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急報戦隊サイレンジャー ~呼ばれたら、行く。呼べないなら、見つけに行く~  作者: 智珠
第三巻

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第040話 数えました

> 【第七支部 覚知記録】

> 覚知 ── 一月十四日 十七時ちょうど。

> 入電 ── 固定電話。発信地 ── 中央駅前 二丁目 地下街。

> 第一声 ──「数えました」

> 出場 ── 第七支部 全隊。


「数えました」


 尾花律子は用紙を引き寄せた。時刻を分まで書く。秒は書かない。何を数えたかは、まだ書かない。


「はい、鳴瀬市消防指令センターです。お名前を教えてください」


「郷田です。中央駅前の地下街、三層の書店の者です」

「郷田さん。何を数えられたか教えてください」


「うちの客が七人、うちの者が二人。九人です。全員、上の二層へ出しました」


 尾花は書いた。中央駅前地下街三層、書店、避難済九。三語で足りる。書いた紙を、左手で当直の側へ半分だけ送る。


「郷田さん。何があったかを教えてください」


「煙です。うちの店の奥の、業務用の通路から出てます。天井の側に溜まってます」


「郷田さん。ご自分は今、何処におられますか」


「まだ三層です。店の前です」


 尾花の右手が止まった。止まったのは、書く欄を選ぶ分になる。


「郷田さん。今すぐ、上の二層へ上がってください。階段を使ってください。上がりながら聞きます」


「上がります」


 足音が変わった。走る音ではない。一段ずつ確かめて上がる音になる。


「郷田さん。上がる時、姿勢を低くしてもらえますか。煙は天井の側に溜まります」


「低くしてます」


「郷田さん。ほかのお店の方は、外へ出ておられますか」


「隣の三軒は出ました。奥の二軒は、まだ分かりません」


「郷田さん。ご自分で見に戻らないでください。上がり切ったら、その場から動かないでください」


「戻りません」


 尾花は用紙の右の欄へ、地下三層、上層避難中、未確認二店、と書いた。三つ並ぶと、先に降りる順が決まる。


「郷田さん。三層の階段は、何本ありますか」


「三本です。ただ、東の一本は改修中で、去年の秋から閉まってます」


 尾花はその一行を、下の欄へ書いた。改修中、東階段、閉鎖。


「郷田さん。この電話は切らないでください」


「切りません。数えた紙、持ってます」


 紙を持っているというのは、数え直せるということになる。数え直せる人は、現場に一人いれば足りる。


 用紙の一番下に、背後の音を書く。足音、放送、風。三語になる。


 風の音は、地下街の換気が回っている音になる。回っているのに、煙が溜まっている。


*


 十七時ちょうどの三階は、食堂の椅子が九つ並んでいた。


 月に一度、全員で食う日になる。当直の交替の前に一時間だけ、この支部は九人で座る。


 寺尾剛が大鍋を運んできた。一月の椀は、十二月と同じ大きさになる。


「班長、一月は変わらないんですね」

「変わらん。一番寒い月に変えると、口が驚く」


 二文で言って、鍋を置いた。置いた場所は、いつも同じ位置になる。


 武藤とうふ店の豆腐は五丁ある。五丁を九人で分けるので、一人分が小さくなる。


 小さくなるのを、誰も言わない。三年、言ったことがない。


 灰谷蒼汰は椅子に座る前に、索の端を一度だけ確かめた。食う時も、袋は足元に置いてある。


「四本です。地下は乾いてるので、冬でも硬くなりません」


 七尾ひかりは、椀を配る側になっていた。配りながら、自分の分を最後にする。


 配り終える前に食べ始めるのが、この人の癖になる。三年、誰も直していない。


 火群迅は先に座って、先に食べ終えていた。食べ終えて、椀を伏せて、そのまま座っている。


 早いのは、いつでも出られるようにしているからではない。この人は昔から早い。


 逢坂澪は受信席から食堂へ上がってきた最後の一人になる。手にはコーヒーがある。


 久遠寺修司が窓際の椅子に座った。この人が座るのは、月に一度のこの時間だけになる。


 宮ヶ瀬佳代と、戸倉と、梅木あかねが同じ列に並んだ。整備の三人は、いつも同じ順で座る。


「今年に入って、十四日で九件です」


 澪が言った。誰にも訊かれていない。


「去年の同じ日までは、七件になります」


「増えたな」


 久遠寺は、それだけ言った。感想は言わない。


 尾花律子は、この時間も二階にいる。九つの椅子のうち、一つは毎回空いている。


 空いている椀を、寺尾が毎回、下へ持って降りる。持って降りることを、誰も礼で返さない。


 その椀が下へ着く前に、二階の受信席で、電話が鳴った。


*


 分析に入ると、澪は喋らない。


 盤面に中央駅前の地下街が出る。三層あって、下へ行くほど狭くなる。


 三層の店は十一軒ある。書店が一軒、飲食が五軒、あとは物販になる。


 階段は三本ある。西と、中央と、東。東は去年の秋から改修で閉じている。


 閉じている階段は、避難の計算から外れる。外れると、残りの二本に人が寄る。


 三層の換気は、二層と別の系統になる。別なので、二層が動いていても三層が止まることがある。


 別にしたのは、三層に飲食が五軒あるからになる。匂いを上へ上げない造りにしてある。


 上げない造りは、煙も上げない。造った時に想定したのは、匂いの方だけになる。


「アンサー」


> ── はい。


「中央駅前地下街三層、換気の記録を、今日の分だけ」


> ── 十六時四十分から、送風が半分に落ちています。


「落ちた理由は」


> ── 点検の記録がありません。……落ちた理由は、わかりません。


 アンサーは返事の前に一度、上を向いた。頭の受話器の形が、天井を向いてから戻る。


 送風が半分に落ちると、煙は天井の側に溜まったまま動かない。動かない煙は、下から見上げると薄く見える。


 薄く見える煙の下を、人は歩ける。歩けるので、逃げるのが遅れる。


 澪は盤面の三層を残して、一層と二層を消した。


 残した三層のうち、奥の二軒を色で囲んだ。郷田が分からないと言った二軒になる。


 その二軒は、東の階段の側にある。閉じている階段の側になる。


 閉じている側の店の人が逃げるには、店の前を通って西か中央まで戻ることになる。


 戻る道の途中に、煙の出ている通路がある。


 澪は左手を下ろした。


「座標、出た」


 五人が動いた。下ろした瞬間に動く。この人の手が下りるまで、誰も一歩も出ない。


「中央駅前地下街三層。煙は業務用通路から。送風が十六時四十分から半分。避難済み九名。奥の二軒が未確認。東の階段は閉鎖中」


 迅は最後まで聞いていない。「未確認」で走り出している。澪は最後まで言い終えた。


 久遠寺修司が椅子から立ち上がった。


「東は」

「閉鎖です。回線は、いま五本空いています」


「第七支部 ── 出場!」


*


 ポールは二本ある。迅が一番に握った。掌が焼ける。焼けるのを毎回やる。一階で装備を背負い、階段で地下三層へ下りる。


 地下三層の扉が上がった。


「三層、開放!」


 宮ヶ瀬佳代が盤の前に立っていた。この日は換気の記録を、盤の隅に出したままにしてある。


「一号から五号、出場!」


 中央駅前までは、支部から六分になる。この日は五分四十秒で着いた。


 駅前の広場に、地下から上がってきた人が二百人ほど出ていた。十七時台の駅前になる。


 人が多いのは、上がってきた人だけではない。帰る人が同じ数だけ通っている。


 地下街の入口で、郷田実が立っていた。五十くらいで、紙を一枚持っている。


 紙には、正の字が書いてある。九画で、ちょうど二つになる。


「消防です。数えたのは」

「九人です。上に出しました。奥の二軒が、まだ」


 迅は紙を見た。見てから、返した。


 ひかりが地下街の入口へメディックを着けた。後扉を開けて、階段の下り口の正面に向ける。


 蒼汰が階段の手すりへ索を掛けた。西の階段から、三層まで一本になる。


「上、任せろ。西から一本です。戻る道になります」


 掛けた索を、蒼汰は自分の手で二度確かめた。


 迅と寺尾が先に下りた。二層までは、煙が来ていない。


 三層へ下りる階段の途中で、空気が変わった。上の三段だけ、天井の側が白い。


 迅は姿勢を落とした。落として、そこから前を見る。


 三層の通路は、天井から一メートル二十のところまで白い。その下は見える。


 見えるので、走れる。走れるが、走らない。走ると、頭が白い側へ入る。


 迅は膝を曲げたまま、奥の二軒へ向かった。


 一軒目は、鍵が掛かっていた。中に人はいない。閉店の札が下がっている。


 二軒目の前で、迅は足を止めた。


 その店は、開いていた。中に灯りが点いている。


「消防だ。誰かいるか」


 返事が無かった。


 迅は返事の無い方を先に見る。三年、この順番を変えていない。


 中へ入って、床から順に見た。棚の下、机の下、奥の間仕切りの陰。


 間仕切りの陰に、人が一人いた。七十くらいの女で、椅子に座っている。


 目は開いている。開いているが、こちらを見ていない。


「聞こえるか」


 女は動かなかった。


 寺尾が入口の枠へハンマーを立てた。


「まあ待て。俺が支える。この間仕切りは、倒れると出口を塞ぐ」


 二文で言って、柱を二本、間仕切りの両側へ打ち込んだ。


 ひかりが後ろから入って、女の前へしゃがんだ。しゃがんでから、まず耳の高さへ手を上げた。


 受話器を取る形になる。女の目が、その手を追った。


「聞こえていますね。七尾といいます。今から、外まで一緒に行きます」


 女が頷いた。頷いてから、初めて口を開いた。


「補聴器、外してあるんです。夕方は外すんです」


 返事が無かったのは、聞こえていなかったからになる。


 迅は何も言わなかった。言わずに、女の反対側へ回って、腕を取った。


 三人で通路へ出た時、天井の白い層が下がってきた。


 下がってきたのは、送風が半分だからになる。半分の風では、押し上げられない。


 白い層が、床から六十センチのところまで下りた。


 下りた層の中で、光が集まった。集まったのは、非常灯の緑になる。


 緑の光が一つずつ寄って、通路の真ん中で形を取った。


 高さは二メートル半しかない。三層の天井が低いので、それ以上は立てない。


 迅が左手首の蓋を跳ね上げた。五人が同じ動作をした。


「急報 ── 出場!」


> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。

> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。


 反射帯の光が足元から頭まで走った。装甲が下から順に組み上がる。五つの送話口が、同じ高さで止まった。


 五人が同時に右手を上げた。耳の高さで止めて、掌を外へ向ける。受話器を取る形になる。


 天井が低い。上げた手の先が、三層の天井の板に触れそうになって止まった。


> 水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!

> 声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!

> 綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!

> 梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!

> 息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!

>

> 特別災害対策機構、第七支部 ──

> 呼ばれたら、鳴らして、行く!

> 急報戦隊、サイレンジャー!


 口上が地下三層の通路を、両側の店の前を通って、東の閉じた階段まで届いた。届いた先で、板の仕切りが一度鳴った。


 迅がブレスを緑の塊へ向けた。


「トリアージ!」


> 判定 ── 黒。要救助者、内部に確認できません。


「黒」


> ── 回線、残り 三本。


 塊が西の階段の方へ動いた。西は、蒼汰の索が下りている側になる。


 索が切れれば、戻る道が一本減る。減った分は、中央の階段しか残らない。


 迅は塊と階段の間へ入った。入った場所は、天井が一番低い。


 斧を振ると、天井に当たる。当たれば、その上の配管が来る。


 迅は振らなかった。振る代わりに、斧を横に寝かせて、両手で前へ押した。


 押した先で、塊が半歩下がった。下がっただけで、消えていない。


「振れない。天井が近い」


 澪が通路の角でソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。


「六名。通路に五、店の中に一。塊の中は零。撃てる」


 撃った。低い音が塊の腹を通った。通った場所の緑が、一度消えて、また点いた。


 点き直したのは、非常灯が生きているからになる。元が消えなければ、この塊は減らない。


「元は、東の階段の非常灯です。閉鎖中で、そこだけ回路が別です」


 蒼汰が索を投げた。投げた索が、東の階段の仕切り板の縁に掛かった。


「上、任せろ。蓋だけ開けます」


 掛けた索を引いて、蓋を開ける。開いた蓋の中で、寺尾がハンマーの柄を差し込んだ。


 差し込んだ柄で、押さえるのではなく、こじ開ける。


「まあ待て。俺が開ける。ここは切るんじゃない、離すだけだ」


 二文で言って、回路の端子を一つ、柄の先で外へ押した。


 東の階段の非常灯が消えた。


 消えた分だけ、通路の塊の緑が薄くなった。薄くなった場所が、腹の真ん中になる。


 迅はそこへ入った。斧は寝かせたままになる。


 寝かせた刃を、下から上へではなく、横へ滑らせる。天井に当たらない振り方は、これ一つになる。


「サイレンアックス ── 急救斬ッ!」


 刃が塊の腹を、横一文字に抜けた。


 抜けた場所から、緑が全部外へ出た。出た緑は、通路の床で順に消えていく。


 残った煙だけが、天井の側へ戻った。


 戻った煙が、西の階段を上っていく。上った先が、二層になる。


 二層の吹き抜けから、一層へ抜けた。抜けた先は、駅前の広場になる。


 広場へ出てから、上へ伸びた。伸びた高さが、駅の庇を越えた。


*


 地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。


「駅前です。人が二百人います。足を置ける場所が、噴水の周りしかありません」


 五機が駅前の広場の外の道へ並んだ。サイレンクレーンが噴水の南側でアウトリガーを張る。


 サイレンウイングは駅の庇より高く回った。地下から出た煙を、上から見る側になる。


 サイレンメディックは地下街の入口へ着けたまま、後扉を開けて待っている。


「五機、連結!」


「特災合体 ── サイレンオー!」


 サイレンオーが立った。


 広場の郷田には、脚と、胴の下半分が見えた。地下街の入口の女には、左手だけが見えた。


 その左手は、開いていない。握ったままになる。


> ── 回線、残り 二本。


 煙が駅の庇の下へ入ろうとした。庇の下には、まだ人がいる。


 サイレンオーは掴まなかった。掴まずに、左腕を庇と煙の間へ、横から差し入れた。


 差し入れた腕が、庇の縁に沿って一本の梁になる。


 煙は庇の下へ入れない。入れない分だけ、広場の中央へ戻る。


 寺尾の声が回線に入った。


「梁になった。庇の下へは行かん」


 迅が言った。


「今だ」


 右腕の放水砲が開いた。


「サイレンオー ── 全消斬ッ!」


 水が出た。斬るのではなく、押す形で出る。


 押された煙が、広場の中央で潰れた。潰れた先で、体が保てなくなる。


 煙は煙に戻った。戻った煙が、駅前の風で北へ流れて、そこで薄くなった。


 広場に、二百人が立っていた。半分は帰る人で、半分は地下から上がってきた人になる。


 拍手が起きた。二百人のうち、手を打ったのは三十人ほどになる。


 残りの人は、電車の時刻を見ていた。この街の駅前は、いつもそうなる。


 十七時三十四分に、地下三層の二軒が確認された。


 閉店の札の店には人がいない。もう一軒からは、七十くらいの女が出ている。


 女は郷田の隣に立って、自分の耳を指した。


「これ、夕方は外すの。煩いから」


「郷田さん。この方は、お店の方ですか」


「向かいの、手芸屋さんです。数に入れてませんでした」


 郷田は自分の紙を見た。正の字が二つ。九人分になる。


 九人のうちに、この人は入っていない。


「数え直します」


「郷田さん。数え直すのは、こちらでやります。あなたの数えた九人は、九人とも上に出ています」


 ひかりはそう言った。郷田は紙を畳んで、上着の内側へ入れた。


 畳んだ紙は、捨てなかった。


 広場の東の隅に、人が一人立っていた。


 背は低い。手に紙を挟んだ板を持っている。持ち方が、書くための持ち方になる。


 この人は、上がってきた人の数を数えていた。数えながら、口の中で言っている。


「二百四名。地下から百十二名。地上から九十二名」


 誰も訊いていない。


 迅がそちらへ歩いた。歩いた分だけ、その人はこちらを見た。


「合っています。全部、合っています」


 声は低い。低いが、聞き取れる。


「この街の受信回線は八本です。八本になったのは十五年前になります」


 迅は止まった。


「それまでは六本でした。六本で足りなかった夜は、記録では一度だけです」


 板の紙が、一枚めくれた。めくれた下にも、数字が並んでいる。


「一度のために二本増やしました。増やした十五年で、二本が全部塞がった日は四十一日あります」


「四十一日のうち、通報が入らなかった日は、ありません」


 数字は合っている。この人は嘘を言わない。


「合理的ではありません」


 それだけ言って、板を下ろした。


 迅は何も返さなかった。下ろした手の指が、一度だけ開いて、また閉じた。


 その人は、広場の人の間へ入っていった。入った先で、数を数え続けている声が、少しの間だけ聞こえていた。


 広場の北の端に、単車が一台停まっていた。誰も乗っていない。


 二百人が動いている広場で、その一台の周りにだけ、人が寄らずに空きが出来ている。理由は、見ただけでは分からない。


 迅がそちらを見た。見てから、地下街の入口の方へ戻った。


 戻って、もう一度北を見た時には、単車は無かった。


 出ていく音を、誰も聞いていない。


*


 支部へ戻ると、二階の受信席に尾花律子がいた。


 九つ目の椀は、下の机の端に置いてある。冷めている。


 寺尾がそれを下げに来た。下げる時、尾花は電話を取っている。


 取っている間、寺尾は何も言わずに椀だけ持って上がった。三年、この順番を変えていない。


 久遠寺修司は、受信席の壁の掲示の前に立っていた。未着累計の紙になる。


 零のまま、三年張り替えられている。


 この人はその紙を、少しだけ真っ直ぐに直した。直しただけで、何も言わなかった。


 戸倉が地下二層で、サイレンウイングの下面を見ていた。地下から出た煙で、二か所に煤が付いている。


「拭けば落ちます。塗りまでは来てません」


「来ていません。ただし、煤の付かない下面を、まだ作れていません」


 宮ヶ瀬は工具を置いた。置いてから、それ以上は足さなかった。


 毎回、作れなかったものを一つ言う。三年、欠かしたことが無い。


 梅木が工具箱の蓋を閉めながら、戸倉の方へ小さく言った。


「火群さん、返事の無い方の店へ先に入りました。開いてる方じゃなくて」


「本人に言ってあげたらどうですか」


「言いません。順番の理由を、訊いても返ってこないので」


 澪は受信席の裏で、地下街の換気の記録を出していた。


 この席の上の灯りは、朝の五時に点く。点けるのは、この人ではない。


 三年、点いている。誰が点けたかを、この人は一度も訊いていない。


 訊かないまま、五時に来て、七時までに紙を一枚作る。作った紙を出す先は、まだ無い。


 送風が半分に落ちたのは十六時四十分になる。点検の記録は無い。


 同じ落ち方をした日が、この三年で六日ある。六日とも、点検の記録が無い。


 六日のうち四日は、東の階段が閉じてから起きている。


 六日の日付を並べると、どれも平日の夕方だった。人が一番多い時刻に、風だけが半分になる。


 この並びを、澪は誰にも言っていない。その並びを見る欄が、どの用紙にも無い。


 澪は自分の地図に付箋を一枚貼った。中央駅前二丁目、地下三層。これで二十枚目になる。


 付箋には何も書いていない。


 貼り終えてから、この人は数を数えた。二十枚のうち、三年前からの四枚と、この半年の十六枚になる。


 数えたことは、まだ誰にも言っていない。


 三階の食堂で、九つの椀のうち八つが下がっていた。九つ目は、寺尾が洗っている。


 食べ終わらないうちに、二階の受信席で、電話が鳴った。


> 【第七支部 出場記録】

> 臨場 ── 十七時七分。所要 ── 七分。

> 保留 ── 一件。最長 ── 五十一秒。

> 未着 累計 ── 零。

> 損壊 ── 中央駅前二丁目 地下三層 業務用通路 焼損。東階段 非常灯回路 端子 一箇所 開放。

>     駅前広場 噴水 縁石 一部 欠け。

> 救助 ── 一名。避難 ── 十名。

> 地下三層 送風 半減 ── 原因 未記録。

> 本件、処理 ── 完了。

> ── 入電。

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