは数え直さない。数え直すのは、戻らなかった時だけになる。
更地の材が、そこで動いた。
路地の両側から離れて、更地の真ん中へ集まる。集まった数は、積んであった分より多い。
去年の秋から置かれていた材の他に、路地に落ちていた古い樋と、物置の骨組が混ざっている。
塊は、去年家が建っていた場所の形に沿って立ち上がった。立った高さが、二階の屋根を越えて、そこで止まらない。
立ち上がった形は、家の形をしていない。柱の並びだけが、家の柱の並びと同じになる。
東の口の外に、男が一人立っていた。作業着の袖をまくって、腕に古い傷がある。
「他人の手は、借りるな」
誰にも向けていない。言ってから、自分の腕の傷を指の腹で押さえた。
押さえた指を、自分で巻いた包帯の上へ置く。巻き方は、片手で巻いたものになる。
巻き終わりが、留めてない。留めなくても解けない巻き方をしている。
迅はそちらを見なかった。見ないで、更地の方を見ている。見ている先で、材がもう一度動いた。
*
地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。
「旧市街です。路地に入れません。更地の上にしか、立てる広さがありません」
「発進」
合図は整備班が出す。
ウイングが先に高度を落とした。レスキューが東の口の外で止まり、クレーンが更地の縁へアウトリガーを張る。
四本目が半拍遅れる。三年、この癖は直していない。
ファイヤーは車庫にある。胴と頭が来ないので、四台は組み上がれない。
三年、この四台は五台目を待つ形で並んできた。今日は待つ相手が来なかった。
路地の中からは、四台の姿が上半分しか見えない。両側の家の屋根が高くて、車体の下は隠れている。
クレーンのアームが伸びた。伸びた先が、立ち上がった塊の腹へ掛かる。
掛けたまま、押さない。押すと路地の家へ倒れる。
レスキューが東の口から放水した。水は塊へは当てない。路地の敷石を濡らして、粉を落とすためだけに出している。
メディックの後扉が開いて、四人が乗った。乗せてから、ひかりが扉を閉める。
ウイングが上から見ている。見ているだけで、降りない。降りる場所が無い。
合体の音が、一度も鳴らなかった。
三年で、初めてになる。
更地の広さは、家一軒分しかない。四十メートルの機体は、そこに立てない。だから四台は、更地の外側を囲む形で止まっている。
塊が、クレーンのアームを外した。外して、更地の外へ足を出す。
出した先には、岩瀬タキの家がある。
「鉤!」
迅が路地の中から鉤を投げた。投げた鉤が、塊の足の付け根の一本へ掛かる。
掛けてから、引かなかった。引く代わりに、鉤の柄を路地の敷石へ差し込む。
差し込んだ柄が、支点になった。塊の足が、そこから先へ出られない。
寺尾が重装のまま、その柄の上に立った。立った体重の分だけ、柄が下まで入る。
重装は装甲が一枚多い。多い分だけ重い。重い分が、そのまま柄へ乗る。
「まあ待て。俺が乗る。抜けるなら、俺ごとだ」
二文で言って、動かなかった。
蒼汰が索を二本、塊の腹へ回した。回してから、更地の反対の縁の電柱へ取る。
「上、任せろ。二本で締めます。三十度」
留めた索が張った。張った先で、塊の傾きが止まる。
澪が更地の縁でソナーを構え直した。
「四名。路地に二、更地の縁に二。中は零。ここなら撃てる」
撃った。低い音が塊の腹を通った。通った音が、下から三分の一のところで薄くなる。
「下から三分の一です。去年の材と、今年の材の継ぎ目になります」
継ぎ目は、地上から四メートルの位置にある。
迅が重装のまま走った。走る速さは、三割落ちたままになる。
落ちた速さで、クレーンのアームを踏んで上がった。上がった先に、継ぎ目がある。
「サイレンアックス ── 急救斬ッ!」
刃が、継ぎ目を横から断った。
断たれた塊が、更地の上へ落ちた。落ちた先は、路地の側を外れている。
外れた先には、レスキューが止まっている。車体の屋根へ、材が三本乗った。乗っただけで、へこまない。
落ちた材が、去年家が建っていた場所へ広がった。広がった形は、更地の形と同じになる。
白い杭は、四本とも立っている。倒れた材は、杭の外へは一本も出なかった。
更地は、更地のまま残った。建て直しの日が入るかどうかは、この隊の決めることではない。
蒼汰は電柱の二重を解いて、索を手繰った。二本とも巻き取りへ収める。収めてから、端を指で一度送る。
*
地下二層で、佐波がファイヤーの胴の付け根を見ていた。板を一枚当てて、外から締めてある。
「明日には、動くようにします」
「動くだけです。撃てる形には、まだ出来ません」
宮ヶ瀬は工具を置いた。置いてから、それ以上は足さなかった。
梅木あかねが盤の前で、四機の並びを見直していた。一号の欄だけ、札が掛かったままになる。
札には、日付と、噛んだ場所の名だけが書いてある。直す順番の欄は、この札に無い。
「四台で出た日は、戻る順が変わります。書き直しました」
「明日には要らなくなります」
「今日は要りました」
三階の食堂で、寺尾が湯豆腐を出した。四月の椀は、五丁ぶんになる。
背負った円筒の跡が、二人の肩に残っていた。紐の跡で、赤くなっている。
寺尾は自分の肩へ、湯を絞った布を当てた。当ててから、迅の方へもう一枚出す。出した布は、受け取られないまま卓に残った。
迅は自分の肩を見なかった。三年、この人は自分の怪我を言ったことがない。
言わないので、誰も手当てをしない。手当てをするのは、言われた場所だけになる。
尾花律子は受信席に残った。用紙を綴じて、次の一枚を出す。
綴じた束は、四月の一枚目になる。去年の四月の束は、机の下の段にある。同じ厚さの紙が、一年ぶん間に挟まっている。
この日の保留は、二分二十秒になる。件数は三件になった。
三件のうち二件は、旧市街の外からの通報だった。同じ時刻に、別の場所で別のことが起きている。
二件とも、待たせた後で繋がった。繋がってから、市の側の隊が出ている。書式には、そこまでは書かない。
書くのは、待たせた秒数と、その件数だけになる。待たせた先で何が起きたかの欄は、この用紙に無い。
三件は、三年で一番多い。
用紙の所要の欄には、十二分と書いてある。前の週は九分だった。
三分の差は、路地を歩いた分と、重装で走った分になる。欄の中では、その区別が付かない。
六人は、この人に礼を言わない。言わないまま、次の当直に入る。
片桐という男は、その夜のうちに息が落ち着いた。翌朝には、自分で座れるようになっている。
搬送の記録に残るのは、粉塵、の二文字だけになる。
片桐という男の受話器は、卓の上に戻してある。線が外れているので、掛からない。
それでも、口の側が上を向いている。向けたのは寺尾で、そのことを本人は言っていない。
> 【第七支部 出場記録】
> 臨場 ── 十四時四分。所要 ── 十二分。
> 保留 ── 三件。最長 ── 二分二十秒。
> 未着 累計 ── 一。
> 損壊 ── 旧市街三丁目 更地 積置資材 全面 崩落。路地 東口 舗装 一部 剥離。
> 物置 一棟 全壊。二軒 外壁 変形。
> 救助 ── 五名。搬送 ── 一名(粉塵)。
> 市内 着工していない焼失跡地 九か所 ── 記録なし。
> 本件、処理 ── 完了。
> ── 入電。




