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急報戦隊サイレンジャー ~呼ばれたら、行く。呼べないなら、見つけに行く~  作者: 智珠
第三巻

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第038話 中で泣いてる

> 【第七支部 覚知記録】

> 覚知 ── 十二月二十九日 二十二時四十分。

> 入電 ── 携帯電話。発信地 ── 旧市街 二丁目。

> 第一声 ──「中で泣いてる」

> 出場 ── 第七支部 全隊。


「中で泣いてる」


 尾花律子は用紙を引き寄せた。時刻を分まで書く。秒は書かない。誰が泣いているかは、まだ書かない。


「はい、鳴瀬市消防指令センターです。今何処におられるか教えてください」


「旧市街の二丁目です。路地の、奥から二軒目。配達で来てます」

「お名前と、何が起きているかを教えてください」


「三上です。煙が出てます。戸の下から。中で子どもが泣いてます」


 尾花は書いた。旧市街二丁目、長屋、煙。三語で足りる。書いた紙を、左手で当直の側へ半分だけ送る。


「三上さん。今、家の中におられますか」


「入ってません。玄関の外です。もう外に出てます」


 言われる前に言っている。この人は前に一度、同じことを訊かれている。


「三上さん。戸を開けようとしないでください。開けると空気が入ります」


「開けてません」


「三上さん。泣き声は、続いていますか。途切れていますか」


「続いてます。途切れません」


 尾花は用紙の右の欄へ、有煙、有声、連続、と書いた。三つ並ぶと、急ぐ順が変わる。


 泣き声が続いているというのは、息があるということになる。途切れる方が悪い。


「三上さん。その子の名前が分かるかどうか教えてください」


「表札に、山内ってあります。名前までは分かりません」


「三上さん。玄関の外から、大きい声で呼んでもらえますか。返事が来なくても、続けてください」


「呼びます」


 通話の向こうで、三上が呼んだ。名前ではなく、いるかー、と呼んだ。


 二度呼んで、三度目で、泣き声の高さが変わった。


「変わりました。こっち向いたかも知れません」


「三上さん。呼び続けてください。声が届いている間は、その子は動かずにいられます」


 尾花は用紙の下の欄へ、呼び掛け継続、と書いた。


「三上さん。その家の人が、他におられるかどうか分かりますか」


「お母さんが一人だと思います。この時間、いつも留守です。配達は、いつも玄関の外に置いてます」


 尾花はその一行を書かなかった。書く欄が無い。無いまま、下の欄へ「保護者・不在の可能性」と書いた。


「三上さん。路地から出る道は、何本ありますか」


「一本です。奥は行き止まりです」


 尾花の右手が止まった。止まったのは、書く欄を選ぶ分になる。


「三上さん。ご自分は、路地の入口の方へ下がってください。呼ぶのは、下がってからでも届きます」


「下がります。声は続けます」


「三上さん。この電話は切らないでください」


「切りません。前も、そう言われました」


 用紙の一番下に、背後の音を書く。声、戸、風。三語になる。


 戸の音は、内側から押されている。押しているのは、熱で伸びた木になる。


*


 二十二時四十分の三階は、電気を落としてあった。


 当直の夜は、二十二時で三階の灯りを半分にする。半分にするのは、寝る人がいるからではない。上げたままだと、外の明るさが分からなくなる。


 寺尾剛が鍋の前に立っていた。この日は湯豆腐ではない。


 武藤とうふ店は年内の営業を終えている。三日の間、豆腐が来ない。三日目の夜になる。


 鍋には、大根が入っていた。


「班長、それ、豆腐じゃないですよ」

「見りゃ分かる。三日は代わりが要る。四日に戻す」


 二文で言って、蓋を戻した。大根を三日出すのは、三年、毎年そうなる。


 灰谷蒼汰は索を膝の上へ広げて、端から端まで指で送っていた。三年、出る前に必ず一度やる。


「四本です。手袋の上から結ぶと、締めが一分甘くなります」


 甘くなる分を、この人は数えて足している。足す量は、季節と、手袋の厚さで変える。


 七尾ひかりは、子ども用の面と、小さい方の毛布を前へ出していた。十二月の下旬から、この二つは棚の手前へ寄せてある。


 冬休みに入ると、家に子どもだけでいる時間が増える。増えた分だけ、この二つの出番が来る。


 寄せたのは、去年もそうしていたからになる。去年、いつ使ったかは、この人が全部覚えている。


 火群迅は非常階段の一番下にいた。手の甲を鉄の手すりへ当てて、そのまま止めている。


 鉄が冷たい。夜の冷たさは、昼と違う。昼は空気が冷たくて、夜は物が冷たい。


 逢坂澪は受信席の斜め後ろに立っていた。手にはコーヒーがある。砂糖も牛乳も入っていない。


 年末の在宅の数を見ていた。旧市街の二丁目は、この時期に人が減る。


 減るのは帰る家がある人になる。帰る家が無い人と、帰らないことにした人と、仕事の人が残る。


 残った人の数は、市の紙には出ない。出るのは、出て行った人の数だけになる。


 久遠寺修司が受信席の後ろに立った。この人は、夜の当直の日は座らない。


 立っているのは、座ると腰が固まるからだと言っている。三年、誰もそれ以上訊いていない。


 戸倉が地下二層から上がってきた。手に電池の箱を提げている。


「宮ヶ瀬さん。仮設の灯り、七台目の電池を替えました」


「替えました。ただし、替えた電池がいつまで持つか、まだ量れていません」


 宮ヶ瀬佳代は逆から言う。出来ていることを先に言わない。


 梅木あかねが盤の前で、機体の並びを一度見直した。


 朝から出ていないので、五機とも冷えている。冷えた機体は、最初の一分だけ音が違う。


 その一分を、梅木は毎晩聞いている。聞いて、紙に書かずに覚えている。


 覚えているものは、引き継ぎで渡せない。渡せないので、この人は年末年始も夜に来る。


 来る日を、宮ヶ瀬は当番表へ書かない。書くと、書いた分だけ来なくなる人がいる。


 書かないままで、三年、一晩も欠けていない。


*


 分析に入ると、澪は喋らない。


 盤面に旧市街二丁目が出る。路地は一本、奥は行き止まりになる。


 長屋は五軒続いている。奥から二軒目が、山内の家になる。


 五軒のうち、灯りが点いているのは一軒だけになる。ほかの四軒は年末で空いている。


 空いている家は、壁を挟んで隣にある。隣が空いているというのは、火が伝わっても誰も気付かないということになる。


 気付く人がいないので、通報は一本しか来ない。


 一本しか来ない現場を、この支部は三年で二百件ほど受けている。二百件のうち、外から来た人が呼んだ件は、六十件ある。


 六十件の内訳は、配達、新聞、郵便、通りがかり。住んでいる人ではない。


 住んでいる人が呼べない現場では、住んでいない人が呼ぶ。それだけの話になる。


「アンサー」


> ── はい。


「旧市街二丁目、奥から二軒目。電気とガスの使用の記録を、今夜の分だけ」


> ── 電気は二十一時から上がっています。ガスは十九時に止まったままです。


「暖房は電気か」


> ── 電気の上がり方から見ると、暖房が一つ動いています。……何が動いているかは、わかりません。


 アンサーは返事の前に一度、上を向いた。頭の受話器の形が、天井を向いてから戻る。


 ガスが止まったままで、電気だけが上がっている。冬の夜に電気だけが上がるのは、暖房になる。


 澪は盤面の五軒のうち、四軒を薄くした。残したのは、奥から二軒目と、その両隣になる。


 長屋の壁は、五十年前の造りになる。柱が共通で、壁が一枚しかない。


 一枚の壁は、片側が燃えると、もう片側の紙が先に焦げる。焦げてから、木が来る。


 山内の家の間取りは、六畳と、四畳半と、台所になる。玄関を入って、すぐが六畳になる。


 泣き声が戸の近くまで届いているなら、その子は六畳にいる。奥ではない。


 奥ではないというのは、扉を開ければ手が届くということになる。


 だが、開けると空気が入る。


 空気が入ると、火は玄関の側へ寄る。寄った先に、その子がいる。


 入れずに開ける方法は一つしかない。玄関ではない場所を開けることになる。


 澪は左手を下ろした。


「座標、出た」


 五人が動いた。下ろした瞬間に動く。この人の手が下りるまで、誰も一歩も出ない。


「旧市街二丁目、路地の奥から二軒目。長屋五軒続き、四軒は空き。中に一名、五歳前後、六畳の玄関側。路地は一本、奥は行き止まり」


 迅は最後まで聞いていない。「中に一名」で走り出している。澪は最後まで言い終えた。


「五歳前後というのは」

「泣き声の高さです。回線は、いま五本空いています」


「第七支部 ── 出場!」


*


 ポールは二本ある。迅が一番に握った。掌が焼ける。焼けるのを毎回やる。一階で装備を背負い、階段で地下三層へ下りる。


 地下三層の扉が上がった。


「三層、開放!」


 宮ヶ瀬佳代が盤の前に立っていた。この日は五機の油の温度を、盤の隅に出したままにしてある。


「一号から五号、出場!」


 旧市街の路地は車が入らない。二丁目の入口で降りて、走ることになる。


 二十二時台の旧市街は、暗い。年末で、開いている店が一軒も無い。


 路地の入口に、三上が立っていた。三十くらいで、配達の上着を着たままになる。


 台車は入口に置いてある。荷は積んだままになる。


 この時刻の配達は、置いて回るだけになる。呼び鈴は押さない。押すと、寝ている人が起きる。


 押さずに置いて、次へ行く。行かなかったのは、泣き声が聞こえたからになる。


 聞こえてから電話を掛けるまでに、この人は二十秒掛かっている。二十秒は、迷った長さではない。番号を押す手が、手袋のままだったからになる。


「消防です。呼び続けたな」

「続けました。まだ泣いてます」


 迅は路地へ入った。入った先の空気が、二歩で温かくなった。


 冬の夜の路地で空気が温かいのは、両側の壁が熱を持っているからになる。


 奥から二軒目の戸の下から、煙が出ていた。細く、まっすぐ出ている。まっすぐ出るのは、中の圧が高いからになる。


 迅は戸に手の甲を当てた。熱い。掌ではなく手の甲で見るのは、掌で触るとそこで火傷をするからになる。


 熱いということは、火が戸のすぐ内側まで来ているということになる。


 中から、泣き声が聞こえた。声は、戸の高さより下から来ている。


 その子は、床に近いところにいる。


「戸は開けない。窓だ」


 迅は言って、路地の壁沿いを二歩戻った。二軒目の窓は、路地に面して一つある。すりガラスで、高さは腰から上になる。


 寺尾が窓の下へハンマーを立てた。


「まあ待て。俺が支える。この壁は柱が共通だ。抜くなら窓の枠ごと抜く」


 二文で言って、柱を二本、窓の両脇へ打ち込んだ。打ち込んだ柱が、窓の上の壁を持つ。


 窓を割るのではなく、枠ごと外す。割ると破片が中へ落ちる。落ちた先に、その子がいる。


 蒼汰が索を窓の枠の四隅へ回した。回してから、路地の反対側の柱へ取る。


「上、任せろ。四点です。一度に引きます」


 ひかりが窓の下へしゃがんで、外から声を掛けた。


「中にいる子。聞こえたら、そこから動かないでもらえますか。床にいてください」


 泣き声が一度止まって、また出た。止まったのは、聞こえた時になる。


「今から窓を開けます。開いたら、目を閉じてもらえますか」


 澪が路地の入口でソナーを構えた。撃つ前に必ず人数を言う。


「四名。路地に三、家の中に一。中の一名は、窓から一メートル二十」


 一メートル二十は、窓を外した時に手が届く距離になる。


 迅が窓の前に立った。立ってから、斧を右手一丁で持って、刃を枠の下へ入れた。


 割るためではない。梃子にするためになる。


「引け」


 蒼汰が四点の索を一度に引いた。引いた分だけ、枠が外へ動く。


 同時に、迅が斧の柄を下へ押した。押した力が枠の下から上へ抜ける。


 窓が枠ごと、路地の側へ倒れた。倒れた枠を、寺尾が受けて横へ寝かせた。


 開いた穴から、熱が出てきた。


 出てきた熱が、路地の冷たい空気に当たって、その場で立ち上がった。


 立ち上がったものは、家の形をしていない。壁の形をしている。


 窓と同じ幅で、路地の高さいっぱいまである。厚みは薄い。


 薄い壁が、外へ出た穴を、内側から塞ぎ直した。


 迅が左手首の蓋を跳ね上げた。五人が同じ動作をした。


「急報 ── 出場!」


> サイレン ── 起動。〈火群 迅〉。応答、確認。

> サイレン ── 起動。〈逢坂 澪〉〈灰谷 蒼汰〉〈寺尾 剛〉〈七尾 ひかり〉。応答、確認。


 反射帯の光が足元から頭まで走った。装甲が下から順に組み上がる。五つの送話口が、同じ高さで止まった。


 五人が同時に右手を上げた。耳の高さで止めて、掌を外へ向ける。受話器を取る形になる。


 路地は幅が一間半しかない。五人が並ぶと、肩が両側の壁に着いた。


> 水を持ってく、火の現場 ─── サイレンレッド!

> 声を持ってく、知の現場 ─── サイレンブルー!

> 綱を持ってく、高の現場 ─── サイレンイエロー!

> 梁を持ってく、圧の現場 ─── サイレングリーン!

> 息を持ってく、生の現場 ─── サイレンピンク!

>

> 特別災害対策機構、第七支部 ──

> 呼ばれたら、鳴らして、行く!

> 急報戦隊、サイレンジャー!


 口上が路地の奥へ入って、行き止まりの壁で返ってきた。返った声が、二度、同じ言葉になって戻る。


 迅がブレスを壁へ向けた。


「トリアージ!」


> 判定 ── 赤。要救助者、内部に一名。危険度、高。必殺の使用を停止します。


 盤面の色が変わった。黒でも黄でも緑でもない。


「赤」


 誰も、次の言葉を言わなかった。


> ── 回線、残り 三本。


 赤が出た時にやることは、決まっている。


 開ける。


 撃たず、押さず、割らない。開ける。


 迅は斧を右手一丁のまま、刃を壁の下端へ入れた。入れてから、体重を柄へ乗せる。


 壁の下端が、一センチだけ浮いた。


 浮いた一センチから、熱が出た。装甲越しに、腹まで来る。


 迅は下がらなかった。下がると、一センチが戻る。


「そのまま。動くな」


 寺尾がその横へ入って、ハンマーの柄を隙間へ差し込んだ。差し込んでから、両手で押し下げる。


 一センチが、三センチになった。


 三センチのところで、壁が押し返してきた。押し返す力が、迅と寺尾の両方に来る。


 寺尾の足が、路地の敷石へ沈んだ。沈んだ分だけ、隙間が二センチに戻る。


「保っとる。まだ保っとる」


 二文で言った。二文目の方が短い。


 蒼汰が索を隙間へ通した。通した索の先を、路地の反対側の柱へ回して、そこから引く。


「上、任せろ。四本を一本ずつ張ります」


 一本目を張った。隙間が三センチに戻る。


 二本目を張った。四センチになった。


 三本目で、索が擦れて鳴る。鳴った音の高さで、蒼汰は張る速さを落とした。


 落とした分だけ、時間が要る。要る時間の間、迅と寺尾は下がれない。


 四本目を張った。隙間が七センチになった。


 七センチは、手が入らない。大人の腕は、肘の手前で止まる。


 止まった腕を無理に押し込むと、隙間の縁が肩を削る。削られた分だけ、腕が動かなくなる。


 動かなくなった腕では、握れない。握れないなら、入れる意味が無い。


 澪がソナーを構え直した。撃つ前に必ず人数を言う。


「四名。路地に四、壁の中に一。中の一名は、隙間から一メートル。動いています」


 撃たない。撃てない。


 澪は撃つ代わりに、ソナーの口を隙間へ入れて、低い音だけを中へ送った。


 低い音は、煙の中でも通る。通った先で、壁ではなく空気を震わせる。


 中で泣いていた声が、その音の方へ寄った。


 寄るのは、音がする方には何かがあると、体が先に決めるからになる。教わっていなくても、そうなる。


 澪は音の高さを一度だけ下げた。下げると、床の近くを通る。


 床の近くを通る音は、伏せている人に届きやすい。


「一メートルが、八十センチになりました」


 ひかりが隙間の前へ膝を突いた。突いてから、自分の腕を隙間へ入れた。


 入るのは、肘までになる。


「そこにいる子。手を、こっちへ出してもらえますか」


 返事は無い。泣き声だけがある。


「目は閉じたままで大丈夫です。手だけ、まっすぐ出してもらえますか」


 ひかりは自分の手を、動かさずに止めていた。動かすと、触った時に相手が驚く。


 止めたまま、七つ数えた。


 七つ目で、指が触れた。


 小さい指が、ひかりの手袋の甲に触れて、一度離れて、また触れた。


 二度目で、ひかりが握った。


「握った。あと十センチ要る」


 十センチを作るのは、迅と寺尾の側になる。


 迅は斧の柄を、両手で下へ押した。押した分だけ、自分の膝が路地の敷石へ落ちる。


 落ちた膝が、敷石の目地へ入った。入った膝で、体を止める。


 止めた体から、腕へ力を回した。回した先で、斧の柄がしなった。


 しなった柄は、折れる手前で止まる。この人はその位置を、掌で覚えている。


 十センチが、八センチまで来た。


 残り二センチのところで、壁が下から押し返した。


 押し返した力が、寺尾のハンマーの柄を跳ねた。跳ねた柄が、寺尾の肩を打つ。


 寺尾は柄を放さなかった。放せば、七センチが零に戻る。


「保っとる」


 一文になった。


 迅が左手を柄から離した。離した左手を、壁の下端へ直接掛ける。


 装甲の掌が、熱いものに触れた。触れた場所から、音がした。


 迅はそのまま引く。


 二センチが、開いた。


 ひかりが握った手を引いた。引いた先から、子どもが出てきた。


 五歳の女の子になる。上は寝間着で、下は靴下を履いていない。


 顔に煤が付いている。目は閉じたままになる。


 ひかりはその子を抱えて、路地の入口へ走った。走りながら、面を口へ当てた。


「息、返すよ」


 七つ数えた。七つでは戻らなかった。


 もう一度、七つ数えた。二度目の四つ目で、咳が出た。


 咳が出れば、通っている。


 路地の入口で、三上が場所を空けた。空けた場所へ、ひかりが座った。


 座ってから、その子の足を自分の上着の中へ入れた。靴下を履いていない足になる。


*


 壁が路地から出た。


 出た先は、旧市街二丁目の広い方の道になる。出てから、上へ伸びた。


 伸びた高さが、長屋の屋根を越えて、その先の電柱も越えた。


 地下三層で宮ヶ瀬が盤を叩いた。


「路地の外です。ただし、中身がまだ出ていません」


 五機が旧市街の広い道へ並んだ。サイレンクレーンがアウトリガーを張る。片側は側溝になる。


 サイレンウイングが長屋の屋根より低く抜けた。抜けた風で、路地の煙が横へ流れた。


 サイレンメディックは路地の入口へ着けて、後扉を開けたまま待っている。


「五機、連結!」


「特災合体 ── サイレンオー!」


 サイレンオーが立った。


 路地の入口から見上げた三上には、脚と、胴の下半分が見えた。座っているひかりの膝の上から、その子は何も見ていない。目を閉じたままになる。


> ── 回線、残り 二本。


> 判定 ── 赤。要救助者、内部に一名。必殺の使用を停止します。


 赤は、まだ消えていない。


 中に、もう一人いる。


「山内さんです。母親が帰ってきていました」


 澪の声が回線に入った。


 二十二時五十六分に、山内まきが路地の入口へ着いていた。着いて、そのまま奥へ入っていった。


 誰も止められない。止める位置に、誰も立っていなかった。


 サイレンオーは撃たない。撃てない。


 右腕の放水砲は開かなかった。開く代わりに、右手が下りた。


 下りた右手が、立ち上がった壁の縁を掴んだ。


 左手は開かない。三年、一度も開いたことがない。開かない拳は、物を掴めなかった。


 だから、開けるのは右手だけになる。


 右手が縁を掴んで、外へ引いた。引いた先で、壁が薄く裂けた。


 裂け目は、上から下へ、まっすぐ入った。


 寺尾の声が回線に入った。


「片手だぞ。もう片方は要らんのか」


 誰も答えなかった。三年、誰も答えたことがない。


 右手が裂け目へ入って、内側から押した。押した分だけ、裂け目が広がる。


 広がった裂け目から、人が一人、落ちてきた。


 落ちる先に、サイレンオーの右の掌がある。


 掌が受けた。受けた掌を、地面まで下ろす速さは、歩くより遅い。


 山内まきは、掌の上で膝を突いたまま動かなかった。


 下ろされてから、路地の入口の方を見た。


 見た先で、ひかりが立ち上がっていた。上着の中に、五歳の足が入っている。


 壁は、中身が出た後で崩れた。


 崩れる時、誰も撃っていない。撃たずに終わる回は、三年で四度目になる。


 四度のうち、三度は判定が赤だった。赤は、中に人がいるという色を指す。


 残りの一度は緑で、こちらは中の人が自分で出られる色を指す。


 どちらでも、六人がやったのは同じことになる。開けた。それだけになる。


 開けるのに要る時間は、撃つのに要る時間より、いつも長い。長い分は、誰かが受け持っている。


 崩れた熱が、旧市街の広い道の上で散った。散った先で、冷たい空気に飲まれて消えた。


 二十三時九分に、火は消し止められた。焼けたのは六畳の半分と、台所の一部になる。


 隣の四軒は無事になる。壁は一枚しかないので、次に火が出たら同じではすまない。


 次があるかどうかは、誰にも分からない。分からないまま、四軒とも年明けに人が戻ってくる。


 戻ってきた人に、この夜のことを伝える係は、決まっていない。


 道に、二十人ほどが出ていた。年末で残っている人だけになる。


 拍手は起きなかった。この時刻に、この街は音を立てない。


 山内まきが、路地の入口でひかりの前に立った。二十九歳になる。仕事着のままになる。


「すみません」

「山内さん。先に、お子さんの手を握ってもらえますか」


 まきが手を出した。出した手が震えている。震えているのは、寒さではない。


 その子が、母親の指を握った。握ってから、初めて目を開けた。


 開けた目が、まず母親を見た。それから、路地の上の方を見た。


 上には、まだサイレンオーが立っている。右手だけが下りていて、左手は握ったままになる。


「あれ、ばんそうこう」


 五歳が言った。誰も、その言葉を直さなかった。


 二十三時二十分に、二人が搬送された。母親の方が、掌に火傷を負っている。


 戸を素手で触った跡になる。触ってから、開けずに窓へ回っている。


 開けなかったのは、この人が自分で決めたことになる。理由は訊かれなかった。


 搬送の前に、まきは自分の掌を一度見た。見てから、その手で娘の頭を触った。


 触った側の掌が、赤くなっている。触られた側は、何も言わなかった。


 ひかりはその手を止めなかった。止める理由が、この場に無い。


 三上が、台車の横に立っていた。荷は積んだままになる。


「これ、明日でいいですかね」

「明日で大丈夫です。今日の分は、こちらで預かります」


 尾花の声が、通話の向こうから聞こえていた。三上はまだ切っていない。


 切ってから、右手を耳の高さまで上げて、掌を外へ向けた。


 誰も教えていない。夏に一度、丘の上で、この形を見ている。


 迅がそれを見て、同じ高さまで自分の手を上げた。


 上げた手は、左ではなく右になる。左の掌は、装甲の中で貼り付いている。


 三上は、その手を見てから台車を押した。押した先で、一度だけ振り返った。


 振り返った先に、まだ五人が立っていた。


 その時、旧市街の道に、白いものが落ちてきた。


 雪になる。この冬の、最初の一片になる。


 誰も上を見ていなかった。上を見たのは、傘を差された人だけになる。


 山内まきの上に、傘が一本、差し掛けられていた。


 差しているのは、道の端に立っていた人になる。顔は傘の陰になっている。


「ご迷惑ですから」


 声はそう言った。まきが振り向いた時には、傘だけがその場に立っていた。


 傘の下に、雪が落ちていない。落ちていない場所が、円く残っている。


 差した人は、路地の奥の方へ歩いていった。行き止まりの方になる。


 行き止まりには、五軒目の勝手口がある。年末で空いている家の裏口になる。


 誰も追わなかった。追う手が、この時刻に一本も余っていない。


 行き止まりに、何かを置いた音がした。置いた音だけがして、戻ってくる足音がない。


*


 支部へ戻ると、玄関の内側に何も無かった。


 豆腐は来ていない。三日目の夜になる。四日から戻る。


 寺尾が笊を出して、そこへ何も載せずに伏せた。伏せてから、角を確かめる癖だけが出た。


「確かめるもんが無い。三日目が一番、手が余る」


 二文で言って、笊をもう一度洗った。


 梅木が地下二層で、サイレンファイヤーの前面を見ていた。路地の熱で、塗りが二か所浮いている。


「表だけです。中まで来てません」


「来ていません。ただし、浮いた塗りを浮く前に見つける道具を、まだ作れていません」


 宮ヶ瀬は工具を置いた。置いてから、それ以上は足さなかった。


 毎回、作れなかったものを一つ言う。三年、欠かしたことが無い。


 戸倉が工具箱の蓋を閉めながら、梅木の方へ小さく言った。


「サイレンオー、右手だけで開けてました。左は最後まで動いてません」


「本人に言ってあげたらどうですか」


「言いません。左の話をすると、宮ヶ瀬さんが三日黙るので」


 澪は受信席の裏で、旧市街二丁目の記録を出していた。


 長屋の五軒は、五十年前に一棟として建っている。壁は一枚で、柱は共通になる。


 同じ造りの長屋は、旧市街に十一棟ある。十一棟のうち、年末に一軒だけ灯りが点く棟は、七棟になる。


 七棟の数字は、どの用紙にも無い。澪が自分で数えた。


 澪は自分の地図に付箋を一枚貼った。旧市街二丁目、路地の奥から二軒目。これで十八枚目になる。


 付箋には何も書いていない。


 貼り終えてから、この人は付箋を一枚だけ、指で押し直した。三年前からの四枚のうちの一枚で、貼った場所は旧市街になる。


 押し直しただけで、動かさなかった。


 三年前からの四枚は、貼った日をこの人が覚えている。四枚とも、まだ何も起きていない場所になる。


 起きていない場所を数える欄は、どの用紙にも無い。無い欄のものは、増えても誰にも見えない。


 ひかりが二階の廊下で、面の袋を数えていた。子ども用の面は、この夜で一つ減っている。


 減った一つは、袋ごと持って帰らせた。次に要る時のためではない。持っていていいと言っただけになる。


 袋には、支部の名も、番号も書いていない。書いてあるのは、大きさの目印になる線が一本だけになる。


 線の上に、去年の日付が小さく入っている。去年、同じ袋を渡した相手がいるということになる。


 二階の廊下で、久遠寺が報告の紙を持ったまま立っていた。この日は書き足す行が無い。


 書き足すのは、迅の報告が短い日になる。この日、迅はまだ何も言っていない。


 久遠寺はそれ以上訊かなかった。訊かずに、紙を裏返して机へ置いた。


 三階の食堂で、寺尾が大根を出した。三日目の椀になる。


 迅は椀を持ったまま、左の掌を見ていた。装甲の下の掌に、赤いものが横に一本出ている。


 出ている場所は、壁の下端を直接引いた場所になる。装甲の掌は、素手より熱を通しにくい。


 通しにくいだけで、通らないわけではない。


 見ただけで、何も言わなかった。この人は、自分の怪我を言わない。


 食べ終わらないうちに、二階の受信席で、電話が鳴った。


> 【第七支部 出場記録】

> 臨場 ── 二十二時四十七分。所要 ── 七分。

> 保留 ── 一件。最長 ── 五十八秒。

> 未着 累計 ── 零。

> 判定 ── 赤。必殺 ── 不使用。

> 損壊 ── 旧市街二丁目 長屋 奥から二軒目 六畳 半焼。台所 一部 焼損。

>     窓 枠ごと取り外し。両隣 二軒 壁面 焦げ。

> 救助 ── 二名。搬送 ── 二名(五歳・煙/二十九歳・掌)。

> 旧市街 同構造長屋 十一棟 ── 記録なし。

> 本件、処理 ── 完了。

> ── 入電。

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