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急報戦隊サイレンジャー ~呼ばれたら、行く。呼べないなら、見つけに行く~  作者: 智珠
第三巻

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第045話 わからないの

> 【第七支部 覚知記録】

> 覚知 ── 二月二十日 七時三十分。

> 入電 ── 固定電話。発信地 ── 丘の上 二丁目。

> 第一声 ──「わからないの」

> 出場 ── 第七支部 全隊。


「わからないの」


 尾花律子は用紙を引き寄せた。時刻を分まで書く。秒は書かない。何が分からないかは、まだ書かない。


「はい、鳴瀬市消防指令センターです。お名前を教えてください」


「成田です。成田きぬ。あの、わからないの。どこも痛くないの」


 尾花は書いた。丘の上二丁目、独居、症状不明。三語で足りる。書いた紙を、左手で当直の側へ半分だけ送る。


「成田さん。分からない時に掛けてもらうのが、一番早いです。今からいくつか訊きます」


「はい」


「成田さん。いつから、いつもと違いますか」


「起きた時から。六時ごろ」


「成田さん。今、座っておられますか。立っておられますか」


「座ってます。立ったら、ちょっと」


 尾花の右手が止まった。止まったのは、書く欄を選ぶ分になる。


「成田さん。両方の腕を、前へ真っ直ぐ上げてもらえますか。上げたまま、五つ数えてください」


 通話の向こうで、数える声がした。三つ目で、声が途切れた。


「右が、下がってきちゃう」


 尾花は用紙の右の欄へ、起床時発症、右上肢下垂、と書いた。二つ並ぶと、送る先が決まる。


「成田さん。今から言う言葉を、そのまま言ってもらえますか。今日はいい天気です」


「きょうは、いい……てんき、です」


 途中で、一度止まった。止まった場所が、真ん中になる。


「成田さん。ありがとうございます。もう一つだけ、鏡か、窓に映る顔が見えますか」


「見えます。台所の窓」


「成田さん。笑ってみてもらえますか。口の両側が、同じ高さに上がるかどうかを教えてください」


「……右が、上がらない」


 尾花は三つ目を書いた。右顔面下垂、と書いて、そこで手を止めた。


 三つ揃った。三つ揃うと、この用紙は救急の側へ回る。


「成田さん。今から、そのまま座っていてください。立たないでください。歩かないでください」


「はい」


「成田さん。玄関の鍵は、開いていますか」


「閉まってます。開けに行きます」


「成田さん。行かないでください。鍵は、こちらで開けます。座ったままでいてください」


「動かないの」


「動かないでください。この電話も、切らないでください」


「切らない」


 用紙の一番下に、背後の音を書く。時計、湯、鳥。三語になる。


 湯の音は、薬缶が沸いている音になる。火は、まだ点いている。


「成田さん。台所の火が点いていたら、届く場所にあるなら止めてもらえますか。届かないなら、そのままで構いません」


「届きます。止めます」


 止めた音がした。それから、椅子の軋む音がした。歩いた音は、その間に一度も入っていない。


 座り直した音になる。


*


 七時三十分の三階は、豆腐が届いたところだった。


 武藤とうふ店は七時十分に置いていく。五丁ある。二月も五丁のままになる。


 寺尾剛が笊を出して、五丁を移した。移してから、角を確かめる。


「班長、来月から四丁ですか」

「三月からだ。まだ二月が八日ある」


 二文で言って、笊をもう一枚出した。


 寺尾は移し終えてから、当直の表の前へ行った。行って、鉛筆で自分の名を二つ書き足した。


 書き足したのは、来月の第二週と第四週になる。どちらも、もともと別の人の当番だった週になる。


 書き足した理由は、書いていない。表には理由を書く欄が無い。無い欄は、毎月そのまま刷られてくる。


 灰谷蒼汰は索を膝の上へ広げて、端から端まで指で送っていた。三年、出る前に必ず一度やる。


「四本です。二月は風が多いので一本増やしました」


 七尾ひかりは、救急の側の袋を前へ出していた。二月の後半から、この袋の出番が増える。


 寒い日の朝は、起きた時に何かが起きていることが多い。夜の間に、体の中の水が減る。


 減った分は、朝に一度で戻らない。戻らないまま起き上がると、体のどこかが遅れる。


 火群迅は非常階段の一番下にいた。手の甲を鉄の手すりへ当てて、そのまま止めている。


 鉄が冷たい。ただし、風が強い。強い風の日は、数字より冷たく感じる。


 逢坂澪は受信席の斜め後ろに立っていた。手にはコーヒーがある。砂糖も牛乳も入っていない。


 この日の風速を見ていた。西北西の十四メートル、最大二十四になる。


 二月の風は、十一月の風より上を吹く。地面の近くではなく、屋根より上を通っていく。


 通った先で、高いものだけが受ける。低いものは、あまり動かない。


 戸倉が地下二層から上がってきた。手に工具を提げている。


「宮ヶ瀬さん。メディックの後扉、蝶番を替えました」


「替えました。ただし、替えると閉まりが硬くなります。柔らかいまま長持ちするものを、まだ作れていません」


 宮ヶ瀬佳代は逆から言う。出来ていることを先に言わない。


 梅木あかねが盤の前で、五機の並びを一度見直した。


*


 分析に入ると、澪は喋らない。


 盤面に丘の上二丁目が出る。成田の家は、坂を上がった北側の列にある。


 北側の列の裏は、造成した崖になる。崖の上に、防音の壁が立っている。


 壁は高さ三メートルで、長さは百二十メートルある。立ったのは八年前で、崖の上を通る道の音を、下の家へ落とさないために立てたものになる。


「アンサー」


> ── はい。


「丘の上二丁目、崖の上の防音壁。点検の記録を」


> ── 二年に一度です。前回は一昨年の十月になります。


「支えの根元は」


> ── 記録は壁の面までです。……根元の記録は、ありません。


 アンサーは返事の前に一度、上を向いた。頭の受話器の形が、天井を向いてから戻る。


 壁の面は見る。根元は見ない。見ないのは、土に埋まっているからになる。


 埋まっているものは、割れていても外から分からない。掘れば分かるが、掘る欄が点検の紙に無い。


 無い欄のものは、点検の日に見られない。見られないまま、八年が経っている。


 この日の風は、屋根より上を通る。壁は屋根より高い。高いものが、一番受ける。


 澪は盤面の壁を、百二十メートルのまま残した。残してから、そのうちの二十メートルだけを色で囲んだ。


 囲んだのは、崖の縁が一番せり出している場所になる。


 せり出した場所の下に、成田の家がある。


 澪は左手を下ろした。


「座標、出た」


 五人が動いた。下ろした瞬間に動く。この人の手が下りるまで、誰も一歩も出ない。


「丘の上二丁目、北の列。成田宅に独居一名、右半身の下垂と言葉の途切れ。玄関は施錠。崖の上に防音壁、風は西北西十四」


 迅は最後まで聞いていない。「独居一名」で走り出している。澪は最後まで言い終えた。


 久遠寺修司が受信席の後ろで立ち上がった。


「壁は」

「まだ立っています。回線は、いま五本空いています」


「第七支部 ── 出場!」


*


 ポールは二本ある。迅が一番に握った。掌が焼ける。焼けるのを毎回やる。一階で装備を背負い、階段で地下三層へ下りる。


 地下三層の扉が上がった。


「三層、開放!」


 宮ヶ瀬佳代が盤の前に立っていた。この日は風速の記録を、盤の隅に出したままにしてある。


「一号から五号、出場!」


 丘の上二丁目までは、支部から七分になる。この日は八分掛かった。風で、坂の上の信号が消えている。


 成田の家の玄関は、内側から鍵が掛かっていた。


 蒼汰が窓の側へ回った。回ってから、鍵の掛かっていない窓を一つ見つけた。


「上、任せろ。北の小窓が開く。掛け金が古い」


 開けた窓から、ひかりが先に入った。入る前に、中へ声を掛けている。


「成田さん。七尾といいます。座ったままでいてもらえますか」


「はい」


 成田きぬは、台所の椅子に座っていた。八十歳になる。膝の上に手を置いている。


 右手だけ、膝から少し落ちている。


 ひかりはその手を戻さなかった。戻さずに、まず時刻を訊いた。


「成田さん。起きた時は何時だったか教えてもらえますか」


「六時。ラジオが鳴ったから」


 六時に始まって、今が七時四十分になる。間は一時間四十分ある。


 この時間は、あとで病院が使う数字になる。だから、ここで確かめておく。


「成田さん。担架で運びます。歩けるかは訊きません」


 成田は頷いた。頷いてから、少し笑った。


「わからないって、言っただけなのにね」


「息、返すよ」


 七つ数えて、七つで戻った。息は初めから乱れていない。


 乱れていないのが、この症状の厄介なところになる。息も、脈も、熱も、普通のまま出る。


 普通のまま出るので、本人が一番遅れて気付く。気付いた時に言えるのは、わからない、の一語だけになる。


 メディックは玄関の前に着けてある。後扉の蝶番は、この日に替えたばかりになる。


 替えたばかりの蝶番は硬い。硬い分だけ、閉める時に音が大きい。


 迅が玄関の内側から鍵を開けた。開けてから、担架の通る幅を作るために、廊下の物を横へ寄せた。


 寄せたのは、傘立てと、新聞の束と、椅子が一脚だった。


 寄せた場所を、あとで戻す人がいない。この家は一人になる。


 一人の家では、動かした物が動いたままで残る。残った物は、次に帰ってきた時に躓く元になる。


 迅は寄せたものを、元の位置が分かるように並べ直した。並べ直してから、外へ出た。


 外へ出た時、崖の上で音がした。


 音は、鉄が撓む音になる。


 防音の壁が、崖の上で一枚、外側へ傾いた。傾いた先が、成田の家の屋根になる。


 傾いた一枚に、隣の一枚が引かれる。引かれた分だけ、二枚目も傾いた。


 二枚が同じ方向を向いた時、そこから下が全部、同じ方向を向いた。


 二十メートル分の壁が、崖の縁に立ったまま、下を向いている。下を向いたまま、まだ落ちてこない。


 迅が左手首の蓋を跳ね上げた。五人が同じ動作をした。


「急報 ── 出場!」


> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。

> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。


 反射帯の光が足元から頭まで走った。装甲が下から順に組み上がる。五つの送話口が、同じ高さで止まった。


 五人が同時に右手を上げた。耳の高さで止めて、掌を外へ向ける。受話器を取る形になる。


 ひかりだけ、上げた手をすぐ下ろした。下ろした先が、担架の握りになる。


> 水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!

> 声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!

> 綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!

> 梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!

> 息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!

>

> 特別災害対策機構、第七支部 ──

> 呼ばれたら、鳴らして、行く!

> 急報戦隊、サイレンジャー!


 口上が坂の北の列を、東から西へ抜けた。抜けた先で、風がその声を崖の上へ運んだ。


 迅がブレスを壁へ向けた。


「トリアージ!」


> 判定 ── 黒。要救助者、内部に確認できません。


「黒」


> ── 回線、残り 三本。


 二十メートル分の壁が、崖から離れた。離れて、そのまま下を向いたまま落ちてこない。


 落ちずに、崖の縁で立ち上がった。立った高さが、崖の三メートル分を足して六メートルになる。


 ひかりは担架から手を離さなかった。離すと、坂の途中で止められない。


「先に出します。合体は、戻ってからにしてください」


 四人になる。四人で、六メートルを止めることになる。


 迅が坂の途中へ入った。入った場所は、担架の下る道の真ん中になる。


 下ってくるものと、下っていくものが、同じ道を使う。使う順を決めるのは、先に立った側になる。


 迅は先に立った。


「通す。上を止める」


 壁が坂を下ってきた。装甲へ当たった。当たった場所から、鉄の冷たさが来る。


 迅は下がらなかった。下がると、担架に追いつく。


 寺尾が坂の縁へハンマーを立てた。柱を三本、坂の北側の側溝へ打ち込む。


「まあ待て。俺が支える。この坂は、南へ傾いとる。落ちるなら南だ」


 二文で言って、三本の柱の頭を、坂の南の縁へ向けた。


 打った柱が、南へ落ちる分を受ける。受けた分だけ、壁は坂の真ん中に留まる。


 蒼汰が索を投げた。投げた索が、壁の上の縁に掛かった。


「上、任せろ。二本で吊ります。倒しません」


 留めた索が張った。張った先で、壁の下りが半分になった。


 澪が坂の下でソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。


「五名。坂の上に一、途中に二、下に二。壁の中は零。撃てる」


 撃った。低い音が壁の面を通った。通った音が、二十メートル分の板の中で、順に返ってきた。


 返り方が同じでない場所が、上から三枚目にある。


「三枚目の根元だけ返りが鈍い。そこが割れています」


 寺尾がハンマーを持ち替えた。持ち替えたのは、打つ側の面を出すためになる。


 三枚目の根元は、地面から六十センチのところになる。


 迅が壁の下から肩を抜いた。抜いた分だけ、壁が半歩ぶん前へ出る。


 出た半歩で、三枚目の根元が寺尾の高さに来た。


「サイレンハンマー ── 急救斬ッ!」


 柄の先が、割れた根元を横から打った。


 打たれた根元が、そこで折れた。折れた三枚目が、二十メートル分の連なりから外れる。


 外れた一枚が抜けると、残りは繋がらない。繋がらない板は、一枚ずつになる。


 一枚ずつになった板が、坂の南の縁へ順に倒れた。倒れた先には、寺尾の柱が三本立っている。柱に当たった板は、そこで止まった。


 蒼汰が索を二本とも手繰った。掛かっていた縁が無くなっているので、抵抗は無い。巻き取りへ収めてから、端を指で一度送る。


 止まった板の向こうで、担架が坂を下りきった。下りきるまでに、四十六秒掛かっている。


*


 地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。


「坂の上です。板が二十枚、崖の縁に残っています」


 七時五十八分に、成田きぬがメディックへ乗った。乗せてから、ひかりが後扉を閉めた。


 替えたばかりの蝶番が、硬い音を立てた。


 閉めてから、ひかりは走って戻った。合体には五機が要る。


 五機が坂の下の道へ並んだ。サイレンクレーンが坂の下でアウトリガーを張る。上は崖になる。


 サイレンウイングが崖の上を低く抜けた。抜けた風で、残った板が二枚、内側へ倒れた。


「五機、連結!」


「特災合体 ── サイレンオー!」


 サイレンオーが立った。


 坂の下の道から見上げた住人には、脚と、胴の下半分が見えた。メディックの中の成田には、左手だけが見えた。


 その左手は、開いていない。握ったままになる。


> ── 回線、残り 二本。


 残った板が、崖の縁で一つに戻ろうとした。戻ると、また二十メートルになる。


 サイレンオーは掴まなかった。掴まずに、左腕を崖の縁と板の間へ、上から下へ差し入れた。


 差し入れた腕が、崖の縁に沿って一本の縁石になる。


 板は縁を越えられない。越えられない分だけ、崖の上へ戻る。


 寺尾の声が回線に入った。


「縁が出来た。下へは落ちん」


 迅が言った。


「今だ」


 右腕の放水砲が開いた。


「サイレンオー ── 全消斬ッ!」


 水が出た。斬るのではなく、押す形で出る。


 押された板が、崖の上で潰れた。潰れた先で、体が保てなくなる。


 板は板に戻った。戻った板が、崖の上の道の脇へ、順に積み上がった。


 積み上がった板は、もう風を受けない。寝ているものは、受ける面が無い。


 立て直すのは、市の道路の課になる。立て直す時に根元を見るかどうかは、その課の紙に欄があるかどうかで決まる。


 坂の下の道に、四十人ほどが出ていた。北の列の家から、順に出てきている。


 拍手が起きた。起きたのは坂の下からで、上へ渡っていった。


 八時十四分に、成田きぬが搬送された。


 起きた時刻から、二時間十四分になる。この数字は、病院が使う。


 後扉が閉まる前に、成田がひかりを呼んだ。


「あんた」

「はい」


「わからないって、言ってよかったのかしらね」


 ひかりは答えなかった。答える代わりに、成田の右手を膝の上へ戻して、そこへ自分の手を重ねた。


 重ねてから、扉を閉めた。


 坂の下の角に、紙を挟んだ板を持った人が立っていた。


 背は低い。上がってきた人の数を数えていた。数えながら、口の中で言っている。


「四十一名。北の列から三十四名。ほかの列から七名」


 誰も訊いていない。


「この街の救急は、年に二万八千件です。そのうち、運ばなかった件が三千二百件あります」


 数字は合っている。この人は嘘を言わない。


「三千二百は、呼ばなくてよかった件になります」


 板の紙が、一枚めくれた。めくれた下にも、数字が並んでいる。


 迅はそちらを見た。見て、それから、坂を下っていく車の方を見た。


 車は、二時間十四分の人を乗せている。


 その人は、三千二百のうちには入らない。


 誰も、そこまでは言わなかった。言う相手が、もう坂の下にいない。


 紙を挟んだ人は、板を下ろして、坂の下の人の中へ入っていった。


*


 支部へ戻ると、玄関の内側の豆腐は、まだ五丁あった。


 寺尾が笊の上でもう一度、角を確かめた。


「崩れとらん。風の日でも崩れとらん」


 戸倉が地下二層で、サイレンメディックの後扉を見ていた。替えたばかりの蝶番は、硬いままになる。


「三日で馴染みます。今日は硬いです」


「硬いです。ただし、初めから馴染んでいる蝶番を、まだ作れていません」


 宮ヶ瀬は工具を置いた。置いてから、それ以上は足さなかった。


 毎回、作れなかったものを一つ言う。三年、欠かしたことが無い。


 梅木が工具箱の蓋を閉めながら、戸倉の方へ小さく言った。


「班長、来月の当直、二つ書き足してました。第二週と第四週です」


「本人に言ってあげたらどうですか」


「言いません。訊いても、二文で終わるので」


 当直の表は、二階の廊下に貼ってある。書き足された二週は、鉛筆のままになる。


 鉛筆のままなのは、まだ替わってもらう人が承知していないからになる。


 承知しないまま、その二週は毎回、寺尾の名で埋まる。三年、そうなっている。


 三年前に一度だけ、この人は当直を替わってもらったことがある。替わってもらったのは一度で、返している数は、それより多い。


 多いことに気付いている人は、整備の側に二人いる。二人とも、本人には言わない。


 澪は受信席の裏で、市の防音壁の記録を出していた。


 市内の防音壁は、全部で四十二か所ある。点検は二年に一度で、見るのは壁の面になる。


 根元を見る欄は、どの用紙にも無い。


 根元が土に埋まっている壁は、四十二のうち三十八か所になる。


 三十八のうち、八年より前に立ったものが二十九か所ある。八年は、根元の鉄が土の中で薄くなるのに、ちょうど足りる年数になる。


 足りることを知っているのは、掘った人だけになる。掘った人は、まだ一人もいない。


 澪は自分の地図に付箋を一枚貼った。丘の上二丁目、崖の上。これで二十五枚目になる。


 付箋には何も書いていない。


 三階の食堂で、寺尾が湯豆腐を出した。二月の椀は、一月と同じ大きさになる。


 食べ終わらないうちに、二階の受信席で、電話が鳴った。


> 【第七支部 出場記録】

> 臨場 ── 七時三十八分。所要 ── 八分。

> 保留 ── 一件。最長 ── 四十九秒。

> 未着 累計 ── 零。

> 損壊 ── 丘の上二丁目 崖上 防音壁 二十枚 脱落。うち一枚 根元 破断。

>     坂路 南側 側溝 一部 変形。成田宅 屋根 異常なし。

> 救助 ── なし。搬送 ── 一名(発症 六時ごろ)。

> 市内 根元の記録が無い防音壁 三十八か所 ── 記録なし。

> 本件、処理 ── 完了。

> ── 入電。

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