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急報戦隊サイレンジャー ~呼ばれたら、行く。呼べないなら、見つけに行く~  作者: 智珠
第三巻

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第042話 逃げ遅れた

> 【第七支部 覚知記録】

> 覚知 ── 一月三十日 二十三時十分。

> 入電 ── 携帯電話。発信地 ── 湾岸 五丁目。

> 第一声 ──「逃げ遅れた」

> 出場 ── 第七支部 全隊。


「逃げ遅れた」


 尾花律子は用紙を引き寄せた。時刻を分まで書く。秒は書かない。誰が遅れたかは、まだ書かない。


「はい、鳴瀬市消防指令センターです。今何処におられるか教えてください」


「湾岸の五丁目です。水産の加工場。有村といいます」

「有村さん。何が起きたかを教えてください」


「荷が崩れました。積んであったのが、通路の方へ全部」


 尾花は書いた。湾岸五丁目、加工場、荷崩れ。三語で足りる。書いた紙を、左手で当直の側へ半分だけ送る。


「有村さん。逃げ遅れた方は、何人ですか」


「一人です。奥の冷蔵の前にいた人が、こっちへ来られなくなって」


「有村さん。その方と、声は届きますか」


「届きます。さっき返事しました」


 尾花は用紙の右の欄へ、荷崩れ、閉じ込め一、応答あり、と書いた。三つ並ぶと、急ぐ順が一段下がる。


 声が届いていて、返事があるというのは、待てるということになる。待てる件は、急がないという意味ではない。


「有村さん。その方のお名前と、歳を教えてください」


「柏木さんです。五十くらいだと思います」


「有村さん。柏木さんに、荷を自分で動かさないように伝えてもらえますか」


「伝えます」


 通話の向こうで、有村が奥へ向かって叫んだ。叫んだ言葉は、尾花のものと同じ長さになった。


「言いました。動かさないって」


「有村さん。加工場の中は、今、何度ありますか」


「三度です。うちは、通路も冷やしてるので」


 尾花の右手が止まった。止まったのは、書く欄を一つ増やす分になる。


 三度は、外より温かい。だが、動けない人が長くいる温度ではない。


「有村さん。柏木さんに、上着を持っている人がいれば、投げて渡せるか訊いてもらえますか。荷の上を越えて、届く距離なら」


「訊きます」


 少し間があった。


「届くそうです。二枚、投げました」


「有村さん。ほかの方は、全員外に出ておられますか」


「夜勤は六人です。五人は外です。表の道に」


「有村さん。この電話は切らないでください」


「切りません」


 用紙の一番下に、背後の音を書く。機械、風、声。三語になる。


 機械の音は、冷やす装置が回り続けている音になる。荷が崩れても、それは止まらない。


*


 二十三時十分の三階は、灯りが半分だった。


 当直の夜は、二十二時で半分にする。半分にしてから、外の暗さが分かるようになる。


 寺尾剛が鍋の火を落として、蓋をずらしたところだった。


「班長、また落としてますね」

「落とす。夜に開けたままにすると、朝までに減る」


 二文で言って、蓋の角度を直した。


 一月の夜の湯豆腐は、二度沸かす。一度目は十九時、二度目は二十三時になる。


 灰谷蒼汰は索を膝の上へ広げて、端から端まで指で送っていた。三年、出る前に必ず一度やる。


「四本です。塩が来るので、月に一度は真水で洗います」


 洗った索は、乾くまでに二日かかる。だから四本のうち一本は、いつも乾かしている途中になる。


 七尾ひかりは、温める袋の箱を前へ出していた。一月に入ってから、この箱は出したままになる。


 冷えた場所から出した人は、外へ出してから体温が下がる。下がる速さは、中にいた時間で決まる。


 時間が分かれば、袋の数が決まる。分からない時は、多めに出す。


 火群迅は非常階段の一番下にいた。手の甲を鉄の手すりへ当てて、そのまま止めている。


 鉄が冷たい。この夜は風が無い。風が無い夜は、湾岸の方が冷える。


 逢坂澪は受信席の斜め後ろに立っていた。手にはコーヒーがある。砂糖も牛乳も入っていない。


 湾岸の夜勤の届出を見ていた。五丁目の工場は十四軒あって、そのうち九軒が夜も動いている。


 九軒の夜勤の人数は、届出に書いてある。書いてあるのは定員で、その日の実数ではない。


 実数は、たいてい定員より少ない。少ない分は、休みや、交替の谷間になる。


 谷間の時刻は、二十三時前後に集まる。前の組が上がって、次の組が来るまでの十分になる。


 その十分に人が減ることを、届出の紙は知らない。


 戸倉が地下二層から上がってきた。手に洗ったばかりの索を提げている。


「宮ヶ瀬さん。索の四本目、まだ乾いてません」


「乾いていません。二日で乾く索を、まだ作れていません」


 宮ヶ瀬佳代は逆から言う。出来ていることを先に言わない。


 速水が受信席で、湾岸の地図を出した。出してから、五丁目の欄を指で押さえた。


「言いません」


「言ってません、とも言わないでください」


 澪はそう言ってから、左手を右耳へ当てた。


*


 分析に入ると、澪は喋らない。


 盤面に湾岸五丁目が出る。加工場は道路から奥へ長い。間口は狭くて、奥行きが四十メートルある。


 中は三つに分かれている。手前が作業場、真ん中が通路、奥が冷蔵になる。


 通路の両側に、荷を積む場所がある。積むのは箱で、高さは人の背より上まで行く。


 崩れたのは、その積んだ箱になる。崩れた先が通路で、通路の奥に冷蔵がある。


 冷蔵の前にいた人は、通路を通らないと外へ出られない。


 通路以外の出口は、奥の壁に一つある。搬入の扉で、外の岸壁側へ出る。


「アンサー」


> ── はい。


「湾岸五丁目、水産の加工場。奥の搬入扉の記録を」


> ── 昨年十月から、外側に足場が組まれています。工事の届出は、二月末までです。


「開くか」


> ── 開きます。……開けた先に足場があるかどうかは、わかりません。


 アンサーは返事の前に一度、上を向いた。頭の受話器の形が、天井を向いてから戻る。


 開く扉の外に足場があると、開いても人は出られない。


 出られない扉は、無い扉と同じになる。だが、記録の上では出口が二つあることになる。


 二つあることになっている場所は、避難の計算で一つ分だけ余裕が出る。


 余裕は、紙の上にしか無い。


 澪は盤面の奥の扉を消した。消してから、通路の一本だけを残した。


 残った一本の途中に、崩れた箱がある。


 澪は左手を下ろした。


「座標、出た」


 五人が動いた。下ろした瞬間に動く。この人の手が下りるまで、誰も一歩も出ない。


「湾岸五丁目、水産の加工場。奥行き四十メートル、通路一本。崩れた箱で閉じ込め一名、応答あり。庫内三度。奥の搬入扉は使えない」


 迅は最後まで聞いていない。「閉じ込め一名」で走り出している。澪は最後まで言い終えた。


 久遠寺修司が受信席の後ろで立ち上がった。


「出口は」

「一つです。回線は、いま五本空いています」


「第七支部 ── 出場!」


*


 ポールは二本ある。迅が一番に握った。掌が焼ける。焼けるのを毎回やる。一階で装備を背負い、階段で地下三層へ下りる。


 地下三層の扉が上がった。


「三層、開放!」


 宮ヶ瀬佳代が盤の前に立っていた。この日は庫内の温度の記録を、盤の隅に出したままにしてある。


「一号から五号、出場!」


 湾岸五丁目までは、支部から九分になる。夜の道は空いている。空いていても、距離は縮まらない。


 加工場の表の道に、五人が立っていた。作業着の上に、あるだけの上着を重ねている。


 その一人が有村になる。三十くらいで、携帯を両手で持っている。


「消防です。中の人は」

「返事してます。さっきも」


 迅は間口から入った。入った先の空気が、外より温かい。三度は、この夜の外より三度高い。


 通路は、真ん中から先が塞がっていた。箱が斜めに崩れて、天井まで届いている。


 箱の中身は凍った魚になる。一箱が二十キロある。それが五十箱、通路を塞いでいる。


 凍った箱は硬い。硬いものが崩れると、噛み合って動かなくなる。


 迅は箱の山の手前で足を止めた。


「柏木さん。消防です」


「はい」


 返事は、箱の向こうから来た。声は近い。二メートルほど向こうになる。


「どこか挟まってるか」


「足首です。右の。箱の下に入ってます」


 迅はそれ以上訊かなかった。訊かずに、ブレスを箱の山へ向けた。


「トリアージ!」


> 判定 ── 黄。要救助者、内部に一名。生存反応、あり。待機可能。


 盤面の色が変わった。黒でも赤でもない。


「黄」


 黄が出た時にやることは、決まっている。人を出してから撃つ。


 撃つまでの間に、何がどれだけ持つかを、こちらが決めることになる。


 迅が左手首の蓋を跳ね上げた。五人が同じ動作をした。


「急報 ── 出場!」


> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。

> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。


 反射帯の光が足元から頭まで走った。装甲が下から順に組み上がる。五つの送話口が、同じ高さで止まった。


 五人が同時に右手を上げた。耳の高さで止めて、掌を外へ向ける。受話器を取る形になる。


 庫内の空気が三度しかない。五人の息が、一度に白くなって、天井の梁まで上がった。


> 水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!

> 声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!

> 綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!

> 梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!

> 息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!

>

> 特別災害対策機構、第七支部 ──

> 呼ばれたら、鳴らして、行く!

> 急報戦隊、サイレンジャー!


 口上が奥行き四十メートルの通路を、一度も曲がらずに奥まで届いた。届いた先の冷蔵の扉が、内側で鳴った。


> ── 回線、残り 三本。


 寺尾が箱の山の右側へ回った。回ってから、山の下の三段を掌で叩いた。


「まあ待て。俺が支える。この山は、下の三段だけ噛んでない」


 二文で言って、柱を三本、下の三段の隙間へ差し込んだ。差し込んだ柱が、上の四十七箱を持つ。


 持った分だけ、下の三段を抜いても崩れない。


 澪が通路の入口でソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。


「二名。通路の手前に一、箱の向こうに一。足首の上に箱が一つ、その上に六つ」


 七つ載っている。七つのうち、上の六つを外せば、下の一つは手で持てる。


 蒼汰が索を投げた。投げた索が、上の六つの箱の帯に掛かった。


「上、任せろ。六つを上から時計回りに抜きます」


 抜く順を先に言うのは、下にいる人が数えられるようにするためになる。


 数えられれば、あと何回で終わるかが分かる。分かる人は、動かずにいられる。


 一つ目が抜けた。二つ目が抜けた。


 三つ目のところで、山が一度鳴った。鳴った音を、寺尾が柱で受けている。


「保っとる。続けろ」


 四つ目、五つ目、六つ目。


 六つ目が抜けた時、柏木の声が箱の向こうから聞こえた。


「六つ、数えました」


 ひかりが箱の山の隙間から入った。入れるのは、下の三段を抜いた分になる。


 通れる幅は、肩がぎりぎりになる。肩を斜めにして、片腕を先に入れる。


 入った先に、柏木がいた。五十くらいの男で、上着を二枚重ねて着ている。


 二枚は、外の五人が投げて渡したものになる。


「柏木さん。七尾といいます。足首の上の箱を動かします」


「動かしてください」


「その前に、足の指が動くかどうか教えてもらえますか」


 柏木が動かした。親指と、その隣が動く。


「感覚はありますか」


「あります。冷たいのが分かります」


 冷たいのが分かるというのは、通っているということになる。


 ひかりは箱を、真上へ持ち上げなかった。持ち上げると、下の足首が一緒に上がる。


 箱の縁を、足首と反対の側へずらす。ずらしてから、抜いた隙間へ自分の手を入れた。


 手が入ってから、足首を先に押さえて、それから箱を抜いた。


 抜いた足首は、腫れている。折れているかどうかは、この場では分からない。


 分からないものは、折れている前提で扱う。


「息、返すよ」


 七つ数えて、六つで戻った。柏木の息は乱れていない。乱れていないが、体が三度の中に二十分いる。


 ひかりは温める袋を、脇の下に二つ入れた。足首には入れない。


 柏木を隙間から出すのに、四人が要る。出す間、この人は一度も声を出さなかった。


 出し終えた時、冷やす装置の音が変わった。


 変わったのは、通路の奥の側になる。


 冷蔵の扉が開いて、中の空気が通路へ出てきた。出てきた空気が、通路の三度と混ざる。


 混ざった場所で、白いものが立った。


 白いのは霜になる。空気の中の水が、そのまま形を取っている。


 高さは三メートル半しかない。この建物の天井が低いので、それ以上は立てない。


 迅がブレスを霜の柱へ向けた。


「トリアージ!」


> 判定 ── 黒。要救助者、内部に確認できません。


「黒」


 人は出た。だから、撃てる。


 柱が通路を、間口の方へ進んできた。間口の外には、五人と、担架に乗せた柏木がいる。


 迅は柱と間口の間へ入った。入った足の下は、崩れた箱の水で濡れている。


 濡れた床の上で、この人は踏ん張らなかった。踏ん張る代わりに、片膝を床へ落とした。


 落とした膝が、床の目地に掛かる。掛かった分だけ、滑らない。


 柱が当たった。装甲越しに、冷たさが一度に来る。


 迅は下がらなかった。下がると、間口までが十メートルしかない。


「押さえる。抜くのは任せる」


 蒼汰が索を投げた。投げた索が、柱の腰へ巻いた。巻いてから、通路の両側の柱へ二重に取る。


「上、任せろ。倒しません。前に出る分だけ止めます」


 留めた索が張った。張った先で、柱の進みが半分になった。


 ひかりがナイフを抜いた。抜いて、崩れた箱の帯を三本切った。


 切った帯の先が、通路の床の排水口を塞いでいた。塞がったままだと、水が抜けない。


 抜けない水は、また凍る。


 この日、ひかりが斬ったのは帯三本になる。


 澪がソナーを構え直した。


「腹の真ん中に、空気の薄い場所があります。冷蔵から出た側です」


 薄い場所は、音が返らない場所になる。返らないのは、そこだけ密度が違うからになる。


 蒼汰が索の一本を放して、二本目を投げた。二本目が、柱の腹の薄い場所を横切った。


 横切った索を、蒼汰は引かなかった。引く代わりに、通路の梁を支点にして、上へ跳ね上げた。


 跳ね上がった索が、柱の腹を下から上へ裂いた。


「サイレンワイヤー ── 急救斬ッ!」


 裂けた場所から、白いものが外へ出た。出た霜は、通路の床で水に戻った。


 戻った水が、排水口へ流れていく。排水口は、ひかりが開けてある。


 蒼汰は放した一本を先に拾って、二本目を梁から外した。二本とも巻き取りへ収める。収めてから、端を指で一度送る。


 柱の残りが、通路の奥へ戻った。戻った先が冷蔵の中になる。


 冷蔵の中で、また大きくなった。大きくなった分が、建物の屋根を持ち上げた。


 持ち上がった屋根の穴から、白いものが外へ出た。


*


 地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。


「岸壁の側です。足場が組んであります。腕を横から入れられません」


 五機が加工場の表の道へ並んだ。サイレンクレーンが道路側でアウトリガーを張る。


 岸壁側には張れない。足場の柱が立っている。


 サイレンウイングが屋根の高さで一度止まった。止まってから、穴の上を横切る。


 サイレンメディックは表の道に着けて、後扉を開けたまま待っている。


「五機、連結!」


「特災合体 ── サイレンオー!」


 サイレンオーが立った。


 表の道の五人には、脚と、胴の下半分が見えた。担架の上の柏木には、左手だけが見えた。


 その左手は、開いていない。握ったままになる。


> ── 回線、残り 二本。


 白い柱が岸壁の側へ傾いた。岸壁側には足場があって、その下は海になる。


 足場が倒れれば、鉄が海へ落ちる。落ちた鉄は、明日の船の邪魔になる。


 サイレンオーは掴まなかった。掴まずに、右腕を先に足場の外側へ回した。


 回した右腕が、足場の外の面に沿って一本の添え木になる。


 添え木があると、足場は倒れない。倒れない分だけ、白い柱は道路の側へ寄る。


 寺尾の声が回線に入った。


「添えた。足場は落ちん」


 迅が言った。


「今だ」


 右腕を戻して、放水砲が開いた。


「サイレンオー ── 全消斬ッ!」


 水が出た。斬るのではなく、押す形で出る。


 押された柱が、加工場の屋根の上で潰れた。潰れた先で、体が保てなくなる。


 霜は水に戻った。戻った水が、屋根の穴から中へ落ちた。


 落ちた先は、崩れた箱の上になる。凍った魚の箱が、上から濡れた。


 濡れた箱は、明日には出せない。出せない分の数を、有村が数え始めた。


 表の道に、二十人ほどが出ていた。隣の工場の夜勤が、上着のまま見に来ている。


 拍手が起きた。起きたのは隣の工場の側からで、加工場の五人は手を打たなかった。


 五人は、担架の方を見ていた。


 二十三時五十二分に、柏木が搬送された。


 右の足首は、副子を当てて留めてある。折れているかどうかは、病院で決まる。


 後扉が閉まる前に、有村が担架の横に立った。


「柏木さん、上着」

「返すよ。明日な」


 柏木はそう言った。上着は二枚とも、まだ着たままになる。


 有村は頷いて、下がった。下がってから、自分の腕をさすった。


 この人は、自分の上着を一枚投げている。投げてから、三十分外にいる。


 ひかりがそれを見て、毛布を一枚渡した。渡してから、何も言わなかった。


 道の端に、傘を差した人が立っていた。


 雪は降っていない。この夜の湾岸は、風も無く、乾いている。


 差した傘の下に、有村がいた。差し掛けられたことに、この人はまだ気付いていない。


「ご迷惑ですから」


 声はそう言った。有村が顔を上げた時には、傘だけがその場に立っていた。


 傘の下に、白いものが薄く積もっていた。


 傘の外には、何も積もっていない。


 差した人は、岸壁の方へ歩いていった。足場の下を抜けて、その先で音が消えた。


*


 支部へ戻ると、玄関の内側に豆腐が置いてあった。


 この日は夜のうちに届いている。武藤とうふ店は、月末の三十日だけ、前の晩に置いていく。


 三年、その理由を誰も訊いたことがない。


 寺尾が笊を出して、五丁を移した。移してから、角を確かめる。


「崩れとらん。前の晩に置いても崩れとらん」


 戸倉が地下二層で、サイレンレスキューの下回りを見ていた。加工場の水で、塩が付いている。


「真水で流します。今日中に」


「今日中です。ただし、塩の付かない下回りを、まだ作れていません」


 宮ヶ瀬は工具を置いた。置いてから、それ以上は足さなかった。


 毎回、作れなかったものを一つ言う。三年、欠かしたことが無い。


 速水が受信席で地図を畳んでいた。畳みながら、戸倉に言った。


「灰谷さん、箱を抜く順番を、先に声に出してました。下の人が数えられるように」


「本人に言ってあげたらどうですか」


「言いません。順番の決め方を、六通り説明されるので」


 澪は受信席の裏で、湾岸五丁目の記録を出していた。


 九軒の工場のうち、奥の出口が使えないことになっている工場が、この一軒だけではない。


 工事の届出と、避難の届出は、別の課へ出す。別なので、片方だけ見ると出口が二つあることになる。


 二つあることになっている工場は、五丁目で四軒ある。


 その並びを見る欄は、どの用紙にも無い。


 澪は自分の地図に付箋を一枚貼った。湾岸五丁目、加工場の列。これで二十二枚目になる。


 付箋には何も書いていない。


 三階の食堂で、寺尾が湯豆腐を出した。二度目に沸かした鍋になる。


 食べ終わらないうちに、二階の受信席で、電話が鳴った。


> 【第七支部 出場記録】

> 臨場 ── 二十三時十九分。所要 ── 九分。

> 保留 ── 一件。最長 ── 四十四秒。

> 未着 累計 ── 零。

> 判定 ── 黄。要救助者を出してから撃つ。

> 損壊 ── 湾岸五丁目 加工場 通路 積荷 五十箱 崩落。屋根 一部 開口。

>     冷蔵扉 内側 変形。岸壁側 足場 異常なし。

> 救助 ── 一名。搬送 ── 一名(右足首)。

> 湾岸五丁目 出口が二つあることになっている工場 四軒 ── 記録なし。

> 本件、処理 ── 完了。

> ── 入電。

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